『クリエイターのヒミツ基地』

『クリエイターのヒミツ基地』Volume34 山口真人(アーティスト、アートディレクター)

『クリエイターのヒミツ基地』 山口真人(アーティスト・アートディレクター)

APOGEE、Rocketman、椎名林檎、など人気ミュージシャンのアートワークを手掛けるアートディレクターとして音楽ファンに知られる山口真人さんは、ポップで個性的なコンセプチュアルアート作品を生み出す現代アーティストでありながら、デザインオフィス「IDEASKETCH」の経営者でもあります。アーティストであり経営者。まるで、アンディ・ウォーホルや村上隆を彷彿とさせる山口さんのクリエイティビティーのヒミツとは何なのでしょうか? その早熟なアートの目覚めから、独自のアーティスト哲学までを伺いました。

テキスト:阿部美香
撮影:CINRA.NET編集部

山口真人(やまぐち まさと)
1980年、東京生まれ。法政大学を卒業後、2008年にデザイン&アートスタジオ「アイデアスケッチ」を設立。企業のVI、CI、広告などのアートディレクション、グラフィックデザイン、ウェブ制作、そしてAPOGEE、椎名林檎、Rocketmanなど音楽関係のアートワークやPVも数多く手がけている。2012年より自身のアートワークとして「Plastic Painting」シリーズの制作を開始。『Affordable Art Fair NYC』(2012年)、『Scope Miami Beach』(2013年)など海外のアートフェアに参加し、次々と売買の成約を得るなど高い評価を集めた。

山口真人(アーティスト・アートディレクター)

フリッパーズ・ギターに「アート」を感じた少年時代

山口さんが初めて「アート」を意識し始めたのは、中学3年生の頃。そのきっかけは美術作品ではなく、渋谷系を代表する2人組ユニットのアルバムでした。

山口:子どもの頃から絵や音楽は好きでしたが、最初に「アート」というものを感じたのは、フリッパーズ・ギターの3rdアルバム『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』でした。アートワークを含めたコンセプチュアルな世界観に完全にやられたんです。その後、高校生の頃に観たアンディ・ウォーホルの展覧会で、牛の壁紙を部屋一面に貼った作品や、『Dance Diagram(Tango)』という、ダンスの足の運び方の説明だけを描いた作品に衝撃を受けて。単純に格好良かったし、「これもアートなのか!」という衝撃を受けました。

そしてもう1つ、山口さんの「アート感」を育んだ重要な要素が、東京ディズニーランドだったそうです。東京に生まれ、千葉県・浦安市で育った山口さんは、年間パスポートで近所のディズニーランドに通い詰めていたそうです。

山口:受けた影響は思いのほか大きいと思いますね。ディズニーランドにはマッシュアップ感があると思うんです。いろいろなキャラクターが同時に存在していて、ごちゃごちゃしているカオスなポップ。だけどすごく丁寧にデザインされていて、ギリギリで調和している感じ。そこにアートを感じるし、今の自分の作品にも同じ感覚があります。

さてここで、フリッパーズ・ギターを経てアンディ・ウォーホルと出会い、アートに衝撃を受けた高校時代に話を戻しましょう。山口さんは、私立大学附属の中高一貫の男子高校に進学。バンドサークルで好きなフリッパーズ・ギターやCorneliusのカバーをやっていたそうです。しかし、そのバンドサークルは超体育会系。上下関係も厳しく、1年生はアコースティックギターしか弾いてはいけない(!)などのルールに嫌気が差して退部。そして、山口さんとバンドメンバーは部員が数名しかいなかった写真部に移籍することになります。

山口:とにかく部室をもらって、好きなことがしたかったので、部員が少なくて、しがらみが無さそうな部を選んだんです(笑)。でも、写真部を選んだのは大正解でした。高校時代のバンド活動はとてもマルチで、音楽演奏だけではなく映像を作ったり、ミニコミ的な本を作ったり、Tシャツを作って校内で販売したり。写真部なのでフィルムの現像もしていましたが、自分で撮った写真ではなく、他人のフィルムを現像して遊んでいました。今手がけている「Plastic Painting」シリーズも、現代アート作品を自分なりに編集したリミックスアート。その頃から「編集」すること興味があったんですね。

高校生当時から、アーティストになることを意識し始めていたという山口さんですが、大学はエスカレーター式に経済学部に進みます。アートや音楽に強い興味がありながらも、美大に進学しなかったのには理由がありました。

山口:あの頃の僕はとても生意気で……。アートのことは別に美大に行かなくても、独学で学べそうだと根拠のない自信があったんです(笑)。それよりも現代社会をいろんな視点からきちんと学んでおいたほうが、自分のアートに活かせそうだと思いました。美大に行かなかったことは、僕の中にアートに対する堅苦しい固定概念が生まれなかったという意味でも良かったと思いますね。

独学で美術史を学び、20世紀前半の前衛美術運動・シュルレアリスムやダダに心酔していたという大学生時代。一方で高校生の頃から続けていたバンド活動のほうもますます本格的になり、インディーズレーベルからCDをリリースしたことも。

山口:drumrinというバンドで、1999年~2003年くらいまで活動していました。ジャンルはサンプリングを多用したポップミュージックで僕はサンプラーと作曲を担当し、ベースと女性ボーカル&シンセの3人組。あの頃はミュージシャンになりたかった……んでしょうね(笑)。『revox』というアルバムをリリースしたのですが、個人的にはこれがなかなかいい出来で。そのことに満足してしまい、音楽はそのまま辞めてしまったんです(笑)。

山口真人さんの本

ありがちな現代アートという固定概念に当てはまらないアーティスト

アーティストを志しながら、美大を経てコマーシャルギャラリーに所属するような、いわゆるアーティストという固定概念には染まらなかった山口さん。バンド活動だけでなく、今の仕事にも繋がるデザインなど、この頃からクリエイティブなことなら何でも挑戦し、そして自分のモノにしてきたようです。そこには「編集」と共に「新しいモノ好き」が創作活動のキーワードとしてありました。

山口:今もそうですが、アーティストとしてかなり広い視野で活動をしようと考えています。drumrin時代には、当時新しかったFlashをバリバリ使ったウェブサイト作りに励んだり、アルバムジャケットのデザインなども手がけ、そうこうしているうちに、大学生をやりながら広告やウェブデザインの仕事を請け負うようになっていたんです。それで卒業のときには「フリーでやっていけるな」と強気に出たんですが……2週間で挫折して(苦笑)、大手新聞社のウェブデザインを請け負う会社に中途採用で入りました。

と、同時に山口さんは、プライベートで自主映像作品の制作にも取り組みました。しかも?

山口:その作品を海外の映画祭に個人で出品し、いくつか入選をしまして。それがまた海外の雑誌などに紹介され、やっとフリーのデザイナー / アーティストとして独立することができたんです。ただ、当時の肩書きは映像作家で、実はファッションブランドなんかも立ち上げようと思ってた時期もありました(笑)。

制作していた映像作品も、コンセプトはやはり「サンプリング&ミクスチャー」。『lovers』という作品では、既存のアニメキャラクターをモチーフに、恋人たちの姿を描いています。その『lovers』は世界的なアート系サイトSHIFTで好評を得、フランスのアニメーション映画祭『アヌシー』で入選。デザイン分野でも「ゲシュタルテン」というドイツのアートデザイン系の出版社で作品が発表されるなど、輝かしい実績を残しています。ミュージシャン、デザイナー、ファッションデザイナー、映像作家と、様々な分野でメキメキと頭角を現わしていった山口さん。その創作ジャンルはまさに「マルチ」です。

山口:マルチにやってはいましたが、根底にあったのはやはりアートでした。ただ、画家や彫刻家になりたいとか、そういう考えではなかったです。強いていえば、現代美術家ということになりますが、いわゆるファインアートの世界の中だけで通じるものは違う。「現代美術」と言うからには、現代の社会から切り離せないビジネス的な要素、エンタテインメント要素も内包しなければ、意味がないと思うんです。それは商業デザインの仕事や、「IDEASKETCH」という会社を立ち上げて経営していることにも通じますね。

現代アート界において、かなりアグレッシブかつ、アウトサイダーなポジションから創作に挑んできた山口さん。「だからこそ美術史は大切にしなければいけないもの」だとも言います。

山口:アートというものは、絶対に必然性があると思うんです。アートが生まれるキッカケとなった古代人の壁画や造形物は、彼らの宗教観や生活観から必然的に生まれたものだし、アートが個人の所有物として広がったのは産業革命という社会動向とリンクしている。その流れからポップアートも生まれたのでしょうし、僕が目指すアートはポップアートの後にくるもの。美術史には、未来のアートに向かう必然性がちゃんと存在していますよね。

「新しいもの」と「古いもの」。「現代」はその両方から生まれる

もう1つ、山口さんの創作活動の根底にあるものが、「新しいもの」と「古いもの」の融合です。「最先端の技術がいい」でも「トラディショナルだから素晴らしい」でもなく、両方がいい。「現代」はその両方から生まれてくる。その考えは、古い時代から新しい時代への道を記した美術史を大切にするポリシーとも相通じます。

山口:僕は今、「Plastic Painting」をコンセプトに、現代アート作品をモチーフにしたリミックスアートを作っていますが、その中にプラスチック板にレーザーカッターで彫刻する「Plastic Relief」シリーズがあります。僕にとって、モチーフを板に刻み込むことは、古代人が当時の生活を壁画に刻み、描き込んだものと同義。既存の「現代」アートを、「古代」と同じように刻む。そこに新たな価値、意味が生まれてくると思うんです。僕が草間彌生さんを尊敬しているのも、何十年も頑なにドットモチーフを使いながらも、ちゃんと時代のトレンドに寄り添った作品を発表し続けているから。それはまるで、ピカソのようでもありますね。

一見相反するものを同時に消化し、創作の糧にしていく山口さんの姿勢。ファインアートと会社経営の両立も、彼の中では意味深いことだと言います。時代と社会との関わりの中でこそ、現代アートは成立する。その山口さんのコンセプトを体現した初の個展『PLASTIC PAINTING』が、現在開催中です。

山口:今回の個展は「Plastic Painting」シリーズの主要作品を展示する初の試みです。言うなれば、僕のインディーズ作品の集大成。今は小さめな作品が多いのですが、今後はコンセプトそのままに、海外を視野に入れたより大規模な作品にチャレンジしたい。しばらくはこれが僕のライフワークになると思います。

コマーシャリズムとファインアートの境界で、現代と未来を繋ぐ新しいアートを探り続ける山口さん。今後の創作活動に期待は尽きません。

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