X JAPANツアーで気付かされた、ファンに「献身する」ということ

破滅に向かう、その瞬間ごとに勤勉な人たち

X JAPANの20年振りとなる日本ツアー、横浜アリーナ4デイズの最終日となる12月4日公演に出向いて感じたのは、人を惹き付け続ける、人を虜にさせ続けるのは、もう絶対に、手法ではないということ。献身的なプレイという表現はおおよそ「丁寧」というイメージで使われるけれど、彼らの場合は文字通り「身を献上する」という意味合いを持つ。首や手首の状態が芳しくないYOSHIKI(Dr,Pf)、特に手首は靭帯が半分切れている状態だという。どのタイミングで身が寸断されてもおかしくないわけだが、彼らがMCで「破滅に向かって」と繰り返していたように、後先考えない献身的なプレイが続いた。

X JAPAN 撮影:Japan Music Agency
撮影:Japan Music Agency

来年3月12日のロンドン・Wembley Arena公演の前日に、20年振りとなるスタジオアルバムの発売が決定している。その制作は「順調に」遅れているようで、この日は新曲“Kiss The Sky”の一部をお客さんに歌ってもらいレコーディングする一幕も。「みんなが歌いたいって言うから……これでまたレコーディングを遅らせられる」と、YOSHIKIがほくそ笑む。X JAPANとして同一会場で4日連続公演を行なうのは初めてのことだというが、SUGIZO(Gt,Violin)のツイートを終演後に覗けば、この公演が終わった深夜もスタジオ作業に戻り、アルバム制作を続けていたという。よほどギリギリのスケジュールなのだろう。バンドが築き上げた緊迫感を解くのも本人たちで、時折、Toshl(Vo)とYOSHIKIが繰り広げる夫婦漫才のような掛け合いに思わず体をほぐしてしまう。こちらがほぐした途端に、即座にスイッチを戻してくる。聴衆に恍惚を感知させるのが巧いバンドだ。これだけ、その瞬間ごとに勤勉な人たちも珍しい。

X JAPAN 撮影:Japan Music Agency

X JAPAN 撮影:Japan Music Agency
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YOSHIKIが思い出すのは、ドームでのプレイじゃなく、公園で蚊に刺された日々

4日間連続公演、全て異なるセットリストで臨んだが、この日大きな歓声を浴びていたのは、Toshlのソロタイムに弾き語りで披露された“ROSE OF PAIN”。『Blue Blood』(1989年発売、2ndアルバム)収録の名曲だ。本編後編、“紅”“Forever Love”、新曲“Born To Be Free”を挟んで、“X”と続いていく流れは圧巻。ファンと丁寧にコミュニケーションをはかりながら、常に上乗せで応えていく。

“Forever Love”やアンコールの“Endless Rain”では、バンドの軌跡を伝える写真の数々が背景に映し出された。YOSHIKIが静かに語る。「小さなライブハウスでプレイしていた頃は、泊まるお金もなくて、公園で寝たこともあった。蚊に刺されたりして……」「ドームとか色んな大きなところでプレイさせてもらったけど、思い出すのは、そういう日々のこと」。大きな喪失や深い傷を負った分断を経て、ようやく集い直したバンドの歴史を、何とかして繋いでいこうとする決意が、特別な空気を作り出す。

X JAPAN 撮影:Japan Music Agency
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飛躍していく楽曲の土台を作り上げるPATAのプレイ

この日、会場に向かう途中に流れてきたニュースで、Stone Temple PilotsやVelvet Revolverのフロントマンとして活躍したスコット・ウェイランドが亡くなったことを知る。48歳という若さだった。Stone Temple Pilotsは、hideが影響を公言していたバンドの1つである。彼が組んだバンドzilchには、このバンドからの影響が感じられた。また、hideと幼稚園時代からの幼なじみだった、日本のヘビーロック界を牽引してきたUNITEDの横山明裕は、昨年49歳で他界した。残念なことに、この激しい音楽の周辺には早世の才能が多い。アンコール前に流された来年公開予定のドキュメンタリー映画のトレーラー映像では、hideの墓標が静かに映し出されていた。

hideの残像を背負うようにプレイするLUNA SEAのSUGIZOの姿は、実にカリスマチックだった。一挙手一投足が異様なオーラを発奮しており、このバンドの蘇生には彼の存在が不可避であったことは誰の目にも明らか。しかし、個人的にずっと目を奪われていたのは、その対極の立ち位置で佇むPATA(Gt)の存在。自分の持ち場をあまり動かずに、時折はにかみながらレスポールに嬉しそうにかじりつく様に、X JAPANという土台を支えようとする堅実さが見えた。楽曲をその場の勢いでどんどん飛躍させていく中枢をセーブさせるわけではなく、その飛躍に対して然るべき土台を作り上げるような包容力があった。

 
撮影:Japan Music Agency

あらゆるアンバランスを、奇跡的なバランスに変換してきた

3時間に及ぶ長丁場のライブが終わると、各メンバーは場内を一周しながらファンと積極的にコミュニケーションをはかる。PATAだけは、ステージセットにゆっくりと腰掛けるなどして、その様子を静かに見守っている。ファンからどれだけの歓声を浴びようとも、ゆっくりと手を挙げる程度の簡単な仕草で返す。屈指のスタープレイヤーが揃うバンド、緩急や硬軟がいくらでも転回していくなかで、その転回を静かに支えてきたのがPATAだ。それぞれがファンとの交流を終えて、ようやくステージ中央に集ったところで、ゆっくりとセンターに出かけていくPATAの姿が実に魅力的だった。Aerosmithにはブラッド・ウィットフォードがいて、Guns N' Rosesにはイジー・ストラドリンがいた。そういった、バンドの軸足を整えるギタリストがバンドの動きを潤滑にするのだ。ちょっと気怠そうに手を挙げてファンへ謝意を伝える姿に痺れた。

X JAPAN 撮影:Japan Music Agency
撮影:Japan Music Agency

「ファンのために」というフレーズは使い古されているけれど、彼らはまさにファンのために、身を献上するかのような演奏を続けた。「その昔はホテルの壁をブチ壊していたこともあったけど、今度は世界の壁を……」と語るYOSHIKI。「あの時、オレ、会計係で大変だったんだから……」と笑うToshl。微笑ましいやり取りを、全員が揃って打ち出す音で、瞬時に霧散させる。あらゆるアンバランスを、奇跡的なバランスに変換してきたスリリングなロックバンドが、1つの大きな空気を作り上げる。その瞬間って、こんなにも快感なのか。誰もが特別な一夜になったことを確信していた。

イベント情報
『X JAPAN JAPAN TOUR』

2015年12月4日(金)
会場:神奈川県 横浜アリーナ

『X JAPAN JAPAN TOUR』
2015年12月9日(水)
会場:福岡県 マリンメッセ福岡

2015年12月11日(金)
会場:広島県 広島グリーンアリーナ

2015年12月14日(月)
会場:愛知県 日本ガイシホール

2015年12月15日(火)
会場:愛知県 日本ガイシホール

2016年3月12日(土)
会場:イギリス ロンドン Wembley Arena

プロフィール
X JAPAN
X JAPAN (えっくす じゃぱん)

1982年、千葉県館山市で当時高校生だったYOSHIKI(Dr,Pn)とToshl(Vo)を中心に結成。当時アメリカを中心に一大ムーブメントだったLAメタルに影響を受けた派手なルックスで、後続のヴィジュアル系と言われるバンドに大きな影響を与えた。1989年にX(エックス)としてメジャーデビュー。その後、世界進出を機に1992年、現在のX JAPANに改名。1997年12月31日に解散したが、2007年10月22日に再結成した。通称はX。



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