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『消えた男の日記』 第二回

『消えた男の日記』 第二回

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5/27
 近所の川に警官の死体が浮かんだ。青いビニールシートが作り物の海のように雨の降る河原の斜面に貼り付いている。その辺りを紺のレインコートを着用した警官たちが不均一に取り囲んでいるが、フードに隠れて表情は見えない。雨で沈下した砂埃のように静かな野次馬たちの肩と肩と傘の隙間からその様子を観ていると、小児の頃に児童館でみた紙芝居を思い出した。木の扉が観音開きに開いて横に紙のボードをスライドさせるあの器具(何という名前なのだろう?)。ナレーションをつけてみようと思ったが止めた。前に立っていた野次馬たちがひとり、ふたり、経過の無さにしびれを切らして去ったからだ。開かれた目前を浅い川が鉛の板のようにのっぺりと横たわっている。細かい雨が水面に湿疹を等しく誘発させている。


5/30
 リリリリリリリリリリリリリリりりりりリリリリリリリリリリリリリリ
という微かな音が浴室から聞こえてくる。リリリリリリリリリリリリリリ
はじめは換気扇かと思ったが、どうも様子が違うので、
リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ電灯を消してみると
音が止んだ。
再び鳴りだすことを前提に、もう一度スイッチを付けると、
音は止んだまま、暗闇が浴室に残った。
電球が死んだ。


6/5
 ラジオからこんな歌が流れていた。
強い訛りがはいっていて、ところどころ聴き取ることができなかった。


『Symmetry,Symmetry,Death comes sweetly
Pianos,Pianos,Playing so lovely
Symmetry,Symmetry,Two skeletons faces between the
Tables,Tables,Shuffle off the ×××××


Fruits look like an ideology that I was longing
×××××× makes us wet and filthy
TV,TV,Only friend of mine
(Mr.White and Mrs.Black)
Fill up my ××××
and ×××××× all away』


6/10
 所用を済ませた後、電車の扉にもたれて考え事をしていたら降りる駅を逃してしまった。考え事とはいうが、実のところ頭のなかでスパイ、という言葉を反芻していただけに過ぎない。二度、大きな川を渡った。車両に巨大な濃いオレンジ色のガラス片が斜めに刺さっているようで、眩しい。隣には笙の奏者のように口を手のひらで覆った男が営業終わりで会社に戻らず自宅へ直帰する旨を電話の話し相手に伝えている。その頭からは車両の反対側にいる女子弓道部員達の弓がいくつか生えている。終点に行き止まる前に思い立った駅で電車を降りた。ホームの向かい側にちょうど別の電車が止まっていたので乗り、シートに座って発車を待った。開いた扉の上に貼られてある路線図を眺めた。初めて見る路線だったので、気に入った名前を探してそこで降りることに決めた。
 駅に降りたときには随分と暗くなっていた。高い建物や大きな通りは無く、民家と路地は駅に貼り付くように近い。植え込みのある小さなロータリーを自転車がまばらに周回している。唯一の目立った光源である食料品店はキュビズム絵画、隣接した横に細長い駐車場は印象派絵画のように見えた。軽トラックが石のように静かに打ち捨てられていた。  蛇の抜け殻の模様の、粗いが平坦な道がしぶとく続いていた。いつからかわからないが、暗くなるにつれ嗅覚が鋭敏になったためか、少し異臭がしているような気がした。剥ぎたての獣の毛皮を押し込んだ電子レンジはこんな匂いがするのではないかと思った。ずいぶんと歩いたような気がするが、景色は代わり映えがしないのに加え、ひとの姿が見られないからなのかどうかはわからないが、何故かその異臭は自分の体から発生しているのではないかという錯覚を覚える。民家から泣きわめく幼児の声。また少し歩くとテレビの音が、『・・・悪いが急いでくれないか、飛行機の時間が迫っている。/探し物をさせてくれないか。それがみつかれば、いずれにしろ君も私もここから動き出さなければならない。どちらへ?/ヘルシンキへ。しかしそれがなにか・・・』
 急に空気の密度が変化し、風が微弱なうなりをあげて吹いたので、唐突に道が開けたことがわかった。暗闇に目を凝らすと、小屋が点在する更地へと放り出されたようだった。区画がみてとれ、もともとは畑だったようだが、作物はそこにはない。その空間を隔てて、見渡す限り壁のような防風林が兵士のように整列している。比較的平たい足場を選んでそちらのほうへ歩き始めて、やっと異臭の源が何であるかに思い当たった。
 防風林の隙間に粗雑なアーチをみつけ、体を屈めて抜けると、推測通りそこには海があった。低い岸壁が広がり、その上部の一面がちぎれたビデオテープのようにぎらぎらと黒く輝いている。獣のような臭いが漂っている。微弱な音が耳にまとわりついてきた。それは最初、風の音とも波の音とも判別の付け難い、しいいいいいいっという持続音であったが、それが自宅の部屋の換気扇の音とまったく一致することに気付いたときにはそれは頭全体を覆い尽くす勢いで神経系を攻撃しているように思えた。音は音量を落とし、凄まじいスピードで無音に接近していき、針のように鋭く先端を尖らせていった。視界はほぼ黒色で埋め尽くされていたが、コールタールのように網膜に貼り付くほど鮮やかであった。視線を岩場に落とすと、ひとつの黒い塊がうごめいていた。重油をまとった巨大な海牛のようなそれは意思もなく肉塊を揺さぶっていた。そのすぐ側にひとりの男が立っていることに気付いたのは、痺れた頭でそれを眺めてからしばらく経ってからだった。月も星も無い暗闇で顔はまったく見えないが、目を凝らすと収容所の看守の制服、制帽らしいものを着用して、微動だにせず棒のように佇んでいる。こちらが男に気付くずいぶん前から、こちらの存在を認識していた様子がうかがえた。見えない視線で男はこちらを凝視していた。感情は一切伝わっては来ない。その横で黒い塊は取り出したばかりの心臓のように脈打っていた。男に訊ねたいことがあるような気がしたが、互いに通じ合える言語を持たないことは確かに思えた。ヘルシンキで、印刷技術はどのようにして伝播していったのだろうかとふと思った。高速でめくれ返る工業用紙の束に飛ばされていくインク。血を抜かれたトビウオの大群は次々と海面から離れていく。一部の新聞紙の角が青空の重みで猫の耳のように折れ曲がった瞬間、意識を失った。


6/12
 高熱を出して、床に臥せっていた。
気付けば雨が粘液のように途切れ目なく降っていた。部屋の中がぬめりで満たされているようだった。天井との間に存在するそれは何層にもうねったかと思うと、重なりあい大きな塊になって漂よい、いつしかオーロラのように不均一なはためきをみせ、その揺らぎが次第に濁っていったかと思うと突然壁のように眼前に貼り付いたりする。体に、重く、息苦しい。それが熱のせいであるのか、気圧のせいなのかははっきりしない。


6/15
 人間の知能レベルを超えた人間は、テクノロジーの進化よりもまず己の肉体を強靭なものにすることに尽力する。それも強度だけでなく、細胞の自己活性化など根本的な段階での弱点を解決をはかろうとするのである。進歩を外側に求めるのではなく、内側へ求める。
 というような論旨が、寝ぼけた頭の片隅にひっかかっている。夢のなかで見たのか、それとも熱で朦朧とした状態で自分自身によって捏造したのかはわからないが、しかしいい加減な話だと思った。


波多野裕文(People In The Box)

独特な楽曲や歌詞などから表現される特有の世界観が評価を受けているスリーピースバンド、People In The BoxのVocal&Guitar。2009年10月に3rd mini album『Ghost Apple』をリリースし、全国19ヶ所で「Ghost Apple Release Tour」を敢行予定。

People In The Box オフィシャルサイト

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