三浦直之×後藤まりこ対談 古典に対する違和感と、どうつき合う?

小劇場シーンの「恐るべき子どもたち」として、数年前から注目を集めてきた劇団「ロロ」の三浦直之。彼の生み出すボーイミーツガールをテーマとしたカラフルで躍動感あふれる作品群は、演劇にとどまらず、映画『ダンスナンバー 時をかける少女』(2013年)やテレビドラマなどにも姿を変え、そのキラキラとした輝きを放ってきた。

そんな三浦が、『あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014』で、誰もが知っている古典戯曲の名作『ロミオとジュリエット』を演出する。ロミオを演じるのはロロの亀島一徳、そしてジュリエットを演じるのは、破天荒なライブパフォーマンスで話題を集めてきた元ミドリの後藤まりこ。ここに、□□□の三浦康嗣が音楽監督として加わり、400年以上にわたって世界中で上演されてきた名作を『ロミオとジュリエットのこどもたち』として2014年にアップデートするのだ。

演劇シーンの若き才能と、音楽シーンの異端児が手を取り合ったこの作品に迫るために、都内某所の稽古場を訪れると、稽古着で真剣な眼差しの後藤を発見。しかし、肝心の三浦の姿だけがどこにも見当たらない。あれ……、三浦さんはどこにいるんですか?

2014年を生きる僕の距離感で『ロミオとジュリエット』を解釈し、僕の作品にしてしまうことに抵抗があったんです。(三浦)

―まさか三浦さんが稽古場でシェイクスピアの衣装を身につけ、髪型まで同じようにする(しかも頭髪を剃り落としてまで!)なんて思いませんでした(笑)。いったい、どうしてこんな姿で演出をしているのでしょうか?

三浦:今回、『ロミオとジュリエット』という古典を演出するにあたって、2014年を生きる僕の距離感でこの戯曲を解釈し、僕の作品にしてしまうことに抵抗があったんです。それで、その距離感にどう折り合いをつけるのか考えているうちに、僕がシェイクスピアになって、あたかもシェイクスピアが生き返ったようになれないかと思い付いたんですよ。

三浦直之(ロロ)
三浦直之(ロロ)

―で、その効果は?

三浦:今のところ、特にないかもですね……。

―(笑)。

後藤:(三浦の姿について)リアクションが難しいですよね。最近は見慣れてこれが普通になってきているので、ちょっと異常な状況だなと思っています(笑)。

三浦:まあ実際のところ意味はないかもしれないし、半分冗談みたいなものかもしれないですけど。ただこのお陰で稽古場は、何にでも意味を求めてしまうような窮屈な空気感にはなっていないかと思います(笑)。

―そもそも今回、どのような経緯で三浦さんが『ロミオとジュリエット』を手がけることになったのでしょうか?

三浦:僕はもともとあまり過去の名作戯曲を読むほうではなくて、シェイクスピアも全然読んだことはなかったんですが、あうるすぽっとから「シェイクスピアで何かやらない?」という話を頂いて、ぜひやらせて下さいと。それでせっかくシェイクスピアを上演するなら、僕でもタイトルを知っている、一番有名な『ロミオとジュリエット』にしようと思ったんです。

『ロミオとジュリエットのこどもたち』チラシ
『ロミオとジュリエットのこどもたち』チラシ

―戯曲を読んでみていかがでした?

三浦:面白い部分とそうでもない部分の両方がありましたね。シェイクスピア戯曲が持つセリフの美しさは、読んでいても純粋にワクワクすることができます。けれども同時に、「長ったらしいな」と思う部分も多々ありました。あと、喜んでいると思ったら、突然どん底まで悲しんだり、感情の展開が急過ぎで、その不自然さに引っかかりを感じたりもしましたね。

重要なのは、二人が本当の運命の人かどうかではなく、二人が出会って、お互いがお互いを運命の人だと信じられた、その感情の動きなんですよね。(三浦)

―後藤さんも引っかかる部分は多かったのでしょうか? Twitterでは「ロミオって、なかなかかなりのダメ男子やなあ」と感想を漏らしていましたね。

後藤:僕『ロミオとジュリエット』を読んだことなくて、詳しい内容を知らなかったんですけど、読んでみたら二人とも死ぬんですよ。しかも、薬を飲んで仮死状態になったジュリエットを見て、勘違いしたロミオが絶望して死んじゃう……。すごい死に方をしてますよね。

後藤まりこ
後藤まりこ

三浦:それに、ジュリエットと出会う前、ロミオはロザラインという全然別の女の子に恋をしていたんです。それが、突然ジュリエットに心変わりしちゃったり。

―ツッコミを入れるとキリがない。

後藤:でも、ジュリエットもたいがいな女ですよ。一人で仮死状態になる薬を飲んで、起きたら「え!? ロミオ死んでんの?」みたいな。彼女、まだ14歳なんですけど、これ、中二病っていうんですかね?

―ロミオもジュリエットも散々な言われようですが……。逆に、この二人に共感できる部分はありましたか?

後藤:羨ましいなと思うところはあります。誰のことも構わず、自分勝手に生きているところとか。けど、1つだけ素直に「おー!」って思うところがあって。ロミオとジュリエットが一晩を過ごして朝を迎えるんですが、「もう行ってしまうん?」って、ジュリエットがロミオを引き止めるんです。ロミオは「もっといたいわ、しゃべろうよ。見つかって殺されてもいい」みたいなことを言います。そうすると、急にジュリエットは「朝ですから、はよ帰ってください!」みたいに感情が切り替わっちゃうんです。ジュリエットは、ほんまにロミオのことが好きやから、そこで彼を追い払うんやろうなと納得できました。ジュリエットの「女」の部分を感じたんです。

『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景
『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景

―関西弁で説明されると、印象が大きく変わってしまいますが……。では、三浦さんが共感する部分は?

三浦:ロミオの恋心がロザラインからジュリエットに一瞬のうちに切り替わるところは、「ロミオ、しょうもない男だな~」と思うんですが、ただ、しょうもないだけではないんです。というのも一歩違えば、ロザラインだってジュリエットになれたかもしれないし、ジュリエットだって、別の誰かにロミオを奪われてしまうかもしれない。この物語では、ロミオとジュリエットは互いに運命の人だと感じていますが、タイミングが違えば、別の人だったかもしれないですよね。

―本当に運命の人だったかどうかはわからないわけですね。

三浦:そうなんです。だから重要なのは、二人が本当の運命の人かどうかではなく、二人が出会って、お互いがお互いを運命の人だと信じられた、その感情の動きなんですよね。その部分にはすごく共感できました。

後藤:基本はさっき三浦さんが言ったみたいに、違和感があっていいと思います。あまりリスペクトし過ぎると、ただのオマージュになってしまうし、だからこそこの「距離感」というのが、2014年にやる『ロミオとジュリエット』にはすごい大事だと思うんです。

以前は演技がどういうものかもよくわかっていなかったんですが、普段の日常で誰もがやってる「演技」があって、その延長で考えると、自然に演技に取り組めるようになってきました。(後藤)

―シェイクスピアの時代と現代では、演劇の構造も人間の捉え方が異なるので、正直なところ違和感を感じる部分は多いですよね。では、そんなシェイクスピア戯曲を、三浦さんはどのように料理するのでしょうか?

三浦:僕は普段からボーイミーツガールを主題に作品を作っていますが、『ロミオとジュリエット』も、大枠ではそれに括れる作品です。もちろん僕の作品と『ロミオとジュリエット』が直接つながるとは思えないですけど、『ロミオ~』に影響を受けた様々な作品を経由して、僕もシェイクスピアの影響を受け継いでいるかもしれない。『ロミオとジュリエット』が生まれてから400年も経っているので、その間の歴史をゆっくりと遡っていけば、僕もシェイクスピアにつながるかもしれないんです。だから僕は、そのゆるやかな影響関係を、今回の作品の中に織り込みたいと考えています。

『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景
『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景

―しかし、「ゆるやかな影響関係」があるとはいえ、実際にはギャップもある。その関係性をどう表現しますか?

三浦:今回は3部構成にする予定です。第1部がシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、第2部では古今東西の色々な作品から『ロミオとジュリエット』の断片を引用して浮かび上がらせ、第3部で僕のオリジナル作品を上演するという構成です。

―つまり、シェイクスピアを素直に上演するだけではなく、シェイクスピアと三浦直之との関係をメタ的に織り込んで上演することで、2014年とシェイクスピアとの「距離感」が生み出される。では、今回後藤さんをヒロインに起用されたのはなぜでしょうか?

三浦:ロミオは、ロロのメンバーである亀島にお願いしたいと思ったんですが、ジュリエットについては、もっと「遠く」の人がいいと思ったんです。そこで、俳優ではなくミュージシャンにお願いしようと考えました。ジュリエットは、感情の起伏が激しく、怒鳴り散らしているかと思えば、急に可愛らしくなったりします。色々な表情のあるジュリエットというキャラクターは、後藤さんのキャラクターとも合うんじゃないかと思ったんです。

『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景
『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景

―後藤さんにとって、舞台作品は今回が2作目になりますね。以前に出演された舞台や映画では、セリフらしいセリフがほとんどない役が多かったのですが、今作はかなり多くのセリフがあります。

後藤:今年の夏に映画の撮影をしたんですが、そこでは標準語を話す役だったんです。せやからだいぶ慣れてきて、標準語のセリフにも抵抗がなくなりつつありますね。それに、以前は今よりも演技っていうものがどういうものかよくわかっていなくて、最近ようやく少しずつわかってきたのかもしれません。普段の日常で誰もがやってる「演技」があって、その延長で考えると、自然に演技に取り組めるようになってきました。

後藤さんの声には不思議な説得力がありますよね。後藤さんがセリフを話すと、戯曲からは読み取れない、「ジュリエットってこういう人なんだ」って発見があるんです。(三浦)

―演出家の目線から見ると、女優としての後藤さんの魅力はどこにあると思いますか?

三浦:感覚的な話になるんですが、歩いている姿が浮いているように見えるんです。重さを感じさせない、天使のような感じというか。後藤さんは意識しているわけではないと思いますが、そのような身体が素敵だなと思います。あとやっぱり、後藤さんの声には不思議な説得力がありますよね。シェイクスピアの戯曲には、「何でここでこんなこと言うの?」っていうセリフが多いんですけど、後藤さんが話すと、戯曲からは読み取れない説得力を感じるんです。それによって、「ジュリエットってこういう人なんだ」と発見したり、納得することがあるんです。

『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景
『ロミオとジュリエットのこどもたち』稽古風景

―今作は、その「声」をサンプリングして使っていたり、音楽的な側面が強い作品になりそうですね。

三浦:そうなんです。もともと僕自身、声というモチーフがとても好きで、声だけで「いい俳優だな」と思うこともあるくらいなんですよ。だから今作は、すべて後藤さんの声からイメージが膨らんで、作品の構成が生まれていきました。劇中にジュリエットの声が散らばって、それがサンプリングされてつなぎ合わされると1つの歌になるという構成を考えています。

―音楽を担当するのは□□□の三浦康嗣さんですが、彼もこれまでにままごとの『わが星』をはじめ、『ファンファーレ』や『F/Tモブ』など、演劇にも深く携わってきた音楽家です。

三浦:康嗣さんと話していると、色々なアイデアが浮かんできてクリエイションのやりがいを感じます。ジュリエットの声を集めるというアイデアも音楽的だし、古今東西の色々な作品を引用していく第2部では、音楽の力によってシーンをフレーミングしていきます。たとえば、船のような場所に男女がいて、セリーヌ・ディオンが流れると、そこは『タイタニック』の世界になってしまいますよね。音楽が作るフレームの力を利用することで、様々な作品の「ロミオとジュリエット」性を浮かび上がらせられるんです。

―まさに、声と音という二人の音楽家とのコラボレーションがなければ生み出されない舞台になりそうです。

三浦:そもそも、後藤さんに出演してもらうからには、後藤さんが歌う姿をお客さんに観てほしいと思ったのが音楽について考えるきっかけでした。ただ康嗣さんは、「できれば、劇中で音楽なんかかけないほうがいい」と言っています。だから今回は劇伴音楽としてではなく、芝居の流れとは全く別のレイヤーで音の物語が流れ、後藤さんの歌によって最終的に1つに束ねられることを目指しています。

「遠いもの」に対して、どうすればつながれるかを考えているんです。そんな距離感によって、シェイクスピアという「歴史」を捉えるようにしています。(三浦)

―「三浦直之と後藤まりこ」「演劇と音楽」「現代とシェイクスピア」など、「距離感」は今作を作る上で最重要のキーワードになりそうですね。

三浦:そうですね。最初にお話した、『ロミオとジュリエット』に直接は感情移入できないというのが、「距離感」の一番大きな理由です。だからといって『ロミオとジュリエット』との距離を埋めるために、僕が歩み寄ることも、シェイクスピアをこちらに引き寄せることもしたくなかった。そうではなく、その距離とか遠さを織り込みながら作品を作れないかと考えました。ロミオとジュリエットの二人の距離の遠さを、僕が想像できないくらい遠くにいる人に当てはめられないか。別に恋愛関係でなく、演劇と音楽や、古典戯曲と現代演劇との遠さであっても構いません。そういった「遠いもの」に対して、どうすればつながれるかを考えているんです。そんな距離感によって、シェイクスピアという「歴史」を捉えるようにしています。

三浦直之(ロロ)

―では、後藤さんは、歴史に対してどのような距離感で接しているのでしょうか?

後藤:僕、ジャニス・ジョプリンがめちゃくちゃ好きなんですが、彼女のことは過去のものだと思っていないんです。音楽は、常に街中でかかっているし、CDでポンとかけられるから、いつでもその当時の彼らの声や演奏を聴ける。時代の隔たりを感じさせないで、いつでも生々しいものなんです。

―そのフラットな時間の感覚は演劇にはない部分ですね。演劇では、シェイクスピアが生きていた当時の上演を観ることはできないし、どのようなものだったかは誰にもわからないわけで。

三浦:そういう音楽と演劇の違いも面白いですよね。どちらもライブではあるけど、音楽には「音」があって、それは音源として刻みつけておける。一方で演劇はライブしかないし、そこでは正直演技が上手いとか下手とかじゃなくて、「人」がどんだけぶちまけられるか、みたいなところがあると思うんですよ。

後藤:確かにバンドマンは恥ずかしがり屋が多くて、モテたいくせにアピールするのは恥ずかしいって人が多いけど、役者の人は「俺モテたい!」って自分から手を挙げるような人が多い。それはすごい素直でいいことやと思います。

後藤まりこ

三浦:でも後藤さんこそホント、ぶちまけられる人ですよね。もっと演技とか稽古に慣れるのに時間がかかると思ったけど、全然そんなことなかったし、本番の幕が開いたらもう何個かスイッチ入るんじゃないかと期待してます。

語り継がれるよりも、さっさと忘れられたいと思っています。「忘れられるものなら忘れてみろ」と。(後藤)

―では最後にあらためて、今年で生誕450周年を迎えるシェイクスピアの戯曲を今やることの意味や刺激について、教えてください。

三浦:『ロミオとジュリエット』のように、男の人と女の人が出会って恋に落ちて、でもうまくいかない話は世の中にいっぱいありますが、僕はそういうストレートな物語が大好きなんです。その基礎を築いたという意味でも、シェイクスピアによって広められた、物語の「型」の強さは本当にすごいと思います。そしてその「型」を含め、シェイクスピアが残した「破片」は、僕の作品の中にも気づかない間に入り込んでいるかもしれない。僕自身もそんな「破片」を別の人に届ける1つの媒体になれるんじゃないかと思うし、もしそうなれるなら、作品を作る大きなモチベーションになります。僕が作るものの破片も、シェイクスピアと同じくらい長い時間にわたって受け継がれていってほしいですね。

後藤:僕は逆なところがあって、語り継がれるよりも、さっさと忘れられたいと思っています。「忘れられるものなら忘れてみろ」と。人間は常に他者の中で生きているから、誰にも影響しなかったり、誰からも影響を受けないで生きることは無理だと思っているんです。

後藤まりこ

―つまり、「忘れられたい」と言うのは、ある意味逆説的な表現?

後藤:表裏一体の気持ちです。「忘れてみろ」と思う反面、三浦さんと同じように「忘れられたくない」という気持ちも根底にあります。だから、そこはとても共通する部分ではないかと思います。

―なるほど。人は必ず人に影響を与えるし受けもする。その上で「忘れられるものなら忘れてみろ」と言える強さがすごいです(笑)。

三浦:そういう意味では僕は、自分はそこまで言えるオリジナリティーを持っていない人間だと思っているのかもしれないですね。だからこそ、自分が面白いと思ったものや型を、人に伝えていく、そういう人になりたいのかもしれません。

イベント情報
『あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014』
あうるすぽっとプロデュース
『ロミオとジュリエットのこどもたち』

2014年10月2日(木)~10月5日(日)
会場:東京都 池袋 あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
原作:ウィリアム・シェイクスピア
脚本・演出:三浦直之(ロロ)
訳:松岡和子
音楽:三浦康嗣(□□□)
出演:
後藤まりこ
永井秀樹
長田奈麻
日高啓介
伊東沙保
田中佑弥
北村恵
重岡漠
島田桃子
板橋駿谷
亀島一徳
篠崎大悟
望月綾乃
料金:全席指定 一般3,500円 豊島区民割引3,000円 学生2,500円 障がい者割引2,000円
ロミジュリ割引6,000円(ペア券)

プロフィール
ロロ (ろろ)

三浦直之(主宰・脚本、演出)、板橋駿谷、亀島一徳、篠崎大悟、望月綾乃、森本華(以上俳優)、玉利樹貴(えかき)、坂本もも(制作)の8名。漫画・アニメ・小説・音楽・映画などジャンルを越えたカルチャーをパッチワークのように紡ぎ合わせ、様々な「出会い」の瞬間を物語化する。『芸劇eyes番外編「20年安泰。」』『F/T11公募プログラム』『KYOTO EXPERIMENT 10、11、12』『吾妻橋ダンスクロッシングファイナル』など、話題の企画に次々と登場し、現在までに短長編含めて30本の作品を発表。小説のリーディングや音楽ライブと融合した短編演劇、映画製作なども行ない、ジャンル横断で演劇の枠を拡張しながら活動している。三浦直之初監督映画『ダンスナンバー 時をかける少女』(製作:ロロ)が『MOOSIC LAB 2013』準グランプリ他3冠を受賞。代表作は『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』『LOVE02』『朝日を抱きしめてトゥナイト』など。

後藤まりこ(ごとう まりこ)

ロックバンド・ミドリでボーカルとギターを担当。2010年12月30日のライブを最後にバンドは突然解散。しばらくの沈黙の後、2011年12月27日に開催した自主企画イベントでソロとして再始動を果たし、7月にはソロ1stアルバム『299792458』をリリースする。同年8月からはロックミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』に森山未來とともに出演し、その後『ペタルダンス』で映画初出演。2013年12月には自身が主演するドラマ『たべるダケ』のエンディングテーマに採用された“sound of me”を収録した2ndアルバム『m@u』を発表。今後も、唯一無二の存在として、多ジャンルにわたり精力的に活動予定。2014年11月12日にはアルバム『こわれた箱にりなっくす』をリリースする。



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