竹藤佳世監督インタビュー

演出家・山岸達児との出会い

―映画『半身反義』の主役である、山岸達児さんとの出会いはなんだったのですか?

「半身反義」より

竹藤:私は「東京ビジュアルアーツ」という映像の専門学校で教員をやっていたんですが、山岸さんがそこの顧問として講演にいらっしゃったんです。お話を伺っていて「この人面白いな~」と思いまして、自分の作品を見てもらい、そこからお付き合いが始まりました。2003年に山岸さんが脳梗塞で倒れてしまったんですが、その姿を見て、私自身、今は元気ですが、明日はわが身なんじゃないかと思ってとても怖くなったのを覚えてます。

―強い存在だった山岸さんの変貌にショックを受けたんですね。

竹藤:ええ。そうなんです。で、そんな折、若松孝二監督の『17歳の風景』という作品にシナリオとメイキングで参加しまして。若松監督は当時67歳で、ガン手術後の復帰作でした。それまで私は個人で映画を作っていて、劇場公開されるような映画は違う世界のものだと思っていました。でも頑張っている若松監督を見て、そんなことも言っていられないな、と思って。

―メイキングの撮影では、若松監督から、撮り方についていろいろと指導を受けたそうですね。

竹藤:はい。メイキングなのに、本番中に本篇のカメラそっちのけで走ってきて、私を怒ってました(笑)。若松組に参加した後、映画を作りたいという思いが高まるとともに、山岸さんのことを思い出しました。私はまだちゃんと、山岸さんと、そして自分の恐怖と向き合っていないのではないかと。そこで、断られるのを覚悟で、山岸さんについての映画を撮りたい旨をお伝えすると、意外にあっさり「いいよ」と応えてくれたんです。いくつかアイデアはありましたが、結末をこちらで決めて撮れるものでもないし、この映画は山岸さん(撮影される側)が私(撮影する側)を見守っているような、普通の映画とは逆の状況でしたから、演出、山岸達児なのかもしれません。

―前半に、さまざまなエピソードを盛り込みながら山岸達児さんに迫るドキュメンタリーパートが来ますね。そして、後半一気にフィクションへと加速していくアッと驚く構成なわけですが、後半部分は、前半を撮り終えたあとに構想されたのですか?

竹藤:いえ、具体的なシナリオは山岸さんの話を盛り込みながらつくりましたが、はじめからドキュメントパートとイメージパートを作ろうと決めてました。

―その発想はどのようにして生まれてきたのでしょうか?

「半身反義」より

竹藤:自分の今までやってきたことを、ひとつの作品に注ぎ込みたいという思いがあったんです。ドキュメントではなく、山岸さんを役者さんに演じてもらう考えもありましたが、それは違うかなと思ったんです。話が聞き取りにくくても、山岸さんが何かを伝えようとして一生懸命しゃべっている姿を伝えたいなと。私は見た人にとって、生きていく上で何かしらの力になる作品が作りたいんです。でもドキュメントだけでは、ひたすら追い詰めていくというか、救いがなくなる。そこで、フィクションパートを作ろうと思いました。

―なるほど、それはとてもユニークなアプローチですね。では、フィクションパートの内容については、どう発想されたんでしょうか。

竹藤:山岸さんはその頃、日常会話も反応が遅くなっていたのですが、映像に関することだけは物凄くレスポンスが早いんです。例えば、私の娘を撮影した映像を見せたら、すぐに「これは1秒何フレームで撮っているんだ」と返事をなさったりとか。山岸さんがシナリオや闘病記を書きたい、とおっしゃるので、さまざまな夢を、山岸さんのセルフイメージとして若い男性に演じてもらって叶えよう、と発想しました。その若い男性は、実際の山岸さんの若い頃よりも、大分スマートですけど。彼はいわば私と山岸さんの妄想から生まれた子どものようなものですね。

閉じることを放棄して、暴走しはじめてドラマになる

―なるほど。竹藤さんの作品は、『半身反義』や『カラコワシ』のようにドキュメントだと思っていたものがフィクションになっていったりと、話が脱線していったり、自分の姿勢を反省しながら作るのが魅力のひとつですね。完結した、閉じた物語を提示するのではないんです。

「半身反義」より

竹藤:私の考えることなんてたかが知れていて、現実社会にあることのほうがよっぽど強いんです。自分はまだ分かっていない、知らないということを素直に認めることは忘れてはいけないと思います。映画には終わりがありますが、人生は映画が終わっても続くわけだし。それに、本人が必死に撮ったものが、あとから見ると笑えるものだったりと、自分の考えたもの以上に広がるのが映画の面白いところです。ドラマとは、困難の克服だ、と言った人がいるんですけれど、私の映画は、困難の前で閉じることを放棄して、暴走しはじめるところからドラマになるというか、広がっていく気がします。

―竹藤監督は、初期の『骨肉思考』や『殻家』といった作品もそうですが、「生」と「死」をテーマにした作品が多いですね。

竹藤:私、実は人並み外れて丈夫なんです。でも、妊娠した時にゆっくりとしか歩けなくなったりして、弱い立場になってみると、いままでそういう人に全く気を使えていなかった自分が恥ずかしくなって。そうした、自分というものの危機に向き合っている時に、たまたま映像をやり始めたんです。そこから、到底考えの及ばないものと向き合う時、カメラを通してそれに迫ってみるというのが、私の思考方法の一つになったような気がします。山岸さんをテーマに映画を撮るという時にも、下手に私が考えるより、カメラで迫る方が絶対観客に伝わると考えました。

―また、竹藤さんの作品は女性独特の感覚で撮られているな、と感じるシーンもあります。「女性」と表現すると語弊があるかもしれませんが、例えば『殻家』で、竹藤さんが娘さんを転倒させ、持っていた卵を割ってしまうシーンがありますね。そこで「この出来事をずっと覚えていてね」と語りかける場面には、一種の恐ろしさを覚えました。母の持つ、娘に対する強い思いというか。

竹藤:普段、私自身は女性的だと言われることは少ないんですけど(笑)。自分が客としての立場から考えると、作り手がオリジナルなものを作り上げようと戦っている作品を見たいじゃないですか。上手な監督さんはたくさんいらっしゃるし、お金のかかってる映画もたくさんあるし、大して経験もお金もない私は、ゲリラみたいなものなんです。ゲリラはゲリラなりの戦い方で、どれだけ人の心に残るものが作れるか。

―ゲリラという姿勢を、もう少しご説明いただけますでしょうか。

竹藤:つまり、何億円もかけた映画でもできない、自分にしかできない作品を見せたいんです。そうすると、結果的になかなかメジャーな映画やテレビのテーマにならないものができあがります。老人ホームにいる人を題材にするとして、何人もクルーがいて大掛かりにすると、周りの人も警戒するし、迷惑もかかる。被写体の山岸さんと手をにぎったりする表現には、私のようなアプローチの方が有効なこともあるんです。

本人が必死になるほど喜劇になるんだな、と

―本人が必死になるほど喜劇になるんだな、と

竹藤佳世監督インタビュー

竹藤:学生時代は、自分のイメージと違うものしか撮れないので、カメラが嫌いだったんです。ただ、仕事で必要に迫られて、人に教わって写真を撮ってみたら、誉められたりして、面白くなったんです。その頃、広告代理店の営業をしながら、雑誌『広告批評』が運営している学校に通っていたのですが、当時、電通にいらっしゃった岡康道さん(現・TUGBOAT)にCMのコンテをお見せしたら、「題材が広告向きじゃない」と。憧れの人からダメだしされ、そもそも職業選択を間違えたのか、とガーンときて、広告クリエイターへの夢は消えました。そして、向いてる向いてないじゃなくて、とにかく自分の納得できるものを作りたいなと考えたんです。

―今おっしゃった自分の納得できるもの、というテーマは、はじめての作品『骨肉思考』に盛り込まれているのですか?

竹藤:そうですね。ただ作ってから、人に見せるようなものではないと思ってしばらく封印していたんです。一つだけコンテストに出したら、たまたまグランプリを獲ったんですが、そこでいろんな人に見てもらい、映画を通してたくさんの人とつながっていったんです。その中から、私が生きていく上でぶつかる問題を作品にすることで、他の人の人生にも何かプラスになることがあるんじゃないか、と思い始めました。『骨肉思考』には、「妊婦、体張ってます!」という同級生がつけてくれたサブタイトルが秘かにあるんです。妊婦から産婦のころを追ったものですから、生まれたばかりの子どもの世話もあり、卒業制作課題の締め切りはかなり厳しかったんですよ。それでいっぱいいっぱいになって暴走して、生まれたばかりの娘のおしめを替えながら「あなたの自我はどこにありますか?」と問いかけるシーンを撮ってしまったり。

―あのシーンは忘れられないですね。笑ってしまいました。/p>

竹藤:そうなんですよ。本人が必死になればなるほど喜劇になるんだな、と。そこが映画を撮ってて面白いところです。作品にすると、観客の視線で、一歩ひいて物事をみることができるんです。

映画を作れば作るほどさびしくなる

―『カラコワシ』は、以前撮った『殻家』という作品が気に入らないので、もう一度撮り直しをする、という内容ですね。

竹藤:映画を作る人には、作る過程をお祭り気分で楽しむ人と、お客として見て残るものかどうかを考える人と、2種類いるんじゃないかと思います。私はお客の期間が長かったからか、頑張って作ったけど、面白いと思えないものならば、もう一度作り直すべきだと。自分の限界を知るのはきついことなんですけど、だめだと分かったならばもう一回悪あがきしようとします。

―その『カラコワシ』に、「映画を作れば作るほどさびしくなる」というセリフがありましたが、今でも心境は変わりませんか?

竹藤:そうですね。ある程度自分を追い込まないと映画は作れませんし。若松監督を見ていて、キャリアがあって、慕ってくれる人がたくさんいても、監督ってすごく孤独な仕事なんだなと思います。河瀬さんのような国内外で評価されている人でも、映画の企画のために一人でパリに飛んだり、あちこち企画書持っていったり、汗かいて作っていますし。それでも苦労して映画を作る理由は、作品を通して人とコミュニケートしたいという思いがあるんじゃないでしょうか。

サイレント映画の女優さんにはとても詳しいですね

―これまで、どんな映画に影響を受けたのですか?

「半身反義」より

竹藤:原体験は1920~30年代のサイレント映画なんですよ。チャップリンの映画など、セリフがないのにアクションだけでこんなに伝わるなんて面白いな、と。サイレント期の女優さんには詳しいですね。サイレントの最後の時期は、映画表現技術がすごく高かったんですよね。エルンスト・ルビッチとか。モダンが生まれた頃なんかが好きなんですね。

―なるほど、それはとても面白いですね。

竹藤:山岸さんは1929年浅草生まれで、ちょうどトーキーが海外から入ってきた頃に浅草で育った方のせいか、私となんとなく感覚が合うんです。私の作品で、会話が同時録音ではなく、ちょっとずれてたりするのは、サイレント映画の影響があるかもしれないですね。やっぱり、画で見せたいです。

―音響の使い方も、とてもユニークですね。『殻家』では、ディジリドゥが聞こえてきたり、カランカランという音がしたりします。

竹藤:音響は、リアルな音ではなく、まず映像があって、それを見ているうちに浮かんでくる音をつける、という作り方をしています。アナログシンセとか、いわゆる楽器ではなく、音具というのを使ったりします。普通はSEなんですが、MEというか、音楽と効果音が一体になっているものをつけてるんですよ。

―チラシのデザインもきれいで印象的なんですが、ご注文されたんですか?

竹藤:私はこの映画のディレクターであり、プロデューサーでもあるので、短い時間で映画の内容を伝えるためにどうしたらいいか、デザイナーの方からの助言を聞きました。タイトルで内容がパッとわかるものではないですから、客観的に人に伝えるためにはどうしたらいいかと考えましたね。プロデューサーも兼ねたのは、例え失敗しても、自分の手でやったことは、必ず次につながるという気持ちからです。

常に突撃あるのみ、なんです

―映像作家集団「パウダールーム」を立ち上げられたのはなぜですか?

「半身反義」より

竹藤:私自身、イメージフォーラムフェスティバルという場があったから、どんどんいいものを作って発表しようという気になったんですよね。だから、自分もそういった場を設けて、才能ある人がでてくればもっと面白くなるんじゃないかと。現在は私の作品の配給が中心になっているんですが、上映会やワークショップをやったり、やはり皆で頑張っていたから作り続けることができた、と思います。

―お話を伺っていると、自分でも何かやろう、という元気が出てきますね。

竹藤:とにかく、私は常に突撃あるのみ、なんです。宣伝でも、私の作品を見て「女版・原一男」だと言う人がいたので、原さんをトークショーにお呼びしてみたり(笑)。新藤風さんも面識ないのにゲストをお願いして。私に「聞きたいことがある」って言って引き受けて下さったんですが、それが何かはトークショーまでわからないんです。どうなるんでしょう?

―それでは最後に、最も映画を作っていて楽しい点と、次回作の構想について教えてください。

竹藤:映画をめぐる場があることで、若松監督や河瀬監督の作品に参加できたり、自分のやってきたことが次につながっていくのが楽しいですね。作品を作るのは、今回を含めいつも苦しいですけど、苦労した作品ほど、あとで恩返ししてくれていると思います。
次回作としてやりたいことは、劇映画とドキュメント、両方あるんです。劇映画では、それこそ女性をテーマにしたい。ポップで、かつ、みんなで手探りしていかないとできないものをやりたいですね。私の姉くらいの年代って、男女雇用機会均等法施行後、社会に出た世代なんですが、仕事はバリバリするけど、それだけにもやはり走れない、という揺れ動く気持ちがあって、それをエンターテインメントにしたいなと(笑)。その世代の痛々しい感じを、私は少し下の世代から見ているんですが、そこに親や旦那、子どもとの関係を通して、現在の女性の問題がわかりやすく現れてきていると思います。

―ありがとうございました。ガラッと作風が変わりそうですね。

竹藤:全然変わらずに、結局またドキュメントになるかもしれません(笑)。

作品情報
『半身反義』

2008年7月5日(土)より、池袋シネマ・ロサにてレイトショー
プロデューサー・監督・脚本・編集:竹藤佳世
キャスト:
山岸達児
西島英男
西宮ゆき
加島凱ほか

料金:特別鑑賞券1,200円(シネマロサ・UPLINK X 窓口にて発売中)
当日 一般1,500円 学生1,300円 小・中・シニア1,000円
『竹藤佳世 映像個展』の半券にて割引
現代美術家・大浦信行氏によるポスター他特典あり
監督とゲストによるトーク連日開催
2007年/日本/カラー/90分/
配給:パウダールーム

イベント情報
竹藤佳世 映像個展『Flower of Life』

会場:渋谷UPLINK Xにてイブニングショー公開
2008年6月28日(土)~7月11日(金)
上映作品:『骨肉思考』『彼方此方』
2008年7月12日(土)~7月25日(金)
上映作品:『殻家 KARAYA』『カラコワシ』連日16:30~
料金:特別鑑賞券1,000円発売中
当日 一般1,300円 学生1,100円 シニア1,000円
6月28日(土)に映像作家の奥山順市を迎えたトークショーを開催
ゲスト:奥山順市、竹藤佳世
※トーク&奥山順市作品の上映あり

プロフィール
竹藤佳世 (たけふじ かよ)

東京都出身、東京都立大学人文学部卒。映像作家集団「パウダールーム」代表として、上映会、ワークショップ等を企画・開催。『骨肉思考』でイメージフォーラムフェスティバル98大賞受賞。広告代理店勤務・専門学校教員を経て、若松孝二監督作品(『17歳の風景』『実録・連合赤軍』)、河瀬直美監督作品(『垂乳女Tarachime』『殯の森』)などに参加。フィクション・ドキュメンタリーの境界を越えた独特のスタイルで常に意欲的な作品づくりに挑んでいる。



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