地元で追っかけをしていた少女が上京して、世界に新たな「KAWAii」を発信するようになるまで

プロフィール
小宮 彩

1986年3月24日、愛知県生まれ。幼少から新体操に打ち込み、高校1年生の頃から音楽に目覚めて、路上アーティストやシーモネーターなどの追っかけとなる。大学中退後は名古屋のクラブOZONにアルバイトとして勤務し、2007年にはソニーミュージックにプロモーターとして入社した。2012年にアソビシステム株式会社に転職し、アーティスト・Unaのマネージメントや自社コンテンツのメディアプロモーションなどを担当する。

「KAWAii(カワイイ)」の言葉と共に、世界中を席巻している原宿カルチャー。青文字系を代表するきゃりーぱみゅぱみゅなどが所属し、原宿のファッションや音楽、ライフスタイルを国内外に発信しているのが、「アソビシステム」だ。そんな注目の企業に勤める小宮彩さんは、大学中退後に名古屋のクラブでアルバイトした後、パソコンの立ち上げ方すら知らない未経験っぷりで音楽業界に飛び込んだ。現在は同社でアーティスト・Unaのマネージメントや自社コンテンツのメディアプロモーションなどを手掛けている。地元でアーティストの追っかけをしていた少女が上京し、世界を相手に仕事するようになるまでの道のりとは?

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エレガントな新体操からBガールに大変身?

―前職はソニーミュージックでプロモーター、その前は名古屋のクラブOZONに勤めていたということですが、音楽は子どもの頃から好きだったのでしょうか?

小宮:いえ。音楽に本格的に興味を持ち始めたのは高校1年生の頃でした。それまでは新体操に打ち込んでいて、音楽を聴いている時間的な余裕がなかったんです。母はラッツ&スターやバブルガム・ブラザーズが好きでしたし、新体操ではクラッシックばかり。流行の曲がほとんどわからず、友達から聞いて初めて知るくらい、流行曲には疎かったですね。

小宮 彩

―そんなに新体操は厳しかったんですか?

小宮:とにかく練習が厳しくて。平日は毎日3時間の練習があり、土日も朝9時から5時までみっちり。そんな生活が中学2年生まで続き、学校の友達と遊んでいる暇もありませんでした。

—新体操の道に進もうとは思わなかったんでしょうか?

小宮:実は団体戦で初めて全国大会に出場する前に、腰を痛めてしまったんです。せっかくここまで頑張ったんだから全国大会まではやり遂げて引退することにしました。新体操を辞めてからは、普通の学校生活に憧れていたので、挫折というよりも解放感がありましたね。そこからは毎週末、大きなターミナル駅で行われている路上ライブを聴きにいく生活が始まりました。

—路上ライブとは、またまた意外です。

小宮:当時は「ゆず」や「19」が流行っていたこともあって、路上アーティストが多かったんです。平日はコンビニでアルバイトをし、休日も朝からバイトした後に路上ライブを1人で観に行くというのをひたすら続けていました。そうこうしているうちにアーティストさんと友達になったりして。変わった女の子だなと思われていたでしょうね(笑)。

—音楽にのめりこんでいった、と。

小宮:はい。それで高校2年生の頃に、母から「シーモネーター」の存在を教えてもらい、聴いた瞬間に今度はそっちの追っかけになったんです。シーモネーターが出演するイベントに行きたくて行きたくて、年齢制限のあるクラブにも母親同伴で行ったりしていましたね。その後は「nobodyknows+」などシーモネーターに関係するグループも知っていって、ファッションもすっかりBガールに(笑)。その頃、友人にシーモネーターの楽曲をMDで配り、「このライブの、この曲の、この歌詞がスゴいんだよ」と布教しまくっていました。今思うと、プロモーターと同じようなことをしていたんだと思います。

ギャル男から学んだ「野生のコミュニケーション」

―高校卒業後はどのような進路を?

小宮:一度は大学に入学したのですが、家庭の事情もあり中退してしまいました。その後、何をしようかと考えていたときに、高校生の頃から憧れだった名古屋のクラブOZONでアルバイトしたいと思ったんです。でも、入った後に気がついたんですが、実はOZONはトランスやパラパラ、サイケがメインだったんですね。憧れていたヒップホップやレゲエは、私が配属されたフロアとは別の階。慣れない音楽を爆音で聴き続けたせいか、なぜか吐いてしまったこともありました。

―まさに、トランス状態になってしてしまったと(笑)。

小宮 彩

小宮:そうそう、そうなんです。後から希望が叶ってヒップホップのフロアに行くことができたんですけど、最初はずっとそんな状態で。しかも最初に与えられた仕事が唐揚げを揚げることだったので、「なんで私、ここで働いているんだろう」って思っていました。

―唐揚げ……。

小宮:クラブに入った当初は、新体操で培った、形式張った礼儀正しすぎるコミュニケーションしかできなかったので、「硬すぎる」ってよく突っ込まれていました。もともと人見知りでしたし、そういうところを直したいという想いもあって、クラブに勤めることにしたというのも実はあったんですよね。

―クラブで人見知りは克服できたのでしょうか?

小宮:どうかな……。クラブで仕事を教えてもらっていた先輩がギャル男だったんですけど、私が世間知らずすぎてタマネギの切り方も知らなかったので、「バカじゃねーの」ってよく怒られていました。新スタッフの歓迎会の時なんかは、ジャイアントスイングまでされたんですよ! その時はさすがに私もカチンときて、こだわりの髪型が乱れるのが一番嫌いなことを知っていたから、頭からビールをかけてやりましたけどね(笑)。そしたら、またキレられてジャイアントスイングされてしまいましたが……。でも、根はすごくいい人で、私がお客さんに絡まれたら走って助けてくれたりもしました。

―荒々しいところもありますが、カッコいい先輩ですね(笑)。

小宮:そうなんです。もう神懸かり的に仕事ができる人でしたね。踊りながら灰皿を片付けて、お客さんと会話しつつ、ドリンクを全部さばいているみたいな。その先輩からは、それまでの私になかった「野生のコミュニケーション」を学んだ気がします。

―新体操では学べなかったコミュニケーションですね。

小宮:それに、結果的に興味がない音楽にたくさん触れたことは、後々に役立つことになりました。多様な音楽や文化に触れ、自分の幅を広げることができたので今では感謝しています。音楽関連の裏方仕事を直に見ることができたのも、大きな経験になりました。あとは、最後にはシャンパン10本の蓋を10秒くらいで開けられるようになったり、シャンパングラスを20個くらい一気に運んだり。ビックリ人間の曲芸みたいで、どんな特技だよっていう(笑)。しかもこれ、この先どこで活かされるんだ? って疑問を持ってからですかね、なんとなく転職を考え始めました。

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—その後、ソニーミュージックに入社されたそうですね。音楽業界で仕事を探していたんでしょうか?

小宮:次のステップに移ろうと思い携帯で転職サイトを見ていたのですが、ひねくれ者なので「その他」の項目の業種だけをチェックしていたんですね。そこにソニーミュージックがあり、「プロモーター」と職種が書いてありました。何をするかよくわからなかったんですけど、漠然と「応募しておいたほうがが良いかも」とピンときて、「プロモーション」という言葉すらわからないまま面接に臨んでしまい……。音楽業界には興味があるという熱意が相手にも伝わったのか、幸運なことに名古屋の現地アルバイトとして採用されました。

小宮 彩

—右も左もわからないままプロモーターの世界へ踏み出した、と。

小宮:それどころか、家にパソコンがなかったので、席についても電源すらつけることができない有り様。採用してくれた人も「若いからパソコンくらいはできるだろう」と思ってたみたいです。出社した初日から、指一本で恐る恐るタイピングをしている状態で。前任の方が見兼ねて、「明日から出社したら俺が来るまで、『宜しくお願いします』と『お疲れ様』を打ち続けていて」とタイピング練習の指示を出してくれました。日報も打てないし、エクセルも使えない。電話の出方もわからないから、ベルが鳴る度に怖くなる。毎日毎日、トイレにこもっては泣いていました。

—だいぶ大変なスタートだったんですね……。実際の業務はどんなことを?

小宮:レーベルに所属するアーティストの楽曲を少しでも多くのメディアで取り上げてもらう為、テレビ局やラジオ局や雑誌社へ日々宣伝しに行っていました。また、アーティストが名古屋に来る際に、お迎えから見送りまでのスケジュールを組んで、それを実行する“キャンペーン”という仕事もあって。テレビやラジオ、雑誌の取材やライブなどのスケジュールをパズルのように組み立てて、当日はガイドする感じですね。全て大変でしたけど、やっぱり東京に行きたいという想いがどこかにあって、そのためには実績を作らなければいけないと思い。「自社のプロモーターの中でラジオのオンエア回数1位を取る」などの目標を立てて頑張っていました。絶対に誰にも負けたくないという想いもあり、頑張ったら奇跡的に目標も達成できたんです。それが評価されて、東京配属が実現しました。

—念願の東京はいかがでしたか?

小宮:同じレーベルではあるものの、働き方はまったく違いました。主にラジオやWEB、CS局のプロモーションを担当していたのですが、名古屋と違うところはチームで動くことですね。名古屋では地域を担当して営業と一緒に店舗に行ったりもしていましたが、東京では担当媒体にアーティストや楽曲を売り込むことに特化していました。困ったことは、方向音痴だったことですね(笑)。東京は駅や路線の構造が複雑すぎて、電車に乗る度に逆方向なんてことの繰り返し。プロモーターとしてはあり得ないことなんですけど……。

—大変なこともありつつ、順風満帆なようにも聞こえます。

小宮:はい、仕事はやりがいがありました。でもなぜか26歳の時、将来の目標を見出せなくなってしまったんです。雇用形態が安定しないことも重々に理解していたので、ここらへんで人生を考える必要があるかもしれないと。そんな想いが募り、一度自由になって自分を見つめ直そうと、「次の契約は更新しません」と上司に伝えました。結局次の就職先も見つけずに退職して。ひたすら『水曜どうでしょう』と『相棒』を観続けるという、ほとんど引きこもりに近い生活を4か月間送っていました。

引きこもりから新たな「KAWAii」を世界に発信するマネージャーに

—引きこもり生活から、どういった経緯でアソビシステムに?

小宮:実はきっかけはエレキコミックのやついいちろうさんだったんです。前職でやついさんがレギュラーを務めるスペースシャワーTVの番組に、私の担当アーティストが出ていた縁で、やついさんがDJをするイベントに誘われたんですね。そのイベントがアソビシステム主催だったんですよ。私はお酒がまったく飲めないのですが、そのときは珍しく酔っぱらっていて。やついさんがアソビシステムの社長を紹介してくださった時に、相手が誰ともわからずに「よろしくお願いしまーすっ! いえーい!!」みたいに挨拶してしまい(笑)。後から名刺を見て社長だと気付いた時には青ざめましたけど、その出会いが縁で、退職後に「アソビシステムに来てみない?」と誘ってもらえたんです。やついさんには、本当に感謝しています。

—ギャル男から習った野生のコミュニケーションが、ついに役立ったと(笑)。アソビシステムの発信する原宿のカルチャーは今、世界で大ブームになっていますよね。

小宮 彩

小宮:そうですね。私は所属アーティストであるUnaのマネージメントを担当しているのですが、彼女がデビューした時にフランスで行われているジャパンエキスポに参加したんです。ものすごい大きな会場で日本文化のお祭りをしていることに、衝撃を受けましたね。ゴスロリやコスプレを楽しんでいる方、原宿ファッションに身を包んでいる方などが海外にもたくさんいて、「HARAJUKU」や「KAWAii」という言葉も普通に通じるんです。私が『Zipper』を読んでいた中・高校生の頃はもう少しアンダーグラウンドな雰囲気だったけど、こんなにも世界中にファンがいるなんて、驚きと同時に視野が広がりました。

—Unaさんも海外での人気は高いのでしょうか?

小宮:はい。5月に開催された「HARAJUKU KAWAii!! WEEK」というイベントでも、フランスから来場してくださったファンの方がいましたし、Facebookページにも外国からのコメントは多いです。もちろん、Unaに限らず海外に発信するアイコンがたくさんあるというコンテンツの強さもありますが、やはり文化自体の強さも大きいんでしょうね。原宿にはカリスマ店員がたくさんいて、彼女たちの周りで流行ったものが、今はSNSを通じてどんどん世界に広がっていく。メディア上のイメージだけではなく、そうしたしっかりとした文化が原宿には根付いているから、海外に持っていってもブレないと思いました。

—ローカルでの力が強いから逆に世界に通じる、っていうことなんですね。

小宮:一方で、よく「青文字系のアーティストは大人気なんですよね」などと言われることが多いのですが、そうした楽観的な反応には危機感を感じることもあります。実際は上手くいかないし、世間から思われているよりもとても向かい風。苦労することもたくさんあるんです。Unaも私も悩みまくっていますから。

—というと?

小宮:Unaは見た目のイメージとは違って、とにかくいろんなことに悩む性格なんです。私も今はマネージャーという立場なので、プロモーターの時代よりも、さらにアーティストの内面に踏み込んで仕事をすることが多く、一緒に悩みまくっています。2日に1回はUnaの夢を見るくらい。だから、「もういっそのこと、悩みまくっている姿をさらけ出して見てもらおう」と考え、CINRA.NETさんにインタビューしてもらったこともありました。リリースタイミングのインタビューだったのに、あえてそのことにはほとんど触れていないという珍しい取材に(笑)。でも、それでいいと思ったんです。彼女自身の個性を考えてみると、定型的な売り出し方はできない部分があるんですよ。原宿文化を背負いつつ、どのように個性を発揮していくのか。日本での露出の仕方と、世界での露出の仕方と、これからも試行錯誤が続きそうです。

—最後に、今後の目標を教えてください。

小宮:まだまだマネージャーとしてヒヨッコといった感じなので、いろいろ試しながらですが、今まで培った物を使って思いっきり進んで行きたいと思っています。アソビシステムに入った時に思ったのは、「この業界はここで最後にしよう」ということでした。だからこそ、できる限りのポテンシャルを使い切って、燃え尽きるくらいの覚悟でやりたいと思います。その先は「最後」と言っても別になにかを決めているわけではないんですよね。私はあまり器用なほうではないので、自分を追い込みまくって目の前のことに集中したい。そうしないとダラダラしてしまうので、追い込むことが性に合っているんです(笑)。何事も、完全燃焼していきたいですね!



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