誰もが手に入れられる一流のデザイン「ANDO'S GLASS」の秘密

世界でも権威のある国際的なデザイン賞『ドイツデザイン賞2016』の結果が先日発表され、世界的なデザイナー、ジャスパー・モリソンがデザインし、日本のギャラリスト、安東孝一がプロデュースした「ANDO'S GLASS」が『金賞』を受賞した。

この「ANDO'S GLASS」、日本の雑貨店、インテリアショップで取り扱われているが、パッケージデザインにはアートディレクターの葛西薫も携わっており、一つひとつが職人による手作りの型吹きガラスで作られているなど、デザインを知る人には豪華な組み合わせでありながら、お値段は1,800円とリーズナブル。

じつは2014年の『グッドデザイン金賞』も受賞していた「ANDO'S GLASS」。しかしそのことも含めて、あまり大々的に打ち出していなかったこともあり、なぜこんな豪華デザイナー陣の組み合わせが実現したのか? プロデューサーの安東孝一とは何者なのか? など、デザインに詳しい人でも知らない人は多い。そこで、今回はその誕生の経緯について、ジャスパー・モリソン、そして安東孝一それぞれに話を伺った。この究極なまでに「普通のグラス」に込められた哲学とは?

「ANDO'S GLASS」のルーツは、デザイナー、建築家から絶大な支持を集めるカレンダーだった

国内外の現代アートを扱うANDO GALLERYのギャラリストを本業とする安東孝一が、「ANDO'S GLASS」のような、シンプルなオリジナルプロダクトの制作に携わりはじめたのは2002年のこと。最初は仕事場で使うカレンダーを探したのがきっかけだったと言う。

安東:知人が配っていた、シンプルなデザインのカレンダーを毎年使っていたんですけど、急にそのカレンダーがいただけなくなったんです。困って他を探してみたけど、市販のカレンダーはデザイナーのエゴが出たものが多くて好きじゃないものばかり。だったら自分で作ってしまえと、仕事で付き合いのあったアートディレクターの葛西薫さんに電話しました。そのときはそこまで親しいわけでもなかったんだけど(笑)、文字を扱うシンプルなデザインなら葛西さんが1番だと思ったので。話をしてみると、葛西さんも市販のカレンダーは好きではなく、自分でデザインをしたものをプリントアウトして使っているとのことでした。

ANDO GALLERY(東京都 清澄白河)
ANDO GALLERY(東京都 清澄白河)

安東孝一
安東孝一

葛西と意気投合した安東は、さっそく自分が使いたいと思えるカレンダーをリサーチすべく、銀座・伊東屋に出向きカレンダーのサイズや価格を調査。サイズはA3、価格はほとんどのものが1,000円前後だったので、それに近い金額にできるよう試算した。そこでこだわったポイントは3つ、「普通の人が普通に使えること」「1,200円以内で買えること」「2種類以上のバリエーションを作ること」。特に価格の面はこだわった。特別なカレンダーであってほしいが、1,200円を超えるものでは「作品」になってしまう。そのギリギリのラインを狙った。上記の条件を葛西に伝え、デザインがあがってくるのを待った。

安東:打ち合せをした後は、完成するまで1回もデザインをちゃんと見せてもらえなかった(笑)。でも、葛西さんはこちらの意図を完全にわかってくれていたので、書き込みがしやすいようにと普通の紙を選んでくれたし、結果的にすべてがうまくいきました。

ステーショナリー業界に伝手があるわけでもない安東が、突然オリジナルのカレンダーを葛西薫のデザインで作った。種類は罫線ありとなしの2種、それは2つ並べることで、売り場で他のカレンダーに埋もれないようにするための工夫でもあった。価格は1,200円。部数は、まったく認知されていない初年度にもかかわらず、原価調整のため5千部ずつ刷ったという。

「葛西薫カレンダー」
「葛西薫カレンダー」

安東:最初はもちろん赤字でしたよ(苦笑)。でも、僕の本業はギャラリストなので仕方がない。地道に売っていこうとショップに飛び込みで営業に行ったりもしました。その甲斐もあって5年くらい前から部数は増え続けています。

華美なデザインが一切なく、書体も見やすさを重視。潔いほどシンプルなデザインの「葛西薫カレンダー」は、デザインに敏感な雑貨店やインテリアショップなどから火がつき、現在では多くのショップで販売される人気商品となっている。空間の邪魔にならない、美しくて機能的なデザインのカレンダーは、多くのクリエイターたちからも愛され、デザインや建築事務所などで見かけることも非常に多い。いままでになかった「普通の」プロダクト、第1弾が誕生したのだ。

「スーパーノーマル」にこだわる、ジャスパー・モリソンのデザイン哲学

「ANDO'S GLASS」の話に移ろう。デザインに興味のある読者には言うまでもないが、ジャスパー・モリソンがどのようにプロダクトデザインに取り組んできたか、簡単に紹介したいと思う。

モリソンはイギリス・ロンドン生まれのデザイナー。名門ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学んだ後にロンドンにスタジオを構える。現在は、ロンドン、パリ、東京に拠点を持ち、世界中の家具、食器、キッチン用品、時計、公共空間などのデザインに携わっている。クライアントは、ALESSI、MAGIS、Vitra、FLOS……、名だたる世界のデザインプロダクト企業ばかり、日本でもマルニ木工のチェアや、無印良品のカトラリー、キッチン用品などのプロダクトを手がけている。シンプルで使い勝手がよさそうだと思って知らず知らずのうちに手を伸ばし、何年も愛用しているプロダクトが気づいたらモリソンのデザインだったというケースも少なくないはずだ。

ジャスパー・モリソン The portrait is by Kento Mori.
ジャスパー・モリソン The portrait is by Kento Mori.

それもそのはず、モリソンが掲げるデザイン理念は「スーパーノーマル」。彼が活躍をはじめた1980年代の終わりごろから90年代にかけてのインテリアデザイン業界は、イタリアのインダストリアルデザイナー、エットレ・ソットサスに見られるような、独創的で派手なポストモダンデザインの大きな波がきており、その中でモリソンのシンプルなデザインは、「ミニマリスト」と位置づけられていた。しかし、本人はそんなムーブメントなどどこ吹く風、周囲の流行に流されることもなく、自身のデザインを追究していたという。

僕に、素材を削り取る、少なくする、単純な形にデザインする傾向があることは認めましょう。でも、曲線、表現、豊かな雰囲気や空間などを見て下さい。生活日常品のデザインに関する限り、ミニマリズムの技法とはまったく反対のアプローチを取っています。(ジャスパー・モリソン『A Book of Things』日本語ブックレット、pp215-219 マルコ・ロマネッリによるジャスパー・モリソンへのインタビューより)

ジャスパー・モリソン「Glo-ball, Flos」1998 ©Andre Huber
ジャスパー・モリソン「Glo-ball, Flos」1998 ©Andre Huber

古いワイングラスを見て、私の目にはそれが本当に素晴らしいものに映る。そのワイングラスは美的な価値と強い存在感、より優れた空間をつくる佇まいがある。しかしもう生産されていない。ならば、もう一度命を吹き込んでみたいと思うでしょう。それが創造力の源泉なのだと信じています。僕は身の回りを美しくする人間の手で作られたものに愛着を覚えます。そして、何らかの方法で何かを加えることができたなら、自分の責任が少し果たせたと感じます。(同インタビューより)

ジャスパー・モリソン「Plywood Chair, Vitra」1988 ©Studio Frei
ジャスパー・モリソン「Plywood Chair, Vitra」1988 ©Studio Frei

その後、プロダクトデザイナーの深澤直人と共鳴し、『スーパーノーマル展』(2006年)という展覧会も開催しているモリソンは、同展のステートメントで以下のような発言もしている。

かつてデザインなどほとんど知る人のいない職業だったが、最近では強力な汚染源になっている。ぴかぴかのライフスタイル雑誌やマーケティング部門などの功あって、色や形、もの珍しさを駆使して、いかに目立つかが大きな競争になっている。そもそもデザインとは歴史的に、産業に寄与し、大衆の悦楽的消費を促し、理想をたどれば、使い方を認知しやすく、また生活がよりよくなるという目的があったのだが、どうもそれは脇においやられているようだ。(中略)スーパーノーマルなものとは、毎日使うものを絶え間なく進化させてきた営みの成果であり、形態の歴史を打ち壊そうなどという試みではない。むしろ、ものの世界でその収まるべきふさわしい場所を知り、その歴史を集約しようと努めることである。スーパーノーマルは“普通”を意識的に代替しようとするもので、時間と理解を要するだろうが、毎日の生活に根づいてゆくはずだ。(『ジャスパー・モリソンのデザイン』「スーパーノーマル2」より抜粋)

デザインのセオリーをあえて踏まずに作られた「ANDO'S GLASS」

安東はかねてより「葛西薫カレンダー」に続く、シンプルで特別なプロダクトを作りたいと模索しており、できることなら「スーパーノーマル」なデザインを提唱するジャスパー・モリソンにお願いしたいと考えていた。しかし、安東の本職はギャラリスト。世界的な企業でもなければ、プロダクトが本業ではないこともあり、「雲の上の存在」であるモリソンと一緒に仕事をすることは夢にも思っていなかったという。

ジャスパー・モリソン「Alfi, Emeco」2014 ©Miro Zagnoli
ジャスパー・モリソン「Alfi, Emeco」2014 ©Miro Zagnoli

そんな「夢」が現実となった経緯には、カレンダーをデザインした葛西が深く関係している。2011年、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーの展覧会『Line Work』がCLASKA Galleryで開催され、葛西薫とのトークショーが行なわれた、その会場でのことだ。

安東:ジャスパーが、葛西さんのトークを聞きにきていたんです。急遽、カレンダーをジャスパーに渡したいから持ってきてほしいという葛西さんの連絡を受けて、運び屋として会場に行きました(笑)。そこで紹介されて、緊張しながら話をしたら、スタジオが門前仲町で、清澄白河にあるギャラリーとご近所だったんです。そのときアシスタントの方に、ジャスパーにグラスを作ってもらいたいという話をしました。

ところで何故グラスだったのか。その問いに対して安東は「カレンダーのように誰の家にでもあるものは何だろう? と考えて出てきたのがグラスだった」という。ガラス工芸品ではなく、機械で作られた大量生産品でもない。ちょうどいい普段使いの美しいグラスがほしいと。

安東:一応グラスを作りたいという話は伝えたものの、簡単に引き受けてもらえないことはわかっていました。でも、普通に依頼をしてみようと思ってあらためて電話してみたんです。「グラスのデザインをお願いしたい」って。そうしたら自転車でやってきたんです。びっくりしましたよ(笑)。

打ち合わせで安東は、葛西と作ったカレンダーを見せながら、これと同じコンセプトでグラスを作りたいと説明。また、業務用の大量生産品ではなく、「自分が使うための1個」を作りたい。量販店で売っているグラスよりも少し価格は高いけれど、その1個で美味しいビールが飲める、幸せになれる、そんなグラスを作りたいとモリソンに思いを伝えた。

モリソンは、安東からのコンセプトの説明を受けて、1つの質問をぶつけている。「スタッキング(重ねあわせ)は必要か?」。安東の答えは「No」だった。

「ANDO'S GLASS」のデザインには1つ秘密がある。それは底に向かってやや広がったデザインをしていること。世の中にあるほとんどのグラスは口径より、底部分が狭くなっているのがほとんど。その理由は店舗での使用を見越してスタッキングするためだ。しかし、安東はスタッキングというグラスデザインのセオリーにはこだわらず、純粋に「1個の美しいグラス」にこだわった。モリソンは依頼を受けたときにこう思ったという。

モリソン:彼が普段からグラスを作っているようには見えなかったし、本気だとはまったく思ってなかった。でも、(話していくうちに)彼のキャラクターを理解したら、この少し風変わりな提案の意味がよくわかった。

そして、待つこと約半年。モリソンからコンセプトができたというメールが届いた。メールには「ドローイングをたくさん描いたが、これがベストだと思う。このシェイプでOKか?」と書かれていた。「ジャスパーがベストだって言うんだからOKでしょう。サイズ感もなにも書いてなかったけど(笑)、すぐにOKと返事をしました」と安東。

 
ジャスパー・モリソンから送られてきたスケッチ

このかたちについてモリソンは、「グラスは日常生活においてもっとも重要な品物の1つであり、このデザインはすごく難しかった。よいグラスというものは、使うたびに喜びがもたらされるものだと思う。以前、ケルンのミュージアムで1度だけ見たことのあるローマングラスのシェイプがすごく印象に残っていて、それを記憶の中から掘り起こしながらドローイングを描いていきました」と語る。

「日常生活の中に美しさを見出したい。贅沢の中にそれはない」(ジャスパー・モリソン)

安東は、「ANDO'S GLASS」を東京下町のガラス職人と一緒に作ると決めていた。ジャスパー・モリソンが提示するデザインを具現化してくれる職人は一流でなければならない。技術力が高く、吹きガラスできわめて薄いガラス加工ができる職人は、過去のつながりから見当をつけていた。

スケッチからテクニカルドローイングを起こして金型製造に挑む。種類は2つ。ぽってりと低いショートタイプと細くのっぽなトールタイプ。モリソンによると、この2つは「ファミリー」だという。ガラスの厚さは1.2mm。この薄さが実現したのは吹きガラス職人の見事な腕によるもの。モリソンは「彼らのガラスの知識と能力は世界の中でも並外れたものだ」とその技術力に舌を巻いたという。

型吹きするガラス職人たち
型吹きするガラス職人たち

できあがったサンプルは、すぐにモリソンのもとへ届けられた。モリソンは一発OK。最初のサンプルでうまくいくことなんてほとんどない。異例中の異例だ。モリソンは当時をこう振り返る。

モリソン:デザインの最初のプロトタイプが上がってくるときは、いつも驚きがある。時によっていいサプライズが起こることもあるし、逆の場合ももちろんある。でも、今回は本当に素晴らしい嬉しい驚きだった。「パーフェクト!」としかいいようがなかったね。

「ANDO'S GLASS」
「ANDO'S GLASS」

美しく繊細な曲線は、見事としかいいようがない。どこにでもありそうで、どこにもない独創的なデザインは「スタッキング」というセオリーをあえて踏まなかったからこそ辿り着けたものだともいえるだろう。吹きガラスの製法で一つひとつ命を吹き込まれたガラスは、薄く、軽く、繊細だが、耐久性にも優れている。中に液体を入れ、手に持ってみると、その真価が感じ取れる。モリソンは「ANDO'S GLASSのお披露目パーティをスタジオで開いたときには、これでジントニックを振る舞った。僕はこのグラスには、カクテルやビールが合うと思うね」とのこと。使い方はもちろん自由だ。

そして、パッケージデザインを担当し、二人を結びつけた葛西薫のことも忘れてはならない。グラスのシルエットをシンプルに配した、潔いデザインだ。モリソンは、パッケージデザインについてこうコメントしている。

モリソン:葛西さんの仕事の熱烈なファンなので、このプロジェクトを受けてくれたのは非常に嬉しい。このプロダクトは葛西さんがデザインした美しい箱が成功の大きな要因になっていることは間違いない。

安東が理想とする「日常で使えるグラス」であり「1個で美しいグラス」はこうして完成し、見事『ドイツデザイン賞2016金賞』に輝いた。それは、モリソンにとっても、安東にとっても、葛西にとっても喜ばしいことだろう。しかし、きっとモリソンはそんなことよりも、何気なくこのグラスを手にとった人たちが、1つのグラスによってビールや水を飲む瞬間に心が踊ることや、グラスに生けた花を見て微笑ましい気持ちになることのほうが嬉しいに違いない。モリソンは「デザインを通して、社会にどういった影響を与えたいと思うか?」という質問に対して、こう答えてくれた。「日常生活の中に美しさを見出したい。贅沢の中にそれはない」と。

商品情報
ANDO'S GLASS

価格:1,944円(税込、ショートタイプ、トールタイプとも)

イベント情報
『アンドーギャラリー 安東孝一さん トークショー』

2015年12月12日(土)15:00~
会場:東京都 目黒 CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店
聞き手:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター)
料金:無料(定員30名、要予約)

プロフィール
ジャスパー・モリソン
ジャスパー・モリソン

1959年、ロンドン生まれのプロダクトデザイナー。ロンドン王立芸術学院を卒業後、ベルリンにてデザインを学び、1986年にデザイン事務所Office for Designを設立。ロンドン・パリ・東京に拠点を置き、世界中の企業とプロジェクトを手がける。「スーパーノーマル」という考え方を掲げ、プロダクトデザイナーの深澤直人と共に展覧会を開催。

安東孝一 (あんどう こういち)

1954年宮城県生まれ。1984年アンドーギャラリー設立。アート・建築・デザインのプロデュースを行う。主なプロデュースに、明治100%ChocolateCafe.のインテリアデザイン・グラフィックデザイン、東京都立つばさ総合高等学校のアートワーク、TORANOMON TOWERSのサイン計画、THE TOKYO TOWERSラウンジ・ゲストルームのインテリアデザインなどがある。また、プロダクトとして葛西薫カレンダー、ANDO’S GLASSも手がける。『PRODUCT DESIGN IN JAPAN』『MODERN—art, architecture and design in Japan』『NEW BLOOD—art, architecture and design in Japan』『くうかん』『Graphic』『インタビュー』『構成―TORANOMON TOWERS』など著書多数。



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