亡骸になってはじめて、マイケルの弾むようなダンスを全世界が思い出した
―帯にはありますね、「オタク=黒人」の文字が。
菊地:『アフロ・ディズニー』は、慶應大学で行った講義をまとめたものなんですけれど、授業のときに共同著者の大谷(能生)君が話していたのは、「幼児退行して構わないんだよ」という日本的な思考が世界中に伝播されてゆくなかで、その思考と最も親和性が低いと思われていたパリ・コレとヒップ・ホップさえもが、その考えに感染してゆく過程についてでした。パリ・コレに触発されて、ファレルとカニエ・ウエストには言及したのに、なぜかMJについてはまったく言及しなかったんです。原稿を直している間も思い出すことがなく、本が出版される間際というタイミングでMJが亡くなった。そして死によって一気に想起したと。ぼくらは講義という相当な注意力を傾けた1年の間、まったく忘れていたわけです。MJについての抑圧がはたらいたまま、黒人が幼児化するという問題を話し続けていた。ヨーロッパの幼児化といえるアメリカについて語り続け、日本がそれに呼応して、日本型の幼児化が逆輸入みたいなかたちで欧米に入ってゆく、この文化の幼児化という問題をマイケル抜きでしゃべってしまったわけです。そこで、ぎりぎり、私たちはマイケルのことを忘れていたということを献辞に書いたんです。亡骸になってはじめて、マイケルの軽い、弾むようなダンスというものを全世界の人たちが思い出したんですね。
―死の報道以来、全世界の人がYou Tubeをチェックしまくったわけですね。そして、初めてマイケルを見た。
菊地:見た。そう。九〇年代にNIRVANAやビョークが出てきてから、マイケルや八〇年代のハイプなものを聴くなんてくだらないという動き、音楽好きはマイケルなんて聴かないよっていう動きがずっとありました。しかしマイケルの死を通じて、死んだことによって爆発的に支持されるという、キリストのようなことが起きたわけです。
ところで、アルバムに二曲アリアを入れることになっていて、一曲は書き下ろし、もう一曲は誰かの曲を使おうということになっていたんだけれど、決まらぬまま時間が流れているときピナ・バウシュが亡くなったんです。その瞬間『カフェ・ミューラー』の冒頭に流れる曲を取り上げることになりました。「アリア 私が土の下に横たわるとき」というこの曲には、パーカッションの乱れ打ちが入っていますが、これは『カフェ・ミューラー』で椅子が倒れるシーンの音をイメージしているんです。

「八〇年代」は、ワンプレートランチの時代
―なるほど、面白いです。アルバムタイトルには「Sonic」(聴覚)と「Ballet」(視覚)と二つの感覚が出てきます。ただしCDである限り、基本的に聴覚の作品ではあるわけです。とはいえ、視覚的なものを強烈に感じさせるアルバムでもあって、いまの「パーカッション=椅子の倒れる音」というお話からも明らかなように、菊地さんは聴覚的な音楽の内に視覚的な感覚を持ち込もうとしているように思います。
菊地:ぼくは最近、「共感覚」というもの、例えばある数字に固有の色が見えるといった、脳のなかでは視聴覚的な感覚が分離していないんじゃないかという考えに興味を持っています。そもそも、ぼくには曲を作るときにもビジュアルが見えているんですよ。ストラビンスキーがかかっているクラブで、満載の豆を茹でているようになりながらフロアのなかで踊る観客、といったイメージを思い描きながら作曲しているんです。そしてそれは、ジャンルが崩壊してポストモダン状態になった、八〇年代ニューヨークの状況とも似ているんじゃないかと思うんですよね。曲の制作中に、全部ビジュアルが見えているんですよ。映画を撮っているみたいにね。
―いま、不意に「ポストモダン」という言葉が菊地さんの口から出てきました。八〇年代的・ポストモダン的なものについては、頻繁に質問されてきていると思うのですが、あえてこの点について、本作との関わりでお話しくださいませんか。
菊地:八〇年代は「マルチカルチャー」ですよね。情報が整理されていて、収まるべきところに収めないと大変なことになると考えるのがいまの時代だとすれば、八〇年代は、それ以前の情報に飢えている時代、情報という宝物をトレジャー・ハンティングしていた時代と、現在の情報の飽和状態の中間に位置していたと思うんです。ブュッフェみたいに、いろいろな情報を取りやすい時代というか。それを「かっこいい」と思っていたのが八〇年代だったと思うんです。
経済に還元すると景気/不景気の二元論になっちゃうんだけれど、情報に還元すると三段階で説明が出来ます。飢餓状態、ブュッフェ状態、それからヘルシー・ダイエット状態。このうちのブュッフェの状態が八〇年代なんだと思っています。「なめねこ」があって「ニューアカ」があって「アース・ウインド&ファイヤー」があってテクノがあってノイズがあって、それらをひとりの大学生が担っていても全く問題なかったのが八〇年代だった。綺麗に物事が整理されて、いわば身の程を知ってしまった現代から見れば、ワンプレートランチで汚くて、皿の上でいろいろな料理が一緒くたになって食えねえじゃんみたいな、そんな卑猥な感じがあったんですね。






















