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伊勢谷友介のマネージャーが語る、俳優と生きる覚悟

俳優や映画監督として活躍しながら、社会課題を解決するためのクリエイティブワークを手がけるリバースプロジェクト代表という一面も持つ伊勢谷友介。そんな彼のマネージャーとして働くのがカクトエンタテイメントの濱野幸雄さんだ。「俳優活動のサポートを行うことは、人生をサポートすること」と語る濱野さんのマネジメントに懸ける想いを伺った。

Profile

濱野幸雄

1975年大阪府生まれ。同志社大学経済学部卒業。フリーター生活の後、2001年に上京。芸能プロダクションであるオフィスマイティーやエイベックスマネジメントを経て、リバースプロジェクトへ入社。その後、分社化によりカクトエンタテイメントを設立し、現在に至る。

興味の原点はドラマに映画、ドキュメンタリー

—濱野さんが芸能界に関心を持ったきっかけを教えてください。

濱野:僕は大阪のニュータウンで育ったのですが、今思うと毎日が学校に行って、遊びに行って、テレビを見ての繰り返しだったんですよ。なかでもテレビの影響は大きく受けていたと思います。当時、テレビ局に勤めるADたちの仕事と恋愛模様を描いた『ADブギ』というドラマがありました。それを見て「番組の裏側ってこうなってるんだ!」と思ったのが最初のきっかけですね。いつかこんな仕事ができたらいいなと、心のどこかで思っていたのかもしれません。あとは高校生になってから、ドキュメンタリー番組をよく見ていました。

—高校生でドキュメンタリー、ですか。

濱野:学校って社会の現実を教えてくれないじゃないですか? 学問としてではなくて、実際に世の中で起きているリアルなことを、包み隠さず教えてくれる場所が僕にとってドキュメンタリーだったんです。その影響もあってか、いろいろなことに疑問を抱く学生でしたね。高校時代はずっと大学に行く理由がわからず、ひとりで悩んでいました。とはいえ答えが見つかるわけでもなく……。これもまたドラマの影響なんですが、『スクール・ウォーズ』というドラマのモデルになった人がどうやら同志社大学出身らしいというだけで進学先を決めました(笑)。

取材場所:<a href="http://www.prbar.jp/"  target="_blank">PRBAR</a>

取材場所:PRBAR

—テレビで得た知識が、様々な岐路での指針につながっていたんですね。

濱野:そうかもしれません。でも大学に入ってからは、テレビだけでなく映画にもどっぷり浸かっていきました。伊勢谷ともよく話すのですが、当時は雑誌『ぴあ』などで情報を集めて、映画館で観る映画を厳選していたんですよ。いかんせん貧乏学生だから値段にはシビアで、どの作品をレンタルビデオ屋のVHSで借りて、どの作品で映画館に行くのかはすごく迷いながら決めていましたね。その頃出会った作品の中では、『櫻の園』という映画に衝撃を受けました。

—どんな作品だったんですか?

濱野:1990年の日本映画だったんですが、特に派手な演出があるわけでもなく、淡々と物語が進んでいくんです。だけど、無意識に引き込まれていくような魅力があったんですよね。僕らが子供の頃ってハリウッド映画やアクション映画の全盛期で、映画は「かっこいいもの」とばかり思っていて。だから「こんな世界観があっていいのか」と新鮮に感じられたのかもしれません。

—そこまで影響を受けたら、映画会社やテレビ局に就職しようと思わなかったのですか?

濱野:就活中にテレビ業界とは関係のない企業から内定をもらえたのですが、「自分の人生をこんな簡単に決めていいのか?」と思って辞退しました。当時から「人生=仕事」と考えていたので、行きたくない会社で働くくらいなら就職せずに生きていこうと。テレビから遠くない業界と思って視聴率調査で有名な会社のバイトをしたものの、嗜好品のアンケート結果を延々とまとめ続けるだけ。半年も続かずに辞めた後は、少しだけ将来を現実的に考えて車のディーラーに就職しました。

「お金はある。芸能の仕事は東京にある。これはもう、東京に行くしかない。」

―車のディーラーとはまた、意外です。実際に働いてみていかがでしたか?

濱野:やりたくない仕事なのでフラストレーションがどんどん溜まっていって……(苦笑)。そのとき、「好きなことを仕事にしないとこんなに後悔するのか」と痛感しましたね。1年半ほどは続けたのですが、ふと気付いた時にはかなり貯金がたまっていたんです。今の自分にお金はある。芸能の仕事は東京にある。これはもう、東京に行くしかない、と。思い立ったが吉日、そのまま夜行バスで東京に行って、家を決めて、大阪に戻って仕事を辞めると宣言する、というのをたった1日で敢行しました。

―たった1日で……!? 就職先の目処は立っていたんですか?

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濱野:いえいえ。上京後は貯金を切り崩しながら転職活動をしていました。テレビ業界を受けていましたが、未経験だしなかなか仕事も見つからないんですよね。そこで、ドラマをつくることもいいけれど、同じくらい俳優をサポートするお仕事もやりがいがあるかもしれないと視野を広げることにして。当時からファンだった俳優の鶴田真由さんが所属するオフィスマイティーという芸能事務所を受けたんです。面接ではとにかく大好きなドラマについて熱く語りましたね。それでなんとか無事に内定をもらうことができて、「ようやくスタートが切れる」とホッとしたことを覚えています。

―こうして念願の芸能業界の仕事を手に入れることができたのですね。実際に働いてみて、いかがでしたか?

濱野:まず、マネージャーである前に、社会人としての心得を一から叩き込まれました。特に社長からは、すべての仕事に「目的」や「意味」があるということを学びましたね。たとえば、俳優を車で撮影現場まで送る際、僕が片手運転をしていたんですよ。今考えると絶対にありえないですが、当時の僕は俳優を無事に送り届けるという「目的」や、命を預かって運転しているという「意味」を軽く認識していたんです。そんな感覚ですべての仕事をしていたので、ミスも多くて。入社1年目は、ほぼ毎日怒られていました。ここでの経験がなければ、今の自分はいないと思います。本当に感謝しかないですね。

―マネージャーの職務って多岐にわたると思うのですが、具体的にはどのようなことを?

濱野:俳優のマネジメントだけではなくて、発掘、育成、営業など実は幅広くて。なかでも育成はとても長い時間を費やす場合が多いですね。たとえば、俳優志望であれば、まずお芝居の勉強をさせて、オーディションを受けさせ、仕事の実績を積ませます。そのなかで一緒に課題を見つけ、解決策を考え、実行する。その繰り返しなんです。マネージャーにとって俳優はいわば商品。車を売っているときには「車」はしゃべらないけど、役者は人だから感情があります。だから良い悪いも人によっていろいろあるし、一人ひとりの気持ちを理解できるかどうか。コミュニケーションが何よりも大事な仕事ですね。

―これまで濱野さんが担当した俳優のなかで、特に印象に残っている方はいますか?

濱野:前職のエイベックスマネジメント時代に担当していた、山根和馬という俳優がいるのですが、彼との仕事は楽しかったですね。彼は見るからに悪そうな顔をしていたので(笑)、なかなかオファーをもらえない時期に、それを活かそうととにかく悪い役をやって認知度を上げていこうと話し合ったんです。地道に経験を重ねていった結果、ドラマでも主役級の役をいただけるなど、どんどん活躍するようになっていって。また、他の俳優ですが、僕が営業して出演を決めた作品で、共演した相手と結婚したなんて人もいました。仕事を通して、誰かの人生を変えるきっかけになるんだと感じましたね。

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「伊勢谷友介」との出会い

「伊勢谷友介」との出会い

―その後、リバースプロジェクトに入社するわけですが、どんな経緯があったのですか?

濱野:知人からの紹介だったのですが、実はリバースプロジェクトを知らなかったんです。だから正直、その頃はまだ伊勢谷の活動自体についても把握してなかったのですが、知れば知るほど「伊勢谷友介」という人間が持つ魅力を感じることができました。高校時代から自分がドキュメンタリー番組を見ながら関心を持っていた課題に対して、リアルにアクションを起こしている俳優がここにいた。「すごい人がいる!」と感動しましたね。

―実際に、伊勢谷さんとお話をしてみていかがでしたか?

濱野:その芯の強さに驚きました。世の中や社会で起きていることに対して、真正面からここまで向き合う俳優がいたのかと。日本の芸能界ってこういう社会活動的な動きを許容しない文化があるので、俳優業を続けることってとても難しいんですよ。ある意味でリスクを覚悟しなければならないわけですから。

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―入社してからのお仕事についてお聞かせください。

濱野:まず、当時の伊勢谷は俳優としても活動していたのに、正式なマネージャーがいなかったんですよ。しかも映画の公開準備真っ只中で、分刻みのスケジュールでした。正直、今までで一番忙しかったですね(笑)。ただ、忙しかったからこそ良かったこともあって。マネージャーの仕事として、俳優が受けたインタビューの原稿チェックというものがあります。これを読んでいると、会話するよりも「伊勢谷友介」という人間を深く知ることができるんですよね。

―なるほど。

濱野:マネージャーって、担当した直後の俳優に関しては、その思考回路を想像する要素がゼロな状態から始まるんです。でも、本来マネージャーは俳優の代弁者であるべきで、その思考回路を知らなければ代弁者にはなれない。共に時間を過ごしながら、少しずつその人となりを知っていくのが一般的。だけどこの時は、1か月間で一気に伊勢谷の思考を知ることができた気がします。

この仕事は役者が辞めたら終わり。だから全力で支え続ける

—他の方のマネジメントを担当するのと、大きく違う場面もあるのでしょうか?

濱野:ありますね。俳優としてだけでなく、リバースプロジェクトとしての仕事も関わってくるので、これまでは出会うことのなかった芸能界の外の人たちとの出会いが増えました。たとえば市長さんや町長さん。「この町の何かをやりましょう」って、俳優と一緒に僕もテーブルを囲むのは不思議な感覚でした。お金儲けのためじゃなくて、課題に対して一緒に考えられる場所。伊勢谷友介という俳優であり活動家がいて、僕はマネージャーであり、そのアシスタントとしてできることをやっていきます。意見を求められたら、意見も言いますし。

—具体的に、濱野さんが関わったプロジェクトもありますか?

濱野:はい。たとえば「松下村塾リバースプロジェクト」は、伊勢谷が演じて共感した吉田松陰の私塾を、現代に蘇らせようというもので、僕も立ち上げメンバーとして関わりました。まさに僕自身が学校や社会に抱いていた疑問を解消するようなプロジェクトだったので、サポートする立場ではありますが、とても良い経験になりましたね。人生と仕事がピタッと重なるような感覚を味わうことができました。

—最後に、マネージャーとして大切にしていることを教えてください。

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濱野:マネージャーは、担当する俳優が年上であれ年下であれ、彼らにとっての父親でもあり母親でもあるべきだと思うんです。ときに優しく、ときに厳しく、でもどんなときも支えられる存在でいたくて。たとえば究極にかわいかったり男前だったり、というDNAで決まってしまう部分はあるかもしれませんが、その有無だけではこの業界は生き残っていけません。俳優として何を伝え、何を与えたいのか。何をがんばって、どこを磨き、どの魅力を最大化すればいいのか。俳優にとって、芸能界で生きていく中で、そこを考えてくれるのはマネージャーしかいませんから。逆にこの仕事は、役者が辞めたら終わり。俳優と二人三脚で、お互いに覚悟を持って取り組んでいきたいです。

—では、今後もマネージャーとしてのご活躍を考えているのですね。

濱野:はい。視聴者のことを考えながら俳優を育てていきたいです。視聴者がいるからこそドラマも映画もできて、俳優が俳優としていられるわけですし。当然事業としてやっている以上は利益を求めなければなりませんが、利益よりも大事なものって必ずあるはずで。視聴者が映画を見て、「あの俳優さんの演技良かったな」と思ってもらえたらそれが本望ですし、そういう俳優を一人でも多く輩出できるような事務所をつくっていきたいですね。

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映画『ザ・テノール 真実の物語』

この映画は日韓の実話を描いた作品です。癌で声を失った韓国の世界的なテノール歌手と彼を支えた日本人プロデューサーの物語。この日本人の役を伊勢谷が演じています。今の国際情勢を少しでも良い方向に導きたいというメッセージがこの映画に込められています。ラストシーンの撮影現場に立ち会ったのですが、僕自身が本気で泣いてしまいました……。一人でも多くの方に見て欲しいと心から想う作品ですね。
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