ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2 走った軌跡をアートにする、ジュン・グエン=ハツシバの作品

観る者に社会問題を身近に感じさせる力がアートにあるとすれば、それを静かながらも鮮やかな手法で成し遂げるのがジュン・グエン=ハツシバだろう。難民問題をはじめ、さまざまな社会問題に言及した作品には、ドキュメンタリータッチの直接的表現が持つ衝撃的なアピールとは異なる、隠喩に満ちた物語の力がある。それはこんこんと湧き出る清水がやがて大河となるように、観る者の心にこっそりと小さな水源を確保し、じわじわと確かな主張を浸透させていく。『ヨコハマトリエンナーレ2011』では、東日本大震災から再生しようとする日本へのエールともなる新作を展示中。今日に至るまで、作家はどんな思いをそれぞれの作品に託してきたのだろうか。

PROFILE

ジュン・グエン=ハツシバ
1968年、東京にて日本人の母とベトナム人の父の間に生まれる。幼少期を日本で過ごしたのちアメリカで教育を受け、現在はベトナムのホーチミン市を拠点に制作活動を行っている。難民のためのメモリアル・プロジェクトシリーズなどで知られ、2001に続き2回目の参加となる今回の『ヨコハマトリエンナーレ2011』では、ランニング・ドローイング・プロジェクトの新作を発表。
MIZUMA ART GALLERY : ジュン・グエン=ハツシバ / Jun NGUYEN-HATSUSHIBA

「地球の直径を走破する」アート作品

―『ヨコハマトリエンナーレ2011』には『Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery,1.789km』という作品を出品予定ですね。これは2007年にスイスのジュネーヴで始まった壮大なランニング・ドローイング・プロジェクト『Breathing is Free: 12,756.3』の一環です。12,756.3という数字は地球の直径であり、それと同じ距離を走破するというプロジェクトです。地球の直径は、ある地点から地球の反対側へと到達すること、ひいては現状とはまったく違った状況への移行を象徴するとのことですが、もう少し具体的に教えてください。

ジュン・グエン=ハツシバ(以下、グエン=ハツシバ):「地球のあちら側へ行く」というのは、自分の人生を変えたいと願う難民を象徴しています。難民は自分たちの現状とは180度違った状況を望みます。地球の中心部を通って反対側に到達できれば、距離的には最も短い。実際には物理的に無理ですから、あくまでも比喩ですが、私はこの数字を自分が走るために使っている。走ることを通じて、難民の体験することを身体的に体験することになるわけです。難民が体験するさまざまな葛藤や困難を、身をもって体験したいのです。ですから、このプロジェクトの基本的なコンセプトは難民の苦境を自分で体験することだと言えます。10年以上かかるであろう、長期に渡るプロジェクトです。『ヨコハマトリエンナーレ2011』出品作品が完成すると、これまでに約3,000kmほど走ったことになります。

ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2
Breathing is Free: 12,756.3 - Chicago, 88.5km 2010 single channel digital video 14 min.
Photo by Nguyen Ton Hung Truong
Supported by a gift from Howard and Donna Stone and a grant from the Illinois Arts Council
Courtesy: the artist and Mizuma Art Gallery

―GPSで記録した走行軌跡がドローイングとなるそうですが、これまでどんなものを描いてきましたか?

グエン=ハツシバ:主に花です。『Breathing is Free: 12,756.3』はより大きな「メモリアル・プロジェクト」の一環なので、花を描こうと思いました。花は人の気持ちや感情、さまざまな状況を表現するものだと思うからです。例えば、男性から女性に花を贈れば好意の表れでしょうし、人が亡くなったときに花を捧げることもあります。私たちは、場合によって使い分けてはいるけれど、気持ちを花に託します。走る都市(国)の歴史や文化などの背景を理解したうえで、それにみあった花を描いています。

―花以外のものを描いたことはありますか。

グエン=ハツシバ:シカゴでは顕微鏡を描きました。台北では少し違った試みをし、子どもたちとのワークショップで、難民に会ったらどんな言葉を掛け、何をあげたいかを考えてもらい、絵を描いてもらいました。おもちゃを描いた子もいれば、Tシャツを描いた子もいました。私は子どもたちの絵をモチーフとして採用し、それらを描くようなルートを走りました。

ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2
Breathing is Free: 12,756.3 - Chicago Microscope (A Self-portrait), 88.5km 2010 single channel digital video 6 min.
Supported by a gift from Howard and Donna Stone and a grant from the Illinois Arts Council
Courtesy: the artist and Mizuma Art Gallery

2/3ページ:なぜ人は、幸せや安全を求めて故国を去らなければならないのか?

震災の知らせを受けて固めた小さな決意から

―新作『Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery,1.789km』について伺います。東日本大震災をテーマに制作しているそうですね。

グエン=ハツシバ:3月11日に地震の知らせを聞いたときから、別のプロジェクトを進める傍らで、特に作品にするという構想もなく走り始めました。日々のトレーニングとしてホーチミン市内を走っていたので「今夜は日本のために走ろう」と心の中で小さな決意をしたのです。その日、走り終えたとき、これを継続して何らかの支援にできればいいと思い、桜の花を描くように走り続けました。走るだけですが、被災地へのメッセージのようなものになればと。

―描くのは桜なのですね。

グエン=ハツシバ:たくさんの花をつけた桜の木です。当時、日本では桜が咲きはじめる季節でしたが、日本の皆さんは花見のことを考える余裕がないかもしれないと思いました。私たちは、日本にメッセージを送りたかったのです。皆さんが復興に尽力するそばで、桜もちゃんと咲いていますよと。こうして小さなプロジェクトが生まれました。『ヨコハマトリエンナーレ2011』のスタッフと話し合った結果、もともと考えていた作品よりも、より時宜にかなったこのプロジェクトを出品することになりました。桜を描く過程はホーチミン市と横浜市で進め、両都市の地図を重ね合わせます。そうすることで道路の選択肢が増えますから、どちらかの都市では道がないために走れない、つまり線を描けない部分や細部をも描き出すことができます。

ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2
《Breathing is Free 12756.3: JAPAN,Hopes & Recovery,1,789km》 2011
Courtesy Mizuma Art Gallery

―いま横浜でプロジェクトに参加しているランナーはどんな人たちですか。

グエン=ハツシバ:主に横浜を中心とした『ヨコハマトリエンナーレ2011』のサポーター(ボランティア)ですが、遠方から参加してくれる方もいますね。

―被災地の状況を視察する機会はありましたか。また、出来上がった作品を被災地で展示する予定はありますか。

グエン=ハツシバ:日帰りで仙台に行って走りました。作品が出来上がったら、何らかの形で被災地の人々に見てもらえるといいですね。具体的な方法はまだ決めていませんが、制作の過程で私たちが被災地の皆さんのことをずっと考えていたというメッセージが伝わればと思います。

ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2
《Breathing is Free 12756.3: JAPAN,Hopes & Recovery,1,789km》 2011
Courtesy Mizuma Art Gallery

―先ほど、『ヨコハマトリエンナーレ2011』には別の作品の出品を考えていたとのお話がありましたが、どのようなものでしたか。

グエン=ハツシバ:広島の原爆と被爆者に対する「メモリアル・プロジェクト」を出品する予定でした。『ヨコハマトリエンナーレ2011』が8月6日、広島の「原爆の日」に開幕することから考えたプロジェクトです。現在制作中の作品に比べれば、規模が大きく、もっと大勢の人が関わって長い距離を走る作品になる予定でした。原爆投下について調べてみると、横浜も候補地になっていたことがわかったのです。それで「もし横浜に原爆が投下されていたら、市民はその歴史とどう向き合うだろう」と問いかけながら、横浜の地図上に大きな菊の花を描きました。高層ビルとしては日本一の高さを誇るランドマークタワーを爆心地とみなして中心に据え、たくさんの花びらを描くことを構想しました。主に横浜市内を走って菊の花のドローイングを完成させる予定でしたが、広島と長崎でも走って花びらを何枚か描き、横浜で描いたドローイングに重ね合わせるつもりでした。

なぜ人は、幸せや安全を求めて故国を去らなければならないのか?

―『Breathing is Free: 12,756.3』はより大きな「メモリアル・プロジェクト」の一環であり、その集大成となるプロジェクトだそうですね。「メモリアル・プロジェクト」の根底にあるものはなんですか。

グエン=ハツシバ:「メモリアル・プロジェクト」の主なテーマは「難民」ですが、中には難民問題以外を取り上げた作品もあります。例えば、今回の出品作品が取り上げるのは「自然災害」です。ただ、地震の被災者たちも家や故郷を離れて生活を再建するという意味では、難民と共通点があります。「メモリアル・プロジェクト」のほとんどの作品が取り上げるのは、政治的理由から住み慣れた土地を離れざるを得なかった人たちです。私は若いころにある疑問を持ち、いまでも同じことを問い続けているのですが、それは「なぜ人は、幸せや安全やより良い生活を求めて故国を去らなければならないのか」というものです。なぜ、それらは母国では手に入らないのか、と。答えなど見つからない問いかもしれませんが、考え続けたいのです。

ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2
ジュン・グエン=ハツシバ

―「メモリアル・プロジェクト」の中には、『ホー! ホー! ホー! メリー・クリスマス:イーゼル・ポイントの戦い――メモリアル・プロジェクト沖縄』(2003年)など、本来地上でなされる行為を海の中で撮影した映像作品がありますね。これらの作品では、ダイバーたちの吐く息が泡となって水面へと上っていき、「呼吸」が目に見えるかたちで観る者になにかを問いかけてくるように思います。また『Breathing is Free: 12,756.3』でも、私たちが無意識のうちにする「呼吸」が作品において大きな役割を果たしているようですね。

グエン=ハツシバ:私は「息をすることは自由であるべき」だと思います。しかし、難民について考えてみると、彼らがどこでどう息をするか、自由だとは言えないのです。そこには経済力の問題もあるでしょうし、自由になれないのは彼らの経験した苦難からなのかもしれません。ですから、現実にある状況とメタファー理解とが重なり合っています。確かに、私は「息をすること」に関してこのような問題に注目したいし、人々の注意を喚起したいのかもしれません。「息をすること」は自由であるべきだけれど、万人にとって自由であるわけではないのです。

3/3ページ:日本、米国、ベトナム。3国で過ごした記憶と、作品の関わり

父の人生が教えてくれたこと

―ジュン・グエン=ハツシバさんが、難民問題を肌で感じるようになったのには、なにかきっかけがあったのでしょうか。だれにでも、歴史や社会問題が「自分の」問題として、より現実味を帯びる瞬間があると思いますが、いかがですか。

グエン=ハツシバ:どうにかして難民の状況をわかろうと努力しています。私自身が同じような体験をしたわけではありませんから、『Breathing is Free: 12,756.3』プロジェクトを通じて身体的に体験しようと試みているのです。それゆえに、これまでの作品のように撮影する側ではなく、走る姿を撮影される側にまわっています。まったく同じではないにしても、難民の苦悩にできるだけ近い状態を作り出して、理解しようとしているのです。

―難民問題は「再出発」の象徴と言えるかもしれませんね。

ヨコハマトリエンナーレ2011 参加作家インタビュー連載vol.2

グエン=ハツシバ:「メモリアル・プロジェクト」全体が父の体験を反映してもいます。父はベトナムから日本に留学しました。日本で勉強したことをベトナムに持ち帰って何らか貢献するのが彼の夢でした。しかし、国に帰る時期が悪かった。ベトナム戦争の終盤近くに帰国したため、夢を実現できなかったのです。ともあれ、父は留学中には、日本社会になじむために多くのことを学ばねばならず、米国に渡ると、すべてを最初からやり直すことになった。やがて長い年月を経てベトナムに帰ると、自分が生を受けた国であるにもかかわらず、またしても一大変化が待っていたのです。父の人生は私に教えてくれました。人は人生のさまざまな段階で再出発することができるのだと。

―お父様については2010年のミヅマアートギャラリーでの個展でも語っていましたね。ジュン・グエン=ハツシバさんは、ベトナム人の父と日本人の母のもとに東京で生まれ、米国で育ち、いまはベトナムに住んでいる。3つの国にどんな思いがありますか。

グエン=ハツシバ:個展では、旗に関する作品を何点か出しました。その頃、家庭菜園で野菜を育てるのに凝っていたので、植物の成育に関する作品構想が自然と浮かび、また父の一周忌も近かったため、父の人生に関連付けたいと思いました。それが父の人生と、父が過ごした3つの国――私が過ごした国でもあるのですが――について考えるきっかけとなりました。そして、人のアイデンティティの構成要素ともいえる「国旗(旗竿を含む)」を育てるという構想が生まれました。

旗竿は植物のように成長するもので、そこに開花するのが旗であると仮定しましょう。植物が生育過程によって形も大きさも異なるのと同様に、旗(旗竿)にも個性があってしかり。旗竿は個人の象徴でもありました。特定の国旗を掲げる竿(人)もあるでしょう。しかし、その成長過程において、さまざまな国や文化が融合し、さまざまな要素を持ち合わせた独自の(国)旗を開花させる竿があってもいい。日本、米国、ベトナム。3つの国は父と私の歴史でしかありません。

米や墨を使った学生時代の作品から、作品テーマはつながっている

―それでは最後に、学生時代の米や炭を使った作品について教えてください。現在の制作とはどのようなつながりがありますか。

グエン=ハツシバ:当時の作品も難民に関するものでした。もち米を炊いて、成形して乾かし、小さな彫刻を作りました。炊いた米を廃墟に持っていって、捨てられている車の車体などを米で覆った作品もあります。私にとっては、米粒は個人の象徴でした。米は車体に貼り付いていよう、米同士でくっついていようとしますが、乾燥するにつれてひび割れて、部分的に塊となって剥がれ落ちます。それを見て、大きな船に乗って母国を後にする人々のようだと思いました。必死でロープにつかまっていても力尽きて海に落ちてしまう人もいます。離れまいとしても、こぼれ落ちてしまう者がいる。米を使った作品の背景にはそのような考えがあります。

墨を使ったインスタレーションも作りました。バーベキュー用の練炭を迷路のように並べたのです。スタートとゴールのある迷路ではなく、自由に広がっていく迷路です。人がいかに自分の進む方向を決め、人生を切り開いていくかがテーマです。それもまた、恐らくは難民にとって――もっと言えば万人にとって――大きな問題でしょう。学生時代の作品は、私が考え続けている問題を取り上げており、現在やっていることと深く関わっています。いまは、同じ問題について別の方法で追求しようとしているわけです。今後は、特定の国からの難民だけでなく、難民一般、ひいては人類全体へとテーマの幅も広がっていくのかもしれません。

information

『ヨコハマトリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR―世界はどこまで知ることができるか?―』

2011年8月6日(土)〜11月6日(日)
会場:神奈川県 横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)、その他周辺地域
時間:11:00〜18:00(最終入場は17:30まで)
休場日:8月、9月は毎週木曜日、10月13日(木)、10月27日(木)

ヨコハマトリエンナーレ2011 OUR MAGIC HOUR−世界はどこまで知ることができるか?−



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