Teenage Jesus and the JerksやJames Chance and the Contortionsといったバンドで活動し、1970年代後半にニューヨークで起きたノーウェイブシーンの中心人物として知られるジェームス・チャンス。彼の恋人でマネージャーだったアーニャ・フィリップスは、ルー・リード、Madonna、ジャン=ミシェル・バスキアらが集うナイトクラブ「マッドクラブ」のホステスとしてニューヨークのアンダーグラウンドカルチャーに大きな影響を与え、1981年にがんによって26歳で逝去した。
『Black & White Portraits of James Chance by Anya Pillips Photo Exhibition』では、アーニャが撮影し、彼女の死後ジェームスが保管してきたポートレート写真を展示。あわせて展示作品を含む約30点の写真を収めた写真集が刊行される。写真集には、マッドクラブの共同オーナーで、1981年にニューヨークのMoMA PS1で開催された『New York/New Wave』展のキュレーションを手掛け、「ノーウェイブ」という言葉を初めて公式に使用した人物とされるディエゴ・コルテスによる寄稿文が掲載されている。