平野啓一郎×福田進一 崇高な物を身近にした『マチネの終わりに』

これだけの人気、知名度を誇る小説家でありながら、作品の映画化はこれが初めてというのが正直、意外だ。平野啓一郎の原作による映画『マチネの終わりに』が2019年11月1日から公開。40代を迎えた世界的クラシックギター奏者の蒔野聡史をめぐるこの物語は、中年世代を中心に共感を集め、小説は現在58万部超のロングセラーとなっている。

加えて、映画のサウンドトラックや小説に登場する楽曲を集めたコンピレーションアルバムも、この手のディスクとしては異例の売れ行きをみせているという。単に音楽を題材にしているというだけでなく、まさに音楽家と小説家とのコラボレーションによって生まれたというこの作品について、平野啓一郎とモデルになったギタリストのひとりである福田進一に話をうかがった。タイアップCD第2弾『マチネの終わりに and more』の発売を記念した開催された『平野啓一郎×福田進一 トーク&サイン会』の様子とともに、2人のインタビューをお楽しみいただこう。

ギターは、バッハみたいな音楽を自分の手元に繋いでくれる。そういう独特の親しみのある楽器だと感じます。(平野)

―原作者である平野さんは、11月に上映が開始された映画版『マチネの終わりに』をどのように受け取られましたか?

平野:映像と音楽が素晴らしい作品ですね。ストーリー的には原作をだいぶ圧縮していますけれど、音楽と映像に関しては小説になかった素晴らしいものが沢山付け加わっています。もちろん、お話として観てもらいたいですけど、ぼーっと映像を観ながら音楽を聴いているだけでも、心満たされる映画になっているんじゃないかなと思います。

左から:福田進一、平野啓一郎

―福田さんが映画のために同じ曲を3パターン録音したという話がありますが、自分の普段の演奏では珍しいことですよね。

福田:西谷弘監督の感性が非常に素晴らしいと思いましたね。例えば、バッハのジーグって本来はジャンプするような曲なんだけど、その演奏が流れるシーンでの石田ゆり子さんが歩いていらっしゃる優雅な感じとは違うと。じゃあ、もういっそのこと崩して、ワルツみたいにしちゃうかとか。

“大聖堂 第3楽章”の録音をしたときには、監督から意図的に途中で止めたり違和感のある演奏をしてもらえますかとか提案を受けたんですけど、そうすると演技をあわせる福山さんも大変なことになるわけですよ。細かいズレまであわせなきゃいけませんから。だから、別の表現でしてほしいなど、監督とはそういう会話がありましたね。

『映画「マチネの終わりに」オリジナル・サウンドトラック』を聴く(Spotifyを開く

映画『マチネの終わりに』予告編

―映画のために一緒に試行錯誤されたんですね。そもそも、平野さんが小説を書き出す契機になったのは、福田さんの演奏するバッハだったそう。

平野:そうですね。20代のときに『葬送』(2002年 / 新潮社)っていうショパンをテーマにした小説を書いていて、あれがいまでも好きだといってくれる読者が結構いるんです。僕自身も音楽が好きですし、音楽をテーマにした小説を書いていると幸福感があるんですよ。自分の好きな世界について書くから。

福田:平野さんの音楽について書いているときの文章が、すごくいいんですよ。いま『ある男』(2018年 / 文藝春秋)にハマっているんだけど、バーでどんな音楽が流れているかとか、すっごい嬉しそうに書いてる平野さんが目に浮かぶ(笑)。

福田進一(ふくだ しんいち)
大阪生まれ。1977年に渡仏し、アルベルト・ポンセ、オスカー・ギリアの両名教授に師事した後、1981年『パリ国際ギターコンクール』でグランプリ優勝、さらに内外で輝かしい賞歴を重ねた。以後35年に亘り、ソロリサイタル、内外の主要オーケストラとの協演、エドゥアルド・フェルナンデスとのデュオをはじめとする超一流ソリストとの共演など、その活動は留まることを知らない。19世紀ギター音楽の再発見から現代音楽まで、そのボーダーレスな音楽への姿勢は世界中のファンを魅了している。

平野:だからまた音楽について書きたいなと。でもピアノについては『葬送』のときに原稿用紙2500枚も費やしてもう書いちゃったので、また書くという気もしなくて。でもチェロとかにしちゃうとね、ソリスト(独奏者)として活躍ってより、どうしてもオーケストラで弾くから登場人物が急に増え過ぎるんで……。それが書きたいことじゃないし、と思ったときに福田さんから新しいバッハのCDをちょうどいただいて……。

福田:本当にいいタイミングで送ったんですな(笑)。

平野:本当にそこからなんです。バッハって偉大な音楽家だけれど、ロマン派以降の近代の音楽家たち――それこそショパンやフランツ・リスト(ハンガリー出身のピアニスト、作曲家)は随分僕とは違うんだけれど、それでもやっぱり近代人という感覚が分かる気がするんですよね。彼らの孤独とか繊細な感受性が、自分の世界と地続きの人って感じがするんです。

でもバッハは偉大な音楽家だけど自分から遠いなって感じていました。やっぱり神様がいてバッハっていう一族がいてっていう感じがしていたんです。“無伴奏チェロ組曲”とか、“ゴールドベルク変奏曲”とか、好きな曲はいっぱいありますけれど、それもやっぱり相当人間的なほうに引き寄せてくれた演奏が好きですね。

平野啓一郎(ひらの けいいちろう)
1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回『芥川賞』を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として1年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセー・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』などがある。

―分かります。バッハって、手紙とかプライベートな情報が分かるような資料があまり残っていないという事情もあって、他の作曲家に比べると人柄がみえてこないんですよね。

平野:でも、福田さんのギターでのバッハを聴くと、「自分の身近な音楽」という感じがしたんですよ。ギターって、バッハみたいな音楽を自分の手元に繋いでくれる、そういう独特の親しみのある楽器だなと感じたんですね。非常に崇高な世界を扱っているんだけれど親しみやすい、という二面性を持っている。

―ソロ楽器であることに加え、クラシックギターならではの特性として本作で重要な点に、レパートリーとする楽曲の幅広さがありますよね。

平野:The Beatlesを、ピアノで弾くと「クロスオーバー」な感じがしてしまいますけれど、クラシックギターだと違いますよね。一方でバッハとか、ばりばりの現代音楽とか全部混在していてもチグハグな感じがしないというのが、他のクラシックの楽器と比べて特殊な感じがします。クラシックの音楽家が、バイオリンやピアノでポップスを弾いてると、違和感があるんですが。

福田:それは、なんとなくわかりますね。

平野:それで主人公をギタリストにしようと決めて、福田さんから色んな話を聞かせていただきました。ただ、福田さんは大家なので、中年に差し掛かっているギタリストのリアルな悩みとか実感とかは、(福田さんの弟子でもある)大萩康司さんや鈴木大介さんとかにもお話を聞かせていただきましたね。

みんな、いまの世の中にうんざりしている。そんな状況の中で本を読むことが精神的な開放感に繋がるような体験をしてもらいたい。(平野)

―実在のモデルがいる……という話は、小説の「序」の部分で書かれていましたよね。

平野:19世紀の小説に序文がついているのは、すごく読みやすいと前から思っていたんですよ。作者がちょっとあらすじというか、この話が要するになんのことなのかということを説明している。バルザック(19世紀フランスの小説家)や、ああいう人たちは小説を売らないといけないから、序文を面白く書いているんです(笑)。小説を読んでもらうために、結構そういうことも大事かなと思っていて。ある時期序文をつけるのが文学の世界で廃れていたんですけれど、あのやり方がいままた有効なのではないかと思っているんです。

ヒロインの小峰洋子は、かなり理想の女性に描きたかったのですが、まったくのフィクションで書いていくと、読者が「そんなやつ、いるのかな」と思って、うまく物語に入れないことがあるんです。モデルがいるっていうと、スッと入れたりするので、文学的なトリックでもあるんですね。実際、確かにモデルになった人はいるんですけれど、かなりそのあたりは工夫しています。

―なるほど。モデルの1人ともいわれている福田さんからみると、小説でのギタリストの描かれ方はどのぐらいリアルなものですか?

福田:僕もとち狂って舞台で間違ったことはありますよ。でも蒔野みたいに心理的なものから弾けなくなるということは、個人的には「なったこと」がないので……って過去形でいうのは、来年から急に起こるかもしれないからだけど(笑)。

だから、そういうことを除いてですが、演奏家が舞台の上にでる前の感覚とか、平野さんが非常にナチュラルに描かれるっていうのは、彼の頭の中で擬似的に舞台に出てるんですよ。モデルの1人といわれる僕から平野さんにお願いしたかったのはひとつだけで、「頼むから連載中は、蒔野を殺さないでくれ」と(笑)。

―本作を語る上で絶対に欠かせないのが「未来は常に過去を変えている」というキーワードですが、福田さんはこの言葉をどう受け取りましたか?

福田:『マチネの終わりに』(2016年)を読む前に、平野さんの『空白を満たしなさい』(2012年 / 講談社)を読んでいたんですね。彼が描きたがっているのは「運命論」というか、逆「運命論」というか、戻ってくるリバースする感覚。僕も今年の12月で64歳になるので、「あのときああしていたら……」とかは、よく考えるわけですよ。

恋愛のことだけではなく、人生の色んな岐路があって、「あのときああやったから、これがあるのか」というのもあるんだけど。いま現時点で起こったことで、なにか過去に持っていたイメージが変化したりだとかは、音楽の中の魅力にもあることなんです。作品全体が音楽みたいに作られているのも、すごく僕は嬉しかったですね。

―音楽が繰り返し聴かれるようには、小説は読まれないことが多いので、何回も読まれるような作品を意識して書かれたと他のインタビューで読みました。

平野:僕はいろいろな作品を書いていて、本によっては「辛すぎて2度と読みたくない」みたいな本も書きましたけれど(笑)。そういう作品を書く必然があるときもありますが、いまはもうみんな、世の中にうんざりしている。そのような状況の中で本を読むことが精神的な解放感に繋がるような体験を読者にしてもらいたいな、というのが頭にあったんです。自分は演奏家ではないですけれど、1人のリスナーとしては、音楽っていつもそういう気分に浸らせてくれるものなので、そういう意味でも音楽を意識しながら全体をイメージしているところはありましたね。

この日、「代官山 蔦屋書店 3号館2階 代官山Session:」にて『平野啓一郎×福田進一 トーク&サイン会』が開催された。

クラシックギターを認知してもらいたいと思いつつ、気付けば奏者全般がポピュラー寄りになってしまった。(福田)

―小説自体が音楽的でありつつも、同時に実際の音楽と共に楽しむことで、また違った味わいを堪能できるのではないかと思いました。

福田:タイアップCDの第1集『マチネの終わりに』(2016年)を作ったときは、映画化の話はまだなかったんですが、小説に登場する曲の中で、例えばルイ・アームストロング“この素晴らしき世界”とかを入れたんですよ。だけど、今回の『マチネの終わりに and more』になったときには、ポピュラー関係のものは切り捨てようということになりました。

というのは、クラシックギターを認知してもらいたいと思いつつ、気付けばクラシックギター奏者全般がポピュラー寄りになってしまっているからです。ただ、この習慣は僕自身が作ってきたみたいなところがあるんですよ。

福田進一『マチネの終わりに』を聴く(Spotifyを開く

福田進一『マチネの終わりに and more』を聴く(Spotifyを開く

福田:僕はデビューして間もない頃から、ポピュラー音楽路線をどんどん入れていくと、もっとクラシックギターが広まるだろうと思ったんです。ところがやっていってなにが起こったかというと、優しいポピュラーのほうに吸収されていって、クラシックの要素が失われていく。

これはヤバいぞという危機感を持っていたところに、今回の映画化の話が舞い込んできたので、「これはチャンスだぞ」と思いましたね(笑)。過去にやったミスディレクション的な部分を修正すれば、ちょっとクラシック音楽にギターのファンを戻せるかなという思いがあるんです。

平野:僕は、さきほどいったようにクラシックとポピュラーの両方を演奏できるというのがクラシックギターの魅力だと思っていて。でも一方で、原作で蒔野がギターを弾くのが嫌になる展開を描いたのは、実はポップスのアルバムで弾くのが嫌になったからなんですよ。自分の演奏に満足していないときに、そういうアルバムを作るということに彼は嫌気が差すんです。

『平野啓一郎×福田進一 トーク&サイン会』では、小説の第1章「出会いの長い夜」の一部を平野自身が朗読した。

―今回の選曲もクラシックに傾倒していて、ポピュラー系どころか、本来ギターのためではないクラシック音楽からの選曲もあり、非常にユニークなラインナップになっています。

平野:そうですね。今回の『マチネの終わりに and more』に収録されたブラームスだって、本来はピアノの曲なのでギターで弾ける曲ではないのですが、「ギターで聴けたらいいだろうな」という僕の嘘から出た真ですからね(笑)。

福田:弦が6本のギターで本来、表現するためになんて作られてないものですから。そうした意味でも、『マチネの終わりに』がなければ生まれなかった演奏。平野さんとの素敵なコラボレーションになりました。

平野の嘘から出た真となった鈴木大介編曲による“ブラームス:間奏曲 第2番 Op.118-No.2”は、この日行われた『平野啓一郎×福田進一 トーク&サイン会』で披露された。小説の第1章「出会いの長い夜」の一部を平野自身が朗読し、福田がその場面に合わせて演奏したのだ。2人によるパフォーマンスは、映画とはまた異なったかたちで小説世界に奥行きをあたえてくれるものであった。
リリース情報
福田進一
『マチネの終わりに and more』(CD)

2019年9月18日発売
価格:3,300円(税込)
COCQ-85471

第1章:出会いの長い夜
1. ブラームス:間奏曲 第2番 Op.118-No.2〈鈴木大介編〉
第4章:再会
バッハ:リュート組曲 第4番BWV1006aより〈福田進一編〉
2. Ⅰ.プレリュード
3. Ⅲ.ロンド風ガヴォット
第5章:洋子の決断
タンスマン:組曲「カヴァティーナ」
4. Ⅰ.プレリュード
5. Ⅱ.サラバンド
6. Ⅲ.スケルツィーノ
7. Ⅳ.舟歌(バルカローレ)
8. Ⅴ.ダンサ・ポンポーサ(華麗な舞曲)
バークリー:ギターのためのソナチネOp.52-No.1
9. Ⅰ.アレグロ
10. Ⅱ.レント
11. Ⅲ.ロンド
第7章:愛という曲芸
ヴィラ=ロボス:「12の練習曲」より
12. 第1番
13. 第3番
第8章:真相
14. ドビュッシー:月の光~ベルガマスク組曲より〈鈴木大介編〉
15. ラヴェル:ハバネラ形式のヴォカリーズ〈福田進一編〉
16. ヴィラ=ロボス:アリア~ブラジル風バッハ5番より
第9章:マチネの終わりに
ヴィラ=ロボス:「5つの前奏曲」より
17. 第2番「カパドシオ(リオの伊達男)の歌」
18. 武満徹:「すべては薄明のなかで」より 第1曲
バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番BWV1009より
19. Ⅱ.アルマンド〈福田進一編〉

作品情報
『マチネの終わりに』

2019年11月1日(金)から全国東宝系で公開

監督:西谷弘
脚本:井上由美子
原作:平野啓一郎『マチネの終わりに』
音楽:菅野祐悟
出演:
福山雅治
石田ゆり子
伊勢谷友介
桜井ユキ
木南晴夏
風吹ジュン
板谷由夏
古谷一行
配給:東宝

プロフィール
平野啓一郎 (ひらの けいいちろう)

1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセー・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』などがある。

福田進一 (ふくだ しんいち)

大阪生まれ。77年に渡仏し、アルベルト・ポンセ、オスカー・ギリアの両名教授に師事した後、81年パリ国際ギターコンクールでグランプリ優勝、さらに内外で輝かしい賞歴を重ねた。以後35年に亘り、ソロ・リサイタル、内外の主要オーケストラとの協演、エドゥアルド・フェルナンデスとのデュオをはじめとする超一流ソリストとの共演など、その活動は留まることを知らない。19世紀ギター音楽の再発見から現代音楽まで、そのボーダーレスな音楽への姿勢は世界中のファンを魅了している。



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