作家になることは考えてもいなかった 今井俊介インタビュー

現代の日本で「美術家として生きる」ことは、非常にリスキーでタフな選択であると言える。また、さまざまな最先端テクノロジーを使ったメディアアートや、空間を使ったインスタレーション作品など、美術表現にも広がりが生まれている中で、「絵画」という伝統的な表現手法は、ある意味使い古され、追究し尽くされたジャンルであると言うことも出来るだろう。

そんな中、「美術」「絵画」という表現を追究し、『第8回 shiseido art egg』で、正統派絵画作品としてはじつに4年ぶりの入選を果たしたアーティストがいる。今井俊介、彼は旗をモチーフとした抽象画のようなペインティングを描く画家。今回は『第8回 shiseido art egg』入選者インタビュー第2弾として、2月7日より個展が始まっている今井俊介のインタビューを掲載する。インスタレーション展示に適した資生堂ギャラリーの広い空間を相手に、今井はいかなる作品を発表しようとしているのか。今回の展示にかけた想い、彼が歩んできた美術家としての軌跡を聞いた。

保育園で絵を描くと親が呼ばれて怒られるんですよ、「普通の子どもがこんな絵を描けるわけがない」って。で、父親が先生にぶち切れたことがあって(笑)。

―『第8回 shiseido art egg』に選出された3名のうち、今井さんは唯一の画家です。じつは、ここ数年の『shiseido art egg』に正当派の画家が選ばれたことはほとんどなかったんですよね。

今井:そうみたいですね。

―ですので、今日は現在に至るまでの今井さんのバイオグラフィーを伺いつつ「絵画をどう考えるか?」という美術の大きな命題にも触れるようなインタビューになればと思っています。今井さんのお父さんも画家だそうですね?

今井:画家というか、高校の美術教師をしていたんです。1960年代後半に多摩美術大学を卒業しているのですが、ちょうど大学闘争の世代。「もの派」(1960年代末~1970年代中期に起こった日本現代美術の大きな動向)の作家たちより、少し下の世代なんですよ。大学の寮の先輩に菅木志雄さんがいたらしくって。

今井俊介
今井俊介

―そういえば、「もの派」が生まれたのは、多摩美でしたね。

今井:3年次以降の授業もほとんど休止状態で、ある日学校に行ったら他大学の学生がバリケードを張っていたっていう時代。本人はロバート・ラウシェンバーグ(アメリカの現代美術家)とかが好きで、構成的な作品を作っていたみたいです。でも、大学闘争の影響もあり、その後、福井に戻って教師になったので、作家としては特に主だった活動はしていませんでした。

―とはいえ、今井さんは美術と近い距離で育たれたんですね。

今井:ええ。実家の2階が父のアトリエでしたし、僕が通っていた高校の美術教師だったんですよ。

―本当に近い距離(笑)。

今井:福井は田舎だから美術予備校がなくて、全部父親に教わったんです。僕は普通の大学に行くつもりだったんですけど、行けない学部、行きたくない学部を削っていったら、案の定音楽とか美術しか残らなかった。じゃあ、美術をやろうかなと思って父親に言ってみたら、「これまで絵なんか描いたことないじゃねえか。だったらまず描いてみろ!」って大反対されて。それで鉛筆デッサンを描いて見せたら、「まあ……2浪くらいすれば受かるんじゃないか?」って(笑)。実際に2浪して入ったんですけど。

―お父さんは慧眼の持ち主ですね(笑)。でも、それまで本格的に絵を描いたことがなかったというのは意外でした。

今井:描くこと自体は子どもの頃から好きだったんですよ。父親が美術教師だから「こうやって描くと、人の横顔が描けるんだよ」とか、コツを教わるじゃないですか。でも、そういうのを保育園で描くと親が呼ばれて怒られるんですよ。「普通の子どもがこんな絵を描けるわけがない」って。で、父親が「魚屋の息子が魚の名前を知っているのと一緒だろ!」って、ぶち切れたことがあって(笑)。

今井俊介

―正論です。

今井:でも、小学校に入ると、友だちや先生から「お父さんが美術の先生なんだから、絵が上手くて当たり前」って言われるのがすごく嫌で。それで美術が一時期嫌いになって、少年野球にハマったり、ピアノ習ってみたり、中学校では吹奏楽部に入ってトロンボーンを吹いていました。若い顧問の先生が「交響曲みたいな曲を上手く演るのもいいけど、楽しい曲を演奏しようよ!」って、ビッグバンドジャズとかも演奏していたんですよ。そこであらためて表現するって面白いことなんだなと気がついて。

―映画の『スウィングガールズ』みたいな。大勢で1つの音楽を作っていくのは楽しかったですか?

今井:楽譜を初見して、みんなで「ハイ」って演奏しても合わないんですよね。練習を重ねて、だんだんとハーモニーが出来上がって1つのグルーヴが生まれるっていう経験はすごく面白かったです。それで、自分の力で何かを生み出すことの喜びを知って、美大を受験してみたいという方向に流れていきました。

当時は、自分が何かを作る人になることはあまり考えていませんでした。デザインや建築を観るのは好きだし、描くのも好きだったけど、作家になろうという発想にはなれなくて。

―今井さんは武蔵野美術大学油絵学科出身ですよね。東京藝大や多摩美は受けなかったんですか?

今井:いろいろ受験はしたんですけど、好きな画家だった宇佐美圭司さんが教授をやっていたのが武蔵美で。でも、入学して2年で退任されちゃったんですけどね(笑)。

―美大の生活はいかがでしたか?

今井:だいたい武蔵美って、現役生と浪人生の割合が半々くらいなんですけど、僕の学年は浪人生がものすごく多くて、(入試だけで)疲れている人が多かったんです(笑)。だからこそいろんなタイプの人がいてすごく面白かった。木を切って何か作ってるなーと思って見てたら、自宅用のベッド作っていたりとか、本気でハイパーヨーヨーやってる人とか。僕の興味も、入学後は絵画からデザインや建築に向かっていったりして、当時は画家になるつもりなんてほとんどなかったんです。

―絵画からデザインなどの複製芸術へと興味が変わっていったのは、版画をやっていたお父さんの影響もあったのでしょうか?

今井:それもあると思います。あと武蔵美ってポスターのコレクションがすごく充実していて、グラフィックデザインに興味を持つきっかけになりました。印刷物ならではの薄っぺらさが面白かったというか。絵を描くとどうしても物質感が出るじゃないですか。絵の具がモリっとして、キャンバスの地が薄く見えてとか、そういった手仕事感が苦手だったんです。建築やデザインって、作品自体は本人の手で作られていないのに、作家の思考が見えてくるのがすごく面白い。だから、大学在学中に油絵具って1回しか触っていないんです。

―1回だけですか?(笑)

今井:必修科目に「絵画組成」っていう授業があって、絵具の構造や古典技法を学ぶのですが、そこで描いた1枚だけですね。僕、油絵具の匂いがダメなんですよ。浪人中に2年間ずっとテレピン油の匂いに囲まれていて、本格的に嫌いになった(苦笑)。あと絵具が乾くのを待たなきゃいけないっていうのも、じれったくて。だから今の作品に使っているのもアクリル絵具です。

『untitled』2013 撮影:高見知香
『untitled』2013 撮影:高見知香

『今井俊介展』展示風景 撮影:高見知香
『今井俊介展』展示風景 撮影:高見知香

―じゃあ、油絵学科の頃は、油絵から離れてデザインや建築の勉強を?

今井:インテリアデザイン事務所のお仕事を手伝わせていただいたりしていました。鄭秀和(てい しゅうわ / 建築家・デザイナー)さんが設立した「インテンショナリーズ」というところでも少しだけ。あと経験として大きかったのが、武蔵美の芸術祭の実行委員長をやったことと、その翌年に課外活動協議会っていう自治会の代表をやったことで。

―我が道を行く人が多いアーティストの中では、珍しい経験をされていますね。

今井:組織をデザインするのが面白かったんです。僕、子どもの頃からなんとなくリーダーシップを取る立場にいることが多くて、高校のときも吹奏楽部の部長をやっていたし、少年野球ではキャッチャーの立場からチームに指示を出していた。大学でも、他の大学を含めた学生たちと人を300人くらい集めて、渋谷の街で「ドロケイ」……今で言うテレビ番組の『逃走中』みたいなゲームを企画したり(笑)。どうすれば予算を獲得できて、どうやったらお客さんが来てとか、そういうことを考えるのが性に合っていたんですよ。一方で当時は、自分が何かを作る人になることはあまり考えていませんでした。デザインや建築を観るのは好きだし、描くのも好きだったけど、作家になろうという発想にはなれなくて。じゃあ、「自分が輝ける場所はどこなんだろう?」と模索しながら辿り着いたのが、こういった仕事だったんだと思います。

―当時、作家の道を選択肢として考えなかった理由って何だったんですか?

今井:うーん。僕、絵がすごく下手で。周囲には上手なヤツはゴロゴロいたし、美術に関する知識も圧倒的に足りなかった。よく大学院受かったなと思うんですけど、結局コンプレックスがあったんでしょうね。どうしても周りと自分を比べてしまう。そんなこと何の意味もないのに。

―今井さんが学生だった1990年代後半~2000年代初頭というと、日本に現代美術のコマーシャルギャラリーが登場し始めたばかりの頃ですよね。そういった環境も理由だったのかなと。

今井:そうですね。コマーシャルギャラリーのシステムもよく分からなかったから、作家になる道筋の想像もつかなかった。もちろん、大学の先生や先輩たちはいたけれど、どうやったらそこに辿り着けるのか全然分からないような時代でした。

今井俊介

2006年頃から現代アートバブルがやって来て、後輩たちがどんどんデビューしていくのを見ながら勇気づけられました。辛抱強くやっていればなんとかなるぞ、と。

―では、今井さんの中で作家として生きていく覚悟みたいなものが兆してきたのは、いつだったんですか?

今井:大学4年の10月の終わり頃でしょうか。世界中から有名デザイナーが参加する『東京デザイナーズブロック』というイベントのお手伝いをさせてもらいながら、プロのデザイナーを近くで見ているうちに、「僕も何か作る側の人間になりたい!」って思ったことは今でも覚えています。それで、美術やるならもう少し勉強したいと大学院に行こうと思い、運良く合格して2年間頑張って。でも、大学院を修了しても、お金がないから貸画廊を借りて個展を開くこともできない。それで、友人たちと共同で借りていたスタジオに作品を展示して、観てもらいたい人にアポをとって観に来てもらったり。そんな感じでくすぶっていたら、2006年頃から現代アートバブルがやって来て、後輩たちがどんどんデビューしていったんですね。それを見て勇気づけられました。辛抱強くやっていればなんとかなるぞ、と。

『untitled』2013 撮影:高見知香
『untitled』2013 撮影:高見知香

―その頃、今井さんが展開していたのは、海外のポルノグラフィーを加工して、壁紙状のインスタレーションにした作品シリーズでしたが、この作品での問題意識というのは、どういうものだったんですか?

今井:海外のハードコアポルノを見たときに「薄っぺらいなあ……」と思ったんです。ここに登場する人たちは代替可能なアイコンでしかないというか、「表面だけなんだなあ……」って。でも、そういった薄っぺらいとされるものを、あえて薄っぺらいまま作品にしてみたら面白いかも、というのがスタート。そこから猥褻だと言われているポルノを、どうやったら違うものに置き換えできるのかを考えて。

―海外のポルノって、ある種スポーツみたいですよね。情緒は存在しない。

今井:そうそう(笑)。毎日のようにアダルトサイトを巡回して、使えそうな画像を探していました。でも、だんだんそれが苦痛になってきて。そのうち、ポルノ画像と過去に自分で描いた絵をハイブリッドさせれば、さらに面白くなるかなと実験してみたり、だんだん複雑になって何を描いているのか分からなくなってきて、絵の部分をすごくクローズアップして描いてみたり。それで最終的に一番単純なところに帰ったというか。四角い矩形の中に色と形がどう収まっているのが面白いんだろうか、っていうところに行き着いて、今回入選したフラッグ(旗)のシリーズにつながっていきました。

王道的な絵の描き方が分からないんです。だから、既成品の柄から選択することで絵が生まれるという感覚はピッタリ来ました。初めて「僕にも絵が描ける」と思った。

―絵が身近なところにある環境で育った少年が、いったんは美術を離れて、でも作ることに戻って来て、そして今あらためて絵画に挑戦している。今井さんは、現在のご自身の作品をどのように捉えていますか?

今井:『shiseido art egg』でも展示する「フラッグ」のシリーズに辿り着いて、初めて「絵描きになれた」と思えたんです。ポルノグラフィーを使った作品から始まり、その後実験を繰り返しながらもどこかモヤモヤが晴れなくて苦しかったときに、たまたま知り合いの女の子が穿いているチェックのスカートが目に入った。チェックの模様がフワ~っと波打っていて「ああ綺麗だな……」と思ったんですよ。こんなに綺麗な色と形があるんだから、自分で考えなくてもいいな、この模様をそのまま描いちゃえばいいや、と閃いたんです。

『今井俊介展』展示風景 撮影:高見知香
『今井俊介展』展示風景 撮影:高見知香

―フラッグのイメージは、スカートの柄から始まった。

今井:奥行きのような空間性は排除して、チェックの色と形だけを抽出してベタで塗っていこうと思ったんです。でも面白いのが、人の目ってどうしても空間性を絵に見出してしまうんですよ。まさにそれって絵画のイリュージョンですよね。絵画のことをもう1回ちゃんと考えてみようと思ったのはそれからです。

―なるほど。

今井:そこで初めて、「僕にも絵が描ける」と思った。正直に言って、いわゆる王道的な絵の描き方っていうものが僕には分からないんです。なんらかの色を置いてみて、じゃあ余白はこうしようとか、一手加えることで次の手が決まるみたいな、そういう感覚があまりにも欠如していて。だから、自分で色や形を決定しなくても、既成品の柄から選択することで絵が生まれるという感覚はピッタリ来ました。

―でも、フラッグの模様は今井さんが決めているんですよね。それは今井さんならではの個性になるんじゃないですか?

今井:いや、じつは直線だけをランダムに配置したデータを紙にプリントして、それを実際に手で歪ませたものを写生してるんですよ。だから本当は僕の作品は抽象画ではなく具象画ですし、そういう意味でも選択をしているんです。

『今井俊介展』展示風景 撮影:高見知香
『今井俊介展』展示風景 撮影:高見知香

僕もやっと描いていて楽しいって思えるようになりました。やっぱり「描く」って本当に辛いと思います。まあ、今でもそういうときはありますけどね(笑)。

―今日のお話を振り返ってみると、今井さんは自分の居場所を探し続けてきたようなところがあるのかなと思いました。その人生の流れの中で、絵画や絵画を取り巻く環境への問題意識が育まれ、結び付いてきたような感覚があるのではないでしょうか。芸術祭の委員長をされていたとか、吹奏楽部の部長だったというお話は結構意外だったんですけど、通して聞くと「ああ、なるほど」と。それら全てが、今の作品の中に結実しつつあるのだというのが分かります。

今井:でも、悩みは尽きないです(笑)。

今井俊介

―じつを言うと、フラッグのシリーズを初めて展示した2012年の個展を僕は観ているんです。そのときは「なんでこの人は、今さらこんな絵画の問題に取り組んでいるんだろう?」という疑問を感じたんです。でもその後、いくつかのグループ展に出品されているのを観ていたら、すごく良くなっていって。

今井:そうそう、それは自分でも思います(笑)。初期のフラッグシリーズの作品は、今は恥ずかしくて見れないものもあります。あれは「何か見つけた!」っていう衝動だけで、急いで作ってしまった絵だったように思います。

―でもその頃と今で違うのはサイズくらいなんですよ。大きなサイズで描かれていたものがキュッと小さくなっただけ。だから描かれているものやアイデア自体は変わっていないと思うんですけど、明らかに宿っているものの抽象度や純度が上がっている。僕自身も美術史や絵画論の勉強をしっかりやってきたわけではないので、「絵画をどう読み解くか、どう楽しむか」というのが、美術を考えるうえで一番難しいんです。描かれているものが花や人だったり、判別できるという意味で絵画は雄弁でもあるけれど、けっして描かれたものが主題ではないこともある。

今井:そうですよね。

―ですから、ここ3年くらいの今井さんの作品を折々観ていくことによって、絵画の強さを感じたというか。絵ってこういう風に強度を増していくことができるんだ、というのがすごく感じられて。

今井:いや、ありがたいです。僕もやっと描いていて楽しいって思えるようになりました。やっぱり「描く」って辛いことなんですよ。「これ、誰が観てくれるんだろう?」「何のために描いているんだろう?」って思いを持ちながら描いている時期もありましたけど、本当に辛いと思います。まあ、今でもそういうときはありますけどね(笑)。

イベント情報
『第8回 shiseido art egg 今井俊介展』

2014年2月7日(金)~3月2日(日)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:火~土曜11:00~19:00、日曜・祝日11:00~18:00
休館日:月曜(祝日が月曜にあたる場合も休館)
料金:無料

ギャラリートーク
2014年2月8日(土)14:00~14:30
出演:今井俊介
料金:無料(予約不要)

『第8回 shiseido art egg 古橋まどか展』

2014年3月7日(金)~3月30日(日)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:火~土曜11:00~19:00、日曜・祝日11:00~18:00
休館日:月曜(祝日が月曜にあたる場合も休館)
料金:無料

ギャラリートーク
2014年3月8日(土)14:00~14:30
出演:古橋まどか
料金:無料(予約不要)

プロフィール
今井俊介(いまい しゅんすけ)

1978年福井生まれ。2004年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。主な展覧会に『ダイ チュウ ショー 最近の抽象』(府中市美術館市民ギャラリー)、『surface / volume』(HAGIWARA PROJECTS)、『TOO YOUNG TO BE ABSTRACT』(sprout curation)、『第31回損保ジャパン美術財団選抜奨励展』(損保ジャパン東郷青児美術館)、『SSS – expanded painting』(MISAKO & ROSEN)等。現在東京在住。2/15よりHAGIWARA PROJECTSにて個展『color / form』を開催。



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