小林清乃が関心を持つ、市井の人が残した記録物と世界との関係

毎年3名の新進アーティストを紹介する現代美術の公募展『shiseido art egg』。ファイナリスト全員が女性となった今年度、その2番目に登場するのが小林清乃だ。

大学で映像を学び、出版社や新聞社で働いた経験を経た小林は、「名もなき人たち」の声に興味を持ち、それをさまざまな手法で伝えることを続けてきた。今回展示されるのも、日本が戦争に敗れた1945年に、複数の女性たちがやりとりした数十通の手紙をもとにした、サウンドインスタレーション。自分が経験したこと、愛好する趣味などについての手紙を朗読する複数の声がやがて、ある物語を紡いでいくような時間と空間を、小林は「星座のポリフォニー(多声音楽)」として構想したという。数週間後に個展を控えた小林に、話を聞いた。

1945年に、東京の女学生がやりとりした50数通の手紙から制作されたインスタレーション

―今回出品する『Polyphony 1945』は、2017年に群馬県で開催された『中之条ビエンナーレ』ではじめて発表されたものの再制作・再演です。どのような作品でしょうか?

小林:私は、普通の人たちが書いた文章やエッセイに興味があって、それらに関わるような作品を作ってきました。

『Polyphony 1945』は、足繁く通っている古書店で見せていただいた、木箱に入った手紙がもとになっています。箱のなかには、東京のある女学校に通っていた同窓生の女性たちが1945年3月から1946年3月のあいだにやりとりした50数通の手紙が収められていました。

―1945年3月というと、太平洋戦争が終わる少し前ですね。

小林:はい。手紙によると、彼女たちも軍事工場に改装された学校で働いて弾頭を作っていたりするんですけど、女学校に通っているぐらいですからみなさん知的で裕福な人たちなんですね。戦時中だけれども、ショパンやバッハの曲がかかるクラシックの番組をラジオで聴いてらっしゃったりして、その感想を手紙に書き合ったりしています。

3月に学校を卒業した後は、それぞれ別の場所に疎開して離れ離れになるのですが、それでも文通は続いていて、同じ時期に「夜空の月を見上げた」なんて話題が、それぞれ別の人から届いた手紙に書かれていたりする。そういったテキストに目を通していると、各人の声が鮮明に想像できて、まるで映画のようなイメージが頭に浮かんできました。それをかたちにしたくて、この作品を作ろうと思ったんです。

小林清乃(こばやし きよの)
1982年生まれ。日藝映画学科卒。市井の人々が残した記録物から、特に日記や手紙などに書かれた言葉、話された会話に関心を持ち、パーソナルな語りを集め展開していくことで、個人の視点からみた世界と俯瞰的または普遍的な観察点からみた世界との内的関係を探る。

2017年の『中之条ビエンナーレ』では、テーブルランプや額縁が置かれた机を教室の中心に置き、それを囲むかたちでスピーカーを配置する展示にした。それぞれのスピーカーからは、7人の女性の朗読する声が聴こえ、時系列に手紙の内容を朗読していく。卒業後も東京に留まった者、広島に疎開し県庁で働き始めた者。声を通してそれぞれの人生が近づいたり遠ざかったりしながら、結ばれていく。

「何者でもない人の『語り』の集積に興味があるんだな、と気づいたんです」

『Polyphony 1945』は、朗読の声を使って、かつての時代の感触を表現した作品だが、このようなアイデアのきっかけは、小林が小学生のころにしていた遊びに遡るのだという。担任の先生が持っていたカセットテープレコーダーを借りて、友だちと一緒に昔話の登場人物になりきって録音してみたり、それを校内放送で流してみたり。そんな音を使った遊びはその後も断続的に続いたようで、中学では演劇部、高校では放送部に入部した。

小林:NHKの放送コンクールのために、ラジオドラマ風味のドキュメンタリーを作ったんです。高校が甲子園の強豪校だったので、野球部の応援をする応援部部員にインタビューして、編集をして、応援部の視点から一夏の物語を語る、という内容でした。

この他にも文化祭や体育祭を記録するためにビデオカメラを持ち出して、半分エッセイみたいなドラマを作ったり。そういう経験から、映像を学べる日本大学芸術学部映画学科に進学しました。

映画だけでなくアニメーションやドキュメンタリーなど映像に関わる多くのことが学べる映像専攻に進んだ小林は、自分の進みたい方向を探るため、さまざまな表現を試し、さまざまな場所へと足を運んだ。2004年に起きた「イラク日本人人質事件」で誘拐された3名が出演するイベントの記録撮影に加わったり、戦場にカメラを持ち込み世界初の映像ドキュメンタリーを撮ったジョン・アルパートと津野敬子に会うためにニューヨークのスタジオを訪ねたのも、好奇心に突き動かされてのことだったかもしれない。

小林:「映像ってなんだろう?」という根源的な疑問に心が向かっていたんですね。大勢で作るビデオアートみたいなのも撮ったし、ナレーションのないドキュメンタリーもやったし、自分の内面へと潜っていくようなアニメーションも作って……模索していましたね。

―今に通じる要素もあれば、ちょっと違うようなことにも触れてみる、という感じですね。

小林:そうですね。その後、ある出版社に入社したんですが、じつはその経験も大きかったんですよ。

そこはエッセイや自伝、自作の詩集を出版したい人のための自費出版部門がある会社で、仕事柄、普通の人たちの原稿をたくさん読むんです。プロの書き手ではないので未熟なところも多々あるんですけど、筆の迷いや熱量の込もった個人的な想いみたいなものに触れていると、やっぱり私は、何者でもない人の「語り」の集積に興味があるんだな、と気づいたんです。

日常の経験から「声」や「語り」への興味の発見と同じように、「アート」との出会いも突然だった。

小林:東京都現代美術館で行われた、オノ・ヨーコの個展(『YES オノ・ヨーコ』展、2004年)に行ったんです。そのなかで、文字を使った作品を見た瞬間に私のなかの何かが開いた感じがしました。

たった一文字で想像力をかきたてる、インストラクション(指示)の作品が印象に残っています。いろんな映像表現を勉強するなかで、スクリーンやモニターを使ってイメージを映し出すものが映像なんだという考えに固執してきましたが、自分にとってリアリティーのある映像というのは、頭のなかのイメージや過去の記憶、もしくは未来の出来事を予感させる感覚でもあったんです。

ドキュメンタリー映画などからは、死者がまるで生者のようなリアリティーを持って映される映像の具体的な特徴を学びましたが、ヨーコの、たとえば「IMAGINE(想像してごらん)」の一言からは、自分の頭のなかで時間軸を伴ったイメージとして再生される、別の映像の可能性を学んだように思います。これが、自分のなかでアートと映像が結びついたきっかけかもしれません。

「『手紙の語り』そのままに再現するためには……考えたのがサウンドです」

いくつかの作品と、作家のこれまでの遍歴をたどってきたが、再び今回の『Polyphony 1945』に話を戻そうと思う。終戦直後から始まる同作に収められた時間と物語には、日常のささやかな喜びだけでなく、喪失も語られている。

小林:手紙を読み進めていくと、卒業後の東京大空襲の話も出てきます。東京への空襲は1944年の11月から始まりますが、特に翌年の3月から5月にかけての大規模な空襲は大きな被害をもたらしました。女学生たちが卒業した学校も4月15日の空襲で燃えていて、そのときにまだ東京に残っていた人たちは、複数の手紙のなかで「音楽室のピアノが燃えてしまった」「作業台が燃えてしまった」という風に書いています。

また、広島に疎開したひとりにも大きな変化が訪れます。広島の田舎に疎開したものの、田舎にいるのはつまらないと言って都会で働きたかったその方は市中心部の県庁に就職して7月から勤めはじめるんですね。そして・・・。

―その内容も手紙に書かれていたのでしょうか?

小林:本人の手紙は5月で途切れているのですが、9月にその方のお姉さんから手紙が届いているんです。そしてその9月から10月にかけて、友人からもその方の消息を伝える複数の手紙が届いています。

50数通の手紙には、こういった意図しない共通の符号のようなものが多く記されていて、積み重なることで集合的な語りが生まれていくような感覚を覚えました。読んでいるときは、私の頭のなかに複数の物語りが進行していく風景は生まれているのですが、それを「手紙の語り」そのままに再現するためにはどうすればよいのか……そして考えたのがサウンドです。

以前から人の声を使ったボイスサウンドインスタレーションのアイディアはありました。それは、日記を読むような一人称の語り。今回はその一人称の語りの集積、複数の物語りで作ってみようと思った訳です。

また、複数の映像を使って表現することもできたかもしれませんが、視覚だけでは、情報の全部はとらえきれない。けれども、同時に複数の旋律を聴かせることができる音であればそれができるなと思いました。

―なるほど。映像は自分で目を開かなければ見えませんが、音は耳を塞がないかぎり自ずと届きますからね。

小林:今いる室内から外の風景を見ることはできないですけど、聞き取ることさえできれば、音はどんなに遠くても、同時に、共時的に聞くことができます。そして、音という抽象性の高いメディアなら、過去に起きたこと、現在に起きていること、そして未来の予感のようなものも表現することができるんです。

「戦争の時代の作品を作っておかなければいけない」という「罪悪感」

『Polyphony 1945』で扱われる戦争の時代は、2014年に発表した『無防備な予感』にも登場している。やはり古書店で見つけた古い写真……軍服を着た男性と、セーラー服姿の女性が寄り添うように横たわり、おそらく軍事教練のために銃を構えている写真を素材にした同作に、小林は自ら想像した2人の対話を加えた。

それは、戦争という「大きな物語」に、ひょっとするとあったかもしれない密やかな物語……2人の関係性が変化していく未来の物語、未来への予感を介入させる試みでもあった。もちろんその「予感」とは、恋愛関係の足音だけではなく、女性や子どもも兵士として動員されるかもしれないという、戦争の新たな局面でもあるのだが。

『無防備な予感』2014 写真、映像

―質問なのですが、近作では第二次世界大戦時の写真や手紙を多く素材にしていますね。この時代に特に強い関心があるのはなぜでしょうか?

小林:この時代の人々が共有する「戦争」という物語のスケールはとても大きくて、私が関心を持っているパーソナルな語りとの対比が強く出るからだと思います。それと同時に、私の誕生日が終戦記念日というのも個人的な理由になっていると思います。

小さなころは夏休みを祖父母の家で過ごしていたので、戦争を体験した世代の人たちと過ごすことが多かったんです。誕生日として自分が祝われる日であると同時に、戦争に対する記憶とそこからもたらされる様々な感情も抱く一日でもある。その経験に折り合いをつけるためにも、この時代の作品を作っておかなければいけないという気持ちをずっと持っています。

小林は、この意識を「罪悪感」と呼んだ。遠い場所だけでなく、身近な場所でも起こるさまざまな悲しいことに対して、人は手をさしのべられないことのほうが多い。自分が見て見ぬふりをしてきたもの、見殺しにしてきたものに対する折り合いをつけることが作品を作る意味であり、だからこそ名もない人たちの物語りに耳を傾け、作品にするのだという。

小林:他の人の悲しい記憶や経験に耳を傾けて、互いが互いに悲しみを抱いていることを確認し合う。それは、他人の経験を共有することはやはりできないのだと知ることでもあって、だからこそ聞き続けることが必要になる。これを知ることができたのは、自分にとって微かな癒しでもある気がします。まだうまく言い表せないのですが。

イベント情報
『shiseido art egg 13th』

小林清乃展
2019年8月2日(金)~8月25日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料

遠藤薫展
2019年8月30日(金)~9月22日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料

作家によるギャラリートーク

小林清乃
2019年8月3日(土)14:00~14:30
会場:東京都 資生堂ギャラリー

遠藤薫
2019年8月31日(土)14:00~14:30
会場:東京都 資生堂ギャラリー

※事前申し込み不要。当日開催時間に直接会場にお越しください。
※予告なく、内容が変更になる場合があります。
※やむを得ない理由により、中止する場合があります。
中止については、資生堂ギャラリー公式Twitterにてお知らせします。
※参加費無料

プロフィール
小林清乃 (こばやし きよの)

1982年生まれ。日藝映画学科卒。市井の人々が残した記録物から、特に日記や手紙などに書かれた言葉、話された会話に関心を持ち、パーソナルな語りを集め展開していくことで、個人の視点からみた世界と俯瞰的または普遍的な観察点からみた世界との内的関係を探る。2017年、第二次世界大戦中に書かれた手紙の音声化を手掛けたボイスサウンド作品《Polyphony1945》を制作。2018年夏はポートランドのレジデンスプログラムEnd of Summerに参加。



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