フィオナ・アップル、誤解と神格化の狭間で 5人の視点で見つめる

この記事には2つの目的がある。フィオナ・アップルという不世出の音楽家が生み出した『Fetch the Bolt Cutters』から溢れるエネルギーの正体について、複数の視点から思いを巡らせること。もうひとつは、フィオナ・アップルに対する日本語での批評を未来に手渡すこと。フィオナの場合は特に次作がいつ出るのかもわからないわけだが、その来たるべき未来のために、5つの視点からなる2020年時点でのフィオナ・アップル評を、彼女と人生を共にしてきたリスナーのために、フィオナのことをこれから深く知っていこうとするあなたのような人のために残します。

本稿の指針となったのは、『CROSSBEAT』誌1999年12月号と2000年6月号。そこには、純真かつチャーミングで、そして透徹した眼差しを持つフィオナ・アップルその人の姿が確かにあった。5人の書き手のうちの一人である新谷洋子は、この2つの記事のインタビュアーを務め、『Fetch the Bolt Cutters』の歌詞対訳も手がけている。

大胆で美しく、力強くも繊細で、フィオナ・アップルという個の内側から発せられる衝動が辿った20年以上にわたる歴史を捉え、そして、天真爛漫な天才性、そのナイフのような感性、音楽家として業、あるいはひとりの女性としての怒り……これらを見つめて言語化するために、新谷のほかに、小林祐介(THE NOVEMBERS)、角銅真実、小熊俊哉、野中モモの力を借りた。あなたにとって、フィオナ・アップルがより身近で、特別な存在になったら幸いだ。

フィオナ・アップル
1977年NY出身。17才の時に書き上げた作品『TIDAL』でデビュー。彼女の前に道はなく、既存のジャンルに分類することが不可能だとも言われたが、「マーケットがない」と危惧されたウィークポイントを僅か1年で逆にアドバンテージに変え、「比類無き唯一の存在」として自身のアイデンティティーを確立した。これまでに5枚のアルバムをリリースし、通算アルバム売上は1000万枚以上、『グラミー賞』8回ノミネート(うち1回受賞)。2020年4月には8年ぶりとなる新作『Fetch the Bolt Cutters』が発表された。
フィオナ・アップル『Fetch the Bolt Cutters』を聴く(Apple Musicはこちら

「フィオナ・アップルが18歳の僕に突きつけたもの」テキスト:小林祐介(THE NOVEMBERS)

<フィオナ・アップルが鳴り響く地下鉄に 二十一歳の彼女は身を投げる>

僕が思春期を共に過ごしたART-SCHOOLの楽曲“FIONA APPLE GIRL”は、こんな歌い出しで始まる。僕はこの曲でフィオナ・アップルの存在を知った。僕が高校を卒業したばかり、18歳の頃だった。

まだ名前しか知らない彼女の作品(1stアルバム『TIDAL』)を、地元・宇都宮のレコードショップへ買いに行くまでにそう時間はかからなかったと思う。

当時の僕は、自分が尊敬するミュージシャンが影響を受けた音楽をひたすらチェックし、新たな衝撃や感動、驚き、疑問符との出会いを重ねていた時期で、フィオナ・アップルもその一つだった。

『TIDAL』の1曲目“Sleep to Dream”のイントロが流れ、彼女の歌が始まった瞬間の興奮をいまでも鮮明に覚えている。何かに怒っているような、耐えているような、何かを宣言しているような歌声で、まくしたてるように言葉を吐き出すその曲で僕は一気に引き込まれ、しばらくの間ずっとそのアルバムを聴いていた(ちなみにこの曲は僕のバンドTHE NOVEMBERSで、ライブの入場SEとして長いこと使用していた)。以来、彼女についての記事や、インタビュー、ライブ映像などはチェックし続けてきた。

フィオナ・アップル“Sleep to Dream”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

THE NOVEMBERS『At The Beginning』(2020年)を聴く(Apple Musicはこちら

そして2020年、SNS上での「『Pitchfork』がフィオナ・アップルの新譜に10点をつけた」というコメントと共に、僕は新作『Fetch the Bolt Cutters』の存在を知った。そのため、自分が少し構えを作ってしまったように感じ、あえてすぐには聴かず忘れたころにでも楽しもうと思っていたら、本当に忘れてしまい、まさにこの記事のオファーが本作を聴くきっかけになった(ありがとうございます)。

いやー、素晴らしい。表現力や倍音の豊かな歌とコーラスワークも、ここ最近とんと触れる機会が減っていたルーム感たっぷりなサウンドも、散りばめられられた犬の鳴き声やなんとなく鳴らしたような楽器の音も、茶目っ気たっぷりなアートワークも、「ボルトカッターを持ってきて」という作品名も、素晴らしい。

フィオナ・アップル“I Want You To Love Me”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

なんて、無邪気にただ楽しめればよいのだけれど、そうもいかない。躍動感や軽快さに溢れた曲もたくさんあったけれど、いま、この作品で僕が味わった感動は複雑でずっしりと重く、心に何かが点火したような、ふつふつとした熱いものを感じている。

思えば、かつて、僕が女性に対して偏向的に抱いていた平和ボケでメルヘンチックな考え方や、ファンタジー的な眼差しを、粉々に打ち砕いたのはフィオナ・アップルだった。

逆説的に、自分が男性であることを強く突きつけられたことで、自己否定に走ってしまう僕に、自己肯定感よりも、自己受容の大切さを感じさせてくれたのもフィオナ・アップルだった。

「いつかぴったり合うようになると言われてた靴を履いて私は育った
あの丘を駆け登るには向いてない靴を、
でも私はあの丘を駆け登らなくちゃならない」

「ボルトカッターを持ってきて、私はここに長居し過ぎた」

フィオナ・アップ“Fetch the Bolt Cutters”より

と彼女は歌う。靴も、ボルトカッター(また、それで断ち切る何か)も、人が作ったものだ。

世界中で起こっている悲惨な出来事は、人の手でなくすことができる。想像し、それを心から望めば、私たちは歩き出せるはずだ。何かに向かって、あるいは何かに背を向けて。

「私の中の傷だらけの『わたし』を奮い立たせる声と言葉」テキスト:角銅真実

じつは彼女の声を聞くと、いつも少しだけぎゅっと苦しくなる
。

それはたとえば、海に浸かった時にいつか擦りむいてできた傷がしみて思わず目をつぶる時の感じです。
だけど、ずっとフィオナ・アップルさんの音楽から声から、目を耳を離せないのはどういうことだろう。


生きることの、続いてゆくことの複雑さの中で、誤魔化さずに他者を求めながらも自分の手で自分自身になろうとする(ように感じる)彼女の声に、言葉に、そこに閉じ込められた空気に、私の中の傷だらけのわたしがいつもなんどもうなずいているからでしょうか。



今回のアルバムは、特にそんなことを感じていました。



とりわけなんども聴いたのは“Fetch the Bolt Cutters”という曲です。
わたしには、自分の声を、身体を、心を、自分の手で掴み / 取り返した人の声が聴こえてきました。
そういった歌って、なんて強いのでしょう。



フィオナ・アップル“Fetch the Bolt Cutters”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

どこに咲こうなんて思っていない花

風に乗ってたどり着いたところで強く萌えるいきもの。

たとえアスファルトの上や灼熱の砂漠だったとしても、気にもとめずたくましく葉を広げ、その花を咲かせようとする。それが叶わなくとも。

諦めと、願いが拮抗してできた、硬いかたい鉱石みたいだ

誇らしいお墓みたいだ

日に焼けた、何かの大きな目印の旗みたいだ



フィオナさん、この歌たちを、こうして記録し作品にし届けてくれて
本当にありがとうございます。


そうして音の風に乗ってやってきたあなたの種たちが、今、音楽を聴いているわたしの部屋や心に芽を出し茎を伸ばし蔓を巻きつけ緑を生い茂らせ、部屋の形を変え、心はいろんなところがめくれ、わたしはその草いきれの中で、前向きに途方に暮れながらこれを書いています。

角銅真実『oar』(2020年)を聴く(Apple Musicはこちら

「『クレイジー』のひとことでは説明し得ない不世出の音楽家、フィオナ・アップルの足跡とその実像」テキスト:新谷洋子

1990~2000年代のフィオナ・アップルに関するかなりの数の雑誌記事を読み返してみて、「crazy」という言葉があまりに頻繁に飛び出すことに少々面食らってしまった。18歳でデビューしたフィオナの年齢に不相応なほどの才能にももちろん触れているのだが、とにかくクレイジーで、かつ「生意気」で「不機嫌」なのだとラウドな合唱が聴こえてくる。

その根拠? 筆頭に挙がるのは、1997年の『MTVビデオ・ミュージック・アワード』。“Criminal”のミュージックビデオで「新人賞」に輝いたものの明らかにスピーチを用意していなかった彼女は、「みんな私たちをお手本になんかしないで! だって世界はデタラメなんだから!」などと放送禁止用語混じりに捲し立てた一件だ。

フィオナ・アップル“Criminal”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

スピーチの中盤でフィオナは「This world is bullshit」と言い放っている

『SPIN』誌の同年11月号のインタビューでの、「私は若くして死ぬと思う」という発言も度々言及されている。機材の不調に悩まされて、泣いたり悪態をついたりした挙句にステージから走り去った、2000年2月のニューヨーク・ローズランドでの公演も悪名高い。そして、ギネスブックが最長記録として認定した2ndアルバムの90語に及ぶタイトルも、散々揶揄されたものだ。

本人曰く、どれも釈明の余地がある。フィオナが下着姿で登場する“Criminal”のMVはそもそもがポルノグラフィックと評されて物議を醸した作品で、疑問を抱きながらも監督の提案を拒めず「チヤホヤされていい気になっていた」自分への怒りが、スピーチに噴出しただけ。ローズランド事件は、特に気合いを入れていた地元での公演でトラブルに見舞われた悔しさが、ああいう形で現れた。『SPIN』誌の記事に至っては発言を都合よく捻じ曲げられたそうで、長いタイトルは、まさにこの記事に傷ついた彼女が自分を奮い立たせるべく書いたポエムだ。

フィオナ・アップル『When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He'll Win the Whole Thing 'fore He Enters the Ring There's No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So When You Go Solo, You Hold Your Own Hand and Remember That Depth Is the Greatest of Heights and If You Know Where You Stand, Then You Know Where to Land and If You Fall It Won't Matter, Cuz You'll Know That You're Right』を聴く(Apple Musicはこちら

果たしてそれがクレイジーなのかといえば、単にこれまでいなかったタイプのアーティストにメディアが戸惑い、曖昧な言葉に逃げたというのが真相ではないかと思う。それにフィオナ自身は、理解されないことには慣れっこだった。子どもの頃から根も葉もない言いがかりをつけられていじめに遭い、誤解される理由は自分にあると信じ込んでいたという。そんなフラストレーションの捌け口だったのがピアノを弾くことであり、曲を書くこと。試しに作ったデモテープが偶然友人を介して音楽業界関係者の手に渡り、「ミュージシャンを生業にする」という自覚がないままにデビューに至った。よってどう行動していいのかわからず、よかれと思って無防備に振る舞った結果が、これらの事件だったのである。

でも、いじめだけでなく性的暴力のサバイバーでもある彼女はタフで、実は旺盛なウィットの持ち主でもあった。2ndアルバム『When The Pawn……』(1999年)では、そのレッテルを逆手にとって挑発していたようなところがある。“Fast As You Can”の<私がどれだけクレイジーか知ってるつもりらしいけど / 逃げ出すことは目に見えてる>を筆頭に、歌詞の随所に「crazy」を潜ませ、“A Mistake”では<私は過ちを犯す / わざとそうするの>とおちょくって。

フィオナ・アップル“Fast As You Can”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

若い女性アーティストに暗に求められるイメージ作りも放棄し、すっぴんで普段着のままステージに立ったフィオナは、代わりに、バンドとのツアー体験を踏まえて、音楽作りの主導権を握る。ジョン・ブライオンという理解者を得て、自身のルーツにあたるクラシック、ジャズ・スタンダード、ヒップホップ、The Beatlesが共存できる表現を見出したのも『When The Pawn……』だった。

そして1stアルバムに劣らぬ賞賛を浴びるも、キャリア志向は少しも持ち合わせておらず、新作をちっとも急がなかった。必要に迫られた時、抗しがたい力に突き動かされた時にだけ曲を書くのだと早い段階から心に誓っていた彼女は、2000年春の初来日公演から間もなく表舞台からフェードアウトしていく。

次のアルバム『Extraordinary Machine』(2005年)までの6年の空白こそ、『When The Pawn……』の余韻が、「クレイジー」から「神」へとアーティスト像を塗り替えた重要な時期だ。LAに家を買ったフィオナは愛犬と暮らし始め、無為に過ごしていることを周囲の人々は嘆いたらしいが、この時期に書いた“Waltz(Better Than Fine)”で飄々と回答している。

「時間を無駄にするべきじゃないと思うし 無駄にしているつもりはない」

「歌うことがないのはいいことなのよ」

フィオナ・アップ“Waltz(Better Than Fine)”より

フィオナ・アップル“Waltz(Better Than Fine)”を聴く(Apple Musicはこちら

それでもジョンに乞われてレコーディングを始めてはみたものの、仕上がりに満足できず、レーベルとも対立。納得いく作品を作れないならミュージシャンを辞めようと、職探しを始めたともいう。そんな彼女を救ったのは、お蔵入りになったアルバムの発売を求めて熱狂的ファンが展開したキャンペーン「Free Fiona」だった。当のフィオナは携帯電話もPCも持っていなかったために一連の騒ぎを知らずにいたというのが、実にこの人らしい。

結局はレーベル側が折れて、録音し直した『Extraordinary Machine』が2005年に登場。以後彼女はさらに寡作になり、4作目『The Idler Wheel……』は2012年に、最新作『Fetch the Bolt Cutters』は今年ようやく届いた。<歌うべきことがないのはいいこと>という認識が涵養され、ファンとレーベルが辛抱強く見守る中、フィオナは自らプロデュースを手掛けて表現をどんどん簡潔にし、我が道を突き進むのみ。宅録に近い『Fetch the Bolt Cutters』ではほぼパーカッションと声だけが残ったが、外界と隔絶されたそのすさまじいエキセントリシティは狙って生まれるものじゃない。真似もしようがない。

フィオナ・アップル“Newspaper”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

『Fetch the Bolt Cutters』にはまた、少女時代を振り返る曲がいくつかある。辛い時期を敢えて再訪したのは、ここにきて、当時の自分から解放されたことを意味していると思う。ジャケットにはクレイジー説を復活させかねない写真が使われているけど、『SPIN』はとっくに休刊している。ローズランドは再開発のため取り壊された。タイトルのギネス記録もSoulwaxやChumbawambaが更新済み。でも世界はますますデタラメで、みんな口々にそう指摘するようになった。最後に生き残ったのも、最終的に正しかったのもフィオナだったのである。だからアルバムのラストを飾る“On I Go”で彼女はこう歌う、<これまではどうにか自分を証明したくて動いていた / でも今の私はただ、動くために動いている>と。

フィオナ・アップル“On I Go”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

「『Fetch the Bolt Cutters』が湛えた尋常ならざるエネルギーとその精神。『Pitchfork』のレビューをガイドにサウンドから紐解く」テキスト:小熊俊哉

「私は音楽。ジャンルは、フィオナ・アップル」

1999年の2作目『When the Pawn…』の日本盤帯には、こんなキャッチコピーがつけられていた。それから20年、フィオナの表現はさらに研ぎ澄まされ、前人未到の領域をひたすら突き進んでいる。『Fetch the Bolt Cutters』は圧倒的だ。「10年ぶりの10点満点」で大きなバズを生んだ、『Pitchfork』のレビューも力強く宣言している。

「フィオナ・アップルの5thアルバムは解放された、日常から鳴り響く野性的なシンフォニー、不屈のマスターピース。これほどの音楽はかつてなかった」

『Fiona Apple: Fetch the Bolt Cutters Album Review | Pitchfork』より(筆者訳)(外部サイトを開く

頷くしかないだろう。ここまでダイナミックで、生命力に満ち溢れたサウンドはそう思い当たらない。上述のレビューを執筆したのは、フェミニズムやジェンダー論に精通し、1977年結成のポストパンクを代表するガールズバンド、The Raincoatsの研究本も手掛けたジェン・ペリー。1989年生まれで世代的には後追いだが、レコードとインターネットが友達だったという孤独な10代を、フィオナの音楽に救われた人物でもある。

彼女は文中で、「独立独歩がルールであり、その鍵となるのは好奇心だ」と指摘している。フィオナは『Fetch the Bolt Cutters』で初めてプロデューサーも兼任し、ここにきてGarageBandを手探りで習得。レコーディングの大半はLAのベニスビーチにある自宅で行われ、DIYを徹底しながらベッドルームポップの規範ともかけ離れた、桁外れのサウンドを実現させた。

フィオナ・アップル“Rack of His”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

それにしても、この音楽はあまりにも生々しい。演奏ミスや愛犬の鳴き声、フィオナが「ファック!」と吐き捨てる声もそのまま収録され、どの曲も二転三転しながら、スタートとゴールでまったく異なる景色を見せている。極めて即興的なソングライティングは、「正解」に背を向けて逆走するかのようだ。

その一方で、“Relay”に顕著なゴスペルチャントや、“Ladies”におけるジャズ・スタンダード調などルーツミュージックに根差した部分もあるが、隙間を活かしたプロダクションや(レコードで聴くとよくわかる)リズムセクションの強烈な音像は、同時代のヒップホップ / R&Bとも共振するモダンな要素も感じさせる。どこまでが計算づくで、どこからが直感的なのかは本人のみぞ知るだが、フィオナの我流は常識を飛び越え、オーセンティックという概念を解体していく。

フィオナ・アップル“Relay”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

とりわけ驚かされるのはリズムだ。ここではフィオナ自身と、3人のサポートメンバー全員がドラムとパーカッションを担当。さらに既報の通り、あらゆる物を叩きまくった打撃音が響き渡る。狂乱のビートはインダストリアルとも形容しうるもの。ある種の解放運動を思わせる“On I Go”のリズムは、The Slitsによる1980年の名曲“In The Beginning There Was Rhythm”(はじめにリズムありき)を想起させる。

そもそも、ヒップホップ好きを公言し、ピアノを打楽器のように弾いてきたフィオナは、はじめから稀有なリズム感覚の持ち主だった。1996年のデビュー作『TIDAL』の1曲目“Sleep to Dream”にも、『Fetch the Bolt Cutters』の原点が見て取れる。だが、若き日のフィオナはもっと洗練されたポップソングを歌っていた。それに対し、24年後の最新作では過激なスクラップ&ビルドを推し進め、もはやソングライターとして完成することを放棄している。ジェン・ペリーはこの変化について、初期の作風をフィオナが神と崇めたジョン・レノン、それから今作をオノ・ヨーコになぞらえて対比し、さらにヨーコの言葉を添えている。

「私はエスタブリッシュメント(支配体制)の考え方とはまったく違う、彼らのやり方とかけ離れた、どう反撃したらいいのかわからないような、そんなやり方でエスタブリッシュメントと戦いたいのです」

『Fiona Apple: Fetch the Bolt Cutters Album Review | Pitchfork』より

そう、フィオナは戦っている。自分を虐げてきた社会や痛々しい過去と対峙し、怒りや悲しみを湛えながら、既成概念に捉われないやり方で声を上げている。音楽的な観点でも「歌」は衝撃的だ。シンガーというよりは楽器の一つのように、それこそオノ・ヨーコばりに雄叫びをあげ、悲鳴のようなスキャットを披露したかと思えば、多重録音したコーラスが渦を巻き、ときに清らかなハーモニーを聴かせる(“For Her”での変幻自在ぶりは圧巻)。溢れんばかりの言葉を運ぶ、ラップともトーキング・スタイルとも似て異なる歌唱表現は、ほとんど発明品のようにも思えてくる。ジェン・ペリーの考察も鋭い。

「多くのソングライターが年齢を重ねるにつれ、言葉数を少なくさせることで、メロディを洗練させようとする傾向にある。しかし、ここで言う『洗練』というのは、『後退』や『撤退』の意味も含まれる。フィオナはその逆で、さらに多くの言葉を収容するために彼女の音楽を再定義している」

『Fiona Apple: Fetch the Bolt Cutters Album Review | Pitchfork』より

フィオナ・アップル“Drumset”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

そして、『Fetch the Bolt Cutters』のDIYサウンドは、男性優位の社会におけるマッチョな価値観や、「こうあるべき」というプレッシャー、資本主義の歯車にするためのシステムを解体するものだとジェン・ペリーは説く。完璧である必要はないし、自分を誰かと比べる必要もない。誰になんと言われようと、私には生きる権利があるーーもし虐げようとする人がいるなら、ボルトカッターを持ってきて。

ジェン・ペリーはレビューの冒頭で、「アートには欺瞞を暴く力がある」と綴っていた。このアルバムはこれまでにないやり方で闇を照らし、人間の不完全さを肯定し、社会のしがらみから解き放つ。そして、音楽には何ができるのか、なぜ自分に音楽が必要なのかを思い出させてくれる。『Fetch the Bolt Cutters』というタイトルには、「声を上げることを恐れないで」というフィオナの想いが込められているという。そのメッセージは、呆れるほど不自由で理不尽な今の日本でも有効なはずだ。あなたがあなたらしく生きられないのは、あなたのせいではない。

私たちみたいな人間はたまに、ひどく心が重くなって、ひどく困惑してしまう
ひどく心が重くて、ひどく困惑して、辿り着くのはどん底だけって時もある
下へ下へと同じ場所に何度も引きずり降ろされて、そのうちにいい加減
どん底だけが自分にとって唯一安全な場所なんじゃないかって感じるようになる
でもね
私はイチゴみたいに自分を広げる
私はエンドウ豆やほかのいろんな豆みたいに高く登る
私は随分長い間息を吸い込んでたから
今にもはち切れそう

フィオナ・アップル“Heavy Balloon”より

フィオナ・アップル“Heavy Balloon”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

「傷だらけでも、生きることの困難さに立ち向かい続ける、フェミニストアーティストとしてのフィオナ・アップル」テキスト:野中モモ

2010年代半ばよりこのかた、アメリカにおいてはエンターテイメント業界のスターがフェミニストを自称することは当然のふるまいとなった。「男は男らしく、女は女らしく」といった古いジェンダー規範によって多くの人々が苦しめられているという認識が広く共有されるようになり、映画でも音楽でも家父長制とロマンティック・ラブ・イデオロギーを批判する視点を含んだ作品が大きな支持を集めるようになったのだ。

COVID-19感染症の流行に伴って人々がかつて経験したことのない隔離生活を送ることになった2020年の春に突如リリースされた『Fetch the Bolt Cutters』も、そうした時代の気分に呼応した作品だと言えるだろう。しかしこれは「流行りに乗る」とか「潮目を読む」とか、そういう話ではない。

フィオナ・アップルが8年ぶりにリリースする5枚目のアルバムだ。1990年代後半、まだ10代のうちに驚異的な成功を収めた彼女も、すでに40代を迎えている。さまざまなパーカッションと声の響きを中心に据えた、ロックやポップスの定型から離れたフリーフォームなサウンドからは、ずっと自分の中に抱え続けてきた音楽の種を自分のやり方で納得のいくかたちに育ててきたことが察せられる。生きることの困難と向き合い続けてきた伝説の勇者が繰り出す、どすんとボディに響く一撃、という趣きだ。

フィオナ・アップル“Cosmonauts”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

収録された13曲には、性的虐待、いじめ、別離と孤独、自信の欠如に鬱など不穏なテーマが多数含まれている。しかしそれらはリズムに乗って弾むように歌われ、いま生きて呼吸している自分を確認し、祝福しているかのようだ。フレーズをリズミカルに反復するわらべ歌のようなスタイルは、強い言葉を届けるには現在主流の「ビートにラップを乗せる」以外にもこんなやり方があったか、と新鮮な驚きをもたらしてくれることだろう。

気が進まないディナーの席に連れていかれたというシチュエーションで<私は黙らない / テーブルの下に蹴り込まれたって>と繰り返す“Under the Table”や、どん底まで沈み込んでも<私はイチゴみたいに自分を広げる>と自分に言い聞かせるように歌う“Heavy Balloon”は、聴く者の弱った心に重なり、鼓舞してくれる曲になりそうだ。もちろん<ボルトカッターを持ってきて、ここに長く居すぎた>と歌うアルバムタイトル曲も、窮屈な生活が続いていろいろな意味で「脱出」を夢見る思いが募る2020年を象徴するものとなるのは間違いない。

フィオナ・アップル“Under The Table”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

権力が不均衡な関係で発生する性的搾取について歌った“For Her”も強烈だ。アメリカでは2017年秋から#MeToo運動が大きな広がりを見せ、2018年には最高裁判事に指名されたブレット・カバノーに高校時代の性的暴行疑惑が持ち上がるなど、女性たちが沈黙を破って告発に踏み切るケースが相次いでいる。だがフィオナは1998年、ポップの世界の若き新星として脚光を浴びていた頃から、12歳の時に見知らぬ人にレイプされたことを公表していた。

彼女は『VULTURE』のインタビューで、起こったことを自分で認めるのがいかに難しいかを語っている。曰く、「(被害に遭ったあと)最初にしたことは加害者のために祈ることだった。しかしずっと祈ってはいられない。責任を取らせなければ」。

この曲に<おはよう、おはよう、あなたは自分の娘が生まれたベッドで私をレイプした>という直截なフレーズを入れたことについて、フィオナは「自分に何が起こったか理解するために大声で言うことが必要な人がいる」「誰かにとってこの歌詞を一緒に歌うことが真実を伝える助けになればいい」と語る。つらい経験を共有することは、彼女自身にとってもある種の癒しとなるのだろう。パフォーマンスによる浄化作用の例だ。

フィオナ・アップル“For Her”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

さらにこのアルバムでは、女性に対するひとことでは言い難い感情が主要なテーマとしてたびたび歌われ、全体に複雑な陰影をもたらしている。女性にとって同性である女性との関係は男性との関係と同じかそれ以上に重要――というかそんなの個人差があるし、時と場合による――なんて、至極当然の話。さらに言えば、人と関係を結ぶ以前に自分自身とうまくやっていくのだって大変だ。にもかかわらず、この世の映画や漫画やポップソングは、これまで理不尽なほどに高い割合で男女の恋愛を讃えてきたように思う。この世界には異性愛ロマンスの他にも歌うべきことがあふれているのだ。

たとえば子ども時代、友達でもなんでもない女の子が唐突に「あなたにはポテンシャルがある」と言ってくれたことが心の支えになったというエピソードから生まれた“Shameika”は、まるで映画の一場面のようだ。ちなみにShameikaは伝統的にアフリカ系の女性につけられる名前なのだそう。

フィオナ・アップル“Shameika”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

自分から恋人を奪っていった女性(たち)を想う“Ladies”も味わい深い。フィオナはこの曲について、「彼氏が浮気しても相手の女を恨むべきではない。恨むべきは彼氏(とはいえ相手の女と無理に仲良くしようとしなくてもいい)」という話をしていて、まったくその通りと頷いた。怒りの矛先を間違えないこと、また女たちを分断させて支配しようとする力に屈しないことの大切さ、そしてその難しさは時代と国境を超える。

このアルバムはカリフォルニア州ベニスビーチにあるフィオナの自宅で、Macに入っているGrageBandとiPhoneを使ってホームレコーディングされたそうだ。とは言ってもCDを何百万枚も売ってきたスターだし、家に立派なスタジオがあるのだろうと思いきや、本当に防音もされていない普通のベッドルームで、ベル、ウッドブロック、ドラム、メタルプレート、亡くなった愛犬の骨、椅子などの家具を叩いて録音されたとのこと。

フィオナ・アップル“Ladies”を聴く(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

正直に告白すると、自分はフィオナ・アップルのいいリスナーではなかった。彼女がポップチャートを席捲していた頃には、もっと実験的で変な音楽に興味が移っていたのだ。あれから20年余りの時を経た今、かつてきらびやかな「時代の寵児」だった彼女が、このアルバムでオノ・ヨーコやブリジット・フォンテーヌやThe Slitsなど、あの頃の自分が心惹かれていた1970年代アヴァンギャルドに通じるような表現を採用して大喝采を浴びているのを見るのは、なんともこそばゆく面白い。寡作とはいえ何十年も活動を続けてきたアーティストだからこそ動かされる感情がある。

1990年代の「不安定で病んでいるのがクール」みたいな風潮のど真ん中にいたフィオナは、その後も恋人からの精神的DV、向精神薬とアルコールの過剰摂取、愛犬の死など、数々のトラブルと悲しみを経験してきた。それらも今となってはロックスターの放埒というより「誰もが経験するかもしれない、割とよくあること」に感じられる。さまざまな困難を乗り越えてアーティストとして立ち続けた彼女に拍手を贈りたいし、おこがましいけれど同じ1990年代生き延び組として、しぶとくやっていこうという意欲も沸いてくるのだ。

リリース情報
フィオナ・アップル
『Fetch the Bolt Cutters』日本盤(CD)

2020年7月22日(水)発売
価格:2,640円(税込)
SICP-6338

1. I Want You to Love Me
2. Shameika
3. Fetch The Bolt Cutters
4. Under The Table
5. Relay
6. Rack of His
7. Newspaper
8. Ladies
9. Heavy Balloon
10. Cosmonauts
11. For Her
12. Drumset
13. On I Go
※歌詞、対訳、解説つき

プロフィール
フィオナ・アップル
フィオナ・アップル

1977年NY出身。17才の時に書き上げた作品『TIDAL』でデビュー。彼女の前に道はなく、既存のジャンルに分類することが不可能だとも言われたが、「マーケットがない」と危惧されたウィークポイントを僅か1年で逆にアドバンテージに変え、「比類無き唯一の存在」として自身のアイデンティティーを確立した。これまでに5枚のアルバムをリリースし、通算アルバム売上は1000万枚以上、『グラミー賞』8回ノミネート(うち1回受賞)。2020年4月には8年ぶりとなる新作『Fetch the Bolt Cutters』が発表された。



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