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音楽を巡る環境はどう変わる? 建築する音楽家・小野寺唯に学ぶ

音楽を巡る環境はどう変わる? 建築する音楽家・小野寺唯に学ぶ

インタビュー・テキスト
杉原環樹
撮影:中村ナリコ
2015/04/22
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一度は離れたCDアルバムという形式を再び選択するからには、音楽家として新しいことをしたかった。(小野寺)

―そうした問題意識をお持ちの中、なぜ今回、再びソロアルバムを出すことになったのでしょうか?

小野寺:僕は自分の世代が、アルバムという形式に特別な価値を感じている最後の世代なのではないかと思っているんです。最近は音楽を巡る環境が大きく変化していて、若い人だけでなく、アルバムを1枚通して聴けない人も多いと聞きます。そういう時代だからこそ、1枚を通して聴いてもらえるようなものを作ろうと思ったんです。僕は録音作品としての音楽に慣れ親しんでいたので、特にソロアルバムの場合は純粋に「聴く」ためだけの音楽を作りたいという思いが強い。そのため結果的に、自分の作品も録音芸術としての側面が非常に色濃くなっていると思います。およそ8年もの時間がかかったのは、アルバム全体のコンセプトがなかなか見えてこなかったから。ソロアルバムの場合はほかのプロジェクトに比べて最も自由度が高いので、出来るだけほかでは出来ないような、実験的で、新しいことをしたかったんです。

小野寺唯

―前作に比べて「新しいこと」とは、具体的にどんなことですか?

小野寺:前作を制作した頃は、ちょうどハンディで手軽に手に入る価格帯のフィールドレコーディング用の機材が普及し始めた頃でした。音楽用ソフトウェアも家庭用コンピューターで充分に使用できるようになり、録音した身の周りの音をコンピューターで直接加工できるようになったので、必然的にそれらを組み合わせて音楽を作っていました。ところが、そういった音楽もいまではジャンルミュージック化し、焼き増しみたいなものばかりになってしまっている。その中でどんな冒険をするのか。同じような音素材や道具を使いながら従来とは異なる印象の音を作れないかと模索していたら、次第にダブに近づいて行ったんです(笑)。あまりこういう文脈的バランスの音楽がないなとも思ったので、これなら出す意味があるなと。

左から:小野寺唯、荏開津広

荏開津:たしかに、いまこの時代にアルバムという形式で作品を発表する上で、ダブに行き着くのは合点がいきます。ダブというのは、録音されたテープを素材に、それを音響機材で再加工していくことで全く違う作品に作り替えてしまう音楽です。優れたダブは、ただサウンドにエフェクトをかけただけでなく、音楽そのものが録音芸術であることをメタ的に扱っている。小野寺さんのように、アルバムというアウトプットに疑問を持った人がそこに向かうのは自然だと思います。

自己表現ではなく、何かのための音楽として存在する表現。最近の僕には率先して制限を探しに行こうという意識があります。(小野寺)

―もう1つ、都市におけるサウンドデザインでいうと、2020年のオリンピックの話題があるかと思います。東京の音環境は、今後どう姿を変えていくべきだと思いますか?

小野寺:オリンピックは、音に限らず、公共空間の中のあらゆるデザインを考え直す良い機会ではないかと思います。開会式の音楽を誰がやるかいう話題もありますが、東京という都市全体の音のあり方にも、もっと目を向けてほしい。たとえば、都内の駅であの複雑な路線図を見たとき「もう今日はホテルにいよう」と思う観光客は多いんじゃないか(笑)。言語の異なる人々に対して何らかの音を使ってサポートする仕組みがあっても面白いかもしれません。都市空間での音の機能やデザインについて充分な議論がされ、訪れる方々にとって親切で革新的なことが行われることに期待したいです。都市空間とは消費や生産の場でもあると同時にコミュニケーションの場でもあるわけで、グラフティのように、音も環境を舞台に何かコミュニケートできるのではと思います。

―それは面白そうな視点ですね。普段はあまり意識することがありませんが、街で聴こえるあらゆる音にも、その音の作り手が存在するわけですよね。

小野寺:都市の中のサウンドデザインに関していうと、駅の発車ベルや信号機の音などを作るサウンドデザイナーはこれまでもいましたが、そのような仕事にはなかなかスポットがあたってこなかったと思うんです。発車ベルのメロディーは、当然単なる自己表現としての音では成立しません。ホーム上の人の命にも関わるため、どの周波数だったら瞬時に耳に届くかというような機能面での工夫も追求せざるを得ない。そういった制限の中で最適な音を目指すということ自体が面白いと思います。イーノの『Music For Airports』になぞらえれば、「Music For~」の「~」を考えるのが醍醐味なんです。自分の心情を投影する自己表現ではなく、何かのための音楽として存在する表現もある。そういう意味では建築なんて制限だらけです。法規もあるし、クライアントもいるし、もちろんそこに集う人々のことも徹底的に考える。でも、制限があるからこそ生まれた斬新な表現もたくさんありますし、最近の僕にはむしろ率先して制限を探しに行こうという意識があります。

小野寺唯

荏開津:従来の音楽産業の作ってきたマーケットだけを頼って自分の作りたい音楽を作り続けるというスタンスだけでなく、アルバムを作ってライブをするというサイクルからはみ出して、サウンドデザインの領域で活躍する音楽家が増えて行くのはとても自然な流れだし、必要なことだとも思います。これは、サウンドアート的な考えを大学で勉強した人たちだけでなく、それこそストリートミュージシャンが自分の音楽と場の関係を考え直す時代に来ているのではないか、ということです。

―小野寺さんのように、作品としての楽曲作り以外の活動も多くやられていると、経済的にもそこである程度余裕ができるから、結果的にアルバムをより必然性を持ってリリースできるのかもしれませんね。従来では音楽家の「副業」のように捉えられてきていた仕事の増加は、ポジティブに言えば音楽を続けるうえでの選択肢が増えたということでもある。

荏開津:未来の音楽家像にも見えますね。

小野寺:もちろん、今でも様々な仕事をしながら音楽を続けている音楽家は大勢いますが、音楽そのものはアルバムとしてリリースするのがプロの音楽家、というイメージは根強かった。音楽を愛している人ほど、そのイメージから抜け出せなくなってしまう事も多い気がします。でも僕はもっと音の社会的な価値について考えたいし、これからも、自分自身の作品としての音源リリースだけでなく、サウンドデザインや映画音楽など、あらゆる音の領域に挑戦していきたいと思います。新しい音の可能性を見続けたいですから。

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リリース情報

Yui Onodera『Sinkai』(CD)
Yui Onodera
『Sinkai』(CD)

2015年4月16日(木)発売
価格:1,836円(税込)
Arctic Tone / AT-02

1. Sigure
2. Syakkei
3. Mon
4. Matou
5. Akatsuki
6. Sinkai
7. Kasumi
8. Kaori

イベント情報

『オール・ピスト京都』

2015年6月17日(水)~6月21日(日)
会場:京都府 アンスティチュ・フランセ関西、京都シネマ、同志社寒梅館ほか
パフォーマンス:
河合政之+浜崎亮太
ほか
映像作品上映:
『ガンジスの女』(監督:マルグリット・デュラス)
『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』(監督:ドミニク・オーヴレイ)
アジア・セレクション
パリ・セレクション
ほか
トーク:
ドミニック・オーヴレイ
シャーリーン・ンデュア(ポンピドゥー・センター・キュレーター)
※料金はプログラムにより異なります

プロフィール

小野寺唯(おのでら ゆい)

音楽家。音楽と建築を学び建築音響設計に従事の後、TV/WEBなどの音楽制作、プロダクト/インターフェイスのサウンド・デザイン、建築空間のためのサウンド・スペース・デザインなど手掛ける。2007年にソロアルバム『sinkai』をリリースの後、ダンサー、彫刻家、建築家など他分野のアーティストとのコラボレーションや、海外のサウンドスケープ研究プロジェクトに携わるなど、従来の音楽家の枠にとらわれない建築/空間/環境と音(楽)の関係性を追求している。2015年4月16日、「AN/AY」傘下のDub・Ambientレーベル「ARCTIC TONE」より約8年振りとなるソロアルバム『Sinkai』をリリース。

荏開津広(えがいつ ひろし)

執筆家、DJ、『オール・ピスト京都』プログラム・ディレクター。京都精華大学/東京藝術大学非常勤講師。90年代初頭より、執筆、翻訳、選曲などを生業とし、クラブ、ストリートカルチャーの領域において国内外で活動。近年はより批評的なアプローチをとり、展覧会、映像祭のディレクションなどを手がける。翻訳書に木幡和枝、西原尚との共訳『サウンドアート ──音楽の向こう側、耳と目の間』日本語訳(2010年)など。

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