大島輝之(弧回、sim)が、自分で歌い始めたわけ

ギター、ドラム、エレクトロニクスというミニマムな編成で、音と音の隙間やズレ、揺らぎにフォーカスした楽曲を生み出すエクスペリメンタルバンドsimのリーダー・大島輝之。即興のシーンで確固たる地位を築いたギタリストでもある彼が、自身がボーカルを務める歌もののアコースティックバンド、弧回(コエ)を結成し、初のアルバム『纒ム(マトム)』を完成させた。これまでのイメージを覆す活動の真意とは一体何なのか? 20年以上に及ぶ音楽人生を紐解きながら、音楽家・大島輝之の表現の根幹を探っていく。

誰にも聴かせられなかった20年前の自作曲

大島:実は俺、ギターじゃなくてベースで専門学校まで行ってるんですよ。山下達郎さんのバックをやってる伊藤広規さんに習ったりしてて、正直ギターよりベースの方が上手いです(笑)。

いきなりの発言に面食らってしまったが、音楽家としての大島のルーツは、意外にもベースだったという。ファンク好きの兄の影響もあり、高校の頃に買ってもらったベースが、彼の音楽人生の入り口となったのだ。

大島:当時は1985年ぐらいで、ベースがかっこいい時代だったんです。逆にギターは速弾きとかヘビメタみたいなイメージが強くて、あまり好きになれなくて。ベーシストだとミック・カーン、あとはファンクですね。ジェームス・ブラウンとかSly & The Family Stoneとかラリー・グラハムとかその辺りが好きだったんですけど、周りにそういうのをできる人がいなくて、一人でコピーとかしてました。すごく寂しいんですよ、ベースだけって(笑)。

大島輝之
大島輝之

寂しい一人でのコピーは長く続かず、高校の終わりぐらいから曲作りを始めると、自然に興味はギターへと傾いて行った。simの特徴とも言えるギターのカッティングは、ファンク好きだった当時の名残だと言えるのかもしれない。そして大島はこの頃作っていた自作曲の中で、弧回以前では唯一、自身で歌を歌っていたのだそうだ。

大島:ブリティッシュロックとファンクが組み合わさりつつある時期だったので、そういうのを自分で作って、一人で聴いてにやけてる感じでした。ただ、今もまだまだなんですけど、ホントに歌が下手くそだったんですよ(笑)。録音するときも、周りに聴かれないよう布団にくるまって歌ってたから、すごい音がこもってるし、歌詞も全く書けなかったから、適当英語で、人に聴かせられるものではなかったですね。

歌ものへの興味はありつつも、自分の歌にどうしても自信が持てなかった大島。それから約20年の月日を経て、今やっと、彼は歌い始めたのだ。

大島:ギターでバンドを組むようになって、ボーカリストがいるバンドもやりましたけど、コーラスすらできなかったんで、「まさか自分が歌うとは」って感じなんですよね。今でもライブ前とか、「あ、これから俺が歌うんだ」って、ビックリしますもん(笑)。

即興への情熱と、その限界

弧回の話へと行く前に、もう少し大島のこれまでのキャリアを辿ってみよう。専門学校時代に60〜70年代のブリティッシュロックにはまると、そこからプログレに興味を持ち、さらには大島の代名詞とも言うべき、「即興」へとたどり着いた。

大島:きっかけはKING CRIMSON。彼らの曲の中の即興部分に惹かれて、やっぱりまずは一人で(笑)、ギターをループさせて、即興をやってみたりしてました。それから大友良英さんとかアルタードステイツとかを知って、その辺りを聴き始めたんです。それが楽しくてしょうがなくなって、20代後半は即興しかやってなかったですね。

自作曲を作ることにも興味のあった大島が、なぜこれほどまでに即興に情熱を燃やしたのか。ここから、音楽家・大島輝之の表現の核が透けて見える。

大島:昔から僕は「新しい音楽」を目指してるところがあったんです。中学ぐらいから、その時期に新しいとされている音楽が好きで、だからヘビメタとかはあんまり好きじゃなかったんですよね。即興はその頃の僕にとってすごく新鮮で、大友さんとか今まで聴いたことがないようなことをやってたし、外国だとフレッド・フリスとかを聴いて、「こんなことができるんだ」って、すごくびっくりしたんです。

この「新しさ」をさらに追及していった結果、2001年に誕生したのが、大島にとって初のリーダーバンドであるfeepだった。トランペット、サックス、ベース、ギター、ドラムという編成で、即興演奏の一歩先を示そうとしたのだ。

大島:即興は当時の僕にとって新しかったんですけど、即興自体は昔からあったものだし、それだけで新しいことをやるのは限界があると思ったんです。それで「ちょっと決め事を作ってやったらどうなるんだろう?」と思って作ったのがfeepでした。一応僕がメンバーを集めたんですけど、自分がリーダーっていうのが初めてだったんで、曲を作ったはいいけど、メンバーに伝える手段を全く知らなくて(笑)。口で説明はするんですけど、思ったのと全く違う感じになったりして、結局60%ぐらいは即興で、メロディーとベースラインだけ僕が考えるみたいな感じでしたね。

超下手くそなのに、かっこいい音楽

結局feepは、2003年に唯一のオリジナル作品『the great curve』を残して解散。その次に大島が結成したのが、feepのメンバーでもあったエレクトロニクス担当の大谷能生と、ドラマーの植村昌弘をメンバーとし、よりコンセプチュアルな楽曲を生み出す3ピース・simであった。

大島輝之

大島:feepをやりながらもsimのコンセプトは考えてて、実はfeepの最後でsimっぽいこともやってるんです。ただfeepは、自由にやった方が自分の色が出せるっていう人が多かったんです。なので、2003年の11月にfeepが解散して、12月には植村さんに「こういうことやりたいんですけど」ってメールをして、1月にはsimの初ライブをやってたんです。

即興の要素が強かったfeepに対し、大島がPCでデモをかっちり作り、譜面通りに植村がドラムを叩くことによって、simのベーシックは完成する。feepよりもミニマムな編成で、音と音の隙間やズレ、揺らぎにフォーカスした楽曲を生み出し、2005年にHEADZ傘下のレーベルWEATHERからデビュー作『sim』を発表した。

大島:基本のイメージはPIL(Public Image Ltd)なんですよ。『The Flowers Of Romance』の1曲目みたいな、ホントにドラムとちょっとの逆回転の音と声だけっていう、あの感じですね。あとPILって『Metal Box』の頃のドラマーが超下手くそで、「これでレコード出していいの?」ってレベルなんですけど、でもかっこいいんですよ。すごいずれてるんだけど、それでも成り立ってて、「どこまでが音楽として成立するのか?」とか、そういうことに興味を持ったんです。なので、最初はホントに下手くそなドラマーとやろうかとも思ったんですけど、それを明確にやるためには、すごく上手い人にあえてずれて叩いてもらったりした方がいいと思って、それで植村さんにお願いしたんです。

simの活動のベースには、即興時代に培われた演奏能力があることは間違いないが、その場に応じて演奏する即興音楽と、譜面通りに演奏するsimの構築的な音楽というのは、一見対極にあるようにも思われる。しかし、大島の中ではこの2つはしっかりとつながっているのだ。

大島:音の感覚からすると、即興でも偶発的にかっこいいズレみたいのが出るので、そこで自然に生まれるスピード感みたいなものは継承してると思います。だから、やり方としては真逆なんですけど、聴いてる人からすれば、即興を聴いてるのと感覚的に近いんじゃないかと思いますね。

歌がありさえすれば何でもいい

ファンクから即興、そして、feepからsimへ。これまで常に新しい音楽を追い求めてきた大島が、2011年の1月に結成した初の歌ものバンド、それが弧回である。しかし何故いまになって、歌ものバンドを結成したのだろうか。

大島:高校のときに一人で歌っていたように、元々歌ものは好きだったんですけど、ここ何年かでそれをすごくやりたくなっちゃったんですよ。それで、最初はボーカリストを探してたんです。simでも佳村萌さんとやってたし(2006年にコラボレーションアルバム『common difference』を発表)、やくしまるえつこさんとか(昨年発表の大島のソロ『The Sounds Fur Klastar Point』に参加)、その人の世界に合わせて曲を作るのもいいと思ってたんです。ただ、自分で歌うのが一番手っ取り早いし、やっぱり自分の曲で、自分の歌詞で、自分の歌っていうのを、一回やってみたかったんですよね。

エクスペリメンタルなインストを追求するsimと、歌ものの弧回。スタイルは大きく異なっても、大島の「新しさ」を追求する姿勢には一切変わりがない。

大島:歌があるっていうのは、インスト音楽よりも可能性がすごく広がるんです。歌があるっていうだけで、バックが何をやってても音楽として「聴ける」っていうか、曲として成立するので、そこを一回じっくりやってみたくて。例えば、デヴィッド・シルヴィアンの最近の活動だと、歌があって、バックはデレク・ベイリー(即興ギタリストの第一人者)がギターをガーッとやってるとか、そういうのにも影響は受けてると思いますね。

つまり、弧回というバンドは、「どこまでが音楽として成立するのか?」という、大島にとっての命題をさらに突き詰めたバンドなのである。下手くそなドラムでもかっこいい音楽として成り立っていたPILが原型となっているsimに対し、「歌がありさえすれば何でもいい」という弧回のあり方は、音楽の可能性を一気に広げるものだったのだ。

大島:その通りですね。弧回はsimと違ってコンセプトがかっちり決まってるわけじゃないんで、今のメンバーがやってて、あとは歌さえあれば、ホントに何でもいいっていうバンドなんです。

実験的でありながらポップな『纒ム』

現在の弧回にとって、唯一の制約は、アコースティックであるということ。そのために集められたメンバーは、自身の弦楽ユニットtriolaに加え、石橋英子やジム・オルークとの活動でも知られる波多野敦子(バイオリン、コーラス)と、ジャズベーシストとして即興から歌ものまで幅広く活動する千葉広樹(コントラバス)の二人。さらにはゲストドラマーとして、石橋英子のバンドで波多野と活動を共にし、NATSUMENなどのバンドでも活躍する山本達久を迎え、ファーストアルバム『纒ム』が制作された。

大島:今回のアルバムに入ってる曲は、実は弧回を作るちょっと前からできてて、「これをバンドでやったら面白いかも」と思って、お二人に頼んだんです。アルバムとしてのコンセプトみたいのはなかったから、曲はホントにバラバラで、そのバラバラなものをまとめたっていうのが、そのままタイトルの『纒ム』になってるんです。

バラバラなアルバム収録曲をざっくりと二通りに分けるとすれば、パッと聴いた感じでは一般的なポップスの体を成しているタイプの曲と、一聴して明らかにエクスペリメンタルなタイプの曲とに分けられる。割合として多いのは前者だが、もちろん、大島の作る楽曲が、ただのポップスであるはずはない。

大島:例えば、“いたずら”とか“Too Much Rain”は、コード進行の面白さを追求した曲ですね。XTCとかのひねくれポップと呼ばれるものが大好きで、ポール・マッカートニーとかもそうですけど、コード進行に関してどこまで行けるのかを模索中の曲たちですね。“ユメであえたら”はルート音が半音ずつ落ちて行って、サビになると逆に上がって行くっていう曲で、そういうインストから始まって、メロディーは後からつけてます。

一方で、エクスペリメンタルな曲に関しては、とことんエクスペリメンタルである。例えば、“What's Going On?”は、別々に録音されたであろう、大島の弾き語りと、各楽器の演奏、ノイズなどが交互に繰り返され、文字通り「どこに行っちゃうの?」という感覚にさせられるし、タイトルからして怪しい“メタルマサカー”は、初めこそポップで軽快な曲調だが、それが突如崩れてノイズまみれのパートに突入、曲の後半では両者が入り乱れるも、最後は何事もなかったかのようにポップな曲調で終わっていく。この辺りは大島の真骨頂とも言うべき楽曲だが、それでも本作は決して難解な作品というわけではなく、シンプルにポップスのアルバムとしても十分に楽しめるものである。最もメロディアスな“如月の夜”をはじめ、「ほとんど書いたことがなかった」という歌詞もなかなかに味わい深く、その言葉を丁寧に紡いでいく大島の歌声にも、素朴な魅力がある。

大島:歌詞は言葉遊びっぽいことがやりたかったんですね。松本隆さんのはっぴいえんどの歌詞とか大好きで、まさか自分が書くとは思ってなかったんですけど、いざ作ってみると、やっぱり松本隆さんの言葉遊びとか、詩的なところとか、すごく影響があると思います。まあ、実験的でありながらポップっていうのは、元々そういうのが大好きでしたからね。

大島の言葉通り、『纒ム』にははっぴいえんどにも通じるフォーキーな雰囲気があり、また最近のアーティストで言えば、トクマルシューゴの作品にも通じるものがあるように思う。パッと聴きでは耳馴染のいいアコースティックなポップスでも、ふとその深みに踏み込めば、二度と戻って来ることができないぐらいの迷宮が広がっているような、そんな音楽的な面白味のある曲が揃っているのだ。

大島:simは毎回コンセプトに沿って曲を作っているので、「これはできる」「これはできない」っていう、技術的な問題になってくるんですね。でも、弧回に関してはホントに何でもアリなので、もう20曲以上は作ってるんですよ。もっともっといろんなタイプの曲を作って、またすぐにセカンドを出したいですね。

自分にしかできないことを、自分のできる範囲でやってたら、可能性が広がっていた

sim、弧回、ソロ、さらにはplus3(大島曰く「メンバーをいじめるためのジャンクノイズバンド」)など、現在の大島は実に様々なアウトプットを持っている。この旺盛な創作活動の背景には、はたしてどんなモチベーションがあるのだろうか?

大島:「いろんなことをやってるぜ」って言いたいわけじゃなくて、単純にやりたいからやってるだけなんですけど、でもどれも根底ではつながってて、影響し合ってるのかなって思いますね。大事なのは、自分にとって新鮮に聴けるかどうかで、常に「こうしたらどうなるんだろう?」とか「こうしたら聴いたことのないものになるんじゃないか?」とか、そうやって新鮮な気持ちになれるものをやってますね。

「こうしたらどうなるんだろう?」という大島の基本姿勢は、音楽以外の分野にまで及ぶ。

大島:僕、コーヒーを自分で焙煎してるんですよ。焙煎の具合とか、豆の種類とかで、全然味が変わるんです。ただ、コーヒーは音楽ほどキャパが広くないので、ちょっと飽きつつあるんですけどね(笑)。音楽と違って、立体じゃなく、線的な感じなので、先が見えてる感じがして。音楽にはいろんな方向の価値観があるので、やっぱり深いですよね。

コーヒーよりも深く、新鮮な味わいを音楽に求めて。大島はこの先、どこを目指していくのだろう?

大島:「目指す」っていうのは特になくて、日本の中だけでもいろんな価値観の音楽があるから、僕にしかできないことを、自分にできる範囲でやっていければいいですね。ただ、今回歌をやったことで、その「自分にできる範囲」を相当広げた感じはあるんです。『纒ム』を出せたことは、僕にとってものすごく重要で、今までのsimとかの活動と比べて、広がり方がまったく違うと思うんですよ。今後ますますいろんなことができるなって、ホントに可能性が広がったと思いますね。

リリース情報
弧回
『纒ム』(CD)

2012年11月28日発売
価格:2,625円(税込)
Bright Yellow Bright Orange

1. Flying
2. Sunshine Down On Me
3. ユメであえたら
4. What's Going On?
5. It's Over
6. 如月の夜
7. Too Much Rain
8. メタルマサカー
9. 逆回転時計
10. 影
11. I Saw The Light
12. 月光
13. いたずら

プロフィール
弧回

大島輝之の呼びかけにより2011年1月結成。メンバーは大島(Vo,Gt)、千葉広樹(Cb,Tp)、波多野敦子(Vi,Cho,Pf)。大島のこれまでの活動(simやソロ活動、即興演奏)とは180°違う、アコースティックを主体にした歌ものユニット。歌詞、コード進行、アンサンブル、ハーモニー等の拡張、及び解体を目標にしている。ライブでは波多野、千葉という核となるメンバーにゲストドラマーを呼んでいる。



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