『港町』に見る、想田和弘ドキュメンタリーの力 濱口竜介が解説

「交渉」の過程をスリリングに伝える「観察映画」

『港町』を見て、素直に驚かされるのはそこに刻印されている作家・撮影者=想田和弘の「近さ」への意志だ。前作『牡蠣工場』(2015年)に続いて、彼は岡山の港町・牛窓のコミュニティー内部へと「観察」のために入り込もうとする。彼が提唱する「観察映画」という呼称がもたらすイメージと裏腹に、そこでは傍観者的な姿勢は希薄だ。むしろ絶え間ない「交渉」の過程が、排除されることなく映画内に残っている。

交渉は基本的にカメラ後ろから、被写体に向かって呼びかけることでなされる。質問をされることで、被写体はただ単にジッと写されるよりも安心してカメラの前に居られるようにも見える。逆に被写体から問いかけられれば、撮影者も何者かを答えていく(「ニューヨークから来て」「ドキュメンタリー映画を撮っている」など)。

映画『港町』場面写真 / ©Laboratory X, Inc
映画『港町』場面写真 / ©Laboratory X, Inc

そのことが彼らの疑念を弱めもするだろう。瞬間ごとに、撮影者は被写体に対して「どう振る舞うか」を問われており、その振る舞いによって都度都度「この場にいてもいい」状態を獲得していく。撮影者の声が、意外なほどに感情(緊張、好奇心、警戒、戸惑い、踏ん張り……)を伝えてくることもあって、距離が決定されるこの過程自体が、非常にスリリングでもある。

「近さ」が被写体に及ぼす、2種類の影響

「近さ」はまず、単純によりよく観察するために選択されている。漁師を観察するなら、同じ舟に乗り込まなくてはならない。当然のことだ。漁師が網を投げ、ブイを浮かべ、夜になればその網を引き揚げて、網から魚を外す。魚を網から外すのは必ずしもスムーズにいかないが、焦りの感じられない手つきからは、やはりその作業が長年の習慣であることを感じさせる。

想田はこうした日常的なルーティンに近づくことで、コミュニティーの観察を試みる。それ自体は多くの優れたドキュメンタリー作家と共通する点だが、彼は自身を「壁に止まったハエ」のように見せようとはしない。「カメラは被写体のすぐ近くにある」、その事実を隠す気はまったくないようだ。

映画『港町』に登場する漁師 / ©Laboratory X, Inc
映画『港町』に登場する漁師 / ©Laboratory X, Inc

日常的ルーティンはそれ自体強固なので、部外者が1人入り込んだとしても基本的には滞りなく進行する。としても、彼がカメラを持っているとなれば話は別だ。カメラを向けられることは、未来において無限の他者の視線にさらされることを意味するからだ。カメラは半ば閉鎖的でもあるコミュニティーを、より大きな社会へと開く窓となる。

このときカメラは被写体に対して、大まかに言って2通りの働き方をする。まずは「監視カメラ」として。自分たちの行為の中に何らかの反社会的な要素が含まれているとしたら、映像は未来において自分たちを告発する証拠として働く可能性がある。なので、この場合はカメラを前にしてコミュニティーの活動は萎縮する(この側面は前作『牡蠣工場』により顕著だ)。

映画『港町』場面写真 / ©Laboratory X, Inc
映画『港町』場面写真 / ©Laboratory X, Inc

また、カメラの特性はその場を「劇場」にする。フレーミングされた人はあたかも「選ばれた(キャスティングされた)」かのような感覚を得る。中には「何かパフォーマンスをしなくては」とあからさまに高揚する人もある。『港町』の登場人物中でひときわそれを感じさせるのは、冒頭から登場し、実のところほとんど主人公でもある、一人の老女だ。親切心も手伝ってか、撮影者を牛窓のあちらこちらへ「見に行ってみるか」と誘ったり、町民についての解説をかなり下世話なレベルまでしてくれたりする。

映画『港町』に登場する老女 / ©Laboratory X, Inc
映画『港町』に登場する老女 / ©Laboratory X, Inc

カメラを前にして、ある者は萎縮し、ある者は高揚する。しかし、それで問題はない。想田の観察すべき対象が、カメラの影響そのものだからだ。展開されるのはもはや日常的なルーティンそのものではあり得ないが、それこそがカメラの前の自然でもある。「カメラを持った男」が乱入することによって生じる日常と非日常の混淆や、人物・コミュニティーの揺らぎこそを観察映画は捉える。

映画『港町』予告編

被写体に近づく「賭け」から、美しい語りが生まれる

撮影者が個々の被写体との間に切り結ぶ距離の「近さ」は、「撮られている」という確かな感覚を被写体に与えるものであり、まさにこうした萎縮や高揚こそを引き起こすために選び取られている。ただ、それは「操作」というよりも、何が起こるかがどこまでも不確かな「賭け」に近い(「近さ」を求める想田の態度は、他の撮影者・監督との共同作業である6月公開の次作『ザ・ビッグ・ハウス』と見比べることでより顕著に感じられる)。

6月公開の想田和弘監督作『ザ・ビッグハウス』場面写真 / ©2018 Regents of the University of Michigan
6月公開の想田和弘監督作『ザ・ビッグハウス』場面写真 / ©2018 Regents of the University of Michigan

映画『ザ・ビッグハウス』特報映像(サイトを見る

最終的にこの「近さ」の原則は、撮影者と観客を思わぬ境地へと引き連れて行く。賭けは、『港町』にドキュメンタリー映画としては破格に美しいナラティヴ(語り)を与えるという結果を生む。

終盤、それまで見えなかった町の深部を示す、あるできごとによって、観客はそれまで抱いてきたこの町に対しての認識を改めるよう迫られる。ただしそれは、観客がこの「町」についてより深く理解することを必ずしも意味しない。観客が触れることになるのは、極めて具体的な「わからなさ」だからだ。ことの真偽も全容も「わからない」という強い感覚を観客が得るそのとき、映画もまた『港町』というタイトルにふさわしい、厚みと広がりを確かに獲得する。

映画『港町』ポスター/ ©Laboratory X, Inc
映画『港町』ポスター/ ©Laboratory X, Inc(サイトを見る

作品情報
『港町』

2018年4月7日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作:柏木規与子
制作会社:LaboratoryX,Inc
配給:東風+gnome

『ザ・ビッグハウス』

2018年6月からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督・製作・編集:想田和弘
監督・製作:マーク・ノーネス、テリー・サリス
監督:ミシガン大学の映画作家たち
上映時間:119分
配給:東風 + gnome

プロフィール
想田和弘 (そうだ かずひろ)

1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。1993年からニューヨーク在住。映画作家。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』(2007)、『精神』(2008)、『Peace』(2010)、『演劇1』(2012)、『演劇2』(2012)、『選挙2』(2013)、『牡蠣工場』(2015)。『港町』と、初めてアメリカを舞台にして撮った『ザ・ビッグハウス THE BIG HOUSE』(観察映画第8弾)が2018年公開予定。その制作の舞台裏を記録した単行本「〈アメリカ〉を撮る(仮)」(岩波書店)も刊行予定。

濱口竜介 (はまぐち りゅうすけ)

1978年神奈川県生まれ。映画監督。東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』(2008)がサン・セバスチャン国際映画祭や東京フィルメックスに出品され高い評価を得る。東日本大震災の被災者へのインタヴューから成る『なみのおと』(2011)『なみのこえ』(2013)、東北地方の民話の記録『うたうひと』(2011~2013/共同監督:酒井耕)、4時間を越える長編『親密さ』(2012)などを監督。最新作『ハッピーアワー』は第68回ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞受賞をはじめ、海外映画祭で高い評価を得ている。最新作『寝ても覚めても』は2018年晩夏、全国公開予定。



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