アートが健常者と障害者の垣根を越えるには?現在の課題を語る

「アートは誰のもの?」 その問いに、大抵の人は「みんなのもの」と答えるだろう。だから感想を求められれば自由に「好き」「嫌い」「よくわからない」と答えられる。けれど創作した人に障害があるとわかった途端に、感想は「すごい」「素晴らしい」に偏ってしまうことが多い。それは、健常者と障害者のアートの線引きでもある。本来、誰にとっても自由な場のはずのアートが分断されている。

そうした現状を理解し、整理するためのフォーラムが9月9日に開かれる。その開催を前に、当日のパネリストの中から三人──主催者で日本財団の竹村利道、モデレーターであり、障害者アートに長年たずさわりながら自身もアーティスト活動を行っている中津川浩章、フォーラムのコーディネーターでマイノリティー啓発を行う団体Get in touchを5年前に立ち上げた女優の東ちづる──が、現在の障害者アートを取り巻く問題と、改善策を語り合った。

美術の教育を受けた美術エリートがアートを作るという状況は、わずかここ50年ぐらいのことです。(中津川)

—今回のシンポジウム開催にはどんな思いが込められているのでしょう。

:私たちが開くシンポジウム、タイトルは「障害者芸術支援」になっていますけど、本当は「障害者アートなんてない」と思っているんですよ。誰が描いても「アートはアート」、そのことを改めて考えたいだけなんです。

中津川:まさに。現代アートもそうですけど、昔から美大で学ぶ人たちにはボーダーにいる人が多いですよね。発達障害系の人だったり、メンタルが繊細過ぎたり。僕の知り合いにも何人もいます。

竹村:誰も草間彌生さんのことを「統合失調症なのにすごい」なんて言いませんよね。純粋に作品の価値が判断されて「世界のYK」になったんですよ。

中津川:美術史の著名なアーティストを調べていくと、そういう人がゴロゴロ出てきますよね。むしろ「マイノリティーの中から出てくるものがアートの本流だ」と言えるじゃないですか。現在のように、美術の専門的な教育を受けて、あるコンテクストに則って、ある種の美術エリートがメタ言語的役割でアートを作っているなんていう状況は、わずかここ100年ぐらいのことですから。そう考えると僕は、「障害者アートは人間が持っている表現への欲望のデフォルト、基礎の基礎なんだ」という感覚を持つんです。

左から:竹村利道、中津川浩章、東ちづる
左から:竹村利道、中津川浩章、東ちづる

—デリケートな問題だから丁寧に線引きをしましょう、ではなく、線引きそのものに意味がないことをもっと伝えていきたいというのがみなさんの活動なんですね。

:そうなんです。「支援」という言葉を使うと支援される側を作ってしまう、つまり社会的に弱い人を作り続けることになるので、いつもの活動では支援という表現はしません。ですが今回は、今こそ理解と支援の仕方を考えるときなので、障害者芸術支援というタイトルになっています。本音を言えば「守る」とか「支援」っていう発想の向こう側に、早く行きたい。

左から:中津川浩章、東ちづる

—障害者の方の作品には、確かに健常者や障害者というくくりにとらわれない「アートの力」を感じるものがあります。

中津川:そうですね。彼らの作品には肯定感というか、肯定力があると思います。よく「生きる力をもらいました」という感想を聞きますが、人間を丸ごと──欲望の肯定であったり、悩みの肯定であったり──受け容れるような力が、自由な色と形を通じて伝わってきますよね。

それを突き詰めると、普段、僕らが考えている美術とか絵画の概念、引いては僕らが縛られている約束事みたいなものを、ことごとく壊してくれるからじゃないかと思うんです。たとえば、絵と字は別のものだと僕は考えがちなんですけど、彼らの中には字を絵と捉えている人もいて、新しい発見をくれる。

:芸術の専門教育を受けている人たちが「敵わない」とよく仰いますよね。

中津川:やっぱり(クリエイターとしての)成り立ちがまったく違いますよね。いわゆる一般的な美術教育を受けていない人がほとんどですし、職業訓練的な場で絵を描くことやオブジェを作ることに目覚める人たちもいる。

そういうのを見ていると、彼らは、「固定化された一般常識・文化の外にいる」と思うんですよ。だからこそこういう作品が描けて、それが根源的な人間の肯定感につながるんだろうなと。つまりそれは、「文化とは何か?」ということへの問いかけにもなるんですが。

:私もあちこちの施設やアーティストのご自宅を訪ねて、創作しているところを見せていただいたんですけど、最初は驚いて、次に羨ましいと感じたのが、彼らがすごく自由なスタイルで描いていること。立っている人もいるし、寝転んでいる人もいるし、グー(の手の形)で画材を握っている人もいる。それは全部、私が子供の頃に直されたことでしたから。

中津川:「寝ながら絵を描くなんて、とんでもない」って(笑)。

:紙からはみ出しちゃいけないし。

竹村:ある女性が描いたひまわりの絵が、とてもおもしろかったです。実物のひまわりと等身大。僕らは画用紙を1枚与えられたら、全体をうまく収めるじゃないですか。確か何年か前にあるCMで、1人の子どもがクレヨンで、何枚も何枚も画用紙を真っ黒に塗りつぶしている。

親や先生やカウンセラーが困り果てているんですが、やがてそれを全部広げてみたら鯨だったというものがあって、私は素晴らしいと思ったけれども、「内容が暗い」とクレームが来て放送中止になったんですよね。でも等身大のひまわりもそうですけど、気づかされるんですよ、自分が窮屈な常識に囚われていたことに。

左から:竹村利道、中津川浩章

:5センチ四方ぐらいの絵を描くのに何十分もかけているのを見ていると、自分の中でどこか押さえ込んでいた、意味はよくわからないけどとても居心地が良いものを思い出すというか、思い込みをリセットされる感覚になりますよね。

街中でなかなか足をとめない日本人が、地下鉄の通路に張り出された障害者アートの前で足をとめていました。(竹村)

:そういう私たちが「決して少数ではないんだな」と改めて感じたのは、今年の3月、コレド室町とOOTEMORIを結ぶ地下鉄の通路で『日本財団DIVERSITY IN THE ARTS』という展示をしたときですね。日本財団さん主催で、3日間だけ。事前の宣伝もない、フライヤーがあるわけでもないし、呼び込みもしない。かなりチャレンジングなイベントでした。

全国各地の施設にいる方や、自宅で創作している方の中から60数点を中津川さんと選んで展示しました。そして、ただ作品を飾るだけでなく、一人ひとりの作家さんにどういう特性があり、普段はどんな活動をしているかというキャプションもできるだけ丁寧に書いて。でも、おそらくほぼ素通りされると思っていたんですね。ただでさえ日本人は、街中で何かやっていてもなかなか足を止めませんよね。「急いでいます」「忙しいです」と。

竹村:それが、ものすごい数の方が立ち止まって、じっくり作品を見て、キャプションも読んでくれましたね。質問もたくさんいただいて驚きました。あのときは私も改めて、「アートの力」を感じました。

竹村利道

:すごい反響でしたよね。

中津川:街を歩く人を止めるというのは、作品に相当の力がないと不可能ですからね。

:また後日、わざわざ見に来てくれたり、お友達に「絶対に見に行ったほうがいい」と推薦してくれた方もいました。

『日本財団DIVERSITY IN THE ARTS』の様子/toboji(一般社団法人Get in touch)
『日本財団DIVERSITY IN THE ARTS』の様子/toboji(一般社団法人Get in touch)

障害者が何かすると、「障害を乗り越えてがんばっている」と安易に考える人がまだまだ多い。(竹村)

竹村:みんながみんなイレギュラーだと困りますけど(笑)、文化ってイレギュラーなことや、むしろ多くの人が「あり得ない」と思う発想から生まれることが少なくないですよね。それがなかったら、今、誰もiPhoneを持っていないじゃないですか。世の中を動かす文化、カルチャーを作っている人は、ルールからちょっと外れたところにいて、彼らが自由にやっていることが「クリエイティブ」と呼ばれるんだろうと思いますね。

:先ほどお話しした『日本財団DIVERSITY IN THE ARTS』では、作品を制作する作家さんたちの様子も映像で紹介しました。ご覧頂いたみなさんは、きっと障害のある作家さんたちはもっと真面目に……。

中津川:ピシッとストイックにやっているイメージですよね。

:そう、聖人君子みたいなイメージを持っていたのかも。ところが、途中で寝てしまったり、歩き回ったり、銘々が好き勝手に描いている。よく言われるのが「障害者の人はピュアだからこういう絵が描けるんですよね」という言葉。でも、全然そうじゃないんですよ。私たちと同じようにわがままだったりするし、気難しいところもあるし、ちょっと意地悪だったりとか。

中津川:嫉妬心もあるしね。本当に僕らと変わらない。

中津川浩章

竹村:障害者が何かをするとき、「障害を乗り越えてがんばっている」というイメージを前提にしている方がまだまだ多いんですよね。たとえば「飲み屋で働いている」と聞くと、「障害者は飲み屋をやったらいけないんじゃないか」とか、「障害者が夜働いてもいいのか」とか、勝手に約束事を作ってしまっている。そういうものに縛られないところでちょっとだけ考えてみたら、「お互いにおもしろいことがクリエイトできるのに」と思うんですが。

中津川:佐々木華枝さんという作家さんがいて、紙の真ん中に小さく乗り物を描くんですよ。で、まわりは全部余白です。元気いっぱいとは程遠い。でもそれを見ていると引き込まれるんです。

:その余白は彼女にとって何なのか、孤独なのか、それともまた別のものか、考えたくなる。それも「アートの力」ですよね。

—確かに障害者のアート作品には、明るさや無邪気さとは逆のものも少なくありません。あまりの緻密さに怖くなる作品や、理解することを拒否されているように感じる作品もあります。

:アート作品から受ける「怖い」という感覚、ものすごく大切なんです。「怖いからこそ良い」「わからなくて良い」ということをおもしろがれるのがアートなのに、障害者アートだと、「正悪」や「明暗」という単純な評価に分けられがちで。痛みが感じられるとか、死が匂い立つ作品こそ忘れられない。そういうものがベースにある作品こそ、ときめいたり、ゾワゾワしておもしろい。

東ちづる

中津川:自由に出かけたり話したりできない人が、唯一できるのが描いたり作ったりすること、あるいは壊すことで、1つの作品に抱え込んだものを注ぎ込むわけですから、当然いろんなものが入っているはずなんですよね。それを僕らが勝手に「アート」として受け取っているところもあるんですけれども。

竹村:いや、それこそがアートでしょう。障害者であっても健常者であっても。

受け取る側がただのアートとして価値を見い出せば、自然と「障害者アート」というくくりから解放されます。(中津川)

中津川:ただし、障害者の中には自分のことを「アーティストだ」と思っていない人は多いし、自分のしていることを「表現活動だ」と認識していない人も多い。それくらい自由なものだから、その自由さを尊重して、作りたい作品を作ってもらい、発表したい人にはその機会を用意することが必要だと思う。その先に自立の道が開かれれば何よりです。

:ただ最近、それが逆行していますよね。支援をしようとする人たちがいるのは理解できるんですが、中には「自分たちが存在しないと障害者のアーティストは社会的に大変だ」という立場の人たちがいる。それが結果的に障害者の自立を奪っているケースも目立つようになってきました。

竹村:障害のある人の芸術活動を支援する動き自体は、以前からあるものです。各団体が考える障害者アートの魅力を、良い意味で楽しんで、活動が継続することを真剣に考えてきたと思います。

その様子が変わってきたのが、日本がオリパラ(オリンピック・パラリンピック)を目指し始めた頃からですね。純粋な文化活動や芸術活動とは異なるような動きが徐々に現れてきていて……。公共の支援の対象になるためのカテゴリーのようなものが生まれてきてしまったんです。

竹村利道

:2020年に向けて、急にオリパラカルチャーが注目されて、障害のある作家さんの作品を扱う人が増えたんですね。それは良いことなんですけど、正確な知識がないまま「アール・ブリュット」という名前を使い始めた人たちが少なからず出てきてしまった。今、それも問題になっているんです。

—「アール・ブリュット」という名称は一般的なものだと思っていましたが、どんな問題があるのでしょうか?

中津川:軸は2つあります。「アート・美術」の軸と、「福祉」の軸。アール・ブリュットは、「正規の美術教育を受けずに、独学で開発した表現力で作品を作る人の創作物だ」と、提唱者のデュビュッフェ(ジャン・デュビュッフェ。20世紀のフランスの画家)が定義しています。日本語に訳すと「野生の芸術」で、囚人や精神障害者などの作品も含みます。ところが日本で「アール・ブリュット」と言うと障害者アート、しかも実質的には、ほぼ「知的障害者の作品」のみを指すもので、そのままブランディングが進んでしまったんです。

中津川浩章

中津川:それが問題なのは、彼らの創作が、知的障害者施設の枠組みの中で発達支援の1つに振り分けられてしまうこと。発達支援というのは、障害のある人たちがより良く生きていけるように、いろいろな形でサポートしていく。二次障害が軽減されるとか、言語表現能力が増えるとか、コミュニケーション能力が高まるように。でもそれだと、デュビュッフェが言う「教育しない芸術」とは矛盾するんです。

竹村:つまり日本のアール・ブリュットは世界基準とは異なっているんです。そうすると、この先、少なからず問題が起きることは目に見えている。

中津川:デュビュッフェの提唱には、現代文明批判も含まれていてかなり大きな話なんですが、今、日本では、かなり限られた範囲の「福祉の障害者アート」という形になっていて、そこで貴重な才能や作品が消費されていく流れになってしまっているんですね。あともう1つは、フランス発祥のアール・ブリュットということで、パリで展覧会をやると「本場で認められた!」と、いきなり評価されるんです。

:たくさんの人に見てもらえて評価されるのは良いことなんですけどね。

中津川:そう、良いこともあるんです。ただ「アール・ブリュット」を名乗っていないアーティストの作品は、注目してもらえなくなってきてしまっているんですよ。

竹村:私たちが何よりも大切にしたいのは、「アートはとても自由なものだ」ということなんです。それなのに行政の問題がアートの世界に入り込んできた。それも障害者という、最もいろいろなものに縛られなくていいはずの人たちのところに持ち込まれ始めてきた。「アール・ブリュット」という言葉の定義を知らないまま、全国の自治体も動き始めて、その名前を使わないと展示会を開催できないところまで出てきてしまっています。

—問題はかなり複合的なんですね。

:問題は、こういう議論がなされないまま、ここまで来てしまったことだと思います。だから「1回リセットして、みんなで考えましょう」と。そのきっかけを作るためのフォーラムにしたいんです。カジュアルに「アール・ブリュット」という言葉を使うのは別に悪くないんですよ。でも行政の問題が混ざり合ってきてしまっているので、ちょっと改めてリスタートしましょうと。

竹村:2020年という、これほど世界から注目されることはない時期に、日本でのアール・ブリュットが曲解されて使われているのは恥ずかしいことですし、多様な支援のあり方も狭めることにつながってしまう。障害者アートの支援にいろいろな形があっていいことを認め合って、アートやアーティストの魅力をどう広めるか、協力するきっかけに、私たちのフォーラムがなるといいと思っています。

:私が今日着ているこのトップスとストール、「やまなみ工房」さんでアート活動をする作家さんの作品をデザイナーさんがデザインして、パリコレで発表。障害があるとかないとかは全く関係なく、スタイリッシュ! 「カッコいいなあ」と気に入って購入しました。こんなふうに、障害者アートが日常に溶け込むチャンスがもっとあればいいなあと思います。

東ちづる

中津川:受け取る側が、「健常者も障害者も関係なく、アートはアートだ」と認識して、普通の作家と同じように取引されるようになったら、きっと自然に「障害者」というくくりが取れて、「アール・ブリュット」というジャンルも消えていくでしょうしね。

:今、オリパラ関連の話はみんな「~2020年」と表記してあって、2020年がゴールのようになっていますけど、むしろそこがスタートで、障害者アートが当たり前に多くの人の目に触れられるものにしていくのが目標ですね。

左から:竹村利道、中津川浩章、東ちづる

イベント情報
『障害者芸術支援フォーラム ~アートの多様性について考える~』

2017年9月9日(土)
会場:東京都 六本木ヒルズ ハリウッドプラザ ハリウッドホール
登壇者:
村木厚子(ビデオメッセージ)
服部正
山下完和
今中博之
中津川浩章
東ちづる
エドワード・M・ゴメズ
櫛野展正
齋藤誠一
杉本志乃
田口ランディ
鈴木京子
竹村利道
料金:無料
※当日の会場の様子はFacebookライブで生配信

プロフィール
東ちづる (あずま ちづる)

女優。一般社団法人Get in touch 理事長。広島県出身。会社員生活を経て芸能界へ。ドラマから、司会、講演、出版など幅広く活躍。プライベートでは骨髄バンクやドイツ平和村等のボランティアを25年以上続けている。2012年10月、アートと音楽等を通じて、誰も排除しない、誰もが自分らしく生きられる“まぜこぜの社会”を目指す、一般社団法人「Get in touch」を設立し、代表として活動中。著書に、母娘で受けたカウンセリングの実録と共に綴った『〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか~「いい人、やめた!」母と娘の挑戦』や、いのち・人生・生活・世間を考えるメッセージ満載の書き下ろしエッセイ「らいふ」など多数。

竹村利道 (たけむら としみち)

日本財団公益事業部国内事業開発チーム チームリーダー。1964年、高知県生まれ。1988年よりソーシャルワーカーとして地域の障がい者支援を行う。2003年に「特定非営利活動法人 ワークスみらい高知」を立ち上げ、自ら事業者として、弁当やケーキなどの製造・販売を通して、障がい者の就労機会、自立支援を行う。グループ全体の年商や約4億円超。藁工ミュージアムの立ち上げにも参加した。障害者就労支援プロジェクト「はたらくNIPPON!計画」および「日本財団DIVERSITY IN THE ARTS」のリーダーとして活動中。

中津川浩章 (なかつがわ ひろあき)

1958年静岡県生まれ。美術家として国内外で、個展やグループ展多数。ブルーバイオレットの線描を主体とした大画面のドローイング・ペインティングと呼ばれるアクリル画を制作発表。代表作「クラトファニー(力の顕現)」「新世紀」「考古学」など。静岡県立美術館、筑波大学、川崎養護学校などで、現代アートやアウトサイダーアートについてのレクチャー、ワークショップ。震災後の神戸での展覧会がライブペインティングを始める契機となり、震災後のトルコでライブペインティングやワークショップを実施。エイブルアートスタジオにて主に精神障害を持つ人達の制作サポート。福祉とアート、教育とアート、障害とアートなど、具体的な社会とアートの関係性を問い直すことに興味を持っている。



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