ナカコー×Kazumichi Komatsu 「新しい日本の音楽」を談義する

Koji Nakamura(以下、ナカコー)が2017年にスタートさせた新プロジェクト『Epitaph』が12曲入りのCDアルバムとしてリリースされる。『Epitaph』はストリーミングサービス上のプレイリストにて1か月に2~3曲がアップロードされ、アレンジや曲順が逐一変わっていくというもの。インターネット上の様々な音楽を聴き漁り、オンラインショップ「Meltinto」を運営したりと、「決められた枠組み」に捉われず、自由な活動を志向し続けてきたナカコーだけに、「DAW+アクセスモデル時代の新しい表現」である『Epitaph』は、辿り着くべくして辿り着いた作品だと言っていいだろう。

そんな『Epitaph』の制作パートナーとして迎えられたのは、京都を拠点に活動するトラックメーカー・Kazumichi Komatsu(Madegg)。ナカコーが「全部お任せした」と語っているように、プロデュース、プログラミング、エディットを担い、ノンビートで様々な音と声が溶け合う作風に多大な貢献を果たしている。作詞を担当したArita shohei、客演のゆるふわギャング・Ryugo Ishida & NENEやabelestも含め、若い世代との共作はナカコーにとって非常に大きな刺激となったようだ。プロジェクトが示唆するものについて、ナカコーとKazumichi Komatsu(以下、Madegg)に語ってもらった。

「CDを出したい」という気持ちよりも、「曲ができたらアップする」という方が自然だと思っている。(Madegg)

―まずは『Epitaph』というプロジェクトのアイデアがどのように生まれたのか、そして、そのパートナーとしてMadeggさんを起用した理由を話していただけますか?

ナカコー:前のアルバム(『Masterpeace』、2014年リリース)を作ってからしばらくは、あんまり自分の音楽を作ることに興味がなかったんです。でも、Spotifyとかを使うことで今までとは違う形式で作品を発表できるという話を聞いて、それは面白いと思って。

Madeggくんのことは以前から知ってて、「次作るんだったら、この人とやりたいな」と思っていました。Madeggくんの音楽や、周辺の状況を見聞きする中で、こういう感覚の人たちが「今」って感じがしたし、「今」と向き合いたい、という気持ちがありましたね。

左から:Koji Nakamura、Kazumichi Komatsu(Madegg)

―ナカコーさんが「今」を感じたポイントとは?

ナカコー:自分が高校生のときは、NIRVANAがいたりして、グランジ、ローファイ、ノイズとか、オルタナティブなカルチャーを「この人たちすごい」と思って聴いてたわけですけど、もし今自分が高校生だったら、Madeggくん、食品(まつり)くん、Metomeくんとかを見て、同じ気持ちになっただろうなって。そこにはもちろんインターネットがあって、今自分が高校生だったら絶対インターネットをやっているだろうし、その中でビビッときただろうなって思う。

―ナカコーさんの音楽の入口がバンドだったのに対して、Madeggさんは16歳からDAWを使って音響作品を作っていたそうで、そこからして感覚は違うでしょうしね。

Madegg:でも、僕は「DAWをやりたい」という目的が最初からあったわけじゃなくて、間違いみたいな始まりなんです。

友達がシンセだと思って買ったらソフトシンセのコントローラーのキーボードで、「鳴らんやん!」って意気消沈してたから、それを僕が持ち返ったところから始まったっていう(笑)。僕は今26歳で、いわゆる「DTMer」という名前が出てきた初期の世代だと思うんですけど、最初は普通にバンドやりたいと思ってました。

ナカコー:そうなんだ(笑)。

Kazumichi Komatsu / Madegg(まっどえっぐ)
Kazumichi Komatsu(小松千倫=こまつかずみち)のソロプロジェクト。1992年高知県生まれ。京都市在住。音楽家、美術家。2009年頃よりコンピューターを使った作曲をはじめる。「インターネット・ミーム」によるストーリーの自動生成のリサーチのもと、喪失や紛失、画像風景や人物のプロフィールにフォーカスし、ポスト・ウェブ環境における表現を探る音響・映像作品を展開する。

―Madeggさんは、ナカコーさんの音楽に対してどんな印象を持っていましたか?

Madegg:まず単純に、メロディーがすごく好きです。バンドにしろソロにしろ、ナカコーさんを純粋化したときに残るものにはすごく影響を受けてると思います。シューゲイザーっぽいけど、日本人にしかできない解釈……なのかな? “地図にないルート”がめちゃくちゃ好きで、あの曲にはナカコーさんらしさがすごく表れてる気がするんですよね。

Koji Nakamura(こうじ なかむら)
1995年「スーパーカー」を結成。解散後、「iLL」「Nyantora」「LAMA」で活動。その活動はあらゆる音楽ジャンルに精通する可能性を見せメロディーメーカーとして確固たる地位を確立し、CMや映画、ドラマの劇伴制作、アートの世界までに届くボーダレスなコラボレーションを展開。その他remixerとしても様々なアーティトを手がけ遺憾なくその才能を発揮している。

―“地図にないルート”はこのプロジェクトの起点と言っていいのでしょうか?

ナカコー:あのトラックにはまだMadeggくんは参加してないんですけど、もう「次からはMadeggくんとやる」というのは決まってたから、「なにやってもいいや」みたいな気分はあって。なので、モードとしてはすでにこっちに向かっていたときですね。

―『Epitaph』のプレイリストが最初に公開されたのは2017年4月だったわけですが、音源の発表方法が多様化していく中にあって、なにか特定の出来事にインスパイアされたことがきっかけになっているのでしょうか?

ナカコー:特定のなにかっていうのはなくて……自分はレコード、CD、iTunes、BandcampやSoundCloud、ストリーミングに至る流れをずっと見てきて、「どうなっていくだろう?」と思いながら生きてきたんですけど……プレイリストで出していくことがどういうことなのかって、正直言うと、「わかるけど、よくわからない」というか。なので、Madeggくんの世代がそれをどう思ってるのかは気になっていました。……曲を作る上では、あまり気にせずやってましたけどね。

Madegg:自分の感覚からすると、きちんとフィジカルとしてまとまった作品をリリースするというモデルに対する挑戦というか、紙資料にも書いてあるように「DAW+アクセスモデル時代の新しい表現のトライ」だということは、最初から汲み取れていました。

僕もCDを出してはいますけど、特別に「CDを出したい」みたいな気持ちはそんなにないんですよ。それよりも「曲ができたらアップする」という方が自然だと思っているし、ネットを介しての反応込みで制作していくので、もはや「リリースが制作に入ってる」というか。なので、「どんどん曲がストックされていくし、曲が変わっていく」ということは、違和感なく、自然にやれました。

「これって普通のことだよね」って理解されるには、まだまだ時間がかかるとも思うけど、それが面白い。(Koji Nakamura)

―言ってみれば、Madeggさんにとって『Epitaph』のやり方は、これまでやってきたことの延長線だったと。

Madegg:そうですね。海外のアーティストが、次々とシングルを出して、急に消したりもする、ということをやっているのを見てきて。「CDで、アルバム単位で、聴かない」みたいなことが言われるようになったのって、リスニング環境からすると必然だと思うんです。BandcampとかSoundCloudにアクセスして、「一番上にある曲から順に聴く」みたいな方がリアリティがあって、『Epitaph』もそれに近いと感じていました。

ナカコー:いろんなところに楽曲があるから、アルバムという概念は持ちにくいけど、でもそのうちアルバムができちゃうっていうかね。

Madegg:「アルバム」というのも、あくまで発表形態のひとつですよね。Spotifyだと自分でプレイリスト組めるし、シャッフルで聴いてる人もいるし、「この順番で聴かれる」という必然性はない。そういうリアリティはずっとあります。

―ナカコーさんからすれば、これまではひとつの時間軸で聴かせるCDという表現方法が主だったわけですけど、今回は違うやり方に面白味を見出したというか。

ナカコー:もう時代がそうなってるから……って、2人で話してることが、一般ではそうなってなかったりもするんだよね(笑)。2人で「そうだよね」って進んでいくと、一般の人からは離れちゃうという現状もある。だから、「これって普通のことだよね」って理解されるには、まだまだ時間がかかるとも思うんだけど、自分がこういうことをやって「そういうもんなのかな」って思う人が増えたら、それはそれで面白いかなって。

サブスクを作った人が作曲家……とまではいかないけど、プラットフォームがコンテンツの質を限定してる感覚はある。(Madegg)

―今回の作品は「新しい日本の音楽」と銘打たれていて、ライナーノーツの中で、ナカコーさんは「新しい音楽」について、「過去の引用がなされてない音楽」と定義づけています。これに関して、もう少し説明していただけますか?

ナカコー:僕がバンドをやり始めたときは、もうある種の型があって、どんなに「新しい」と言われても、過去のものだと思って演奏してる部分もあったんです。

それに楽器の特性上、まずコードを勉強して、「演奏できなきゃいけない」というのがあった。Madeggくんたちの世代はそこが違うというか、これはやる音楽の違いでもあるけど、音楽の形状がわかっていれば、楽器を練習したりしなくてもすぐに作曲ができるわけで。そうなると、「作曲する」ということのマインドが違うと思うんですよね。もちろん、理論からスタートする人は今でもたくさんいるけど、理論がなくても、感覚的なもので「こことここの音が合ってたら気持ちいいじゃん」って、すぐに表現できるツールがある。その差は大きいなって感じるし、そこから新しいものが生まれるとも思う。

Madegg:DTMがこれだけ普及した時代に思うのは、曲になるためのシステムみたいなものがまず一般化していて、あえて言ってしまえば内容はなんでもいいんですよね。

ナカコー:ってなると、システムを新しく構築する方が面白く感じる?

Madegg:そうですね。そういう取り組みにもなってるかもしれないです。

―言ってみれば、システム構築自体も作曲の一部というか。

Madegg:だから、サブスクを作った人がある種作曲家……とまではいかないけど、プラットフォームとコンテンツの関係でいうと、プラットフォームが先に質を限定してる感覚があって、中身はMIDI構成のデザイン、組合せだけがいっぱいあるというか。

ナカコー:Madeggくんたちはそれに対抗してるように感じた。もう枠組みがある世界で、そこから飛び出すというか……それを使って遊ぶのと、その枠を超えることに同等の価値があるというか、「同等である」ということを表現してる人たちだなって。

―『Epitaph』に関しても、プラットフォームに対するリアクションだと言えますよね。

ナカコー:「決められた枠組み」というのは、今後も大きなテーマかもしれない。誰かが最初の枠を作って、そこで商売していくわけだけど、「それって……」みたいな感覚が、これからのもの作りにはずっとつきまとうんじゃないですかね。

Madeggくんの音楽を聴くと、「そもそもビートってなに?」というところまで戻ってる気がして、そこも面白かった。(Koji Nakamura)

―『Epitaph』に収録されている楽曲の音楽的なポイントとしては、「ノンビート」というのが挙げられるかと思います。正確には、ビートが入っている曲もあるわけで、そこまでコンセプチュアルというわけではないと思うのですが、ナカコーさんの中でなにか指針のようなものはあったのでしょうか?

ナカコー:自分は単純にビートの必要性をあんまり感じなくて。ビートは音楽を固定化する要素だと思っているんだけど、Madeggくんたちの音楽を聴くと、ビートによる固定化を避けてる気がして。意識的に使うときもあるけど、それはある種のパロディだったりして、そこも新しかった。「そもそもビートってなに?」というところまで戻ってる気がして、そこも面白かったから、今回の楽曲も必然的にそういうマインドで作りました。

Madegg:いい悪いは別にして、ビートを採用するということは、「こういうジャンルです」というラベルとして説明することだと思うんです。BPMとキックの音色、低音のレンジとかで、今はほとんどジャンルというものが構成されてると思う。でも、それを意図的に避けているというよりは、僕の曲作りはDTM上の画面と抽象的なイメージでスタートする。なるべくジャンルの持つ構造やビートが先行しないようにするというか。「ハウス」って言いたいときは、そういう風に組めばできるんで。

―それがさっきのナカコーさんの言葉で言う、「ある種のパロディ」ということですよね。でも、『Epitaph』の楽曲に関しては、いわゆるわかりやすいビート / リズムではないところで、楽曲にグルーヴを出す試みは行われていますよね。

ナカコー:様々なトラックがリズムを刻んでるから、それが混ざり合ってできるビートに興味があるんじゃないかな? 最初にMadeggくんのライブを観たときはまだビートがあったけど、だんだんノイズ化していって、でもビートはあって。わかりやすいリズムじゃなくて、テクスチャが鳴るビートがあって、それにのれる、あるいはのらなくてもいい……それも2年前くらいに観たライブだけど(笑)。でも、その感覚をつかんでる人は今増えてると思う。

Madegg:僕が音楽を始めた頃はサンプリングベースのビートメーカーと言われる人がたくさんいて、LAビートとかに僕も影響受けたし、そのちょっとあとにウィッチハウスが出てきて、サンプリングミュージックやコラージュの再評価に平行してヴェイパーウェイヴが登場して、一方でテクノやハウスの流行みたいな流れがあった。そういう中で音楽を作ってきたから、ビートへのアプローチは意識的になっていて。最初の頃はビートをめちゃくちゃ探求して、発表してない複雑な曲もたくさんあるんです。でも、一回飽きたというか……そのタイミングは世界各地である程度同期されていた……全員飽きたんちゃうかなって。

ナカコー:ハハハ(笑)。でも最近それ多いよね。全員急に同じ行動するっていう。

Madegg:それもプラットフォームのパワーがめちゃくちゃ強いってことですよね。

「一般の人たち」の心のよりどころとして、アンビエントがあっても面白いんじゃないかなって。(Koji Nakamura)

―ノンビートも含め、アンビエントな音像が世界的に広がっていることと、プラットフォームの関係性を指摘する声がありますよね。サブスクで流しっぱなしにすることで、BGM的な用途が強まり、生活空間の中に馴染む音が聴かれやすくなったっていう。

Madegg:どうなんですかね……それはまだわからないですね。BGMのひとつの源流としての「家具の音楽」って、サティの時代の伝統だし、コンクレートも昔からあるから、作曲家はずっと生活空間とのリンクを考えているとは思うんですけど、それが今のアンビエントの流れと関係していると言えるかどうかは……どうなんでしょうね?

ナカコー:サティにしろ、コンクレートにしろ、決してポピュラーではなかったけど、今みたいなシステムになってくると……すごく近いものとして捉えられるというか。

Madegg:マジで日常になったということですか?

ナカコー:そうそう、あれが普通になってしまった。

Madegg:でも、そもそもアンビエントって流行ってるんですかね?

ナカコー:それもさっき言ったアレじゃない? ここで話してることと一般の違い……「一般ってなに?」って話だけど(笑)。

―ヒットチャートに入ってる音楽にアンビエントの要素が多く含まれるようになったのは事実だと思うんですね。リスナーがそれをアンビエントだと意識して聴いてるかどうかというと、そんなことはないと思うんですけど。

Madegg:プロデューサーの中で流行ってるというか、そういう傾向を敏感に感じてる人たちがポップチャートの上位にいるラッパーの曲とかも作ってるということですよね。

ナカコー:その人たちも別にアンビエントだって主張してるわけでもないしね。『Epitaph』にしても、単純に自分の好きなもの、作りたいと思うモードが自然とこうなっただけで、「アンビエントを流行らせたい」とは思ってないし。ただ、感覚的に「あったらいいよね」とは思うというか、さっきから言ってる、目には見えない「一般の人たち」の心のよりどころとして、アンビエントがあってもそれはそれで面白いんじゃないかなって。

Madegg:僕はナカコーさんの声自体がアンビエントっぽいなと思って、しかも、歌詞がその声に合ったテキストになっているんですよね。超メッセージ性があるわけではなくて、抽象的な言葉が多いけど、でも物語になってる。声や音とメッセージの波長というか、言葉にもそれが届きうる固有のエリアがあると思うのですが、それがハマってる。それは客演の人たちもそうで、すげえなって思いました。

ちょっと話ずれますけど、前にNHKでASKAと谷川俊太郎の対談をやってて、それがめちゃくちゃ面白かったんですよ。そこでASKAが、要約すれば「先に曲ができて、そのあとに乗った言葉が、音よりも残る」って言ってて、それに近いものを感じたというか。

ナカコー:歌は今回一番時間かかったし、時間かけましたね。単純に、こういうトラックに歌を乗せるっていうのは難しかったんですけど、まず気持ちいい音を探して、構成を探して、そこにArita (shohei)くんがハマる言葉をガシガシ入れてくれました。

Madegg:さっきのビートの話に戻りますけど、ジャンルをプレゼンするためのビートがあって、それに引きつけられて歌うべき歌い方っていうのもあるけど、それがないところから考えないといけなかったから、ある種実験的に作っていって、大変やったし楽しくもありました。

僕、ゆるふわギャングは初期から好きなんですけど、NENEさんのパート(“Wonder feat. Ryugo Ishida & NENE”)がそんなに長くないのに、言うてることがガツンときて、「こんな世界観出るんや」って思いました。abelestさんもすごいですよね。サンプラーを喉に持ってるみたいなイメージというか、自分の中のチャンネルを瞬時に変えて、その歌い方ができる。みんなすげえなって。

プラットフォームには乗っていくしかない。でも、乗りこなし方を考えないといけない。(Madegg)

―プロジェクトを2年間続けてきた中で、「完成」はどのように意識したのでしょうか?

ナカコー:未だに完成っていうのはあんまり意識してなくて……作業していて、「これ以上やらなくてもいいかな」っていう感覚はあるにはあるけど、でも半年経ったらきっといじりたくなると思うし、そういう意味ではまだ完成してないんだけど……でもある種の収まりは見えたのかな。

プレイリストからはこぼれちゃった曲もあるけど、12曲くらいの方が完成度として高いと思ったから、これでひとつの作品っていう感覚もある。まあ、これに関わった人たちのつながりは今も続いてるし、「完成! はい、解散!」ってわけでもないから、今も続いてるっていうか。

―『Epitaph』を通じて、今後の音楽のあり方や、作品の発表方法について、どんな可能性を感じましたか? 途中の話にも出たように、プラットフォームであり、「決められた枠組み」とどう向き合っていくか、という話でもあると思うのですが。

ナカコー:自分は自分でそこに対して右往左往すると思うけど、それよりMadeggくんたちが思う「これがいい」っていうことの方が刺激的だと思うから、自分はそれを……長生きして、見てみたいなって(笑)。

Madegg:視聴メディアへのアクセシビリティの過剰性みたいな、情報社会全体のプロトコルがあると思うんですけど、今はそれ自体拒否できない段階にいて、プラットフォームをどうこうするには自分の時間が足りないから、乗っていくしかない。でも、乗りこなし方を考えることはできると思っていて。

僕はこれまでいろいろな場所の小さなレーベルから曲を出してきたから、その中でネットワークがつながっていったんですけど、それって既存のプラットフォームを使えば今誰でもできるんですよね。ミクロなコンテンツでも作っていくと、コミュニティがつながって、リスナーもジャンルも横に細く膨らんでいくことがある。それを「薄っぺらい」って言う人もいるけど、実際海外の人とコンタクトを取って、イベントをオーガナイズしたりすると、そうでもないというか……。

ナカコー:むしろコアだよね。コアのつながりっていうか。

Madegg:そう。なので、現段階ではプラットフォームはそうやって使っていきたいです。

―『Epitaph』というプロジェクトもコアのつながりを体現していて、「新しい日本の音楽」というフレーズをもう一度使わせてもらうと、この作品自体がそうとも言えるし、「ここから新しい人たちが新しい日本の音楽を作っていく」とも言えるのかなって。

ナカコー:そうありたいし、そうであってほしいし……「面白い人はいっぱいいますよ」っていうのは本当に思いますね。

リリース情報
Koji Nakamura
『Epitaph』(CD)

2019年6月26日(水)発売
価格:2,808円(税込)
KSCL-3149

1. Emo
2. Lotus
3. Wonder feat. Ryugo Ishida & NENE
4. Reaction Curve #2
5. Open Your Eyes
6. Influence
7. Hood
8. Sense
9. Being
10. 1977
11. Night
12. No Face feat. abelest

プロフィール
Koji Nakamura
Koji Nakamura (こうじ なかむら)

ナカコーことKoji Nakamura。1995年「スーパーカー」を結成。解散後、「iLL」「Nyantora」やナカコー、フルカワミキ、田渕ひさ子(NUMBER GIRL/bloodthirsty butchers/toddle)、牛尾憲輔(agraph)からなるバンド「LAMA」で活動。その活動はあらゆる音楽ジャンルに精通する可能性を見せメロディーメーカーとして確固たる地位を確立し、CMや映画、ドラマの劇伴制作、アートの世界までに届くボーダレスなコラボレーションを展開。その他remixerとしても様々なアーティトを手がけ遺憾なくその才能を発揮している。そして、2014年4月には自身の集大成プロジェクトKoji Nakamuraを始動させ『Masterpeace』をリリース。現在は、「NYANTORA」、「LAMA」、ナスノミツルや中村達也と組んだ「MUGAMICHILL」、Merzbow、Duenn、Nyantoraによるノイズユニット「3REASA」で活動しながら、アンビエント、実験音楽といった「レフトフィールドな音世界」を届けるイベント『Hardcore Ambience』を定期的に行っている。また日本作品として初めてフランス・カンヌ国際シリーズフェスティバル コンペティション部門に正式出品されたドラマ『潤一』の劇伴音楽とエンディングテーマ曲、『WOWOWオリジナルドラマ アフロ田中』の劇伴音楽とメインテーマ曲を担当。2017年4月より、音楽は有機的に変化するものをテーマにストリーミングプロジェクトを展開。6月26日、5年ぶりのCD作品『Epitaph』をリリースする。

Kazumichi Komatsu / Madegg (まっどえっぐ)

Kazumichi Komatsu(小松千倫=こまつかずみち)のソロプロジェクト。1992年高知県生まれ。京都市在住。音楽家、美術家。2009年頃よりコンピューターを使った作曲をはじめる。これまでにflau、angoisse、REST NOW!、Manila Institute、BUS editions等の様々な国のレーベルやパブリッシャーよりアルバム・EPを多数リリース、オンラインでの作品発表を行なっている。Tim Hecker、Julia Holter、Mark Fell、Arca、Die Reiheなどのアーティストの来日公演をサポート。一方で、「インターネット・ミーム」によるストーリーの自動生成のリサーチのもと、喪失や紛失、画像風景や人物のプロフィールにフォーカスし、ポストウェブ環境における表現を探る音響・映像作品を展開する。



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