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竹藤佳世監督インタビュー
7月5日(土)より、『半身反義』が池袋シネマ・ロサにてレイトショー公開される、映画監督、竹藤佳世。「フィクションとドキュメンタリーの境界を乗り越える新しい作家」として注目されており、初長編でありながら異例の4週間にわたる公開となった。これまでも人間の「生」と「死」を真摯に描いてきた竹藤氏だが、本作品は驚くべき構成で、観客をアッと言わせる作品に仕上がっている。また6月28日からは、初期作品を集めた『竹藤佳世 映像個展』が渋谷UPLINK Xにて開催される。監督のこれまでの歩みを振り返った本インタビューは、その特異な個性が浮かび上がる、非常にスリリングなものとなった。
(インタビュー&テキスト:小林宏彰)
竹藤佳世 (たけふじ・かよ)
東京都出身、東京都立大学人文学部卒。映像作家集団「パウダールーム」代表として、上映会、ワークショップ等を企画・開催。『骨肉思考』でイメージフォーラムフェスティバル98大賞受賞。広告代理店勤務・専門学校教員を経て、若松孝二監督作品(『17歳の風景』『実録・連合赤軍』)、河瀬直美監督作品(『垂乳女Tarachime』『殯の森』)などに参加。フィクション・ドキュメンタリーの境界を越えた独特のスタイルで常に意欲的な作品づくりに挑んでいる。
映画『半身反義』あらすじ
「東京オリンピック」(1965年・監督部)、「日本万国博」(1971年・監督)などの演出家・山岸達児が、2003年春に脳梗塞で倒れた・・・。映画は、奇跡的に意識が回復したものの、半身不随になってしまった山岸に、 女性映像作家・竹藤佳世がカメラを向けるところから始まる。老いや病、入院生活など、その厳しい現実問題に直面しながらも、山岸はまだ映画を撮りたいと告白する。二人はカメラを通して、山岸が生きてきた「昭和の記憶」を蘇らせようとする。それはかつて夢と希望の象徴だった「未来」のイメージの源泉をたどる旅でもあった。男と女、老人と若者、見る者と見られる者・・・現実にがんじがらめにされた「半身」は「心の自由」を取り戻せるのか?
映画『半身反義』公式ホームページ
演出家・山岸達児との出会い
─映画『半身反義』の主役である、山岸達児さんとの出会いはなんだったのですか?

竹藤:私は「東京ビジュアルアーツ」という映像の専門学校で教員をやっていたんですが、山岸さんがそこの顧問として講演にいらっしゃったんです。お話を伺っていて「この人面白いな〜」と思いまして、自分の作品を見てもらい、そこからお付き合いが始まりました。2003年に山岸さんが脳梗塞で倒れてしまったんですが、その姿を見て、私自身、今は元気ですが、明日はわが身なんじゃないかと思ってとても怖くなったのを覚えてます。
─強い存在だった山岸さんの変貌にショックを受けたんですね。
竹藤:ええ。そうなんです。で、そんな折、若松孝二監督の『17歳の風景』という作品にシナリオとメイキングで参加しまして。若松監督は当時67歳で、ガン手術後の復帰作でした。それまで私は個人で映画を作っていて、劇場公開されるような映画は違う世界のものだと思っていました。でも頑張っている若松監督を見て、そんなことも言っていられないな、と思って。
─メイキングの撮影では、若松監督から、撮り方についていろいろと指導を受けたそうですね。
竹藤:はい。メイキングなのに、本番中に本篇のカメラそっちのけで走ってきて、私を怒ってました(笑)。若松組に参加した後、映画を作りたいという思いが高まるとともに、山岸さんのことを思い出しました。私はまだちゃんと、山岸さんと、そして自分の恐怖と向き合っていないのではないかと。そこで、断られるのを覚悟で、山岸さんについての映画を撮りたい旨をお伝えすると、意外にあっさり「いいよ」と応えてくれたんです。いくつかアイデアはありましたが、結末をこちらで決めて撮れるものでもないし、この映画は山岸さん(撮影される側)が私(撮影する側)を見守っているような、普通の映画とは逆の状況でしたから、演出、山岸達児なのかもしれません。
─前半に、さまざまなエピソードを盛り込みながら山岸達児さんに迫るドキュメンタリーパートが来ますね。そして、後半一気にフィクションへと加速していくアッと驚く構成なわけですが、後半部分は、前半を撮り終えたあとに構想されたのですか?
竹藤:いえ、具体的なシナリオは山岸さんの話を盛り込みながらつくりましたが、はじめからドキュメントパートとイメージパートを作ろうと決めてました。
─その発想はどのようにして生まれてきたのでしょうか?

竹藤:自分の今までやってきたことを、ひとつの作品に注ぎ込みたいという思いがあったんです。ドキュメントではなく、山岸さんを役者さんに演じてもらう考えもありましたが、それは違うかなと思ったんです。話が聞き取りにくくても、山岸さんが何かを伝えようとして一生懸命しゃべっている姿を伝えたいなと。私は見た人にとって、生きていく上で何かしらの力になる作品が作りたいんです。でもドキュメントだけでは、ひたすら追い詰めていくというか、救いがなくなる。そこで、フィクションパートを作ろうと思いました。
─なるほど、それはとてもユニークなアプローチですね。では、フィクションパートの内容については、どう発想されたんでしょうか。
竹藤:山岸さんはその頃、日常会話も反応が遅くなっていたのですが、映像に関することだけは物凄くレスポンスが早いんです。例えば、私の娘を撮影した映像を見せたら、すぐに「これは1秒何フレームで撮っているんだ」と返事をなさったりとか。山岸さんがシナリオや闘病記を書きたい、とおっしゃるので、さまざまな夢を、山岸さんのセルフイメージとして若い男性に演じてもらって叶えよう、と発想しました。その若い男性は、実際の山岸さんの若い頃よりも、大分スマートですけど。彼はいわば私と山岸さんの妄想から生まれた子どものようなものですね。
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