コラム

『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』が問いただす我々の歪んだ自意識

『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』が問いただす我々の歪んだ自意識

テキスト
真鍋厚
編集:矢澤拓(CINRA.NET編集部)

「客観性」というエクスタシー。わたしたちの「ちっぽけな自意識」を浄化するために手に入れなければならないもの

ウィルソンは、「人格性」を「主観性」に言い換え、「主観性」は地獄であり、「非人格性」「客観性」は天国であると説明した。エクスタシーという言葉は、ギリシャ語の「エクスタシス(ekstasis)」に由来し、「外に立つこと」を意味している。「自分が自分の外に立つ」=「人格性」「主観性」の外に出ることなのだ。性的なニュアンスで使われることが多い言葉だが、忘我の境や恍惚といった訳語が充てられている通り、宗教や芸術などの世界では馴染み深い超越感覚であり、わたしたちの「ちっぽけな自意識」を浄化してくれる潜勢力を持っている。ただ、これは一朝一夕には手に入らない。前述のように内面化された社会が視界を曇らせているからである。ゴールデン・グローブの喧噪に突然場違いな救世軍が登場する理由もこれで説明がつくかもしれない。「外に立つこと」は、性愛でなくても宗教で可能であるからだ。

唯一、物語の中で「普通の人」として登場する救世軍の女性 ©2019 bombero international GmbH&Co. KG/Pathé Films S.A.S./Warner Bros.Entertainment GmbH
唯一、物語の中で「普通の人」として登場する救世軍の女性 ©2019 bombero international GmbH&Co. KG/Pathé Films S.A.S./Warner Bros.Entertainment GmbH

自己イメージを保つための幻想。逃れがたいSNS空間と「ゴールデン・グローブ」の共通点

ここではファティ・アキンが、ゴールデン・グローブのことを、ソーシャルメディアとの共通点をなぞりながら、「そこでのつながりというのは、リアルな場所、スペースではなく、幻想」と強調していたことが重要な意味を帯びてくる。そこでは「依存症や中毒の危険性」があることも併せて強調した。

両者を貫いているのは、いわば「自己イメージ」を保つための「幻想」にしがみつく作法だ。しかしそれは「人格性」「主観性」の地獄でもある。ソーシャルメディアをはじめとするネット空間で「いいね!」をもらおうと、あるいは意見の異なる他者をねじ伏せ、自らの存在を誇示しようと血眼になる人々が典型だが、手垢の付いた欲望に駆動された「支配感の回復」に傾倒し、知らず知らず空虚感と徒労感だけが募っていく。そのような「幻想」の舞台として、ゴールデン・グローブの陰画を抽象化してみれば、ホンカもわたしたちも、依存症や中毒から距離を取ることがいかに難しいかが分かるだろう。

物語の舞台となるバー「ゴールデングローブ」 ©2019 bombero international GmbH&Co. KG/Pathé Films S.A.S./Warner Bros.Entertainment GmbH
物語の舞台となるバー「ゴールデングローブ」 ©2019 bombero international GmbH&Co. KG/Pathé Films S.A.S./Warner Bros.Entertainment GmbH

わたしたちはどのようなフィルターで物事の価値を推し量るのか。酒やネット空間に逃げ続ける限り手にすることのできない本質的な問いを投げかける

一方で、「非人格性」「客観性」という天国への扉は、アキンがバーの娼婦たちを「醜い」と評価する声に対して「僕はそう思わない」と述べ、「彼女たちを美しいと思う。絵画のような女性たち」と讃えたところに明確に示されている。

いかに「自意識をキャンセル」し、「他者と融合」するか。それはアキンが「何が美しいかというのは、自分で決めること」と言ったように、人生における「美醜の問題」であり、もっと敷衍すれば、わたしたちがどのようなフィルターで物事の価値を推し量っているのか、という本質的な問いとなって跳ね返ってくる。

この古くて新しい難題に取り組むことから避け続けている限りは、わたしたちはとりあえず酒やドラッグで我を忘れるか、ネット空間で少しばかり脚光を浴びたり、毒をまき散らしてやり過ごすしかないのかもしれない。そんな強烈な批評がスクリーンの端々から腐臭のように漂ってきている。それはわたしたちのグロテスクなセルフィーでもあるのだ。

主人公フリッツ・ホンカ役ヨナス・ダスラーに施される特殊メイクも必見。醜い容姿はこうして作り上げられているのだ。

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作品情報

『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』

2020年2月14日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で順次公開

監督・脚本:ファティ・アキン
出演:
ヨナス・ダスラー
マルガレーテ・ティーゼル
ハーク・ボーム
上映時間:110分
配給:ビターズ・エンド

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