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狭き門を勝ち抜いた資生堂コピーライターが、「言葉」に込める願い

「一瞬も 一生も 美しく」というコーポレートメッセージを掲げ、世界中の女性に美を提供してきた資生堂。そのメッセージや哲学は商品だけでなく「言葉」の細部にまで行き届いている。そんな資生堂でコピーライターとして活躍するのが植木彩さんだ。これまで、人気商品『MAQuillAGE』の「レディにしあがれ」シリーズの広告全般をはじめ、数多くのブランドでコピーライティングを手がけてきた植木さんに、一つの言葉に込める想いを伺った。
  • 取材・文:羽佐田瑶子
  • 撮影:飯本貴子

Profile

植木彩

1985年、愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、株式会社資生堂へ入社。宣伝・デザイン部にて、『MAQuillAGE』『スノービューティー』などのコピーライティング・広告プランニングを数多く手がける。2015年NHK制作局出向を経て現職。

得意なことは「言葉」しかなかった

—植木さんが言葉に興味を持ちはじめたのは、いつ頃ですか?

植木:言葉に関しては、母から厳しく教え込まれました。母が中国と日本のハーフなので、娘にはきちんとした日本語を身に付けさせたいという想いがあったのかもしれません。幼稚園の頃から、父と母の呼び方は「お父様」「お母様」でしたし、なんとなく耳から覚えるのではなく、助詞や構文といった文法から日本語を学びました。

—挫けたりはしなかったのでしょうか?

植木:逆に「負けてたまるか!」という精神で(笑)。その影響もあって、国語や作文が得意になり、趣味は読書や映画鑑賞など言葉に関わるものばかりでした。そもそも、他に得意なものがなかったんですよ。スポーツや音楽、理数科目もまったくダメで。中高時代は演劇部で脚本を書いていて、いくつかのコンテストで賞をいただくほど夢中になっていましたね。また、中国の文化や言語にも興味があったので、言葉の成り立ちや意味などを考える癖が自然についたのだと思います。

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—中国と日本のクオーターというバックグラウンドは、植木さんに影響を与えているんですね。就職活動ではどのような職種を中心に受けていたのでしょうか?

植木:高校生のときに、高木徹さんの『戦争広告代理店』という本に出会い、言葉で社会を動かすことができるジャーナリストという職業があることを知ったんです。もともとルポルタージュやドキュメンタリーが好きだったので、「社会」と「言葉」を軸に働ける記者職を目指し、マスコミを中心に受けました。でも、見事にすべて落ちてしまい、追い打ちをかけるように、第一志望の会社からは「記者ではなく、総務はどうですか?」と声をかけられて……。本当に自分は記者になるべき人間なのかと考えるきっかけになりましたね。

—その後、資生堂への応募を?

植木:就職活動も終わりの時期に差しかかり、就職浪人をするか迷っていたのですが、たまたま資生堂でコピーライターを募集しているのを知って。言葉を扱う仕事ですし、お化粧も好きなので最後にダメ元で受けてみたんです。採用枠は1人だったので、内定を取れたのは奇跡というか。後日、選考理由を採用してくれた当時の上司に聞いたら「課題の作文で審査員を笑わせる人は多い。でも泣かせたのは、あなただけでした」と言われました。入社試験という形ではありましたが、言葉を通して想いを人に届けられた、忘れもしない出来事ですね。

「社会」と「言葉」を軸にした仕事

―入社されて、すぐにコピーライターとして仕事が始まるのですか?

植木:いえ、私たち宣伝・デザイン部門の採用者は、10月から実務スタートという遅さで(笑)。それまでは資生堂の歴史や文化について学んだり、資生堂書体というオリジナルのフォントの描き方を習うんです。手から手へ伝えられてきた特別なもので、先生に合格をもらうまでひたすら描きました。

―さすが伝統ある会社の研修ですね。実務では、苦労を感じることはありましたか?

植木:広告コピーのことを何もわかっておらず、概念的なスローガンみたいなものばかり書いていたと思います。過去の作品を研究したり、クリエイティブディレクターと何度もキャッチボールしたりして、少しずつ学んでいきました。商品のコンセプトを集約する力と、「買いたい」と思わせる説得力。自分なりに感覚や手応えを掴めたのは入社して5年目くらいでしたね。

―5年ですか……。植木さんがどのようにコピーをつくるのか、とても気になります。

植木:まず核となる伝えたいことをシンプルな言葉に集約させます。それから言葉遣いや単語を試行錯誤して、広告として機能する「表現」に磨き上げていきます。一つの案件で、1000本以上コピーを書くこともしばしば。当然、たった一つしか採用されないので無駄な作業だと思われるかもしれませんが、質は量を出さないと高まりませんからね。

多くの言葉が並ぶ植木さんのノート

多くの言葉が並ぶ植木さんのノート

―仕事をする中で「資生堂らしさ」は、どういうところで感じますか?

植木:たくさんあるとは思いますが、言葉という観点からいうと、資生堂ならではの表記ルールというものがあります。たとえば「日やけ止め」は必ず「やけ」をひらがなで表記します。女性の肌を傷つけるような「焼く」という表記はふさわしくないという考えから決められたそうです。こういった女性を傷つけないような、細かな表記への心配りも「資生堂らしさ」かなと思いますね。

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コピーを書くだけが、コピーライターの仕事ではない

コピーを書くだけが、コピーライターの仕事ではない

―植木さんのターニングポイントになった出来事を教えてください。

植木:入社4年目のことです。資生堂が発行する文化誌『花椿』の裏表紙を若手クリエイターの社内コンペで決めていた時期があって、写真家の川内倫子さんと一緒に作品をつくりました。「化粧は女性の人生に大きく関わっている」というメッセージを軸に川内さんが素敵な写真を撮ってくださり、それに合わせてコピーを書きました。ありがたいことに好評をいただいたのですが、この直後に東日本大震災が起きてしまって。書いたコピーを読み返して「本当に女性は、世界が滅びても口紅を引くのだろうか?」と疑問を抱きながら、東北でのボランティア活動に参加したんです。

―すごいタイミングですね。東北では具体的にどのようなことを?

植木:マッサージやメーキャップなどの美容サービスを行ったり、身の回りの生活用品で簡単にできる美容法をまとめた壁新聞をつくったりしました。避難所の方からは「こんな状況で化粧なんて必要ない」など、ご批判をいただくことも多くありましたね。しかし、ある資生堂スタッフの手を握って「あなたを見ていると、きれいになりたいという気持ちで生きているなって思わされるのよ」と言っていただいたことがあって。その言葉を聞いて、資生堂の人間として美しくあることは仕事の一部なのだと気づかされました。

東北3県に限定出稿した新聞広告

東北3県に限定出稿した新聞広告

―その後、NHKに出向していたと伺いました。コピーライターがテレビ局へ、というと意外な気もします。

植木:NHKへの出向は、かねての希望でもあって。女性向けの朝の情報番組のディレクターとして番組制作に奔走していました。そこで、「化粧は人生に大きく関わっている」という信念や思い込みが崩壊しましたね。女性は仕事や育児など、考えなければいけないことが山のようにあって。化粧なんてきっと人生の3%くらいなんです。資生堂にいると「女性は化粧が好き」という考え方が前提になってしまうので、NHKでの経験がないとわからなかった価値観かもしれません。

—学生時代に目指していた職を経験できたんですね。他にも気づきはありましたか?

植木:「広告」をつくることだけに必死になっても、伝わらないということです。今はスマートフォンさえあれば、いくらでも面白い情報に触れられる。様々なコンテンツが、ユーザーの興味と時間を奪い合っているわけです。なので、化粧のことを考えていない人にも興味を持ってもらうような仕掛けづくりが大切ではないかと。NHKから資生堂に戻ってからは、その観点を仕事に活かせていますね。その一つの取り組みとして、『スノービューティー』という商品のショートムービー『Laundry Snow』があります。

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—どんなところにこだわったのですか?

植木:『スノービューティー』のショートムービーには3年前から携わっているのですが、今年は内容はもちろん、見てもらうための仕掛けづくりを強化しました。出演者、ストーリー、ファッション、音楽など様々な「興味の入り口」をムービーの中に仕込んで、SNSで拡散されるようにしたり。主演の高橋一生さん、武井咲さんのパワーもあって、動画は6日間で100万PVを突破。手応えを得ることができました。

どんな小さな広告でも、人の背中を押せるような言葉を紡ぎたい

—コピーライターとしての目標を教えてください。

植木:詩のようにじっくり味わう奥深いコピーも素敵ですが、私はわかりやすく、人の口の端に上るようなコピーを書きたいですね。やっぱり言葉は届かなければ意味がありません。テレビ、雑誌、WEB、イベントなど手法の垣根を越えて「なんか残る」一言をつくることは、これから大切になってくるんじゃないかと思いますね。

—「伝わる言葉」を考えるだけではなく、「どう伝えるか」という観点も必要だということですね。

植木:はい。あとはどんなに小さな広告でも「社会的意義」という視点を持ちたいと思うようになりました。たとえば、『スノービューティー』のムービーに込めたメッセージは、「願い続けることが、いつか魔法のように何かを起こす」でした。どんな有名なスポーツ選手も偉大な経営者も元をたどれば何かを願い、行動を起こし続けた、ただの人だったわけです。化粧品広告という枠を超えて「願い続けること」を力強く肯定する物語をつくりたかったんです。すべてのコピーや広告は、誰かを応援する存在であって欲しいと思っています。

—これから植木さんは、どのようなお仕事に携わりたいですか?

植木:コピーが映える場を自らつくりにいく、が私のテーマです。「言葉には社会を変える力がある」という信念は学生の頃から変わっていません。でも言葉の力というのは表現を研ぎ澄ますだけではダメで、その言葉が映える舞台を用意してはじめて機能するものだと思います。コピーライターという仕事も、言葉を起点としたコミュニケーション全体を設計する仕事へと変わっていくのかもしれません。

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—それでは、最後に個人的な人生の目標を聞かせてください。

植木:私は「美しいだけでは生きてはいけない。美しくなければ生きる意味はない」をモットーにしています。「美しい」というのは顔や身体だけでなく、精神や生きる姿勢も含めてです。昔から、陰口、足の引っ張り合いなど曲がったことが大の苦手で。誰が相手でも、自分自身に対しても、常に正々堂々、凛としていたいですね。

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『日本舞踊』

伝説の舞踊家・武原はんさんに憧れて、2年前から習い始めました。日常の雑念がスッと消えて集中できるいい時間です。武原はんは14歳から約80年間にわたり、流派に属さず踊り続けたり、鏡張りにした部屋で一日20時間練習するなど、とにかく生き様が規格外で、すごい人。「美しい」の背後にある並大抵じゃない覚悟を感じます。
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