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自分たちで仕事をつくり出すこと

グラフィックデザイナーの田口さんが席を置く東京糸井重里事務所は、社員50人、年間売上げ27億円という、業界でも一目置かれる優良企業だ。その売り上げを達成するべく全員が血眼になって働いているかと思いきや、会う人誰もがゆったりした雰囲気で、なんだか、仕事も人生も楽しそう。田口さんに伝えると、「よく言われますが、意外とちゃんと忙しくて、厳しいことも普通に言われるんですよ」と言い、一笑した。忙しくても、楽しい。厳しくても、前を向ける。その笑顔の中に、仕事に必要なことのすべてが映されている気がした。独特なワークスタイルで築き上げた、デザイナー田口さんの「働き方」を伺った。

Profile

田口 智規

1979年生まれ。広島県出身。京都市立芸術大学デザイン科卒業後、デザイン会社である株式会社ジイケイ京都に新卒入社。グラフィックデザイナーとして5年間勤続。2007年、株式会社東京糸井重里事務所に入社。「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎日更新されるコンテンツのWEBデザイン、商品開発などに携わる。現在は、同社の主力商品であるほぼ日手帳のデザインチームの一員としても活躍。投げかけられた提案を即座にデザインに落とし込む早技の持ち主で、社内では「寿司デザイナー」と呼ばれ、頼りにされている。

「とんち」をきかす大学生活

―田口さんは、大学でデザイン科を専攻されていますが、いつからデザインに興味を持ち始めたのでしょう?

田口:きっかけは、高校2年生のときです。広島の田舎の高校で、電車が1時間に1本ぐらいしかなく、学校帰りは駅の近くの本屋で時間を潰すのが日課でした。それが毎日のことだから、読む本がどんどんなくなっていくんです。最初は、店の入り口にある『ジャンプ』や『マガジン』。次は、雑誌コーナーで『メンズノンノ』を読んで、だんだん店の奥に進むうちに辿り着いたのが、美術コーナーでした。そこで、横尾忠則さんの本を見つけたんです。芸術なのか、デザインなのか、高校生の自分にはなんだかよくわからないけど、あまりにカッコよくて、雷に撃たれたように、「わぁぁぁーっ!!」となっちゃって。

—その衝撃が、進路の決め手になったと(笑)。

田口 智規

田口:ものすごいインパクトだったんです。それまでは漠然と考古学者になろうと思ってたんですけど、先生に「考古学ってすごく地味な仕事だよ」と言われてがっかりしてた時期だったこともあり。だから「これしかない!」と思って、デザインの道を目指すことにしました。絵を描くことは好きだったけど、学校は普通科の高校。高2の終わりの三者面談で、急に「美術大学に行きたい」と言い出したもんだから、先生にも親にも「急に目指して受かるほど簡単じゃないんだぞ!」って怒られたのを覚えています(笑)。

―それで大学生活はどんな感じでした?

田口:京都の美大だったんですけど、大学では「とんち」と呼ばれていました(笑)。一休さんの「とんち」です。授業で課題が出ると、周りのみんなは1週間かけて制作するのですが、僕は前日に、「とんち」みたいな屁理屈を考えて作るんです。例えば、ベニヤ板で椅子を作る課題では、ただ椅子を作っても面白くないと思って、本棚を作ったり。だって、そこに自分の読みたい本があれば椅子がなくたって座りたくなるでしょう? って(笑)。もちろん、先生には怒られましたけどね。そんな感じの大学生活だったから当然、就職活動も全くダメで。周りはどんどん内定が決まっていく中で、自分は最後まで決まらないまま。そんな僕を見かねた先生に推薦してもらったのが、ジイケイ京都というデザイン会社でした。

―藁にもすがる想いでの就職とも言いましょうか。社会人になったときの感想は?

田口:晴れてグラフィックデザイナーになったわけですが、最初の頃は、まったく仕事が面白くなかったんですよ。学生のときから好き勝手をしていたし、美術やデザインの本にはかっこいいことばかりが書いてある。しかも、憧れていたのは横尾忠則さん。なのに、実際にデザイナーになった僕はと言えば、洗濯洗剤の「消臭力アップ」という部分を何週間もかけて作るとか、日本語表記のマニアックなロゴを作るばかり(笑)。「こんなはずじゃなかった!」と、もどかしく思っていた自分もいましたが、今思うとそれは実力のなさゆえに仕事に面白さを感じられなかっただけなんです。その後の5年間はたくさんのクライアントワークを通して、多くのことを学んでいきました。

念願の「ほぼ日」か、それとも「アメリカ」か

―そこでグラフィックデザイナーとしての基礎を築いたんですね。では、7年前に糸井重里事務所に転職したのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

田口:ジイケイに就職して5年目。社内の雰囲気もいいし、技術も身についてきて、案件を自分で請け負うこともあり、どんどん仕事が楽しくなってきた時期でした。そんなときに、「ほぼ日」でデザイナー募集の記事を見つけたんです。もともと「ほぼ日」は大学生の頃から好きで、就職してからも、よく昼休みに読んでて。当時は嫁に、「ほぼ日でデザイナーの募集があるんだ」と軽く話したくらいのつもりだったんです。でも、僕が「受けようか、受けまいか」って、あまりにも繰り返し言うものだから、「そんな言うんやったら、受けたらいいやんかっ!」って怒られて(笑)。結局、締切ギリギリに応募することになりました。

―奥様の後押しもあったんですね(笑)。面接のときのことを覚えていますか?

田口 智規

田口:確か、一次試験は、エントリーシートとポートフォリオと、「ほぼ日」のロゴを作るという課題の提出だったかな。ダメもとで応募したから、1次試験通過の知らせには驚きましたね。2次試験は、「ほぼ日」のコンテンツのリニューアル案という課題があって、それを持って東京本社で面接。午後の面接だったからお昼をどこかで食べなきゃと、オフィスのある青山をうろついていたんだけど、どこに行ってもおしゃれな店ばかり。今まで数えるほどしか東京に来たことのなかったので、「都会だなぁ」ってそわそわしていました(笑)。

―それで、念願の採用へと。

田口:凄い嬉しかった反面、悩んでもいたんですよ。合格通知は9月頃だったけど、翌年の3月まではジイケイの仕事が残っていたんです。もともと積極的に転職しようと思っていたわけではなかったし、翌年、僕はアメリカ支社に行くような段取りになってて。試験を受ける前には実際にアメリカに連れて行ってもらい、現地のクライアントと会食をしたりして、このままいれば来年はアメリカ勤務。それも面白いな、っていう気持ちの揺らぎもあったんです。だから憧れの糸井事務所に合格したものの、迷いは消えることはなく、自分がこの先どうしていきたいのか、そのときは人生の中で一番悩んだ時期だと思います。

―それは大きな選択ですね……。確かに、すんなりと決められるものではなさそうです。その半年間で答えは出ましたか?

田口:ものすごく考えたけど、結局答えという答えは出ませんでした。僕ってもともと目標を立てて動くタイプじゃないんですよ。どちらかというと気分に任せてしまう。ただ、今までの延長じゃなく何か新しいことに挑戦したい、っていう気持ちがあったのが今の会社を選ぶ後押しにもなりました。自分にとって糸井事務所で働くことも、東京に引っ越すのも、きっといい転機になるだろうという想いで。

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頭から血が出るほど考えろ!

頭から血が出るほど考えろ!

—それで新境地への期待を胸に東京へ出てきて、憧れの会社に入っていかがでしたか?

田口 智規

田口:なんというか実感が湧かないというか、入社当時はすごくふわふわしていた気がします。毎日会社の扉を開ける度に、「ここの社員でいいんだよね?」って(笑)。というのも、この会社では基本的に、「仕事は自分で見つける(つくる)もの」なので、僕が入社したからといって誰かが仕事を振ってくれるわけではないんです。だから正直何をしたらいいのかわからなくて、約一週間、1日中「ほぼ日」を読んだり、メールを読んだりして、やることないな、と思いながら過ごしていました(笑)。それでさすがにこのままじゃダメだと思って、ようやく隣の席の先輩に、何かやることはないですか? と訊いたんです。すると「ミーティングでも出てみる?」と言われ、これを機に徐々に仕事が生まれてきて。ほぼ日Tシャツ、ほぼ日手帳など、最初は会議に参加することから始めて、そのうちに、WEBコンテンツや商品のデザインをさせてもらえるようになりました。

—「自ら動かなければやることがない」というのは会社の姿勢としてもユニークですね。具体的には、どんなお仕事を?

田口:入社当時から今まで、ずっと携わっているのが、「ほぼ日手帳」なのですが、プロジェクトに必要なことは、デザイン以外の仕事も色々やります。イベントでは交通整理もするし、店頭販売の店員もやるし、掃除や撤収作業もやる(笑)。後はWEBコンテンツの文章も描くし、取材では撮影も担当します。そもそものアイデアから考える仕事も多いので、「自分って、デザイナーだったよな?」と思うことが多々あります(笑)。

—仕事の関わり方は前職とは大きく違ってきますね。

田口:以前は、クライアントや上司からお題があって、それに対するデザインが通ればそれで良かった。逆に言えば、クライアントや上司に言われた通りにデザインすればいいから、僕自身がそこまで深く考えなくてもいい部分があったんです。ところが、今は社員自身の「やりたい」という動機でプロジェクトが始まり、賛同する社員が加わってチームが作られていく。つまりは「お題」そのものを作らなくてはいけない。そしてクライアントが基本的にいなくて、お金を出してくれるのはユーザーでもある。だから今までのように、単純にデザイン作業だけをやっていてはダメ。アイデアからお客さんの手に届くまで、ものごとを自分の頭でとことん考えないといけないので、簡単なことではないです。

—BtoBからBtoCとなると色々違いが出てくると。でもやっぱり考えることが個人に委ねられている分、それぞれ働き方も変わってきそうですね。

田口:どちらが正解というわけではないですけどね。ただ糸井からは、よく、「頭から血が出るほど考えろ」と言われます。例えば、社内で何か提案したときに、ちゃんと考えられているものほど話が展開していくし、考えが足りないものだと、しぼんでいくことが多い。ユーザーの反応も正直で、配信と同時に、TwitterやFacebookのいいね! ボタンで反響が跳ね返ってくる。そんな反応から売り上げまでしっかり意識することは、今まではなかったですから。
あんこの旅

人生は積み減らしていく

—デザイナーとしても1つのプロジェクトにそこまでコミットしていく感じなんですね。

田口:もちろん頭から血が出るほど考えたつもりのアイデアでも、うまくいかない場合もありますけどね……(笑)。ただ、最近よく思うのは、人に響くものって、本質を突いているかどうかがキモなんじゃないかということ。いうなれば、ボールを芯で打っているかどうか。今までは、デザインの見た目の善し悪しばかりを気にしていたのですが、いくらバッティングフォームがかっこよくても、ボールを芯で打てなきゃヒットにならない。たまに、自分ではいまいちだなと思うものが社内ですごくウケたり、僕の思ってたことと真逆のことが起きることがあるんですよ(笑)。そういうときは「なんでそうなるの?」ってすごく考えます。だから自分だけの価値観ではなく、もっと根本にある「人に響く本質とは何か」というところはすごく意識します。

—アイデアもデザインも「本質」が重要だと。

田口:そうなんです。うちは、何をやるにしても、形式ばった企画書というものをつくりません。それよりも、雑談の中からコンテンツや商品が生まれてくることがほとんどです。自分の中で本当にやりたいという動機があって、面白いと感じているものは、ちゃんと伝わる力があると信じている。デザインに関しても、普通は方向性をおおまかに分けて、数案用意しますよね。だけど、うちでは自分がいいと思うものを1案だけを用意する。説得するためにバリエーションを用意することはしません。数案も考える暇があるなら、自分が最もいいと思う1案を考えろと。その1案がいいか、悪いか。本質を突いているか、突いていないか。基準はとてもシンプルなんです。

—プロジェクトの発案から、お金を稼ぐことまで真摯に向き合う姿勢は、それぞれが事業主のようでもありますね。

田口:そうですね。例えば、商品販売に関しては、販売集計表が社内にあって、商品の売上げ状況がリアルに数字として見えるので、嫌が応にも気になります。机上で手を動かすだけのデザイナーではなく、自分の行動や手がけたものが、世の中にどう受け入れられるのか、喜ばれるのかどうかまで、責任を持たなきゃいけない。今では、デザイン以外にもさまざまな仕事ができることが、僕のやりがいにも繋がっています。

—お話を聞いていると、仕事も人生も充実してそうですね。

田口 智規

田口:そうですかね? はたから見ると、すごく楽しそうに見えるかもしれませんが、意外とハードに働いているし、周りからも厳しいジャッジを普通に受けます。僕もつい先日、忙しすぎて、完全に余裕がなくなり、こりゃもう無理だ、ってなってました(笑)。でも、同時に楽しいのも事実です。変な話ですけど、僕は年を取ることに、ちょっと期待しているところがあるんです。さっきの、本質を突いているかという話に繋がるのですが、岡本太郎さんの言葉に「人生は積み減らしていくんだ」っていうのがあって、それなんかいいなって思うんですよね。生きることもどんどんシンプルにしていければなって。色々と積み重ねるのは、自分を息苦しくしそうだから、減らしていって、本当に大事なものを見つけていくような生き方ができたらって思うんです。

—仕事も人生もシンプルに。素敵な考え方ですね。では最後に、今後の目標を教えてください。

田口:目標ですか……。そういうの、やっぱり苦手だなぁ(笑)。具体的にこれっていうのは思いつかないけど、どの年になっても自分が変わっていくことを歓迎できる自分でありたいとは思います。それはいろんなことに挑戦して経験や知識を増やしたいというよりも、肝心なのは、いかに変化するか。様々な環境に身を置くことで、固執していたものが実は必要でないと気づくこともあるだろうし、新しく得るものもあると思います。その中から、大切なものを取捨選択していけたらいいなと思います。そんな変化を受け入れながら、人生がどう転がっていくのか、これからがとても楽しみです。

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