「見えないものを見る」ためには 八谷和彦インタビュー

他人の目から眺めたこの世界や、伝説上の生き物たち、または見知らぬ誰かの綴る日常の独白。いずれにも共通するのは、本来は「見えないもの」だということ。八谷和彦はそれらを人びとに体感可能なメディアアートとして世に送り出してきた。彼の作品のなかでもコミュニケーションツール的なシリーズに位置づけられるこれらの試みはしかし、本人いわく「わかりあえない、という事実をわかりあう」地点からスタートしているという。想像するのが楽しいものもそうでないものも含め、「見えないもの」があふれるこの時代。6月2日から、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアムにて開催中の展覧会『魔法かもしれない。-八谷和彦の見せる世界のひろげかた-』で、彼は何を見せてくれるのだろう。

肉眼では無理でも、何かを通せばそこにあるものが見えてくる

─まずは最新個展『魔法かもしれない。-八谷和彦の見せる世界のひろげかた-』について教えてください。「見えないものを見る」がコンセプトだとか。

八谷:最初に、この会場に合う展示として自分の作品でどんなものができるかを考えました。この映像ミュージアムには、僕の個展会場にいたるまでのフロアにも、映像の技術史にまつわる常設展示があるんです。その流れに沿う意味も込め、「ディスプレイ」を意識して構成しました。

「見えないものを見る」ためには 八谷和彦インタビュー
八谷和彦

─ディスプレイって、「見えないものを見る」というより、テレビはもちろんスマートフォンなど、いまや日常生活の「見る」行為に溶け込んだ存在では?

八谷:そうですね。でも今回は、頭に装着するヘッドマウントディスプレイ(HMD)を使ったり、赤外線の電光掲示板システムや液晶の原理を利用した「Invisible display」とでも言うべきもの――肉眼では無理だけど、何かを通せばそこにあるものが見えてくる仕組み――を使ったりしています。

─それらがどれも「見えないものを見る」体験型作品というわけですね。

八谷:僕のデビュー作とも言える『視聴覚交換マシン』は、HMDを使って文字通りふたりの体験者の視覚と聴覚をリアルタイムで入れ替えるものです。今回は、決まった時間帯(水、土、日曜、祝日)に実体験できます。実際に装着してハグし合ったり、ジャンケンしたり、以前はキスチョコを互いに食べさせるっていう課題にトライしてもらったこともあります。

視聴覚交換マシン体験ワークショップ風景
視聴覚交換マシン体験ワークショップ風景

─未来の飲み会ゲームかも(笑)? 異性同士でトライすれば、小説やマンガの永遠のモチーフ「男女入れ替わりモノ」の現実版みたいなことにもなりそうです。

八谷:もともとは1993年に生まれた作品で、今回は現在の機器を使ったリメイク版です。いまならテレビ電話やiPhoneのFaceTimeを利用しても似たようなことができちゃいそうですが、ゴーグルをつけて本来の視覚を完全に遮断したうえで…というのはやはり独特の体験になると思いますよ。

─視聴覚が入れ替わったまま触り合えるというのも、楽しい反面、身体感覚からアイデンティティを直接揺さぶられそうでもあります。

八谷:誰とやるのかによっても、感じ方が異なる体験になるでしょうね。以前、ふたり組のいっぽうに、車椅子の方が参加したこともあります。車椅子でしかできない技って言うのかな、クルクル回転したりして、相手の人はびっくりしていました(笑)。逆にその車椅子の人は、立って歩くときの視界の揺れを「この感覚久しぶりだ~」と楽しんでいましたね。

2/3ページ:「わかりあえやしない、という事実をわかりあう」が出発点

人って、たとえ科学的でなくても、何かで折り合いを付けなきゃいけない場面がある

─「見えないものを見る」という表現をアートの世界で考えてみると、これまでにもいろいろな流れがありますよね。古くは宗教画、そして写真の登場で見えてきた未知の映像、さらに写真とは違う道として一部の画家たちが選んだ抽象的な「見えないもの」の表現とか。メディアアートでも不可視の可視化を試みる作品はよく見ます。

八谷:僕の場合は、美術史の流れのどこかを発展させるというより、個人的な興味から始まる作品が多いと思います。『Fairy Finder』シリーズは2005年ごろに始めたもので、そのころ物理学者の菊池誠先生が批判していた「ニセ科学」問題が気になっていた。例えば水に対して「ありがとう」っていう文字を見せ続けると結晶が美しい形になるとか、そういう話ですね。

FairyFinder 03《コロボックルのテーブル》/2006
FairyFinder 03《コロボックルのテーブル》/2006 ※画像クリックで拡大

─心では理解できそうだけど、科学的な感じではないっていうものですか。

八谷:それが道徳教育に使われたりする困った一面もありますが、菊池先生は科学者としてそれを看過できないという立場で批判されていた。また、人間の治癒力を引き出そうという「ホメオパシー療法」も、その誤用が問題になったりすることがあります。

─妄信はしばしばよくない状況を引き起こす、と。

八谷:僕も基本的には菊池さんの考え方に賛成だけど、一方で、ではアーティストとして、こういうことをどう考えればいいのか? とかも思っていた。人って実はかなり非合理的な思考もするし、本当に悲しいときには何かで折り合いを付けなきゃいけない場面があちこちであるとも思うんです。

─「折り合い」というと?

八谷:河童なんて、わかりやすいかな。危ないから子どもだけで川には行くな! って言ったとしても、子どもは言うことを聞かないし納得もしない。そこで「河童に尻子玉を抜かれるぞ!」っていう作り話をすると、ウソだけど結果的に川には行かないかもしれませんよね。

─確かに(笑)。『Fairy Finder』に出現するコロボックルや鳥人間も、ただ想像力を広げてくれるという以上に、存在すると信じるかどうかによって生じる受け手の心持ちの違いについても、考えさせられます。

FairyFinder 05《フェザードフレンド》/2008
FairyFinder 05《フェザードフレンド》/2008
※FailyFinderは、科学技術振興機構、
CRESTプロジェクトの一環として制作されました。

八谷:『Fairy Finder』は、初めて子どもが生まれた時期に始まったシリーズでもあります。子育てをする中で、それまで意識したことない「乳幼児死亡率」みたいなことも意識したりしました。子どもの死に直面した人は、たとえ合理的でなくても何かしらの方法で納得できないと、その先を生きていけないでしょう。僕はそれまで宗教が存在することの意味を感じられなかったのですが、こうした局面のことを想像してみて、考え方が少し変わりました。


「わかりあえやしない、という事実をわかりあう」が出発点です

─いっぽうで八谷作品にはいつも、展覧会タイトルの「魔法かもしれない」が象徴するようなワクワク感がありますね。そのあたりも今までのお話とつながりますか?

八谷:英語タイトルが「It Could be Magic」なのですが、そのニュアンスに近いですね。魔法だけど、手品でもある。手品って、タネがあるとわかっていても楽しめるでしょう。逆に、科学的かどうかだけですべてを判断するとそれを受け入れられない人もいる。そういう人にどうアプローチするかといった思考実験です。ただ、実は僕の作品は「コミュニケーションの不完全性」をきっかけに制作しているところもあるんです。いわば「わかりあえやしない、という事実をわかりあう」という。

─これだけコミュニケーションにまつわる作品をつくっているのに?

「見えないものを見る」ためには 八谷和彦インタビュー

八谷:例えば、今その質問をしたあなたに本当に人間の「心」があるかどうか、僕には確かめようがない。すごくよくできた自動応答システムかもしれないし(笑)。僕らはいつも、互いに「相手に自分と同様な心がある」前提で行動しています。これは類人猿でも数少ない高度な能力とも言える。ただしそれは「コミュニケーションできる」という特殊な仮説上での話。それを幻想とまではいわないけど、前提にあるのはやはりディスコミュニケーションじゃないですかね? 実は『視聴覚交換マシン』も「人の視点に立ってものを考えなさい」とよく言われるアレを暴力的に実現したらどうなるか、という実験でもあるんです。

─なるほど。確かにそういう面もありますね…。

八谷:でもこういう世界でも、やはり折り合いの付け方はあると思う。『見ることは信じること』は、出会ったことのない人にシンパシーが生まれていく作品とも言えます。会場の電光掲示板に流れる意味不明の光の明滅は、赤外線を感知する専用ビューワーで見ると、実は誰かのつぶやきのようなテキストなのだとわかります。今回は、来場者たちが実際にその日にあったことをキーボードで入力し、その結果が表示されます。後から来た人たちにとっては、書いてあることがホントかウソかはわからない。それでも、どこか信用して読んでいる自分がいる。不完全とはいえそこ(掲示板上)には何か本質が現れていると思うんです。

見ることは信じること/1996
見ることは信じること/1996 

─1996年、Twitterはもちろん、ブログも普及していない時期に生まれた作品ですね。

八谷:そうですそうです。この作品は元々、見知らぬ人びとがネット上で日記を付け合う『メガ日記』という試みから始まりました。その「目に見えないけれど実在する他人の生活」を、裸眼では見えない電光掲示板に表示してみた作品ですね。

─同作が生まれたきっかけとしてサン=テグジュペリの小説『星の王子さま』を挙げていましたね。「大切なものは、目に見えない」という小説中の言葉も作品と響き合います。わかりあえやしないという事実をわかりあい、その上でコミュニケーションを諦めないということでしょうか。

八谷:「完全にわかりあえる」という幻想を捨てたうえで、どう共有できるか、ですかね。例えば完全な相互理解でなくてもいいからアウトラインを共有すること。それは僕らにやれることだし、やるべきときがあるとも思っています。

3/3ページ:アートを越えて広がる「見えないものを見る」行為

アートを越えて広がる「見えないものを見る」行為

─個展会期中にはワークショップなど、観衆との交流の場もありますね。八谷さんにとって観衆やワークショップはどういう存在ですか。

八谷:そうした現場で思うのは、やはりお客さんひとりひとりの体験こそが、僕の作品の本質だなということ。わかりやすいことを言えば、装着する人の世代や国民性が、作品と接したときの行動に出たりしますからね。例えば外国の人は、『視聴覚交換マシン』を付けたままゴロゴロ床に転がったり。

─困りますね。そういう仕様じゃないのに(笑)。

八谷:でも、より作品を理想形に近づけるために、そうした行動が活かされることもあります。ゲームで言うと、テストプレイ。これはメディアアート特有の手法ですが、大切です。

─具体的にはどんなことでしょう?

八谷:『視聴覚交換マシン』で言えば、カメラの画角ひとつで視野や体感が違ってきます。それをお客さんに合わせて変えていくのはアーティストとしては不純なのかもしれないけれど、何せ僕、ゲーム世代ですから(苦笑)。ゲームバランスしだいで、同じ内容が名作にもクソゲーにもなり得る。演劇だってそうで、お客さんの反応を見つつ、演出家は今日はなぜウケたのか、ウケなかったのかを考える。展覧会というのもある種のリアルタイムメディアだと思うから、会場では演出家やゲームデザイナー的な気持ちで立ち会っています。作品が役者さんだとすれば、「君は絶対にこう演じなさい」ではなく、「明日はこうやってみようか?」という姿勢のもと、作品を変えていきます。

展示風景
展示風景

─作品とは別に、「見えないものを見る」ことに対する八谷さんの姿勢を感じたのが、原発事故を受けて立ち上げたガイガーカウンター講習会です(※『ガイガーカウンターミーティング』は八谷主催のもと6月11日に3331 Arts Chiyodaで開催された)。

八谷:放射線量を測定するガイガーカウンターを、もし間違った方法で用いてしまった場合、本当に放射線量の高い場所がわからなくなってしまいます。そこで、正しい計り方を勉強できたら、と立ち上げたのがこの緊急イベントです。Ustreamで中継し、その後も見られるようにしました。これもある意味、可視化ですね。

─そういえば原発事故発生後の比較的早い段階で、子どもたちに向けた「うんち・おならで例える原発解説」をTwitterから連投もしましたね。

八谷:あの時期、根拠のないものを含め、恐怖を呼ぶ情報だけが飛び交っていてはまずいだろうと思っていました。特にあの時期は、子どもたちが事故をどう解釈していいかわからなかったはずで。だから当時あまり言及されることのなかった最悪の事態も含めて、ひとつの解釈の仕方を提示したつもりでした。残念ながら、事態は当時の予想でいう最悪か、それより深刻ですが、基本的な考え方や、「現場の人に感謝しよう」というような思いは変わりません。あと、あのTweetが事故を軽視したものだと言う人がもしいるとしたら、そういう人は逆に事態をよくわかっているのだから、それでいいとも思います。大人はあれを読んで終わりじゃなく、ちゃんと勉強していくでしょうし。あの件は作家としてというより、父親としてやったことですね。

─今日は「見えないものを見る」についてお話を聞いてきましたが、それがいろんな局面で問われているのも、今という時代のように感じました。

八谷:人はわからないことに対峙したとき、瞬時に判断をせまられる場合は、それを説明してくれる人々が自分にとって「信頼できるか」どうかで判断するしかないんだと思います。そんなとき、それぞれが信用、納得というものにどう向き合うか。主義主張とか知識量とか、そういうものを超えて伝え合う方法がもしあるとしたら、それは科学者だけでなく、アーティストやデザイナーといったコミュニケーションに関わる人にも担えるものがあると感じます。平常時と非常時で違いもあるでしょうが、今はそういうことについて考えるのも、自分がやれることのひとつかなと思っています。

イベント情報
『魔法かもしれない。―八谷和彦の見せる世界のひろげかた―』

2011年6月2日(木)~9月4日(日)
会場:埼玉県 川口市 SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム
時間:9:30~17:00(入場16:30まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日) ※8月15日(月)は臨時開館
料金:大人500円 小中学生250円(常設展示も観覧可)

ホリデー•ワークショップ
『視聴覚交換マシンを体験しよう』

会期中の水・土・日曜日、祝日に開催
会場:埼玉県 川口市 SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム3F 未来映像ゾーン
時間:13:00~16:00
料金:無料(要映像ミュージアム入館料)
定員:20組40名(先着順)

夏休み特別ワークショップ
『自分だけの「フェアリーファインダー」を作ろう』

2011年8月14日(日)13:00~16:00
会場:埼玉県 川口市 SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム3F ワークショップルーム
定員:10名(小学生~中学生対象・小学校低学年は保護者同伴)
料金:無料(要映像ミュージアム入館料)

アーティストトーク

2011年8月28日(日)14:00~16:00
会場:埼玉県 川口市 SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ1F HDスタジオ
出演:八谷和彦
定員:100名
料金:無料(要映像ミュージアム入館料)

プロフィール
八谷和彦

1966年佐賀県出身。発明の日(4月18日)生まれのメディアアーティスト。九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)画像設計学科卒業。コンサルティング会社勤務時代から個人TV放送局『SMTV』などのユニークな活動を行う。その後独立し作家活動を本格化させる。『視聴覚交換マシン』をはじめとするコミュニケーションツール・シリーズ、またパーソナルフライトシステム『オープンスカイ』などに見られる、映画・アニメに登場する夢の乗物を具現化したようなものなど、機能を持った発明品的作品が多い。メールソフト『ポストペット』の開発者でもあり、関連ソフトウェア開発とディレクションを行なうペットワークス社取締役も務める。



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