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働きたくないけど、自分にしかできない仕事は誇らしい

実家は借金まみれで自己破産、自身も留年を繰り返して20才まで高校1年生、27才まで気ままなアルバイト暮らし——世間一般的に見れば就職なんてとてもじゃないけど難しい経歴な上に、「とにかく働くのが嫌だった」と言う淵上さんはいま、国内屈指のカルチャーサイトとして知られる「ナタリー」で、マンガニュースを発信する「コミックナタリー」の記者として活躍中だ。つい最近まで「仕事」とはほど遠い日々を送っていた若者を、「誇らしい」と語る情報発信の中枢へと導いたのは、常におもしろいことを求めるアクティブな姿勢と、子供の頃から培った反骨心のあるオタク精神。波瀾万丈の半生を語ってもらった。
  • インタビュー・テキスト:タナカヒロシ
  • 撮影:すがわらよしみ

Profile

淵上 龍一

1983年6月28日、千葉県生まれ。通信制高校に通いながらインターネットを開始。日記やコラムをメインにした個人サイトを運営し、文章の下地を築く。20歳まで高校1年生を繰り返したところで自主退学。23歳のとき実家が自己破産したため、強制的に自立を迫られる。インターネットで知り合った友人とルームシェアを開始するが、無職3人では8万円の家賃も分担できず、滞納を繰り返したあげくルームシェアを解消。親もとに舞い戻り、うだつのあがらぬ日々を過ごす。その後、ナタリーに就職した元ルームシェア相手の紹介により、アルバイトとしてコミックナタリーの立ち上げに参加。2010年、正社員に昇格。

留年に次ぐ留年でハタチまで高校1年生

—先にいただいたプロフィールの突っ込みどころが満載すぎて…、生い立ちから聞いてもいいですか?

淵上龍一

淵上:それでもだいぶ削ったんですけどね(笑)。子供の頃の話をすると、僕が小学校に上がる頃におじいちゃんが死んで、家に莫大な遺産が入ってきたんですよ。それで父が「俺は田舎に引っ越すよ」って言い出し、千葉県から福島県に一家で引っ越しちゃったんです。でも、その遺産も2〜3年のうちに使い切っちゃうんですよ。福島の家は借家なのに、その他になぜか別荘を2つも作って。

—完全にお金の使い方を間違ってますね(笑)。

淵上:それで福島にいると仕事が来ないって言い始めて、結局、横浜に引っ越すんです。でも一度ドロップアウトした人間にすぐ仕事がやってくるわけもなく。父はコピーライターの仕事をやっていたのですけど、スーツを来て会社に行くわけでもないし、子供心に仕事をしているイメージはなくて。働かないぶんは周囲から金銭的フックアップを受けることで暮らしていたんですが、最終的には僕が23才のときに自己破産するという…。

―大変な家庭だったようですね…。淵上さん自身はどんな子供だったんですか?

淵上:マンガやゲームが好きなオタクな男の子でしたね。小学生の頃は明るいオタクだったんですけど、中学生になると不良に絡まれるようになって、登校拒否の素養が生まれちゃうんです。それがきっかけで、バカにしてくるヤツらに対して、「俺はカルチャーで上を行きたい」みたいな、反骨心のあるオタクになっちゃって(笑)。よりコアなものを知ってるほうがエラいみたいな気持ちが培われたんですよね。そんな感じで中学を卒業するんですけど、あんまり学校に行ってなかったし、勉強もできないし、何より学校が嫌いだったから、通信制の高校に通うことにしたんですよ。その頃からインターネットを始めたんですけど、ネット上には自分と同じようなマンガや音楽を好きな人がいっぱいて、楽しくて勉強が手に着かなくなっちゃって(笑)。オフ会で知り合った人と一緒に遊んだり、初めてクラブに行ったりと、全然レポートを提出しないもんだから、留年に次ぐ留年をして、ハタチまで高校1年生のまま。終わらない夏休みみたいな。

―永遠の高校1年生(笑)。でも、引きこもりとかではなかったんですね。

淵上:もともと暗い人間というよりは、話の合う友達がいなかったんです。だから、インターネットで話の合う友達ができたっていうのは、僕のなかでは大きい事件だったんですよね。その頃僕はテキストサイトを公開していたんですけど、当時同じようにテキストサイトをやっていた人たちのなかには、感性の鋭い、面白い人がいっぱいいて。そうやってネットでできた友達と遊んでいるうちに、テクノ系のクラブイベントを主催したり、自分でもバンドみたいなことをやるようになって。ハタチくらいからは、毎日都内のどこかしらを遊び歩いてましたね。

―基本的にアクティブですよね。

淵上:よく「高城剛イズムの『フットワーク&ネットワーク』とはコイツのことだ」みたいに周りの大人から言われてましたね。フットワークを広めればネットワークも広がるっていう意味なんですけど。僕はネット文化やデジタル関係がすごく好きで、高城剛さんや飯野賢治さんに感銘を受けていたので、そういう人たちの言葉をひとつの指針としていましたね。

自立を目指すも失敗、そしてナタリーに辿り着くまで

―家が自己破産して以降はどんな感じに?

淵上:親はおばあちゃんの家を頼って行ったんですけど、僕はもう大人なので、友達と3人でルームシェアを始めたんです。でも1年も待たずにみんなお金がなくなって崩壊して。

―またすごい展開が(笑)。

淵上龍一

淵上:僕もアルバイトはしてたんですけど、すぐに嫌になっちゃうんですよ。もう働くのが嫌で嫌で、しまいには働くのが嫌過ぎて眠れなくなっちゃって。それで、生活保護を受けることになった実家に戻ったんですけど、これからどうしようかなぁって時に、ナタリーに就職した元ルームメイトから、新しく立ち上がるコミックナタリーでライターを募集してるから、君を推薦しておくよって話がきて。そのときは聞き流してたんですけど、その友人が主催するクラブイベントに行ったら編集長の唐木がいたんです。一応紹介されてたから、挨拶くらいはしておいたんですけど、何日か後にmixi宛てに「淵上さんがマンガに詳しいと伺いまして、ぜひ一度社に来ていただければと思います」みたいなメッセージが来て。

—昔からオタクだと言ってましたけど、実際マンガには詳しかったんですか?

淵上:年間1000冊くらいはコンスタントに読んでたんじゃないかな。古本屋さんで買ったり、友達のマンガを借りたりして。古本で買えば1冊100円ですからね。働くのが嫌だ嫌だと言ってた時期も、ある程度は稼いでいたので、マンガを買って、レコードを買って、クラブに行って。そんなことにばっかりお金を使ってましたね。ルームシェアしてる友人に家賃は払わないのに。

—それで、すんなりとナタリーに入社を?

淵上:とりあえず話だけでも聞こうと思って行ったんですけど、「もう来たってことはやるよね?」みたいな雰囲気になっちゃってて(笑)。ナタリーはニュース記事と登録している作家の情報が紐づいている仕組みなので、サイトをオープンさせる前に、まずはマンガ家のプロフィールをどんどん作らなきゃいけなかったんです。とりあえずプロフィール書きは手伝って、オープンしたらやめようと思っていたんですけど、僕は流されやすい人間なので、うまく言い出せないし、人手も足りてないし、やめるほど嫌なことがあるわけでもなかったから、そのままずるずると続けて…。何度か「そろそろ正社員にならない?」みたいな話ももらうんですけど、「いや、このままでいいっす」って断っていました。就職とかリスキーなので。でも一生アルバイトのままではいられないから、嫌でも自立したほうがいいなとは思ってたんですよね。大人なので。それで、2009年末くらいに彼女ができて、同棲をきっかけに正式に社員になったんです。

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自分にしかできないことがあれば誇らしい

自分にしかできないことがあれば誇らしい

—実際のニュース更新はどんな流れで?

淵上:「取材」「執筆」「承認」っていう3本柱があって。まずライターが取材してネタを見つけてきて、出版社などに確認を取りながら記事を執筆し、それを編集長が承認する。取材はライターごとに担当の出版社が決まっていて、各社のホームページとか、そこで書いてる作家さんのWEBサイトとか、あとは出てる雑誌をチェックして。大きい出版社だと定期刊行誌だけで20〜30冊あるので、各ライターごとにバランスが均等になるように振り分けてますね。

淵上龍一

—インタビューやイベントレポートもありますよね。

淵上:そうですね。僕は西原理恵子さんの『人生画力対決』というイベントをずっとレポートしてるんですけど、書きたいことがいっぱいありすぎて、すごい長くなっちゃうんですよね。ヘタすると1本の記事を2日徹夜して書くことも。それを編集長に付き合ってもらって、ここわかりづらいから変えてとか、ここおもしろいからもっと膨らまそうよとか、そういう感じで一晩かけて直したりして。でも、その画力対決のレポートは、僕のなかでも自信作で、小学館の人たちにも好評なんです。やっぱり、今でも基本的には働きたくないんですけど、上手にできると楽しいんですよね。

—では、いま働いてるのは、楽しいから? それとも生活のため?

淵上:生きるためには仕方ない(笑)。ぶっちゃけて言えば、うちの親じゃないですけど、莫大な遺産が転がりこんできたときに、人って働くのかな? って。でも、それを考えたときに、上から目線になっちゃいますけど、いまの仕事は別にやめなくていいかなと思ってますね。子供の頃から好きだったマンガに関われて嬉しいし、作家さんとか編集担当の方とか、裏側に触れられるのはかっこいいなって。さっき言った「どれだけ人と違ったコアなことができるか」っていう勝負があるじゃないですか。僕の中で結局それは完全には抜けてなくて。やっぱり自分にしかできないことがあれば、それは誇らしいし、おもしろいんですよね。

昔は「俺のほうがすげえ」って言ってるだけで、何もしてなかった

—淵上さんはこうやって経歴を辿っていくと、すごく普通じゃない人生を送られてきましたけど、いま実際にお話をしてみると、社会性もあるし、礼儀正しいし、すごくちゃんとしてますよね。そういうビジネスマナーみたいなものは最初から身に付いてたんですか?

淵上:周りにいた人たちが、ずっと目上の人たちばかりだったんですよね。僕が16才でネットを始めたときは、ネットをやってる同世代は全然いなくて、遊ぶ友達はみんな社会人だったんですよ。やっぱり目上の人に対して、あまり失礼なことはできないから、そういう意味では多少の社会性が築かれたのかもしれないですね。

—これまで淵上さんが経験されてきたことが、いま立派に役立ってるわけですよね。

淵上龍一

淵上:遊び歩いていたときの経験は確実に活きてますね。ずっとマンガ畑だったライターさんとは違う、自分にしかわからない情報みたいなものもあって。自分が歩んできた道が無駄ではなかったっていうのはすごいうれしいことですよね。でも、最近はちょっと忙しくて遊ぶ時間が作れず、自分のアップデートができないまま昔の知識で食べてるみたいなところもあるので、ちゃんと遊ばなきゃとは思ってます。

—では最後に、仕事をするうえでのポリシーを教えていただけますか?

淵上:ポリシーかぁ…。まぁ、前提として「仕事したくない」はあるんですけど、やらなきゃいけないことじゃないですか(笑)。やらなきゃいけないことは、ちゃんとやろうとは思います。そこで手を抜いても怒られるだけだし、ちゃんとやってれば見てくれる人はいる。僕は今までマジメに生きてこなかったので、評価すらされてこなかったわけですよ。「俺のほうがすげえ」って言ってるだけで、何もしてなかった。そう気付いたからこそ、誠実さは失わないようにしたいですね。

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家族

僕、Twitterで一時期「彼女募集中です」って1日1回ツイートしてたんですよ。彼女がいないって、言わないとみんなわからないので(笑)。そうしたら、とあるクラブイベントで女性に「彼女募集してるんですか?」って声をかけられて「じゃあ、付き合いましょう」ってことに。そのまま結婚して、子供まで作りました。これ、ほんと端折ってないですからね。僕の言う基本スタンスの「働きたくないけど、働かなきゃいけない」の一環として、やっぱり家族がいると、それを守らなきゃいけないっていう気持ちになりますよね。ほんとにほんとにダメなときは、家族がいたって嫌なんですけど。でも、家に帰って人がいるとホッとしますし、やっぱり人と一緒にいるのっておもしろいなと思います。

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株式会社ナターシャ

株式会社ナターシャはポップカルチャーを愛する者のみで構成された組織です。

ゴシップを扱わないポップカルチャーのニュースサイト『ナタリー』、ファン目線のオリジナルグッズを企画・制作する『ナタリーストア』、ナタリーならではの視点でイベントを企画・制作する『ライブナタリー』など、エンターテイメントに関する様々な事業を行なっています。

自由と自主性を重んじる社風は創業以来変わっておらず、カルチャーを愛する約100名の社員が各々の持ち場で力を発揮しています。

興味がある人は求人情報をぜひチェックしてみてください。

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