一人ひとりにアートを届ける『カナザワ・フリンジ 2017』の試み

(メイン画像:『Fun with Cancer Patients がん患者とがんトーク:金沢編』 ©Christa Holka)

アートが社会と関係する最も確実な方法は? 金沢の街の実践

空気のように当たり前に存在し、音もなく体内の隅々に入り込み、いつの間にか相手を変えている──。アートが社会に関係するための理想はそんな方法かもしれないが、それが簡単でないことを私たちはとっくに知っている。

ではどうするかと言えば、注射のように一人ひとりに直接的にコンタクトして、作用しようと目論んだりする。不特定多数が相手ではないから時間はかかるが、それが最も確実な、アートが社会と関係する方法ではないか。

11月3日~5日の3日間、石川県金沢市の金沢21世紀美術館を中心に開催された『カナザワ・フリンジ』は、そうした思いがシンプルに遂行されたアートフェスティバルだった。プログラムは5つと少ないものの、すべてが体験型で、自分の内側についてかなり具体的な考察を促すものが含まれていた。開催場所の範囲もあまり離れてはおらず、ちょっと頑張れば1日ですべてをコンプリートできる距離感も、足を伸ばして行ける場所=手を伸ばして確認できる部位という直接性と重なる。

©IKEDA Hiraku
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ディレクターとアーティストがタッグを組み、金沢という街でしかできない作品を作り上げる

『カナザワ・フリンジ』の歴史はまだ短い。2015年、イギリスのアーティスト主導型コミュニティ「フォレスト・フリンジ」からアーティストを招き、金沢での滞在制作で生まれたインスタレーション作品や体験型パフォーマンスを発表した『MUSEUM×KNZ FRINGE ~街と、人と、出会う』が前身。

「お客さんが実際に参加して成立するインタラクティブアートであること、金沢という街との接点から作られること」(総合ディレクター黒田裕子 / 金沢21世紀美術館)というコンセプトを引き継ぎながら、約2年の準備期間を経て『カナザワ・フリンジ』として今年から改めてスタートした。

『カナザワ・フリンジ 2017』ロゴ
『カナザワ・フリンジ 2017』ロゴ

特徴的なのは、金沢で活動する5人のディレクター(アート系のNPOを主催するディレクターや個人のクリエイターなど)が、ジャンルを問わず、日頃から注目していたアーティストと共作する「アーティスト×ディレクター」というスタイルだろう。ディレクター5人の選定は、総合ディレクターである黒田が行ったが、ディレクターがそれぞれ指名したアーティストは金沢に滞在し、パートナーであるディレクターとこの街を巡って、なにを、誰と、どの場所でどう取り込んでいくかを協議して作品に反映していったという。

食、病気、観光、儀式。さまざまな手段から取り組まれた5つのプロジェクトを紹介

5つのプロジェクトの具体的な作品と内容は以下の通り。

1.『TEI-EN Bento Project』稲田俊輔(料理人)×上田陽子(金沢アートグミ)

ニューヨークで活躍するシェフが金沢料理に衝撃を受け、立ち上げたジャパニーズレストラン「TEI-EN」。日本料理を根本的に勘違いしたまま、一流の感性と知識が金沢の食材で作り上げた幕の内弁当を味わうという食のパフォーマンス。シェフもレストランも架空の存在。観客はそのフィクションに乗りながら、他地域のスパイスやアレンジを加えても郷土料理は成立するかを舌で判断、また、9つの料理を食べる順番をレポートにして提出。レクチャーにより、食に対する自分の考えや習慣がどんな文化に影響されているかを発見する。

『TEI-EN Bento Project』BENTO 仕込み見学会 / 販売する「金沢奇妙弁当」の公開仕込みをしながらのトーク / ©IKEDA Hiraku
『TEI-EN Bento Project』BENTO 仕込み見学会 / 販売する「金沢奇妙弁当」の公開仕込みをしながらのトーク / ©IKEDA Hiraku

2.『Fun with Cancer Patients がん患者とがんトーク:金沢編』ブライアン・ロベール(アーティスト)×黒田裕子(金沢21世紀美術館)

自身もがん経験を持つイギリス出身のアーティスト、ロベールが、金沢のがん経験者やその家族をサポートする施設の協力のもとに考案した、誰もが病気を自分と無関係ではないと考えるためのプログラム。がんで家族を亡くした人やがん患者本人による「私はがんの◯◯についてのエキスパートです」という自己紹介から始まり、彼や彼女との対話の中で、観客は徐々に病気について思い描き、やがて「私が大病になったとして、最初に話す相手は、それを打ち明ける場所は、話を切り出す言葉は──」と、シュミレーションしていく。

©Christa Holka
©Christa Holka

プロジェクトに関わったがん経験者や医療関係者、来場者の気持ちを託したカードを使いながら会話が進行した / ©Christa Holka
プロジェクトに関わったがん経験者や医療関係者、来場者の気持ちを託したカードを使いながら会話が進行した / ©Christa Holka

3.『Walk with Me』ウェイ・シンエン(アーティスト)×齋藤雅宏(Kapo)

台湾のアーティスト、シンエンを、自分の好きな、あるいは思い出のある金沢の場所へと案内してくれる地元協力者を公募。その道のりをシンエンの案内で観客とともに追体験するガイドツアーを行う。シンエンはそのときのことを詩にして後日、郵送する。

『Walk with Me』ガイドツアーの様子
『Walk with Me』ガイドツアーの様子

4.『あさのがわのいえ』新人Hソケリッサ!(パフォーマー)×中森あかね(Suisei-Art)

お彼岸の深夜に女性が誰とも口をきかず7つの橋を渡ると、年を取ってからも下の世話にならないという民間信仰が伝わる浅野川。このほとりに建つ一軒家に、路上生活経験者によって構成されるダンスグループ・新人Hソケリッサ!のメンバーが「異界の人」として暮らし、招いた観客に、この世とあの世(川)を結ぶ儀式を執り行う。

『あさのがわのいえ』での一場面
『あさのがわのいえ』での一場面

5.『アーティストの目』なかむらくるみ(ダンサー)、村住知也(美術作家)×山田洋平(山田企画)

日頃から市内の障害者施設やデイサービスなどでダンスを教えているなかむらが、「歩く」「自分のチャームポイントを見せる」などのメニューに沿って、出演者である障害者一人ひとりをじっくりと観客に味わってもらうパフォーマンス&映像上映『彼らの特徴とその理由』と、村住が出会った障害者が日常のなかで作り出したオブジェクトの展示、さらに、それによってインスパイアされた村住自身の作品を展示する『Under the bed』。

『アーティストの目』での一場面 ©IKEDA Hiraku
『アーティストの目』での一場面 ©IKEDA Hiraku

『カナザワ・フリンジ』の真価は、1対1の関係性で届ける仕組みにある

すべての作品に共通するのは、フェスティバルの名前にもある「フリンジ」という概念なのは間違いない。『カナザワ・フリンジ 2017』のキャッチコピーは「周縁から、動き出す。」であり、こうチラシに書かれている。

“FRINGE”、「周縁」─。そこは、帰省の概念や価値観を越えた想像と変化のエネルギーに満ちています。KANAZAWA FRINGE(カナザワ・フリンジ)は、国内外から招聘するアーティストやクリエイターが金沢に滞在しながらそれぞれの作品を制作していくアーティスト・イン・レジデンスプログラム。街や人々との出会いにインスピレーションを得て生まれる作品たちが、この金沢という街のあり方を少しずつ、でも確かに動かしはじめます。

ここで語られているフリンジ=周縁とは、一般的な文脈で言う、中心にいない / いられない人、忘れられつつある場所、消え行く慣習など、社会の仕組みからこぼれおちるものたちを指していると理解して良いだろう。だからこそ冒頭に書いたように、1対1の関係性で届ける仕組みが重要になる。

なぜならいまは、経済や効率がますます幅を利かせ、多くの人が反射神経的に中心に向かって早足で進んでいるから。自分より弱い立場の人を見つけて、もしくは作り出して、自分は弱者でないと信じ込もうとする人に「アートの力を使って、周縁にいる人も生きやすい社会を」と大声で演説しても、ほとんどは自分に無関係だと思ってスルーする。だから、むしろ近くでないと聞こえない小さな声で話し、個人的な体験の機会をつくり、深い角度で覚醒の種を植え付けることが効果的なのだ。

聖性を帯びた、新人Hソケリッサ!×中森あかね『あさのがわのいえ』の体験

以前、作家の田辺聖子がエッセイに「家事は女がするものだという常識の母親に育てられた夫を変えることは難しい。その代わり、息子を産んだ女性は必ず、家事全般がひとりで出来る男に育てる。これでいつか日本も女が楽な社会になるはずだ」と書いていたが、社会の仕組みが変わらないなら、個人が個人に対して働きかける変革は、したたかであっても無力ではない。『カナザワ・フリンジ』の、2年がかりで準備された5つのプログラムはいずれも、家族のような人数の観客を前に上演されるものがほとんどだった。

『TEI-EN Bento Project』での一場面 ©IKEDA Hiraku
『TEI-EN Bento Project』での一場面 ©IKEDA Hiraku

『アーティストの目』での一場面 ©IKEDA Hiraku
『アーティストの目』での一場面 ©IKEDA Hiraku

そのなかで特に強い印象を受けたのが、新人Hソケリッサ!×中森あかねの『あさのがわのいえ』だった。新人Hソケリッサ!(以下、ソリケッサ)とは、ダンサー、振付家のアオキ裕キが、1日1日を生きることと向き合わざるを得ない路上生活者(ホームレス)の肉体に衝撃と芸術的要素を感じ、2005年から地道に声をかけてメンバーを集めていったパフォーマンスグループで、アオキ以外は全員、路上生活を経験している。ディレクターの中森は、街にいても自然のなかにいても圧倒的な異質感を放つ彼らに「異人」としての存在を見つけ、7人という数に7つの橋を渡る地元の伝承を重ねたという。

金沢市の中心から車で10分足らずの場所に流れる浅野川は、片側をなだらかな山、片側をのどかな住宅街に挟まれた美しい川で、橋渡りの出発地となる常盤橋に集合し、迎えに来たソケリッサのひとり、小磯さんのあとに続く。

©IKEDA Hiraku
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小磯さんは手に持った小さな鐘を鳴らし、参加者を目で制するので、ここから話してはいけないことが察せられる。定員は5名。1列になって橋の脇を降り、川のほとりを歩くと、数分で川べりの一軒家にたどり着く。

数段のハシゴを昇ってその家の玄関を入る際、二つ折りにされた懐紙を渡される。開くと金沢名物の金箔が入っていた。靴を脱いで入った風通しの良い家の1階には、着古された何枚かのTシャツがちゃぶ台の上に並べられている。ソケリッサのメンバーのものだろうか。参加者が俗世を捨てて身を清める代わりのように、かつて特定の肉体を包んだ外皮が脱ぎ捨てられていた。

©IKEDA Hiraku
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そして2階に上がると、メンバーが100円ショップで購入したというハートのクッションや、そこで暮らしている証のような布団が敷かれた部屋がある。100均グッズは「世界を平和にするもの」というお題でメンバーが選んだのだそう。そしてその部屋で、ひとりのミュージシャンによって奏でられるさまざまな民族楽器による演奏にのってソケリッサが踊る。

©IKEDA Hiraku
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ソケリッサの踊りは、いわゆるテクニックとはかけ離れたところに存在していて、動きに意味は見出しにくい。けれど、肉体的にも精神的にもブレない芯のようなものがあって、節くれだった指や幅広の足が動くとき、そこには、目には見えないがはっきりとたどるものがあることが察せられる。目の前にいる人より自分の内側を見据え、それも通り越して、遥か遠くにあるなにか大きなものに近づくために体を動かしているのが、たまたま踊りであるように見えた。

©IKEDA Hiraku
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東京の野外で踊ることが多い彼らだが、民家の六畳間で観るその姿は気迫に満ち、自ずと厳かな気持ちが湧く。踊り終わると、路上という異界から来た7人は、七福神のごとく玄関に並び、参加者を見送る。

その際、一人ひとりの腹部を触るように促される。丸くて堅いお腹、アツい皮の下に空間が広がっていそうなお腹などさまざまで、稀人の儀式を見たのではなく参加したのだという気持ちが自然に湧いた。

©IKEDA Hiraku
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最後に、家を出るときに泥団子が配られ、最初に渡された金箔をそれにつけて浅野川に放り投げて儀式は終わった。きらびやかな金は聖か俗か。家のなかを巡り、ソケリッサの踊りを観るうち、参加者のなかの悪いものが金泊に移り、泥団子と一緒に川に流され、海に還っていくのだろうか。

©IKEDA Hiraku
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ところが私は腕力が足りず、金箔付きの泥団子は河原のすすきの間に落ちてしまった。出発地点の常盤橋に戻ったときにその話を中森にすると「雨が降れば水位が上がりますから大丈夫ですよ」と説明され、なるほど、自然任せなその考え方も本当の神事のようだと納得した。

けれど果たせるかな、翌日は大雨で、私の泥団子は早々に川とひとつになった。それまで、一種独特な位置にあるダンスカンパニーだったソケリッサは、私のなかで俄然、聖性を帯び、浅野川はただの観光地ではなくなった。

「アーティストはそもそも、外から来て空気を変える存在」(総合ディレクター・黒田)

最後に、総合ディレクターの黒田に『カナザワ・フリンジ』の狙いを聞いた。

黒田:私は地元の出身ではなく、金沢で暮らして10年経ったところです。金沢は、ほどよい広さに主な施設が固まっていて、戦争や災害の影響を受けずに街並みと名勝が残っている、そして豊かな食と伝統文化があったりと、街として大きな可能性を持っています。でも、それがうまく外に出ていないのが、とてももったいない。

それは最初から感じていましたが、人とのつながりができたり、ひと通りの場所に足を運んだりして、それを形にするためになにが必要かようやく見えてきました。地元の皆さんにとっては当たり前過ぎて、なかなか気付かないことを、アーティストの眼差しを通してそれを提示したい。それによって、いまより多くの人に観光地としてだけではない金沢の別の側面を見つけてもらえたら。

『カナザワ・フリンジ』総合ディレクター・黒田裕子(金沢21世紀美術館 交流課)©Christa Holka
『カナザワ・フリンジ』総合ディレクター・黒田裕子(金沢21世紀美術館 交流課)©Christa Holka

もともと魅力のあった街なら、なぜそれに新しい価値観が必要なのか。それはアーティストという名のおせっかい屋ではないか。あえて意地の悪い質問をぶつけると、黒田はさらりと言った。

黒田:アーティストはそもそも、外から来て空気を変える存在。そのことによって停滞していたものが動き出すことが大事ですから、それでいいんです。

次の『カナザワ・フリンジ』は2年後に開催される。ディレクターもアーティストも顔ぶれは変わるだろうが、おそらく直接的なコンタクトという形はそのままだろう。「日本最小級」のアートフェスティバルは、より強力な注射をどれだけ用意するだろうか。

イベント情報
『カナザワ・フリンジ 2017』

2017年11月3日(金・祝)~11月5日(日)、11月2日(木)前夜祭
会場:石川県 金沢21世紀美術館、あさのがわのいえ、近江町市場、Kapo
時間:10:00~17:00(イベントにより異なる)
料金:無料
※一部有料イベント有り



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