美大がビジネスを教える? 英セント・マーチンズが見据える未来

アートとビジネス。この2つの間にはかなりの距離がある。水と油とまではいかないが、歴史的に見ても、アートはビジネスライクであることを嫌ってきたし、ビジネスだって感性よりもロジックを信頼してきた。けれども最近、風向きが変わってきている。ビジネスの方からアートに歩み寄っているのだ。

最近ベストセラーになった『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)は、ビジネスコンサルタントである山口周が、これまでのビジネスのように論理だけを突き詰めていっても「正解がコモディティ化する」として、直感や感性の重要性を説き、アートこそがこれからのビジネスに必要であるとした。

同書でも引用されていた、英国屈指の美大であるセントラル・セント・マーチンズ(以下、CSM)は、2017年に美術大学として世界初となるMBA(経営学修士)コースを開設した。ジョン・ガリアーノ、ステラ・マッカートニー、アレキサンダー・マックイーン、ジェームズ・ダイソン、アントニー・ゴームリーなど、ファッションだけでなく様々なフィールドでの才能を輩出し続け、今もなお世界中からアーティストの卵たちが集まっている。なぜ今、美術大学がビジネスを教えるのか。アートは社会に何をし得るのか。ジェレミー・ティル校長と、MBAコースのリーダーであるパメラ・ヨウに話を聞いた。

在学中に世界的企業と仕事するチャンスも

ロンドンの中心、キングストンにあるCSMの校舎を訪れると、まず広報のジョー・オートマンズが校内を案内してくれた。

ジョー:CSMは様々な企業からサポートを受けていますが、特にLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループとは、とても良好な関係を築いています。当初は奨学金制度からスタートした関係性も、2年目からはより強くパートナーシップを組むようになり、CSMの卒業生や学生との共同プロジェクトを行なっています。

CSMの学生は、LVMHに限らず様々な企業とコラボレーションする機会に恵まれていて、在学中にそうしたプロジェクトを経て報酬を得るケースもあるんです。

図書館には、世界各国で発行された『VOGUE』が全号揃う

「とてもショックだったのは、世界のMBAスクールのランキングの評価軸が、卒業生の年収だけだったこと」(ジェレミー・ティル)

一通り見学させていただいてから通されたミーティングルームには、すでに校長のジェレミー・ティルが。自己紹介も早々に、インタビューをはじめていく。

—CSMは、世界中のアーティストやクリエイターになりたい人々が集まってくる場所です。その圧倒的な評価を、今日まで維持し続けているのはどのような要因からでしょうか?

ジェレミー:ひとつあるとすれば、それは休みなく変化し続けてきた(restless)ということです。これまでの実績にあぐらをかくのは楽ですが、私たちはそうしてきませんでした。

たとえばグラフィックデザインでいえば、グラフィックデザインを極めていこうというよりは、グラフィックデザインというものが意味するフィールドの端にいき、そのフィールドを押し広げようとしてきた。つまり、常にこれまでの考え方やプロセス自体を変えていこうとしてきたんです。

—バイオデザインコースというコースが新設されると聞きました。こうしたチャレンジも、デザインの領域を拡張していると言えますね。

ジェレミー:そうですね。科学者はひとつの視点でとことん突き詰めていくのが得意ですが、デザイナーはそれを横から見たり上から見たりして、いろんな側面を見い出せます。科学者が生み出すのは技術的なソリューションですが、そこにデザイナーが入ると、複雑な社会のコンテクストからその技術を活用する方法を考えることができるんです。

ジェレミー・ティル

—様々なチャレンジをするCSMですが、ジェレミーさんは、アートは世界に対してどのように存在することができ、どう機能するものだとお考えですか?

ジェレミー:たとえばこの国でいえば「BREXIT(英国のEU離脱)」に代表されるように、世界はどんどん分断されていっています。非寛容が進み、あらゆるボーダーが広がっていく中で、クリエイティブはその境界を越えていくツールになるだろうと考えています。

アートの役割は、変化していく世の中で、世界に議論を生んだり、外の世界や分断されたものの間でコラボレーションを生んだりしていくことです。単に実用的なもの、美しいものだけがアートなのではなく、新しい未来、新しいコラボレーションを生み出せます。政治やビジネスが苦手にしていることが、アートには可能なのです。

バイオデザインコースの学生が作った、布を必要としないバクテリアでできた素材によるトレーニングシューズ
有志活動による学内展覧会に参加した学生のみなさん

—MBAコースのお話を聞かせてください。ビジネススクールが提供していたMBAを美術大学が提供する。とても新しいアプローチですね。

ジェレミー:私たちのMBAは、ディスラプティブ(破壊的)です。今までのビジネスの世界の慣習をクリエイティブの力で変換できると思っています。あらゆるビジネスモデルが崩壊している現代社会の中で、環境的、社会的、政治的、倫理的な価値を届ける必要があると思っています。

—現状のビジネスの世界ではそうした価値が重視されていない、と。

ジェレミー:個人的にとてもショックだったのが、世界のMBAスクールのランキングの唯一の評価軸が、卒業生がどれだけお金を稼いだか、つまり卒業生の年収だったんです。彼らがいくら稼いだかだけがMBAにとって重要であり、彼らが社会に生み出した倫理的な成果が評価軸にないというのは、本当にショッキングなことでした。

—だからこそ、CSMが自らMBAを提供しようと。

ジェレミー:そうです。そうした標準化されきって保守的になった教育環境の中で、私たちにもできることがあるのではないかと考えました。実際にはじめてみて嬉しかったのは、通常のMBAスクールは男性75%、女性25%に対して、私たちは初年度がその真逆だったことです。2年目の今年はちょうど半々になっています。

「私たちのマインドセットは変えることができるんです」(パメラ・ヨウ)

ここで、MBAコースのリーダーであるパメラ・ヨウにも登場いただいた。

—実際にはじめてみて、いかがですか?

ヨウ:とてもユニークな人たちが集まっています。みんなフランクで優しい人たちですが、デスクに座ったままのような人は1人もいませんね(笑)。校長が申した通りジェンダーだけでなく、出身国も10か国と多様です。ヨーロッパからはイギリス外からもドイツやイタリア、ノルウェー、アジアからもタイや韓国、そしてMBAの本拠地であるアメリカからも。アーティストというよりは、すでに企業や行政で働いている人たちが多いです。

パメラ・ヨウ

—働きながらも通えるんですか?

ヨウ:むしろみんな働いていますよ。地理的な事情で留学しているのでパートタイムとして働きながら、という人もいますが、ほとんどが元々いた会社に在籍しながら履修しています。実際にこのロンドンの校舎に集まるのは毎月3日間だけなので。

—毎月3日間だけ!?

ヨウ:はい。CSMのMBAコースは教育手法も新しく、フリップクラスルーム(反転授業)を採用しています。現代において、これまでのようにみんなで集まって一方通行の講義を受けるのは明らかにナンセンスです。

インプットはオンラインや教材で自分自身で行い、クラスルームではそこでためた知識やアイデアを活用し、議論することに集中します。もちろんそれも月に3日間では足りないので、オンラインのプラットフォームサービスを活用し、インタラクティブなコミュニケーションを促進させています。

—そういった環境で、チームワークは十分に発揮されていますか?

ヨウ:実は私自身、取得した博士号は経営学ではなく心理学なんです。よい変化を起こす上での信頼とコミュニケーションの役割を、研究してきました。実際、コースの最初の週でメンバー同士が顔を合わせ、信頼をいかに作るかに注力したワークを行なうなどして、よいチーム作りに専念しています。みんなとてもオープンな人たちなので、うまくいっていると思います。

MBAコースの講義風景

—このMBAコースで、どんな人を輩出したいですか?

ヨウ:私たちは、未来の真のリーダーを育成しようとしています。どうやったら複雑な問題を解決できるか、いかにして共感に基づいたチームワークを生み出せるリーダーを育成できるか。

現在のビジネスの世界は、これまでのやり方では変えられません。たとえば女性が産後職場に戻れないとか、日本では毎日23時まで残業しているとか。結局は政府も経営者も、本気で変えようとはしていないし、変えられるとも思っていないのではないでしょうか。でも、私たちのマインドセットは変えることができるんです。クリエイティブなアプローチが、それを可能にするのだと思っています。

最後にジェレミー校長に、CSMの教育ポリシーを聞いたところ、こんな言葉が返ってきた。

ジェレミー:ポリシーは、ポリシーを持たない、ということです。でも、倫理(Ethos)はあります。誰もが自分を表現できるスペース、プラットフォームを提供することに専念する、ということです。それぞれに表現は異なります。決まったスタイルはないし、そもそも何かひとつの決まったスタイルに私は興味がありません。

クリエイティビティは、教えることができないんです。ですから、常に生徒と彼らの表現に対して寛容であろうと、先生たちと話しています。先生と生徒の関係には常に力関係が発生してしまうんですよね。しかし、絶対にこれを悪用してはならない。そう思っています。

サイト情報
セントラル・セント・マーチンズ・バークベック MBA
(Central Saint Martins Birkbeck MBA)
ロンドン芸術大学 セントラル・セント・マーチンズ
(Central Saint Martins, UAL)


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