「フジワラノリ化」論 第20回 島田紳助 紳助依存から脱・紳助へ 其の一 芸能界はどうして「元ヤン」に優しいのか

其の一 芸能界はどうして「元ヤン」に優しいのか

まず断っておきたいのは、ここで一連の引退騒動の詳細を突つこうなどという気は毛頭無いということ。それは急上昇検索ワード「島田紳助 暴力団」に任せよう。彼の黒い闇の深部、或いはその逆サイドにある、上地雄輔が「父ちゃん、父ちゃん」と泣き叫んでその存在感を語った、というような?熱中症?ぎみの語り部に乗っかって、失われた存在感について切々と話そうとも勿論思わない。今、島田紳助に対する報道は闇と光に二分されている。黒い付き合いか情け深いエピソード、そのどちらかだ。記者会見で「あるわけない」と語った暴力団幹部との写真は、早速出てきた。その一方で、「紳助さんがいたから今の自分が……」と俯きながら感謝を繰り返すタレントが相次いで映し出される。白黒、表裏、とにかく二択を前に差し出されて、「さて、キミは島田紳助について、どっちのスタンス?」と唐突なクエスチョンを問うてくるかのよう。そもそも、そんなに関心無かったんだけど……という選択肢は何故だか用意されていない模様だ。

実は、この連載では事あるごとに島田紳助の名前を出し、その存在を援用してきた。中山秀征、加藤浩次、石原慎太郎、つまり、持っている権限と実際の実力に違和を感じた対象に、彼の名前と動きと言動を持ち出し比較してきた。当然ながら、島田紳助のそれが不相応だと思ってきたから名を出したわけだ。確か以前、こういう書き方をした覚えがある。島田紳助というのは、その場に1人立たせて、さぁ笑いをとってくださいとふっても、何一つ笑いをとれないのだ、と。カメラの前ではなく、仲間かシモベの前に立たなければ笑いを生めないはずだ、と。数年前、女子マネージャーを殴って傷害事件を起こし書類送検された際に、本人と吉本興業に気を遣ったテレビ局は彼を「島田紳助司会者」と呼んだが、そう、島田紳助は、お笑い芸人ではなく、司会者だった。それでいて、明石家さんまのように、子供から女子大生から老人まで縦横無尽に応対できるわけでもない。いつも、自分の傘下を目の前に置いて、そこへの攻撃の度合で番組の温度を作り上げてきた。彼が目の前の傘下をイジり尽くして、ネクタイの結び目をいじりながら「してやったり」という顔を見せるあの表情、流行りの言葉「ドヤ顔」の起点はここにあった、と適当な仮説を唱えたくなるほど、「おれ、やるっしょ」という顔を誰かに見せつけてくる。逆に、いじる誰かがいないと何も出来ない芸人、いや、司会者だった。外部装置を経由して自分の電源が入る回路になっていた。『アメトーーク』で「誰かがいないと何も出来ない芸人」という会でもやって、「あまのくーん」と叫ぶウド鈴木に隣り合う島田紳助を見てみたいくらいだ。

この連載のタイトルを「紳助依存から脱・紳助へ」としてみたのは、勿論、あちこちで叫ばれている「原発依存から脱・原発へ」というフレーズにひっかけている。「ただちに健康に影響はありません」は「ただちに芸能界に影響はありません」と置き換えられるだろうか、なんて書けば、この手の言葉遊びすらも過剰な不謹慎狩りの餌食になってしまうのだろうか。とにもかくにもボクらは、「この程度の人間なんですよ」と言い残して立ち去った島田紳助依存から、是非は構わずいよいよ脱するのだ。その時に、島田紳助という体感をどう刻み残しておくべきか、或いはご意向を汲み取って「その程度の人間だ」と素直に放流してさしあげるべきか。自分には長年、この人に対して、えっ、そんな大したことなくない? 何でこの人こんなにテレビ出てんの?という感触があった。多くの人が言うように、話の転がし方が上手いなぁとは思っていた。でも、繰り返すように、この人がテレビ画面におさまる時というのは、いっつも番組内の喜怒哀楽を自分で掌握できる環境にあった。彼が怒れば番組全体で怒り、彼が泣けば番組全体で泣いた。人の心を掴みとるのが上手い人、という評価が流れてきたが、掴み取る心を誰にするかを選んでいるのは彼自身であった。

原発推進論者を封じ込めるのに、この夏は重要だった。つまり、原発が無くっても大丈夫なんだよと平然と主張するには、この夏に、東電側に電力制限(計画停電)を行なわせない必要があった。んで、ご存知のように乗り切った。これからは原発なんて無くっても大丈夫っすよと、大声を張り上げて言える。今になって、原発を稼働させないと電気代上がりますよとハチャメチャなカツアゲに励もうとしているが、もう要らないのだ。んで、そこまでの壮大なアンチテーゼはないけれど、島田紳助にも同質の視線が注がれているのではないか。あれ、今田耕司でも大丈夫じゃん、東野幸治でも大丈夫じゃん。てゆうかむしろ、宮迫のほうが切れ味良くないか、と。原発に対抗するのが自然エネルギーだとすれば、こちらは、同じ組織内で「再稼動」させただけなのはいささか不満だけれども……。

島田紳助は自分が住んでいる世界が縦割りであることを、そして露骨な体育会系社会でのみ育まれるのだとする規律を、わざわざお茶の間まで届けてきた。その構図の中でイレギュラーを見つける、例えばその後輩分の妻が鬼嫁だと聞けば、どこまでもほじくり回して笑いを引っこ抜き、後輩の困惑にかぶせていく。「離婚せぇや!」とその場を炎上させることで、場の笑いを極限に持っていこうとする。ただしその時、自分は絶対に傷つかないようになっている。上島竜兵が時たま志村けんに逆らう、たけし軍団が殿の秘密を暴露してしまう、というような「逆進」が島田紳助には殆ど向かわない。島田紳助が何冊もビジネス作法系統の本を出しているのは、彼が副業でお店を経営していたことに起因するのだろうが、彼が人心掌握術に長けている人とされてきたからでもある。でも、本当にそうなのだろうか。島田紳助の冠番組の出演者は、異様に島田に気を遣い、収録前には島田の楽屋の前に長蛇の列が出来ていたと、引退後の記事で見かけた。彼がわざわざ届けてきた体育会系スタイルを、「強権を持った人の想定内」と片付けてしまっていいものか。

いや、ダメだろう。だって、これって要するに単なるヤンキー社会のマナーが残っているだけだ。彼が自認するように、島田紳助の原点から現在にはずっとヤンキー体質が流れている。今回明らかになった渡辺二郎とのメールの中には「ありがとうございます! 感謝です 二郎さんと会長に守られていると思うと心強いです! これからもずーっとがんばります」といった、上位の存在に向かってはとことんシモベに徹する態度が見える。この上位へのひれ伏しと、自分の下位への強権行使は、彼の中で平然と対応するのだろう。態度が悪いと女子マネージャーを殴打した事件、挨拶に来なかった若手芸人・東京03に生放送中に殴り掛かろうとした彼の態度は、決して、体育会系社会だからという言い訳では収まらない。ヤンキー体質が強権を下支えに発露しまくっている。女子マネージャーの殴打事件では、殴るだけではなく、女性の顔に唾を吐きかけている(『週刊文春』2011年9月22日号)。「時たまカッとなるけど、とにかく熱いヒトだから、世話してくれると思うよ」みたいな体育会系社会にあるとされるスマートさは、なかなかどこにも見つけられない。

「フジワラノリ化」論 第20回 島田紳助

漠然とした言い方をしてみるが、それなりの権限を持つ面々には「どうして、自分の機嫌が悪くならないように保ってくれないのだ」と機嫌を損ねる連中がいる。狭く、小さく、幼い。アイスキャンディーを渡してご機嫌を取りたくなるレベルなのだった。芸人の世界の上下関係に、どうしてだかボクらは理解がある。そういうもんなんでしょ、と思っている。島田紳助は事あるごとに、自分がヤンキーだった頃の写真を持ち出す。いや、それは大抵、誰かが「ジャン!」と咄嗟に出しては、紳助が困惑しながら「んなもん、出すんじゃないよ、コラ」なんて言いつつ、ドヤ顔を見せる。もう、このやり取りを3回くらいは見た記憶がある。「ヤンキーという原点があったからこそ、今がある」、ヤンキー姿に突っ込んでいく若手芸人は、その過去を小バカにするのはいいが、本格的にバカにするのはいけないと分かっている。ハウスルールを覆してでも笑いを、とは思っていない。吉本の若手芸人を好きになりきれないのはここにあって、つまり、先輩をバカにする仕方が一律なのだ。さじ加減を知っている。「うあ、この髪型はないでしょー」とは言っても、「紳助さん、こんな写真みせられて恥ずかしくないっすかー」とは言わない。絶対に。心象にキズをつけると後々大変だと自衛手段が働くのだ。

島田紳助がそうであるように、ヤンキーは、ヤンキーであったことに対する自己肯定が上手い。どうやってヤンキーを卒業するのか知らないけれど、「大人になったらヤンキー経験をこう伝えましょう」という計8Pのパンフレットでも配られているのかと思うほど、若き日に権力構造に身を浸した体感を大事に育てている。例えば、マイナースポーツの卓球部だった誰それや、好きでもないのに友だちがみんな入ったからという理由で鉄道研究会に加入した地味目の誰それに話を聞けば、一切日の当たらなかったそこでのくすぶりを多少問わず未だに抱え込んでいるだろう。こういうくすぶりや細かなキズが青春時代の外枠となって何とも愛おしくも脆い記憶が住み着くわけである。しかし、ヤンキーという存在はどういうわけか、この外枠が頑丈に出来ている。特に芸能界では、元ヤンキーであるという前提は強い。あの日のように、肩を組んだままだ。何があっても元ヤンキーという名の「建屋」は壊れない。いくら熱しても頑丈だ。元ヤンキーの面々はいつの間にかヤンキーの過去を善玉に変換して、経験として備蓄する。いくらか前の、突然やって来た宇梶剛士など、まさにその一例だった。「情け」という概念を過剰に強めて、涙もろさ(島田紳助のそれについては別の章で考察する)をアピールしたりする。人を一度も殴ったことの無い自分に言わせれば、「立ち上がれないくらいボコボコに殴り合ったけど、でも、あんときの経験から学んだことは多い」的な話は、食中毒で重傷者を出したおかげで美味しいパスタが作れるようになりました、ってくらい支離滅裂な回想だ。元ヤンキーは、かつて殴ったその手を、何故か教訓めいた態度・メッセージに変換して再利用する。押し付けてくる。都合が宜しすぎないか。

その上、世は、その元ヤンの芸能人にどうしてだか優しい。逆らうとボコられるというセンサーが知らぬ間に内蔵されているのだろうか。今、ヤクザ雑誌を眺めていても、構図はヤンキーと変わらない。偉い人に頭を下げる、下の連中を引き連れる、その相関が誌面に溢れる。そこに「情け」を撒布すれば完成。お好み焼きに鰹節と青のりをかけるように、組織に、情けと涙を撒く、完成だ。島田紳助を肯定的に捉える人は、必ずこの情けと涙に行き着き、誉める。その数式というか計算式は、出来上がったものというよりは、本人から持ち込まれたものだ。島田紳助の「深イイ話」化する筋力と、それを支える自身の権力に、こちとらはやっぱりどこかで麻痺していたんだと思う。頼んでもいないのに届いた高級寿司を「いつもありがとうございます」と受け取っていたのだ。原発がそうであったように、依存していると気付かないものなのだ。紳助依存から、脱・紳助へ、いや、それでも推進派は根強いかもしれない、でもとにかく、率先して去っていった島田紳助への悪酔いくらい、何とか自力で覚ましていきたい、そう強く思うのだ。



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