「渋谷系」と「日本」のもの作りの共通点 信藤三雄×山口真人

アンディ・ウォーホルからストリートアーティストのKAWSまで。ポップアートやポップカルチャーの大御所の傑作を大胆に引用し、独自のグラフィカルな感性で彩り直した作品群が並ぶ。作者は現代アーティストの山口真人。椎名林檎やAPOGEEといった数々の人気ミュージシャンのアートワークを手がけ、アート&デザインオフィス「IDEASKETCH」を率いるアートディレクターとしても活動中だ。プラスチックを素材とする「PlasticPainting(見せかけの絵画)」シリーズを制作し、『Scope Miami Beach』をはじめとするアートフェアで好評を博してきたそんな山口の新作個展『MADE IN TOKYO』が、8月21日よりGALLERY SPEAK FORで開催される。

「世界中の文化を模倣し、リミックスし、作り直す器」としての「東京」がテーマとなった今回の展覧会。山口にその発想の源を与えたのは、10代のころに夢中になって聴いた1990年代の音楽ムーブメント「渋谷系」の楽曲であり、ビジュアルだったという。フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴなどのアートワークを担当した信藤三雄は、人々が思い浮かべる渋谷系のイメージを作った、まさに張本人。はたしてそのクリエイティブは、いかなる思想の上に作られたのか。そして、渋谷系の代名詞である既存の音楽やグラフィックの引用に山口が見る「東京性」とは? 二人の話に耳を傾けてほしい。

海外のカルチャーを巧みに再解釈して作品を作った渋谷系は、明治以降から長く続いてきた「東京という都市の文化の育まれ方」にも通じると思ったんです。(山口)

―今日は「東京の表現」をテーマに進めさせていただければと思いますが、まず、間もなく始まる山口さんの新作個展『MADE IN TOKYO』はどのような内容になりそうでしょうか?

山口:いつも作品を作る際に自分のルーツを振り返るんですが、今回あらためてそれを考えたとき、1990年代に隆盛した「渋谷系」こそが、自分の中で大きな位置を占めていると気づきました。音楽で言えばフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴ、グラフィックで言えば、信藤さんの主宰されていたデザイン事務所コンテムポラリー・プロダクションに強烈な影響を受けました。こうした人たちは、海外のポップカルチャーを巧みに再解釈して作品を作ったわけですが、その表現のあり方は、明治以降から長く続いてきた「東京という都市の文化の育まれ方」にも通じるものだと思ったんです。『MADE IN TOKYO』という展覧会タイトルには、そんな思いが込められています。

―渋谷系と東京の文化の育まれ方が結びついたわけですね。

山口:ええ。そう考えると、渋谷系は一時的なムーブメントではなく、東京を代表する表現として、もっと長い目で評価されるべきだと思うんです。実際、僕のように渋谷系に感化された人間は大勢いるし、まわりにはそれを求めて来日する海外の友達のファンも多い。その影響力の大きさや構造のあり方を、現代アートの世界に文脈として持ち込んで、示したいと考えました。

―出品作では、アンディ・ウォーホルやダミアン・ハーストなど、現代アーティストの大御所の作品が引用されていますが、その発想を渋谷系から受け継いでいると?

山口:もちろんウォーホルたち自身にも、もともとサンプリング的な感覚がありますから、僕の作品もウォーホルたちへのオマージュを含んだ部分があると思うのですが、サンプリングや引用することへの興味を植えつけたのは渋谷系だったと思います。作品を作るとき、何かをゼロから作り出そうという考えがないんです。あるものを再解釈して新しい作品を作ることこそがクリエイティブだろう、と。

信藤:個人のアイデンティティーの主張は表現に必要なのか、という話ですよね。「東アジア的」とまとめていいかわからないけど、少なくとも日本では、表現におけるアイデンティティーへの意識は希薄だったと言えると思います。有名な歌の一節を引用する和歌の「本歌取り」など、西洋の感覚では「パクリ」と思われるようなことでも、日本では普通にやってきた。その日本的な文化観なり倫理観なりが、僕たちの中にも刷り込まれているのでしょう。

山口:まさにその感覚こそ、信藤さんの手がけたアートワークをはじめ、渋谷系の作品から僕が学んだことであり、惹かれる理由です。本歌取りから渋谷系まで、こう言って良ければ日本に特有の「パクリ」の表現史のようなものがある。しかも、その代表的なものが、渋谷系に代表される「東京の表現」だと思うんです。それを浮かび上がらせたい。

信藤:それはたしかに面白い見方ですね。僕なんかは反対に、西洋っぽい、個人のエゴを美的価値とする考え方には「どうなの?」と思う部分もあります。美しいエゴならいいけれど、なかなかそういうものには出会えないですから。

山口:そういう意味では、僕は極めて主体性のないやり方でエゴを表現しようとしているのかもしれません。渋谷系のアーティストを含めた日本の作り手も、引用するだけではなくて、それをより新しくしないとダメ、ダサいのはNGといったような意志があると思いますし、信藤さんの作品にもそんなポリシーを強く感じます。

信藤:そうですね。渋谷系に関わる仕事をしていたときも、それが自分の表現だという意識は少なかったな。でも、結果として出すものは、かっこ良くなくちゃいけないんです。

「今あるものは明日には滅びる」という感覚が奥底にあった。そもそもデザインは「かっこ良い」が「かっこ悪い」に取って代わる宿命を常に背負っているものでしょう。(信藤)

山口:先ほど、東洋的な思想ともの作りのお話がありましたが、その意識は渋谷系の仕事をされていた1990年代から持たれていたんですか?

信藤:強く意識してはいなかったけれど、僕の実家は江戸の大工や植木職人といったもの作りの家系だったので、自然にそういった感覚が染み込んでいたかもしれません。あと諸行無常というか、今あるものは明日には滅びる、という感覚は奥底にあったと思います。そもそもデザインは、「かっこ良い」が「かっこ悪い」に取って代わる宿命を常に背負っているものでしょう。

山口:時代に消費されることが前提になっているわけですよね。普遍的なものを求めるのではなく。

信藤:「普遍的なものを作ってやろう」とか、そんなおごった考えはなかったですね(笑)。僕は1980年代初頭に「スクーターズ」というバンドをやっていたんですが、オリジナル曲を作る際、「Aメロはこの曲のこの部分、Bメロはこの曲のこの部分」という、既存の曲を組み合わせたデモテープを作っていたんです。あのころはまだサンプリングなんて言葉はありませんでしたけどね。

山口:1980年代初頭だと、ずいぶん早い試みですよね。作った曲に対して、「え? パクリじゃん」みたいな反応もあったりしました?

信藤:まあ、軽んじられる感じはありましたよね。でもそういう作り方が特別なことだとも思っていなかったので、そもそも僕の考え方がすごく編集的だったんだと今は思いますね。

山口:1980年代、デザイナーとして東京で活動を開始されたころは、どんなことを意識されていたんですか。

信藤:1980年代中盤から後半にかけては、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)の存在が大きかった。彼らを取り巻く、サロン的で、ヨーロッパ的で、インテリジェンスな雰囲気。その完成度は非常に高くて、僕も好きでしたが、デザイナーの仕事を始めたとき、YMOが作り上げた雰囲気に対してどう違うものを提示するのかを考えた部分はありました。結果的にはそれが、ピチカートやフリッパーズのビジュアルだったのかなと。

山口:でも当時は、信藤さんのような編集・サンプリング的な感性を持った人はかなり少数派だったと思います。

信藤:少なかったですね。僕の場合、ピチカートの小西康陽くんと出会ったことがすごく大きかったんです。彼に初めて会ったとき、自分と似た文化背景を持っている人が現れたと感じました。

山口:お二人とも膨大なポップカルチャーのアーカイブから、あれとこれをつないで、というDJ的なセンスを持った偉大なクリエイターです。

信藤:「昔はダサかったけれど、今使ったらかっこ良いじゃん」という音楽やグラフィックを二人とも引用しまくってた。その後に知り合ったフリッパーズ・ギターの二人にも同じ感覚を感じましたね。たまに「信藤さんは元ネタをどうやって探しているんですか?」と聞かれるんだけど、「昔は苦手だったものを探すんです」と答えているんです(笑)。時代を経たことで生まれるギャップが重要。

山口:たしかに同じ元ネタでも、どの時代で使うかによって、感じ方は変わってきますよね。ピチカートのアルバム『EXPO 2001』『ボサ・ノヴァ2001』(いずれも1993年)のビジュアルにしても、1990年代のはじめに、あのような未来感だったり、パリコレっぽいビジュアルを打ち出したことに面白さがあると思います。時代との組み合わせがすごく大事ですよね。

信藤:小田和正さんとか昔はなぜか苦手だったけど、あらためて音楽を聴いたらなんか良いじゃん、と(笑)。そういう素材は、じつはたくさんある。

渋谷系のアーティストが作った作品に触れることで、いろんなことを学んだ。1枚のアルバムの中に、これまでのポップミュージックの体系が詰まっている。それが大きかったんです。(山口)

山口:でも、信藤さんのお仕事を通覧すると、そこにハッキリとした個性が浮かび上がります。信藤さんのスタイルというものが存在していると思うんです。

信藤:それは構図のせいじゃないかな。今年の春に写真展『graphical photography by mitsuo shindo』(恵比寿・AL)をやったんだけど、過去の作品を並べてみると、はじめてカメラを持ってフリッパーズ・ギター『CAMERA TALK』(1990年)のジャケを作ったときから、あまり構図が変わっていないんです。制作前の段階では、「今回はあのフランス映画をサンプリングしよう」とか、いろいろと元ネタについて考えるんだけど、それが実際のデザインに落とし込まれるとどこか似てくる。ひょっとしたら僕は、構図として色んなものを捉えているのかも。

山口:ある意味引用された元ネタが、信藤さんという「媒介=メディア」を通して作品になったということですよね。僕も作品を作るとき、周囲のものが自分を介してこうなった、という感覚があります。自分の外にあるものと自分の内側との境界線が曖昧で、「作品=個人のもの」といった意識が希薄なところがある。

信藤:恐山のイタコみたいにね(笑)。

山口:そうです(笑)。ただ、そうした信藤さんや渋谷系のアーティストが作った作品に触れることで、僕はいろんなことを学んだんです。たとえば、フリッパーズの3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』は、同時代のバンド、Primal ScreamやThe Stone Rosesとのシンクロだけでなく、The Beach Boysといった往年のロックバンドを参照した作品でした。当時の僕は、雑誌に載った元ネタリストを片手にレコード屋に通い、そのつながりを再確認したものです(笑)。1枚のアルバムの中に、これまでのポップミュージックの体系が詰まっている。

信藤:あと、元ネタの存在が感じられたほうがかっこ良いという美学もありましたよね。

―山口さんが渋谷系の音楽に触れたころと、現代アートに関心を持ったころは、時代的には重なっていたんですか?山口:そうですね。渋谷系に触れたのが中学の終わりで、高校に入ったころから、アンディ・ウォーホルなど現代アートの世界に関心を持ちました。だから、僕が一番はじめに表現について学んだことは、「人の作品を再解釈して自分の作品を作る」ことでした。

信藤:ウォーホルらのポップアートにおける、作家の主体性に重きを置かない表現にも、東アジア的な思想はどこかで流れ込んでいると思うんですよね。当時のアメリカで大きな影響力を持っていた現代音楽家のジョン・ケージが、そもそも禅の思想に傾倒していたわけだし、ある時期の西洋文化に見られる個人性の重視が、歴史的には特殊なんじゃないかな。

グラフィックデザインの仕事って「アイコンを作ること」だと思うんです。アーティストのアイコン、時代のアイコンをわれわれは作っている。(信藤)

信藤:ただ、これまでの話を覆すようだけれど、1996年にラフォーレ原宿で渋谷系のアートワークをまとめた展覧会をやったころから、僕の中でどこか渋谷系は終わったんです。というのも、そのあたりから徐々にPVなどの映像を作る仕事が増えてきて、その関係者たちがやたら「今これが海外で流行っている」と言ってくるわけですね。「過去のあのシーンにこだわりがある」ということであれば、やる意義が感じられたと思うんだけど、話を聞くとそうでもない。そんな引用は僕にとって絶対に嫌だったんです。

山口:リアルタイムで同じものを持ってきたら、劣化版になってしまう。結局は元ネタのほうが質が高いことになってしまいますもんね。

信藤:それは、僕の考えるサンプリングや引用ではないんです。だから、とくに2000年以降はあまり元ネタを使わずに作品を作っています。

山口:近年は書を扱った作品も手がけられていますね。

信藤:ええ。書に限りませんが、アジアの美術に対する関心は強いです。とくに千利休の「わび茶」にはじまるような日本の美のあり方、作為性を嫌う態度や、そぎ落としの美学といったものは、渋谷系のアートワークとも連続していると思います。もっと言えば、デザインにおけるモダニズムには、広く東洋的な美学の影響を感じる。この間、千葉市美術館にウィーン出身の陶芸家ルーシー・リーの回顧展を観に行ったのですが、そのシャープさや軽妙さ、あるいはポップな可愛らしさに、とてもモダンで東洋的なものを見て感動しました。

山口:たしかに、一般的な西洋の焼き物は、ドイツの「マイセン」など、もっと装飾的でゴテゴテしていますが、リーの作品はミニマルかもしれませんね。ただ、そうしたそぎ落としにもかかわらず、強烈な印象を残し続けるところが、信藤さんの作品のすごいところで。

信藤:仕事をしながら気がついたんだけど、グラフィックデザインの仕事って「アイコンを作ること」だと思うんです。アーティストのアイコン、時代のアイコンをわれわれは作っている。CDジャケットだけではなく、ほかの表現媒体もみんなそうです。

山口:それは、信藤さんの仕事を見ているとすごくよくわかります。アーティストのイメージや時代の空気感と、アートワークが分かち難く結びついていますから。実際それができる人は稀だと思いますし、僕も全然できていないのですが……。ところで、信藤さんにとって渋谷系は終わったとのことでしたが、もっとも東京らしいアーティストを1人挙げるとすれば誰になりますか?

信藤:うーん……、やっぱり小山田圭吾くんかな。自分を前に出したがらないでしょう。シャイというのもあるかもしれないけど(笑)。それは東京独特のものだと思いますね。あとは僕の師匠である、イラストレーターの湯村輝彦さん。二人とも権力に対してヘコヘコするような、媚びへつらうところがなくて、粋な人たちです。江戸の町人文化の気質がある。予想できそうな答えで申し訳ないんだけど(笑)。

山口:なるほど、そういう考え全然ありませんでした。すごく面白い視点です。

近年の日本の状況を見ていると、過去や海外の文化とのつながりが見えなくていい時代だと感じたんです。(山口)

山口:もう一点、「時代」というお話がありましたけど、最近の日本の状況を見ていると、1990年代のころとは文化のあり方が真逆に進んでいる印象を受けます。欧米を中心とした海外文化への関心が低下して、邦楽や邦画、アニメ、漫画など、ドメスティックな文化が流行っていますよね。

信藤:内向きなんだ。映画に関しては洋画のほうが圧倒的に質は高いのに、不思議ですね。

山口:東京は明治維新のときから、西洋へのコンプレックスをバネに発展してきた都市だった思うんです。それが1990年代後半から収束してきた感があります。内向きな文化にも魅力はありますし、アキバ系カルチャーとかも普通に面白いとは思うんですが、「それだけが東京なの?」という疑問は結構あります。

信藤:欧米に学ぶべきものが少なくなっているという面もありますよね。

山口:ある程度、西洋に追いついてしまったから、ということですよね。歴史感覚もどんどんフラットになっている気がします。少し前にTwitterで「電気グルーヴはSEKAI NO OWARIのパクリ」という主旨の投稿が話題になったのですが、20数年前から活動しているアーティストが、近年人気のバンドを元ネタにしているという発想がすごいな、と(笑)。時間軸すらも均質化してきている。過去や海外の文化とのつながりが見えにくい、いや、見えなくていい時代なのかもしれませんね。

信藤:たしかに1990年代までは、音楽ならレコード屋のようなアナログな場所で、過去の作品を歴史的に学ぶという体験がありました。でも、今のように配信が主になったら、つながりが見えないかもしれないね。すべてが点に見えちゃうかもしれない。

山口:その意味でもあらためて、多文化を積極的に取り入れてきた東京の姿勢にヒントがあるんじゃないかと思いました。受け入れる器の大きさでいったら世界最強ですよね。東京には、海外や過去のアーカイブから刺激を受けて、それを自分たちなりに再解釈して新しいものを作る精神があるんだと思います。過去の作品やムーブメントを一過性のものとするのではなく、それを「今ここ」に接続する。それって日本人がすごく得意なことだと思うんですね。

信藤:うん。音楽にせよビジュアルにせよ、「あらゆるものは出尽くした」と言われることもあるけれど、そんなことはないでしょう。サンプリングのネタとなる良い音楽、良いグラフィックは、まだまだいろんなところに眠っている。それを探る試みは、変わらず重要です。

山口:今回の展示が、信藤さんをはじめとして、渋谷系の作品から学んだそういった感覚を現代アートとして伝えられるものになったら、とても嬉しいです。

イベント情報
山口真人新作個展
『MADE IN TOKYO』

2015年8月21日(金)~9月2日(水)
会場:東京都 代官山 GALLERY SPEAK FOR
時間:11:00~19:00(9月2日は18:00まで)
休廊日:8月27日
アーティスト在廊日:8月25日、8月30日、9月2日の15:00~18:00

ギャラリートーク
2015年8月21日(金)18:30~19:00
プロフィール
信藤三雄 (しんどう みつお)

アートディレクター、映像ディレクター、フォトグラファー、書道家、演出家、空間プロデューサー。松任谷由実、ピチカート・ファイヴ、Mr.Children、MISIA、宇多田ヒカルなど、これまで手掛けたレコード&CDジャケット数は約1000枚。その活躍はグラフィックデザインにとどまらず、数多くのアーティストのプロモーションビデオも手掛け、桑田佳祐『東京』では、2003年度の『スペースシャワーMVA BEST OF THE YEAR』を受賞。近作に、KEITA MARUYAMAブランドロゴデザイン、LAPLUME(Samantha Thavasa)広告デザイン、「洋服の青山」TV-CF“坂本龍一篇”、三上博史WEBサイトディレクション、等々。

山口真人 (やまぐち まさと)

アーティスト / アートディレクター。1980年東京生まれ。法政大学を卒業後、2008年アイデアスケッチを設立。企業のVI、CI、アートディレクション、グラフィックデザイン、WEB、映像制作を手がける。APOGEE、椎名林檎、Rocketmanなど、音楽関係のアートワークやPV制作も多い。2011年より自身のアートワークとして「Plastic Painting」シリーズの制作を開始。『Affordable Art Fair NYC』(2012年)、『Scope Miami Beach』(2013年)など、海外のアートフェアに参加。2014年にGALLERY SPEAK FORにて個展『Plastic Painting』を開催。



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