
3.11以降の日常と静かに対峙するキュレーションの力
- 文:坂口千秋
- 撮影:佐々木鋼平
- (2012/10/05)
数年前からアート業界を中心として、キュレーションというキーワードが流行していますが、日本の美術館やギャラリーで行われている展覧会で、本当の意味でキュレーションされた展覧会を見ることが出来るのは、実は稀なことだといえるかもしれません。そんな中、金沢21世紀美術館で行われている『ソンエリュミエール、そして叡智』展は、フランシスコ・デ・ゴヤからChim↑Pom、さらに村上隆、草間彌生、奈良美智など、個性の強い様々な作品が、それまでとは異なる意味と関係性を持って、展示空間を作り上げていく、まさにキュレーションの醍醐味を味わえる展覧会になっています。そしてそこには、3.11以降の日本社会を覆う闇に向かって、真正面からアートで希望の光を灯そうとする1人のキュレーターの姿がありました。静かな美術館の展示空間が、どのようにこの過酷な現実と対峙しようとしているのか、その様子をレポートします。
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ペーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイス 左奥:『カナルヴィデオ』1992年、右上:『庭園にて』2008-10年、右下:『クリン クロン ロック』2010-12年 作家蔵 撮影:渡邉修
日本の近代社会を振り返り、3.11後の世界を生き延びる突破口を探っていく
フランス語で「ソン」は音、「リュミエール」は光。今展覧会のタイトル「ソンエリュミエール」とは、フランスの史跡や有名建築を舞台に行われる、光と音の野外スペクタクルショーを指しています。きらびやかで華やかなショーは一見楽しいものですが、一方で照明と音によって場所の固有性が均質化され、消費されていく、そんな現代の消費社会やグローバリゼーションと重なる一面も併せ持っています。この両義的な意味が込められたタイトルには、昨年の震災によって大きく揺らいだ日本の近代社会を振り返り、3.11後の世界を生き延びる突破口をアーティストの作品から探っていきたい。キュレーションを担当した北出智恵子さんのそうした願いがこめられているのです。

ピピロッティ・リスト『Ever Is Over All』1997年 展示風景 Courtesy the artist, Hauser & Wirth and Luhring Augustine
腐敗したシステムの内側にいながら、そんな自分自身を批判し続けたゴヤ
今展覧会の中でも一際異色な存在が、スペイン絵画の巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤでしょう。18世紀から19世紀のスペインの動乱期に、画家としてスペインの最高位である主席宮廷画家の座に就き、後半生は聴覚を失い、音のない世界で、痛烈な社会批判を込めた絵を数多く残しました。当時の腐敗した上流社会と疲弊する社会を風刺した『ロス・カプリチョス』から2点の銅版画が展示されていますが、この21世紀の現代社会に対して、なぜゴヤだったのでしょうか。北出さんに聞きました。
北出:ゴヤは宮廷画家として王や貴族の寵愛を受け、そのシステムの内側にいながら、それでも自分自身への客観的な批判精神を持ち続け、芸術表現として発表し続けた画家です。彼の作品には、現代に通じる人間の本質的な欲や悪が描かれています。震災後の原発事故やその後の対応を通して、大きな社会から小さな職場のレベルに至るまで、私たちを取り囲むシステムの中に溜まっていた膿のようなものがえぐり出されたように感じました。その時ゴヤが描いた光と闇、そして人間の姿に触れて、ぜひゴヤの作品を展覧会の軸に据えたいと思ったのです。

フランシスコ・デ・ゴヤ
『「ロス・カプリチョス」62番 一体、誰が信じるだろうか』1797-98 大湊神社蔵
撮影:渡邉修
その後、福井県の大湊神社のコレクションにゴヤの作品を発見。半年という展示期間にもかかわらず、宮司の松村忠祀氏は快く作品の出品を許可してくれたそうです。貴重なコレクションから、ゴヤの『ロス・カプリチョス』シリーズの『乳母っ子』『いったい誰が信じるだろうか!』の2点が、それぞれChim↑Pomとジェイク&ディノス・チャップマンの作品と一緒に展示されています。
坂口千秋
アート関連のライター、編集者。様々なアートプロジェクトの企画、制作、広報、マネジメント、サポートなども手掛ける。2009年に株式会社ゴーライトリーを共同設立。アート&カルチャーマガジン『VOID Chicken』の共同編集発行人でもある。













































