『クリエイターのヒミツ基地』

『クリエイターのヒミツ基地』Volume31 佃弘樹(アーティスト、グラフィックデザイナー)

『クリエイターのヒミツ基地』 佃弘樹(アーティスト、グラフィックデザイナー)

佃弘樹さんは、日本国内のみならず、欧米やアジアでの展覧会やアートフェアなどにも積極的に出品し、国際的な評価を高めている新進気鋭のアーティスト。都市的な風景や建造物と、水や樹木といった自然のモチーフを組み合わせた、独自の視点から描かれた作品の数々は、現実と空想世界が融合したような未来感を呼び起こします。そんな独自の感性はどこから生まれ、磨かれていったのでしょう? そのヒミツはどうやら、幼少期からの佃さんの生活、趣味の世界にあったようです。テレビゲーム、SF、音楽、そしてアート。さまざまなものとの出会いが形作った、佃さんのクリエイティビティーの源について、語っていただきました。

テキスト:阿部美香
撮影:CINRA編集部

佃弘樹(つくだ ひろき)
1978年香川県生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、フリーランスでグラフィックの仕事を始める。2005年にコンテンポラリーアートギャラリーNANZUKAに所属したことをきっかけにアーティストとして活動を始め、近年ではドイツ、オランダ等で数多くの個展やグループ展に参加し海外での評価を高めている。

佃弘樹(アーティスト、グラフィックデザイナー)

「外の世界」へ行くため、空想やゲームに明け暮れた少年時代

他のアーティストやデザイナーの幼少時代の例にもれず、物心ついたときから「絵が好きだった」という佃さん。子どもの頃はどんな絵を描いていたのでしょうか?

佃:何故なのか今でもよくわからないんですけど……空想で真横からの「断面図」を描くのが大好きな子どもで、そればっかり描いていたようです。たとえば山の断面図に蟻の巣状の部屋や通路を描いていく。空想上の地下世界ですね。そして、もう1つよく描いていたのが、真横から見た戦闘機です。しかも翼の下には、なぜかキャタピラが付いている(笑)。そういえば、今描いている絵も、真横から見たモチーフが多いですね。

幼少の頃から、いきなり独自の個性を発揮していた佃さん。もう少々、佃さんのクリエイティビティーを形作ったものを探ってみましょう。子どもの頃に夢中になったものの1つに、テレビゲームもあるそうです。

佃:ゲームは今でも大好きですね。ただ、僕はファミコン世代なんですが、子どもの頃、家にあったのは、セガのSG-1000II(セガ・マークII)。父親がファミコンと間違えて買ってきたんです(笑)。でもそれが僕には良くて、そこからセガのゲーム機を中心にたくさん遊んできましたね。

心に残るゲームタイトルを挙げてもらうと、『フラッシュバック』『アウターワールド』『ピットファイター』『シンジケート』と、マニアックな海外ゲームの名作が並びます。そしてなぜ佃さんがゲームに魅了されてきたのかを、ご自身ではこう分析されます。

佃:自分が今描いている作品は、頭の中にある「もう1つの世界観」を追求しているんです。香川県という田舎で育って、「外の世界への憧れ」がずっとありました。うちの親は厳しくて、僕が高校生になった頃から「土日は遊びに行っちゃダメ、勉強しなさい!」という抑圧がありました。なので、夜中にこっそり起きて真っ暗な部屋でゲームで遊んでいるときだけが、自分を外の世界に連れて行ってくれる特別な時間でした。

そんな佃さんがテレビゲームと同時期に出会い衝撃を受けたのが、映画『ブレードランナー』や、ウィリアム・ギブスン、フィリップ・K・ディックのSF小説などの「サイバーパンクムーブメント」でした。SFといえば未来感。幼い頃に名前も知らず、おもちゃを通して偶然好きになったアーティストが、奇矯なデザインワークで知られるルイジ・コラーニだったというのも、「未来感」への憧れだったのかも知れません。

佃:1980年代にルイジ・コラーニがデザインしたチョロQがありまして、とても未来的で異様にかっこ良かったんです。1980年代といえば、『つくば科学万博』もありましたよね。僕も親に連れて行ってもらったんですが、香川県から初めて外に出た旅だったんですよ。そして、行き着いた先がいきなり未来(笑)。その衝撃も大きかったですね。

と語りながら、「あ、そういえば!」と佃さんが見せてくれたのは、当時の郵政省がおこなった、『つくば化学万博』記念イベント『つくば万博 ポストカプセル2001』で描いた紙のスキャンデータ。7歳の佃少年が1985年、未来の自分に向けて描いたメッセージです。

佃:これが2001年の元旦の日に、ちゃんと家に届いたときは感動しましたね。ほら、ここにもやっぱり真横から見た戦闘機の絵がありますけど……ああ、この時期はキャタピラ付きではないですね(笑)。

海外からの香りも漂う未来感あふれる空想の世界……幼少期~思春期の趣味嗜好から、佃さんの作品に底通するキーワードも見えてきたようです。

佃さんのつくば万博の絵

自分の「もの作り」を追究するためアーティストに転向

そんな佃さんが、具体的に「アーティスト」という道を志すようになったのは、高校生の頃。ある親族のご不幸がきっかけでした。

佃:高校2年生のとき、東京で暮らしていた叔父が亡くなったんです。それでお葬式に行ったら、それまで見たことのない自由な雰囲気の大人たちがたくさん参列していました。それまで僕は叔父の仕事が何だったのかを全く知らなかったのですが、どうやら叔父は本を何冊か出版しているような、そこそこ有名な詩人だったらしく、こんな身近に表現活動で生計を立てる人がいたことや、そんな世界があること自体が衝撃的で。そこで思ったのが、「自分もこんな感じの自由な仕事がしたい」。進学校に進みながら、大学進学に興味を持てなかった僕は、好きな絵なら真面目に取り組めるだろうと、美大への進学を決めたんです。

そして、高校2年生から美大を目指した佃さんは、美大予備校を経て、武蔵野美術大学に進学。本当はグラフィックデザイン科を目指していましたが、合格したのは映像学科でした。

佃:絵はどの科でも描けるし、映像も面白そうだと思い入学したんですが……正直、自分の興味を惹く勉強はあまりなく(苦笑)。その頃は、武蔵美に通わず多摩美に入り浸り、そこでテクノ部をやったり、毎日が音楽漬けでした。美術作品は何も作ってなかったんですが、音楽だけは作ってましたね。音楽でプロになりたいくらいの気持ちもあって、就職活動もせず、単位もギリギリで何とか卒業だけはしました。

武蔵美卒業後はアルバイトをしながら、友人の雑誌でグラフィックの仕事を手伝うなど、フリーランスで活動。BEAMSのTシャツデザインを手がけたり、カルチャー誌からイラストを依頼されたりと、次第にその作品が世間の注目を集め始めていきました。

佃:ふわっとグラフィックデザイナーになってしまった感じですが(苦笑)、当時はインディーレーベルから友達と二人でユニットを組んでCDを出したこともあるんですよ。僕はその後、グラフィックに集中したくて音楽を辞めてしまったんですが、相方はDrastik Adhesive Forceという名義で今もバリバリやってます。僕も去年、ファッションショーの音楽を担当したりしましたが、曲作りもいずれ再開すると思います。海外のアーティストはアート活動と音楽活動を両立している人も多いですし、モノを作ることはどちらも同じなので。

自由な雰囲気の大人たちに衝撃を受けてクリエイターの道へ

そんな折り、グラフィックデザイナーとしてキャリアを重ねていった佃さんに転機が訪れます。

佃:デザイナーとしてクライアントワークを続けるうちに、自分の「本当にやりたいこと」が、しばしばクライアントワークでは実現しにくいと気付き始めたんですよ。そんなときに出会ったのが、オープンしたばかりだった「NANZUKA」というコンテンポラリーアートギャラリーのオーナーでした。同い年の彼に「アートをやろうよ」と言われ、グラフィックデザイナーからアーティストに転向したんです。2005~2006年のことですね。自分の作品制作の方法も、ここで大きく変わりました。

そんな佃さんの作品制作の中で、今も昔も大きな役割を果たしているのが、「コラージュワーク」です。デジタルでもアナログでも、平面作品でも立体作品でも、佃さんのクリエイティブの根幹を成しているといっても過言ではありません。

佃:昔からコラージュは得意なんですよ。物と物の位置を変えてみることで、新しい感覚が生まれるのが楽しい。この部屋のインテリアもオブジェや絵画、観葉植物をコラージュのように置いていますし、配置換えもよくします。僕の作品も、いきなり絵筆を握るのではなく、ドローイングや写真のコラージュをもとに描いていきます。コラージュなしの作品も、ここ2、3年で少しずつ作り始めてはいるのですが、今でも両立している感じです。

さらに、現在「NANZUKA」で開催中の、国内では5年振りとなる新作個展『BLACK OUT THUNDER STORM』では、新しい作風にもチャレンジしました。平面絵画と木材、植物などを融合した、新しい形の立体コラージュ作品です。

佃:自分の絵の中から植物や構造物を実体として引っ張りだしたんです。そうやって一度、自分の絵を解体してみたかったんですよね。フレームの中に作品を納めるのではなく、この世界と作品の境界線をなくすような感じです。まぁ、いつも自分の部屋で行なっているようなことをギャラリーの中でやってみたかったんですね。

今でも、時折アパレル / ファッション関連でグラフィックデザインを手がけながら、アーティストとしても活躍されている佃さん。日本でアーティストとして生きて行く苦労も、同時に感じているとおっしゃいます。

佃:日本で、アートだけで食べていくのはとにかく大変です。海外とはまったく世界が違っていてガラパゴス状態。僕の作品を買ってくれる90%の人は海外のコレクターですし、海外でものすごく有名な現代アートの作家がいても、日本ではほとんど紹介されてすらいない。音楽や映画なら世界の最新動向は日本にもすぐに伝わりますが、現代アートシーンの世界的な動向は、国内のアートシーンとかなり乖離しているのを実感します。

しかし佃さんは、「そんな国内シーンだからこそ、アーティストにとって面白い活動ができるのではないか?」とも考えられているようです。

佃:海外の現代アート作家で、商業的な仕事をしている人はあまりいませんが、日本ではそもそもアートの境界線が曖昧なので、デザインなどの商業的な仕事をどんどんやって、それを入り口にアートを知ってもらえる可能性がある。どちらも両立していくことが、国内アートシーンの進化にも繋がると思うんですよね。どうせガラパゴス化してるなら、いっそのこと超絶ハイブリッドに進化してしまえばいいんじゃないかと考えています。

今でも海外のアートフェアなどには積極的に参加し、最先端のアートシーンの息吹きを常に吸収しているという佃さん。しかし近年では大相撲や文学など日本の素晴らしさも大切にしていると言います。そんな佃さんのボーダーレスな感覚も、アーティスト活動の方向性を軽やかにしていきそうです。

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