エドワード・ヤン

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1947年11月6日中国・上海生まれ。49年に家族と共に台湾へ移り住む。幼少期に『ブラボー砦の脱出』(53)や『地上より永遠に』(53)などのアメリカ映画や手塚治虫の漫画に影響を受ける。69年に国立交通大学を卒業後、アメリカ・フロリダ大学で電気工学修士号を取得。その後、映画研究のため南カリフォルニア大学に留学するも内容に幻滅し、ほどなく退学。その後はワシントンでコンピューター関係の仕事に従事する。80年に台湾に戻ったヤンはユー・ウェチンの依頼で「1905年的冬天」の脚本に参加、映画界へ足を踏み入れることとなる。翌81年に女優・監督のシルヴィア・チャンが企画したTVシリーズ「十一個女人」の一作「浮草」を演出。82年にオムニバス映画『光陰的故事』の一話「指望」で監督デビューを果たし、それまでの台湾映画とは一線を画す作風は話題となり、当時『川の流れに草は青々』(82)が高く評価されていたホウ・シャオシェンらと共に“台湾ニューウェイブ”の代表格となる。83年に「海灘的一天(海辺の一日)」で長編監督デビュー。ホウ・シャオシェンを主演に迎えた『タイペイ・ストーリー』(85)でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞、続く『恐怖分子』(86)ではロカルノ国際映画祭銀豹賞、台湾金馬賞最優秀作品賞など多数受賞。BBCが1995年に選出した「21世紀に残したい映画100本」に台湾映画として唯一選ばれ、映画史に残る傑作として知られる『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(91)ののち、自身の製作会社「原子電影(ATOM FILMS)」を設立。舞台劇「如果(Likely Consequence)」(92)、「成長季節」(Period of Growth)」(93)の作・演出を経て、長編5作目となる『エドワード・ヤンの恋愛時代』(94)を発表。『牯嶺街少年殺人事件』のキャストを起用した青春群像劇『カップルズ』(96)、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した『ヤンヤン 夏の想い出』(00)の後、アニメーション作品「追風」を準備中の2007年6月29日、癌の合併症により死去。享年59。
(「映画『エドワード・ヤンの恋愛時代』4Kレストア版公式サイト」より)

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