人生を変えてくれた、インターネットの世界

プロフィール
北村 慧太

1983年生まれ。高校中退後、株式会社ビジネス・アーキテクツに入社。その後米国留学を経て2004年よりデザインスタジオ「tha ltd.」に設立メンバーとして参加。2007年から始めたイメージブックマークサービス「FFFFOUND!」は、デザイナー向けのコミュニティとして世界中のユーザーから圧倒的な支持を得た。2012年より株式会社サマリーにて取締役CTOを務める。主な受賞歴に、文化庁メディア芸術祭、東京インタラクティブアドアワード、ARS Electronicaなど。
http://twitter.com/keita

最終学歴は中卒。しかしながら、日本を代表するWEBクリエイター・中村勇吾氏とともに会社を設立するなど、驚くべき経歴を持つ北村慧太さん。同世代が学生生活を送っている間にも、ひたすらプログラマーとしてのキャリアを積み上げてきた彼は現在、今注目のWEBサービス「Sumally(サマリー)」を運営する株式会社サマリーにてCTO(最高技術責任者)を務めている。そんな彼にとって、常に情熱の源となってきたのは、広大で、自由で、可能性に満ちたインターネットの世界だった。現状に満足せず、より刺激的な環境を求めてチャレンジし続ける、北村さんの生き方に迫った。

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高校を中退、そしてネット業界へ

―北村さんは学生時代から、今のお仕事につながる興味が、すでに芽生えていたのでしょうか?

北村:そうですね。中学校くらいから、インターネットばかりやってて。そもそも勉強というものが、大嫌いでした(笑)。ネットでゲームの攻略法とか調べたり、オンラインの友達とチャットで情報交換しているのが楽しくてしかたなかったんです。当時はダイヤルアップ接続だったので、料金が安い深夜にネットをしてまして。すると当然のように朝起きられなくなり、学校に遅刻したり、行っても授業中に寝てるという状態になって(笑)。それで結局、高校二年の夏に中退することにしました。

—思い切った決断ですが、周囲から止められたのでは?

北村 慧太

北村:進学校だったので、親は当然大学にいくものだと思っていて「このご時世に、中卒ってオマエ……」と呆れられましたけど、最終的には「ホームレスにならなければいいから、好きにしろ!」となって。僕自身、将来について真剣に考えたときに、中途半端な大学に行くぐらいなら今からネットの仕事した方が良いかな、と思ったんですよ。後は、ちょうど親からも離れて自由になりたかった時期でもあり(笑)。ほんとバカだったので、考えが極端なんですよね。

―学校を辞めてしまっても、仕事で食っていけるのなら、それでいいと。

北村:とはいえ、最初は不安でしたよ。高校の夏休みに、親の知り合いの会社でサーバー管理やホームページの制作やCGIのプログラミングのアルバイトをしてはいたんですが、完全に独学だったので。ただ、コード書いてる方が学校の勉強より刺激的で打ち込めたし、そのとき実際にお金という対価をもらって仕事をしていると自然と自信になったんです。当時はWEB黎明期だったので、僕みたいな初心者でも業界で相手にしてもらいやすい状況ではあったと思います。

―では中退してすぐ、すぐに就職もできて?

北村:当時、キノトロープとかイメージソースとかビジネス・アーキテクツ(以下「bA」)とか働いてみたいWEB会社はいくつもあったんですけれども、どう考えても高校中退でどこの馬の骨かわからない人間をいきなり雇ってはくれないだろうと(笑)。なので、とりあえずどこかで修行を積もうと思ったんですね。それで、元のアルバイト先と繋がりがあった小さなシステム会社の方にお願いして、運良く就職できました(笑)。

―すると17歳ぐらいから、社会人として働いていたんですね。

北村:そうですね。就職とともに東京に出てきて、曙橋に住んでいました。親が見つけてきてくれたマンションで、敷金と礼金はとりあえず払ってやったから、あとはもう自分で生きていけ、と言われて。その後「そのお金をあげたつもりはではないので、あとで返しなさい」とは言われましたけど(笑)。そんなこんなではじめは、厳しかったんですけど、もちろん文句は言えないし、なんとか自立はできました。

憧れの会社で、人生を左右する出会い

―その歳から、すごいですね……。

北村:はじめの会社では、フォームなど、一部分のプログラムを制作して納品するような仕事をしていました。結局、その会社には半年ぐらいいたんですが、やっぱりもっとWEB制作寄りの仕事をしたいなと思ったんです。社内にディレクターやデザイナーがいて、自社でひとつのサイトをまるごと作れるような会社に入りたいなと。それで別のWEB会社に転職して。そこでもある程度の仕事は出来ていたのですが、さらに規模の大きい仕事をしたいと思い、bAに入社することになりました。

―ようやく行きたかった会社に入ることができたんですね。

北村 慧太

北村:当時のbAはデザインやマークアップが出来る優秀な人が多かったのですが、システムグループではまだ人が足りていなかったので、運良く採用されたんだと思います(笑)。bAではエンジニアという立ち位置から、WEB制作の「いろは」をひと通り学べました。僕は主にコーポレートサイトのコンテンツ管理システムや、スペシャルサイトのバックエンドなどの開発をしていて。ひとつのプロジェクトも大きくて仕事の進め方も勉強になりましたね。

―例えば、20歳にも満たない当時の北村さんは、周りからどんな印象を持たれていたのでしょう?

北村:子供が働いてるな、という印象ですかね(笑)。入社したときは、まだ18歳でしたから。名刺の渡し方もよく分からないし。でもその分、振られた仕事だけは期待以上のアウトプットを出すように心掛けて、せめてそこだけは信頼を得ようと必死でした。

―なるほど。仕事で信頼を得ようと。

北村:bAって面白い会社で、当時すべてのプロジェクトのやりとりが社員全員に公開されていたり、社内の情報交換MLが異様に盛んで、どこかで目立ったことをしていると認めてもらえる、という空気はあったと思います。一方で、インターネットの仕様にめちゃくちゃ詳しい人も居たので、間違ったことを言おうものなら吊るしあげられたり(笑)。そういう意味では、会社自体が非常にインターネット的でしたね(笑)。毎日が勉強にもなるし、出来る事の幅が広くなると仕事がさらに面白くなったという手応えはありました。あとは、当時bAに在籍していた(中村)勇吾さんやその時の上司との出会いなどは、大きな転換期になったと思います。

―中村勇吾さんとは、一緒にプロジェクトを担当されたことも?

北村:はい。はじめて勇吾さんと一緒に仕事をしたのは、ソニーがハンディカムを使って行なった「CAMCAMTIME」というキャンペーンです。ユーザーがハンディカムやウェブカムで撮影した動画が、パソコンのデスクトップ上で時計になり、1秒1秒を刻んでいくという内容で。2002年の文化庁メディア芸術祭デジタルアート部門で優秀賞を受賞しました。

―実際に高い評価を得たわけですね。

北村:今までの会社では自分の作ったものが、世で評価されることとは程遠かったので、素直に嬉しかったし、また一歩自信にも繋がりましたね。しかもそれまでの仕事と違って、バックエンドで映像や画像の処理をすることによって裏方のエンジニアも表現に関与出来るというのは自分の中でも大きな発見でした。それこそ、今となってはあたり前のことですけどね。

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20歳を前にして留学、帰国後tha ltd.立ち上げ

20歳を前にして留学、帰国後tha ltd.立ち上げ

—それでbAには、長く在籍されたんでしょうか。

北村:いえ、そうでもないんです。仕事をしているうちに英語のサイトや、仕様書を読む機会が多くなって。でも、理解するのにすっごい時間が掛かるんですね。中・高で勉強していなかったツケがここで回ってきたなと。勇吾さんに英語どこで勉強したの? って聞いたら、俺は東大受験したからな、とかサラッと言われますし(笑)。それで、チマチマ駅前留学とかしてもしかたないと思って、頭をどっぷり英語に漬けようと渡米を決めました。やっぱり極端なので(笑)。

—なるほど(笑)。

北村 慧太

北村:留学先は、シアトルにしました。シアトルを選んだ理由は、当時IEが一番イケてるブラウザの実装をされていた時期で、それならMicrosoft社のお膝元にしようと、ただそれだけなんですが(笑)。あとは、ひとつの区切りとして20歳の前に、次のステップに動きたいな、って思いも重なって。

—早熟すぎます(笑)。アメリカに滞在してみて、英語スキル以外にどんな影響を受けましたか?

北村:アメリカの生活は自分にあってるかな、と思いましたね。日本人特有な行間を読むようなコミュニケーションは求められないし、非常にシンプルでわかりやすいというか。気候も日本なんかより全然良くて、このままアメリカで就職したいなとも思ったんですが、やっぱりそこのハードルは高くて。そんな時に勇吾さんに「起業するから戻ってきたら」と誘われたので、帰国してふたりでtha ltd.を立ち上げました。その後、8年ほど勤めることになります。

—それで中村勇吾さんと起業……。なんか凄い展開ですね。

北村:学歴は無いけど、なんとかここまで、うまくやってこれました(笑)。でも親とか同僚には、非常に恵まれていたなと思ってます。人間的にも、社会的にも、いろんな事を教えてもらったし、助けられましたし。thaのオフィスは北品川の倉庫の片隅にあったんですが、当時はざっくり言うと勇吾さんが企画やフロントエンドを、僕がバックエンドを担当するという体制で仕事をしていました。

—基本的には、お二人のみで、すべての仕事を進めていったわけですね。

北村:はい。ただ、そのぐらいの時期からエンジニアとして伸び悩みをうっすら感じるようになって。一度、コンピュータサイエンスの歴史や基本的なことを体系的に学びたいなと思っていたら、ちょうどアメリカのいくつかの大学が無償でネット上に講義の動画を公開しはじめて。僕は、仕事の仕方というのは周りの大人から学びましたが、技術という意味では人に教えてもらうというより、ネットで学んだことの方が大きいんです。ネットにリソースはいくらでもあるので、そこから伸びるか伸びないかは、自分の根性だけだと思っています(笑)。

自負する、人一倍のネット愛

—英語もできて、最新知識も得て、ますます成長していったと。

北村:どの仕事も毎回違うような技術が求められ、やりがいもあって楽しかったです。ただ、殆どが広告の案件で。そうなると、開発しても、公開後は1〜2週間でプロモーションが収束していくという、蝉が地上で鳴く期間のように、一瞬しか日の目を見ないのを、少しばかり残念に感じる自分もいて。

—より長い期間、評価されるものを手がけてみたい、という思いが芽生えてきた?

北村:はい。そんなことを考えていたとき、自社でサービスを作ろうという企画が上がったんです。2007年当時、画像をブックマークできたら面白いかも、という案が出て、それがもとになり、「FFFFOUND!」というサービスを開発して公開したらけっこうな反響がありました。今までの広告案件とは違い、機能を追加するとPVが伸びたり、効果が数字に反映されたりするのが面白くて。これに本気で取り組めば、もっとうまくできるんじゃないかな、という思いも芽生えました。

—サービス開発に注力していきたいという思いが、どんどん育っていったんですね。

北村 慧太

北村:それから数年経って、サマリーを受託で開発してくれないか、という話がthaに来たんです。2011年の9月にサービスをローンチさせ、さらに開発を進めていくうち、だんだん愛着が湧いてきて(笑)。勇吾さんとは7、8年も仕事をしてきて、居心地も良かったのですが、いつまでもおんぶにだっこしているわけにも……と思ったのと、30歳を手前に次のアクションを起こしたかったので、サマリーへの転職を決めました。

—現在、北村さんは、開発チームのまとめ役である、CTO(最高技術責任者)という立場ですね。

北村:サマリーに移ってから一年は、ひたすらコードを書いていたのですが、このままでは開発のスピードが頭打ちになってしまうな、と思って。最近はもっとプロジェクトをどう効率的に進めていくかや、複数のメンバーでうまく開発を進められるような枠組みを考えています。チームとしての力をより発揮できるような環境づくりというか。開発チームもまだ少なくて僕を含めて4人なので。

—今は、それまでのプレイヤーだけではない、チームをまとめる立場になったんですね。

北村:そうですね。これから10人、20人とデザイナーやエンジニアを採用していくためにも、気になる人がいたら自分からも積極的に声をかけて採用活動もしてます。ネットで面白そうなことやっている人を見かけたら、即メールしてアポイントを取ってみたり。何より自分が興味ある人と会話をしてみたいなと。でも本当は、面識のない相手とコミュニケーションを取ることに、すごい恐怖心があって苦手なんですけどね。こういう(インタビューの)経験を通してなんとか克服していきたいなと(笑)。

—北村さんが仕事をする上でのモチベーションの核になっているのって、どんなことなんでしょう?

北村:「焦り」ですかね……。なんか常に焦ってますね(笑)。ネットで情報収集をしていて、どこかの会社とかエンジニアが良い感じのサービスを出したとかのニュースを見ると、すごく不安になってくるんですよ。果たして自分はそういった成果をあげられているだろうか、と自問自答しちゃって。ネットは大好きなんですけど、外の世界を見れば見るほど、常に高い壁だらけだなと。だから、それが原動力になっているのかもしれません。なんかあまり健全ではないモチベーションですけど(笑)。

—(笑)。でも目線は常に、世界トップレベル、というわけですね。では最後に、今後の目標は?

北村:今はやはりサマリーをサービスとしても、会社としても成長させて多くの方に使ってもらえるモノにすることが目下の目標です。僕は、インターネットが日本に登場し始めたぐらいの頃から、数々のサービスの変遷を指をくわえながら見てきました。そこには大きく成功をおさめたものや、成功したと思いきや見事にコケたものなどいろいろとありましたが、今度は自分がその当事者になってひとつのサービスを創り、完成に近づけたいです。ネットへの愛情は人より強いと思っているので、やるからには誰にも負けられません(笑)。



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