|
「ユニフォームを脱げば至って普通の女の子」という展開で人物に迫っていく映像がある。やたら背の高い女子バレーボール選手が寮の部屋に戻ってくる。ベッドの周りはファンシーグッズで彩られている。ベッドにちょこんと座ったバレー選手は、おもむろにファッション誌をパラパラめくり始める。「似合う服っていうか、そもそもサイズが無いんですよねー」とはにかんだところでナレーション。「強烈なスパイクを打ち込むエースも、ユニフォームを脱げば至って普通の女の子」。
こういう時に、この表現って手垢がついていないかとちっとも疑わない人たちをこちらは大いに疑うけれど、だがしかし、この辺りの表現が乱立するのは、結局、この手垢べっとり表現を歓迎する人たちが多くいるからに違いない。なんだかんだで誰かの大ブレーキをネタにしたがる風潮に耐えられないという理由で箱根駅伝ってのを昔から遠ざけてきたけれど、そこにも女子バレーと同様の定型が見受けられて、終わった翌々日のワイドショーにチャンネルをあわせれば「伝統のタスキを繋ぐために昼夜練習に打ち込んできた彼等も、タスキを外せば普通の大学生」ときた。
 |
ゲタ箱で脱いだクツを嗅いで「臭ぇ〜」と騒ぐ駅伝選手の大学生は「普通の大学生」ではないと思うのだが、それはまあいい。とにかく一旦脱がしたり、一旦外させたりして、普通に戻したいらしい。ここからのどんな発見が出来るというのだろう。そして、スポーツ選手当人は、この「プレイ中」と「普通」の差をやたら作りたがる風潮をどう理解しているのか。スポーツ一筋の人を称するとき、サッカーバカ、野球バカ、と言う。ずっとギター一筋でやってきた人をギターバカとは言わないし、やたらと勉強ばっかりしてきた人を勉強バカとは言わない。
そう、やっぱりスポーツはナメられている。それぞれの異常なまでの努力を、「ニッポンチャチャチャ」と散々横取りするくせに、波が過ぎればその供給者を、ほら、スポーツしかやってきた事ない人だから、と見下す。なでしこジャパンの川澄は、数多の芸能事務所からの誘いを断り、「ちゃん」付けでアイドル扱いされるのを嫌がる。そんな彼女が、スポーツ雑誌の表紙で、タンクトップ姿になり筋骨隆々の姿を晒していた。「私、脱いだらすごいんです」と川澄。これ、「ユニフォームを脱げば至って普通の女の子」へのアンチと読みたい。「ユニフォームを脱げばものすごい筋肉」なのだ、やはり。それにしても、普通の女の子、とはどこで何をしている人なのか。その設定も気になる。その普通には相当の偏見が予想される。
|