People In The Box発、大衆音楽としてのアート×ロック

People In The Boxの新作『Family Record』が素晴らしい。ポップかつアバンギャルドという特異性はそのままに、サウンドも言葉もはっきりとスケール感を増し、彼らが確かに新たな領域へとたどり着いたことを証明する傑作だと言えよう。しかし、素晴らしい作品であることは一目瞭然でありながら、その一方で、正直僕は本作の全体像をなかなか把握できなかった。そのため、インタビューでは、それを何とか見出そうとすることに多くの時間を費やしてしまったのだが、その結果見えてきたのは、ピープルというバンドの表現の核であり、「芸術」に対する波多野の明確な視点であった。そう、正しい答えなんかはどこにもない。聴き手の数だけ答えがあって、それは時に混乱も伴うが、そこで発見することも必ずあるはず。あなたが『Family Record』を自由に感じてもらえるように、このインタビューがそのサブ・テキストとなれれば。

(インタビュー・テキスト:金子厚武)

作品性というものを大事にしたい、何十分なりの時間に対する責任を持ちたいというところでしょうね。

―今回の作品はなかなか手ごわい作品で(笑)、僕もまだ全体像を把握しきれていないので、話をしながらこの作品を解明していければと思ってます。

波多野:よろしくお願いします(笑)。

―まず今回の作品は曲名がどれも基本的に地名になっていて、曲名が曜日の名前になっていた『Ghost Apple』と同様にコンセプチュアルな作品だと言えると思うのですが、そういった作品になったのはなぜなのでしょう?

波多野:おそらく理由があるとすれば、作品性というものを大事にしたい、何十分なりの時間に対する責任を持ちたいというところでしょうね。1曲に対して曲展開を練るのと同じように、頭から最後までの一つの…大きな塊としてのものを大事にしたいというのは、前々作ぐらいから基本的なところになってきてて。データとかで音楽を聴くことも全然いいというか、それはそれって思ってるんですけど、ただやっぱり盤で出す以上は、そういうところを大事にしたいというか、それの良さみたいなところがあるといいなっていう。

―音源の発表形態が多岐に渡っている今だからこそ、ということでしょうか?

波多野:結果的になんですけど、そういうことを逆手に取りたいっていう気持ちはあります。1曲単位のデータになるのも、全然いいことだと思うんですね。それで音楽がまた自由になってる感じもあって、ストリートで音楽が鳴ってるのと同じ感覚というか。そういうのもいいと思いますけど、CDを出す理由っていうのも同じようにあってもいいだろうし。

―『Ghost Apple』のときはきっかけとなる1曲があって、そこから他の曲が派生したという流れだったかと思うのですが、今回のスタートはどんなところからでしたか?

波多野:今回はそういう曲はなくて、すごく大元の話をしてしまうと、『Ghost Apple』を作る前に曲作りの期間があったんですけど、その時からすでに、大きい作品っていうのをいつか作るだろうっていう雰囲気があったんです。3人で話し合ったわけじゃないんですけど。そのときに作った曲も今作の中にあるので、そこから始まってるとも言えるし、この新作のために向き合って作った曲もメインになってるし。

やりたい放題に作っていったというか、本能的にお互いが出した音にどんどん反応して作っていくっていう感じでしたね。

―曲名を地名で統一したのは理由があるんですか?

波多野:これはほとんど名札みたいなもので、制作上の縛りとかそういうわけでは全然ないです。曲のタイトルは全部最後につけました。歌詞について前提を言っちゃうと、暗喩的なものは意識的には設定してなくて、ただ全部を通してのストーリーは設定しています。歌詞は骨組みを3人で音楽を作っているのと同時進行で作ってました。3人で作ったものに対して、できたものからどんどん歌詞をつけていくというやり方です。

―そういう作り方自体はこれまでと同じ?

波多野:今までと似たところもありますけど、準備期間が全然違いました。

―前作の『Sky Mouth』のときは全然時間がなかったって言ってましたもんね。

波多野:そうですそうです。あれはホントに本能的に曲を作っていったんですけど、あそこで得たものはすごく大きくて、その手法の拡大バージョンって感じかな? 誰かが持ってきた1フレーズとかに反応して、そこから考えを広げていくっていうやり方なんですけど。

―前回はゴールの見えない中で作ることが不安だったけど、それでも作品ができたことが自信になった?

波多野:そうですね。自信にはなりましたね。だから今回は『Sky Mouth』で裏づけが取れた分、やりたい放題に作っていったというか、本能的にお互いが出した音にどんどん反応して作っていくっていう感じでしたね。

―曲の中の情報量の多さは変わらないけど、今回は引き算が生きてる気がしました。

波多野:情報量っていうのを一体感に変えられるようになった気がしますね。主に楽器のバランスだったりすると思うんですけど。

―それができるようになったのはなぜでしょう?

福井:単調なフレーズとか音でも上手く再生できるようになったというか、「聴かせる」っていう部分で前作・前々作で見えてきたことがあって。

山口:間の取り方が上手くなったと思います。あとは空気を読むことですね。僕たち3人でやってて、ドラムとベースは絶対空気を読む楽器だと思ってるから、3分の2が空気を読む楽器っていうことは、その重要性が必然的に増しちゃうんですよね。そこのディスカッションがすごく上手くなったと思います。

あくまでタイトルとか世界旅行的な部分は舞台設定です。テーマとかではないです。

―なるほど。ではさっき「大きい作品」という話がありましたが、それをもう少し具体的に話してもらえますか?

波多野:『Ghost Apple』も『Sky Mouth』も、その作品を作りつつ、そういうの(大きい作品)を作るだろうって思いがずっとありましたね。そこをバンドは目指してた感じ。

―それはテーマ性みたいな部分? それとも、もっと漠然としたもの?

波多野:テーマなんてなくて、原始的な欲求から始まってるんです。ただ曲を作って、最終的に作品にするサイズっていう点だけ。

―曲名が世界各地の地名っていうのも、大きな世界観を想定したときに出てきたことだったりするんでしょうか?

波多野:それは結果論みたいなもので、そんなに狙ったものではないです。タイトルって単にデザイン的でもあるし、記号的でもあると思ってて、たぶん歌詞を聴くと納得いくはずだと思うんです。だから、それが全てというか。

―例えばインターネットの登場前後で、時間とか場所の概念って確実に変わってきてる。そういうことと関わりがあったりしますか?

波多野:無関係かというとそうではないと思うんですが…言い方を変えると、あくまでタイトルとか世界旅行的な部分は舞台設定です。テーマとかではないです。だけど2010年にこういう内容のものを作ったっていう点で、無関係ではないと思います。僕も家でググってるし、ウィキペディア・マニアだし(笑)。

説明不要のところまで行けたという自信もあります。

―(笑)。となると、さっき言ってたストーリーっていうのが気になるところですね。

波多野:言葉にできないものを表現するっていうのが前提としてあって、それはやっぱり12曲っていうサイズじゃないと表現できないものだったし、でもある程度の到達点には到達できたという自負はあって、説明不要のところまで行けたという自信もあります。とはいえ、何か一つの正解というメッセージを発信しているわけではもちろんなくて、これっていうのはずっと続いてる逡巡 というか、スパイラルというか…それをガツンと切り取ってる感じだから、受け取る人によっていろんな捉え方があると思いますね。それはすごくいいことだと思います。やっぱり大事なことっていうのは歌詞では全然言ってなくて、それは音楽で言ってるので、だから…気楽に聴いてもらったらいいと思ってるんです(笑)。

―(笑)。

波多野:おそらく、聴いていろんな感情が喚起されると思うんですけど、それは日によって違ったりもすると思うし、それが何なんだろうと思ったらさらに聴いてもらってもいいし。そういうレンジ感は持たせたいと思ってましたね。

感性は自由であるべきで、自由な感性っていうのは時折善悪を凌駕したりとか、つじつまが合わないことを引き起こしたりするっていうことですね。

―歌詞には今まで以上に余白を持たせてる気がするんですけど、それは意図的ですか?

波多野:意図的というよりも…僕はやっぱり想像できるものが好きなんですよね。全部を全部言い当てるものには面白みを感じないというか…やっぱり音楽っていうのは視点なんですよね。

―ピープルの基本的な視点として、「一般的な価値観や倫理観から外れたところにある本当の美しさを表現する」という部分があるかと思いますが?

波多野:でもこの『Family Record』で設定されてる視点っていうのは、一般的な価値観からずれてるとは思ってないんです。でも感性は自由であるべきで、自由な感性っていうのは時折善悪を凌駕したりとか、つじつまが合わないことを引き起こしたりするっていうことですね。一般的な価値観からずれてるってことが核になっていないというか、そこはもう内包されちゃってるんですよね。感性っていうのはホントに自由であるべきなんだけど、でも感性が自由過ぎると社会の中ですごく窮屈に感じることや、疎外感や孤独感を感じることも多いと思うんですね。そういうところに特化したわけじゃないんですけど、感性が自由だとそういうことが生まれてくるっていうのが前提の視点なんです。

―前回の取材で「自分たちのルールは自分たちの持ってる楽器だけでやること」という話をしていらっしゃいましたが、それってそれ以外の部分、感性とか表現の大きさっていう部分では自由にして枠を設けない分、楽器に関しては枠を設けてるってことなのかな? と思ったんですけど。

波多野:うーん、そういう感じでもないですね。3人だからこその自由さみたいなところで、そこが全てなんです。僕が乗せる言葉っていうのは、全部が音楽に対してです。歌詞だけっていうのはありえないですね。完全に音楽あっての言葉で、ビートがなければ言葉は絶対につけないし。だから、僕らの音楽の核になってるのは3人でやるということ、そこができてれば、もう歌詞はできたも同然で。だから歌詞を作り始めるときっていうのは、もう大概歌詞はできてます。あとは当てはめていく作業の難しさだけで。

―3人で話し合ったりするものではないわけですよね。

波多野:全然、一言も言わないし、わざと言わないです。そっちにバンド・サウンドが引っ張られると面白くないと思うんで。

―では今回言葉が乗ったものを聴いたときの健太さんと大吾さんの感想は?

福井:いやもう感動と…自分の鳴らした音に反応してくれて嬉しいというか、「ああ、なるほどね」っていうのもあるし、新たな発見もあるし。

山口:(仮歌から)完全にパワーアップしますよね。歌詞ってそれだけすごいんだなって思います。僕はそこまで歌詞をどっぷり聴くタイプの人間じゃないんです。洋楽的な聴き方をするんですけど、曲がパワーアップしてるのはわかるんですよね。ダルマに目をくるっと書くみたいな、それぐらい説得力があると思います。

波多野:僕もホント、ダルマに目を入れてる意識はありますね(笑)。前はピープルの音楽って表裏があると思ってたんですけど、そうじゃなくて重層的とか多層的っていうのが当たってるのかなって思ったりして、だからいろんな聴き方ができるっていうか、単にのれるとか快楽で聴いてもらってもいいし、単純な歌ものとして聴いてもらってもいいし。ある意味、誤解は全然恐れなくなりましたね。

本来芸術ってそんなにすっきりするものでもないっていうか、残るものってすごくモヤモヤするんですよね。スッキリするものを求めると、ハリウッド映画みたいになっちゃうから。

―聴き手の感性に任せる?

波多野:そうですね。聴き手の感性に任せられるレベルまで作りたいと思って作ったから、そういうところまでできた作品だと自分では思ってます。

―『Family Record』というタイトルに関しても、やはり自由に解釈してほしい?

波多野:いろんな印象を持つと思うんですね。最初に聞いたときのタイトルと、作品を聴き終わって改めて意識するタイトルと、色々と印象は変わってくるだろうし。結構確信を持ってつけてはいるんですけどね、今までは感覚的につけてたんですけど、結構今回はタイトルらしいタイトルだと思います。

―僕はさっきも言ったようにインターネット以降の時間と場所の感覚の変容みたいなところがポイントだと思ったから、例えば国と国とかでも境目はないって意味での「Family」なのかなって思ってました。

波多野:なるほど。そういうのを聞くのはすごく楽しいです。作品を聴いてすっきりする部分っていうのはもちろんあると思うんですけど、それと同じぐらいモヤモヤするところがあってもいいと思うんです。本来芸術ってそんなにすっきりするものでもないっていうか、残るものってすごくモヤモヤするんですよね。スッキリするものを求めると、ハリウッド映画みたいになっちゃうから。

―最初に言ったように、僕はまさにこの作品に対してまだモヤモヤしてますね(笑)。

波多野:それはすごくいい状態だと思います(笑)。僕はそういうのがすごく好きですね。

言葉を超えて伝えたいとか、触れられない相手に伝えたいとか、そういうことがあったときに、人は芸術を始めるんじゃないかと思いますね。

―少し話が大きくなりますが、そもそも「芸術の存在意義」って何だと思いますか? 例えば「一般的な価値観や倫理観から外れたところにある本当の美しさを表現する」っていうのもその一つかと思いますが。

波多野:なんなんでしょうね…(しばらく考えて)存在意義ってことで言うと、僕は全然なくてもいいものだと思ってるんですよ。でもなぜあるのか、なぜ僕が物を作ろうとするのかって考えたときに、やっぱり…コミュニケーションだと思うんですよ。コミュニケーションっていろんな方法があって、それは言葉だったり、実際に触れたり、表情だったりするわけですけど、それよりも伝えたい、言葉を超えて伝えたいとか、触れられない相手に伝えたいとか、そういうことがあったときに、人は芸術を始めるんじゃないかと思いますね。ホントに伝えたいと思うことっていうのは、世の中にすでに溢れてる概念じゃなかったりするから、さっき例に挙げたことは自然なことだと思いますね。

―これまでの文脈でパッと連想する芸術家って誰かいますか?

波多野:今パッと思いついたのは、カフカ。あそこまで全てを外してものを書くっていうすごさ(笑)。全てから逃げる、あれはすさまじい…感性というか技術に近いと思うんですけど。読んでて何が面白いのか全然わかんないんですよ。「俺は何でこれを読んで面白いと思ってるんだろう?」っていまだに思いながらずっと読んでる、それってすごいなと思って。いまだに説明がつかない面白さ、そりゃあ生きてる内には評価されないわと思いますよね(笑)。でもそれってすごく真っ当なあり方な気もしてて。

―ピープルの作品もそれに近い性質を持ってると思います。

波多野:でも僕はそんなストイックさ全くないですから(笑)。僕はみんなに楽しんでほしいし、「評価されたくない」なんて全く思ってないですから(笑)。

―でも、そのバランスって難しいですよね。

波多野:僕らはどっちも取りに行きます。欲張りなんで(笑)。

―素晴らしいですね。それぐらい言える作品までたどり着いたってことですもんね。では最後に、現時点で言える範囲でいいので、今回の作品を自分たちのキャリアの中で位置づけると、どんな作品だと言えますか?

山口:僕はやっとプロになったなって感じがします。中3とか、音楽を聴き始めたころの自分が今の作品を聴いても、「これ、すげえ」とか「このCD欲しい」って思っちゃうような感じになってると思うんです。そういうのを考えると、やっとプロになれたのかなって。

福井:3人の中から出てくるものを形にしようとする、その再生能力がすごく高くなったなって実感しましたね。細かいところも表現できるようになったと思える作品です。

波多野:僕はもう、やっぱりまだ全然わからないんですけど(笑)。でもこのアルバムも通過点になるんだなと思ったら、ちょっと怖い反面、すごく楽しみでもありますね。

リリース情報
People In The Box
『Family Record』}

2010年10月6日発売
価格:3,000円(税込)
CRCP-40283 / CROWN STONES

1. 東京
2. アメリカ
3. ベルリン
4. レテビーチ
5. 旧市街
6. ストックホルム
7. リマ
8. マルタ
9. 新市街
10. スルツェイ
11. JFK空港
12. どこでもないところ

プロフィール
People In The Box

波多野裕文(vocals/guitars)、福井健太(bass)、山口大吾(drums)による独自の世界観を持つスリーピースバンド。透明感のある純粋な歌声と歌詞の独自な世界観を持つ楽曲センス、うねる様な力強さを持ったベースとしなやかでかつ躍動感のあるドラムが一つの物語を作り上げているかのようなサウンドは唯一無二。2009年10月にサードミニアルバム『Ghost Apple』をリリース、10年2月にファーストシングル『Sky Mouth』をリリースし、全国ツアーを行いファイナルSHIBUYA-AXを含む、他会場でチケット完売させた、新世代実力派。2010年10月に、セカンドアルバム『Family Record』をリリース。



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