野宮真貴&湯山玲子と行く『ザ・ビューティフル』展

「beautiful」とは、ふつう「美しき○○」と続く形容詞。しかしあえて「The Beautiful」とだけ綴るとき、そこにあるのは、しきたりや既成概念にとらわれることのない美、唯(ただ)、美しくあること——。

19世紀半ばのイギリスで興った芸術動向「唯美主義」は、古い慣習から解放された新たな美を切望する芸術家たちによって始まりました。やがてこの動きは、インテリアなど日常のデザインにまで広がります。その全体像を紹介する日本初の展覧会が『ザ・ビューティフル―英国の唯美主義 1860-1900』。一方、当時から約1世紀後の東京にて、やはり独自の美意識でカルチャーシーンを彩ってきたのが、PIZZICATO FIVEを経てソロで活躍中の野宮真貴さんと、著述家・ディレクターの湯山玲子さん。今回は盟友同士のお二人と同展を体験しながら、展覧会の魅力を探ります。

「なに? 野宮さんコレお買い上げ?(笑)」(湯山)

2月のある晴れた日(PIZZICATO FIVEの名曲を思わせる“It's a beautiful day”!)、野宮さんと湯山さんが『ザ・ビューティフル』展の会場である、東京・丸の内の三菱一号館美術館を訪れました。実は今回、同展関連のトーク&ライブでもご共演のお二人。過去にも野宮さんのリサイタル『Beautiful people』を湯山さんがプロデュースするなど、時代を超えて美についての新鮮な視点をくれそうなご両人です。

そして、さっそく展示会場へ。その序章は意外にも絵画ではなく、ハート模様の尾を見事に広げた孔雀が描かれた大皿(ウィリアム・ド・モーガン作)と、大きなひまわりをかたどった金属細工の柵の一部(トマス・ジェキル作)。唯美主義において、孔雀は「美に対する誇り」、ひまわりは「男性的な美」を示すアイコンだとか。ちなみに女性的な美のアイコンはユリで、この3要素はしばしば登場します。

野宮真貴
野宮真貴

湯山:今だと孔雀はクイア系(異性愛以外の性アイデンティティーを持つ人々)の象徴という印象もある。そんなことも思いながら、あらためて時代特有の美のとらえ方にふれるのは面白いね。

と、湯山さんが孔雀を見つめれば、野宮さんはひまわりを前に一言。

野宮:素敵ですね。実は今、家のリフォームを考えていて……。

湯山:なに? 野宮さんコレお買い上げ?(笑)

残念ながら、いずれも英国・ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の所蔵です! 本展は同館収蔵品を軸に、唯美主義の絵画、家具、工芸、宝飾品、写真など約140点を鑑賞できる貴重な機会となっています。

ウィリアム・ド・モーガン『大皿』
ウィリアム・ド・モーガン『大皿』

『ロンドン万博』で露呈した自国デザインの停滞に対し、美の改革・改善を志した人々

19世紀半ばのイギリスに唯美主義が登場した背景には、当時主流であった芸術やデザインに対する反発心や、産業製品の粗悪なデザインへの危機感があったようです。美術界にあふれ返る感傷的、逸話的なモチーフの表現。また1851年の『第一回ロンドン万博』で露呈した自国デザインの質の悪さに対し、改良の必要性を唱えた人々がいました。

たとえば、ギリシア神話に着想し、浅浮彫や金銀箔を施したエドワード・バーン=ジョーンズの作品『ヘスペリデスの園』。ウィリアム・モリスによる美しい花柄の壁紙『ひなぎく』。モリスは生活と芸術の一致を提唱した「アーツ・アンド・クラフツ運動」の祖として知られ、バーン=ジョーンズらを起用した美術職人集団「モリス・マーシャル・フォークナー商会」も設立します。そこで目指したのは、日常生活にも美を導入することでした。

エドワード・バーン=ジョーンズ『ヘスペリデスの園』
エドワード・バーン=ジョーンズ『ヘスペリデスの園』

また彼らの友人・師であり、「ラファエル前派」(同時代のイギリスで活動した美術家・批評家から成るグループ)から、唯美主義的な表現に進むダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのような存在も。彼の描く赤毛の女性像『愛の杯』からは、可憐で殊勝な英国淑女の理想像とは一味違う趣きが感じられます。

野宮:他にもこのジョージ・フレデリック・ワッツの裸婦像『孔雀の羽を手にする習作』などは、リアルで艶かしいのが印象的ですね。上半身だけを切り取った構図も、当時の絵画としては少し独特な感じがします。

湯山:旧来の美の規範、美術史の流れや決まりごとにとらわれない新しい価値観で描いていたと思いますが、今の私たちから見ると、グラビアっぽい要素も感じられますよね。カッコよく、グッとくること第一主義というね。

『ザ・ビューティフル』展会場風景

彼らのあくなき美への探究心は、遠い異国文化にも敏感でした。19世紀後半は、日本開国に伴い貿易も盛んになる時期。唯美主義の芸術家たちも浮世絵や日本の家具・陶磁器に魅せられ、自らの発想の源としました。ロセッティは染付などに関心を寄せたとか。しかしそこは己の美意識を信奉する彼ら、一筋縄ではいきません。

湯山:むぅ……、この銀製ティーポット(クリストファー・ドレッサー作)はヤバいですね。『ニューヨーク東8番街の奇跡』のUFOかと思った(笑)。急須の面影はあるけどさ、ゆるキャラに通じるへんてこりん。

野宮:ポットの脚が、「見得」を切る歌舞伎役者にも見えるような……。

湯山:唯美主義のジャポニスム。彼らが魅了されたパーツがどういうところなのかがわかって面白いです。

「あくなき美への探究心。世界中のビジュアルや情報、場所や時代の違いを超えて、自分たちにとって価値のある美的センスを求めたのでしょうね」(湯山)

続いては、古(いにしえ)への眼差しを感じさせる展示室へ。19世紀ヨーロッパの文化に影響を与えたものに、古代ギリシアの世界があります。当時の遺跡発掘なども豊富な視覚イメージをもたらし、唯美主義の世界にも地中海の古代文化が薫るものが現れました。

湯山:彼らのように進歩的だった人たちも、やっぱり古典に戻ることがあるんですね。とはいえ、このローレンス・アルマ=タデマの絵画『目に見えている結末』などは、服や情景こそ古代だけど、神話というよりふつうの男女の恋愛シーンのようです。大仰な歴史物語とかには落とし込まないのが唯美主義流ということなのか。

野宮:同じ作家がこの肘掛け椅子も作っているんですね。後ろ側の細工もすごく可愛い! これも家に欲しいです(笑)。

ローレンス・アルマ=タデマ『肘掛け椅子』(左:野宮真貴 右:湯山玲子)
ローレンス・アルマ=タデマ『肘掛け椅子』(右:湯山玲子)

さすがお目が高い野宮さん。この椅子はメトロポリタン美術館の2代目館長、ヘンリー・グールドン・マーカンの豪邸向けに作られたのだとか。複数種の木材や象牙、貝殻を駆使した肉厚なデザインは、自らポンペイ遺跡の発掘にも参加したというアルマ=タデマの創意あふれる逸品です。ほか、さまざまな文化や時代に想を得たアクセサリーなども必見です。

野宮:世界中のビジュアルや情報があふれている今観ても新鮮ですけど、当時の人々にとってはさらに刺激的だったのかな。彼らは場所や時代の違いを超えて、自分たちにとって価値のある美的センスを求めたのでしょうね。

新興のエリートたち、同時代人のライフスタイルを、画家の美意識を通して描く

湯山:ところで、唯美主義はどんな風に広まっていったんでしょう? 作品が集まるギャラリーやマーケットとか、表現者が集まるサロンとか、活動の拠点みたいなものがあったの?

そんな疑問に答えてくれるのが続く空間。1877年に誕生した「グローヴナー・ギャラリー」は個人経営ながら贅沢な展示空間で、唯美主義の作家たちを前面に押し出し、シーンの活況を生みます。前述のロセッティやバーン=ジョーンズ、また古典的主題から唯美主義に移行したフレデリック・レイトンやジョージ・フレデリック・ワッツ、さらにはアメリカ生まれ、パリ経由で渡英してきた異端児、ジェイムズ・マクニール・ホイッスラーらが競って力作を発表していました。

その隆盛はやがて、伝統的なロイヤル・アカデミーの威信を脅かすほどに。そこに作品購入の形で寄与したのは、教養豊かな古くからの貴族階級と、産業革命後の資本主義社会で成功して富を得た新興のエリートたちでした。画家たちはこうした同時代人のライフスタイルも、自らの美意識を通して描いています。

フレデリック・レイトン『母と子(さくらんぼ)』
フレデリック・レイトン『母と子(さくらんぼ)』

湯山:この『母と子』(フレデリック・レイトン)はいいよね。一見ただの母子像に見えるけど、いわゆる献身的な母性愛とかの模範像じゃない。娘を抱くでもなく床に寝そべって、逆に娘に果物をもらっている怠け者ぶりだし、優雅でセクシー(笑)。でも、それがリアルで美しい。

野宮:ペルシャ絨毯と、その後ろには淋派みたいな屏風絵があったり、あとこの絵は額装もすごいですね。ギリシアの神殿みたい? 優雅ですね。

ちなみにこの作品、三菱一号館美術館の高橋明也館長もお気に入りの1枚だとか。

湯山:ぜひ「気が合いますね」とお伝えください! よく観ると、画面左端のユリにピントが合っているのに、母娘の顔の描写はぼんやり、やんわりしているのも不思議。当時出現し始めていた、写真表現っぽさも感じられるのが面白いです。

「ピンときたもの、美しいと思うものを身の周りに置くっていう行為はいいですよね。ファッションに限らず、そういうことが生活を豊かにするのかなって思う」(野宮)

さらに、パトロンの奥方を描いたウィリアム・ブレイク・リッチモンドの『ルーク・アイオニディーズ夫人』の前で立ち止まる二人。

ウィリアム・ブレイク・リッチモンド『ルーク・アイオニディーズ夫人』
ウィリアム・ブレイク・リッチモンド『ルーク・アイオニディーズ夫人』

湯山:こうして観ていると、きついコルセットなどはほとんどしていない女性が多いですね。それもまた、女性の「自然な美」ってことなのでしょうか。でも、この人のベルトのバックルはすごい。そういえば野宮さんも、以前すごいバックルを付けて待ち合わせに現れたことがあって、正直「この人……?」って思ったんですけど、その後すぐ個性派バックルの流行がきて(笑)。さすが、ファッションリーダーだと脱帽しましたよ。

野宮:あれはドイツの全然お洒落っぽくない洋品屋さんでたまたま見つけたのを、気に入って使っていただけ(苦笑)。少し変わったものを取り入れるセンスってミスマッチや悪趣味とも紙一重だけど、自分の心にピンときたもの、美しいと思うものを身の周りに置くっていう行為はいいですよね。ファッションに限らず、そういうことが生活を豊かにするのかなって思う。

唯美主義の絵画が人々の暮らしを通じてその世界観を描いたのと同時に、暮らしそのものに美を取り入れ、美とともに生きる志向も生まれていきます。芸術家たちによる工夫を凝らした自邸や、デザイナーが富裕層向けに考えた室内装飾は、イギリスの一般の人々の暮らしに大きな影響を与えます。『ハウス・ビューティフル』などのマニュアル本を通じて、美しく暮らすための知恵やアドバイスが広く浸透し、洗練されたデザインの日用品が一般家庭にも普及していったのです。その源となったのは、最先端の芸術家たちの暮らす室内でした。たとえば、アルマ=タデマの娘が描いた「タウンゼンド・ハウス」の優雅な応接間はその一例です。

アンナ・アルマ=タデマ『「タウンゼンド・ハウス」応接間、1885年9月10日』
アンナ・アルマ=タデマ
『「タウンゼンド・ハウス」応接間、1885年9月10日』

湯山:このあたりは、インテリアマニアをギュンギュンさせるものがありますね(笑)。部屋の仕切りは野暮なドアでなくカーテンだったり、ドーム型の天井はビザンティン風? この特注家具みたいな『炉棚の上の装飾』(トマス・ジェキル作)がまた、最高ですね。飾り棚っぽいけど、この完成感の前にはもうなにかを乗せる気にもなれない(笑)。真ん中に球体の鏡があって、ウォルター・デ・マリア(巨大な球体などを用いるアメリカの現代美術家)的な迫力もあります。

野宮:タイルやお皿も絵柄が素敵ですね。すごく可愛いのもあるし、このマンガみたいなドラゴンが描いてあるお皿(ウィリアム・ド・モーガン作)も面白い! あの時代にこんなものもあったとは驚きます。

トマス・ジェキル『炉棚の上の装飾』
トマス・ジェキル『炉棚の上の装飾』

湯山:中には「本気でふざけてるな~」と思えるものすらある(笑)。善かれ悪しかれ、美術の権威や決まりごとから離れて「これが素敵なんじゃないか?」と突っ走った凄みとカッコ良さですね。こうなるともう、意味じゃなくて強度の方が大事なんだと思います。同時にこのあたりの作品を観ていて感じるのは、「己の美」から発した唯美主義も、当然、このセンスに共感して買ってくれる人のために作られていくわけで、大衆の欲望の姿でもあるんですよね。それはもう、現在のファッションに通じる美意識に一気に繋がっているんですよ。


「美を真剣に追い求めることが、ときには滑稽さと捉えられるときもある。でも、本当にセンスのある審美眼の持主なら、とってもお洒落な生き方だとも思いますね」(野宮)

いよいよ展示も最終章。唯美主義の後期と言える19世紀末の動向が紹介されます。ここでは小説『ドリアン・グレイの肖像』で知られるオスカー・ワイルドや、彼の劇曲の英訳版『サロメ』に寄せた、オーブリー・ビアズリーの美しくも妖しい挿絵が登場。19世紀末の「デカダンス」(退廃)を端的に表したこれらの作品は、きわめて鮮烈に唯美主義の終焉を彩ったのです。

『ザ・ビューティフル』展会場風景

野宮:ビアズリー、素敵ですよね。この展示室の前にも、アジア風で直線的なデザインのサイドテーブル(エドワード・ウィリアム・ゴドウィン作)と一緒に、よく似たテーブルが描かれた彼の『サロメの化粧』が飾られていて、すごく良かった。

湯山:音楽好きにとってビアズリーといえば、1960年代に活躍したイギリスのロックバンドProcol Harumのデビューシングル『A Whiter Shade Of Pale』のジャケットを思い出します。あれはあくまで「ビアズリー風」だったけど、やっぱり彼の絵は今観ても格好いい!

一方、この時期の唯美主義は、ある種の親しみを込めた風刺の対象にもなっていたようです。たなびく長髪とベルベットの衣装、そして己の信じる美を探求する真剣さは、ときに風刺画や喜劇でも槍玉にあがりました。初期にはイギリスの伝統的な倫理観・道徳観に照らして「不健全」との非難もあった唯美主義ですが、そこからの変化は、言い換えればそれだけポピュラーになった証でもあるでしょうか。

『ザ・ビューティフル』展会場風景

中でもジョージ・デュ・モーリエの一連の風刺画はユーモラス。典型的な英国紳士風の「華麗な若き伊達男」(シルクハットに口ひげ)と対比的に描かれた「唯美的な若き天才」に見られる物憂げな男たちは、やや浮世離れした感じがあります。

湯山:なるほど。こうして見ると唯美主義者は、服にかまけるファッションオタク、文系サブカル男子の原点な感じもある。金・権力・オンナという男の「主流」な欲望じゃなく、自分が本当に好きなものを愛する男たち? そういえば、唯美主義の作家ってほとんど男性ですね。

ヴィルヘルム・バロン・フォン・グローデン『シチリア人少年の頭部』
ヴィルヘルム・バロン・フォン・グローデン『シチリア人少年の頭部』

野宮:細身で鼻の大きなビアズリーを風刺した1枚(マックス・ビアボーム作)も見つけました(笑)。こうした風刺が成り立つのは、やっぱり美を真剣に追い求めるってことが、ときにはミスマッチや滑稽さと捉えられる現実もあるからかな。でも、本当にセンスのある審美眼の持主なら、とってもお洒落な生き方だとも思いますね。

他にも同時代のドイツの写真家、ヴィルヘルム・フォン・グローデン男爵がシチリア島の美少年を撮影した作品などが展示され、世紀転換期の「デカダンス」な表現について、多様な視点を提供してくれます。

「そこになにが描いてあるのか、物語的なことはわからなくて——でも美しい。そういうのはまさに19世紀のニューウェーブだったんだね」(湯山)

最後の空間で来館者を静かに待つのは、唯美主義の中核的画家、かつ孤高の存在でもあったアルバート・ムーアの晩年の大作『真夏』。初期に学んだアカデミックな技法を駆使して、美しくも物語的な主題を排した、装飾性豊かな作品を描きました。この作品では、古代ギリシア風の衣装を身につけた女性たちが優雅にまどろむ様子が観る者を惹き付けます。

アルバート・ムーア『真夏』
アルバート・ムーア『真夏』

野宮:ムーアの作品はどれも色合いが優しくて、画中の女性たちはゆったりとリラックスした優雅な感じですね。ちょっと上に視線を向けた女性が多いのも印象的。

湯山:格子状の線をあらかじめ引いてから描いていたり、すごく構成的な描き方をしている一方で、よく観ると曲げた手足の長さや姿勢が人間離れしている!? いや、美的コンポジションにこだわったからこそ、そういう工夫をしているのかな? ともあれ、やはりそこになにが描いてあるのか、物語的なことはわからなくて——でも美しい。そういうのはまさに19世紀のニューウェーブだったんですね。

「凝った装飾や斬新な表現以外にも、昔からあるものの良さを見直すことなども含めて、今の私たちの志向にも通じている気がします」(野宮)

やがて美術の動向としては終焉を迎えた唯美主義。美しい『真夏』を描いたムーアの作品を観ながら、そのことに思いを馳せるひとときは、お二人にどんな思いをもたらしたでしょう?

野宮:展示全体を通して感じたのは、美を追い求めたこれらの表現は、ただ作るだけじゃなく、暮らし全般の姿勢にも直結していたということ。その原点を考えれば、必然だったのかもしれませんね。そこで頑張りすぎて疲れちゃうのは嫌だけど(笑)、考えてみると、今の私たちの志向にも通じている気がします。それは凝った装飾や斬新な表現以外にも、昔からあるものの良さを見直すことなども含めて。そうした面で参考になるものが、この展覧会には沢山あると感じました。

『ザ・ビューティフル』展会場風景

湯山:個人的な美の探求という点では、ホイッスラーの絵画『ノクターン:黒と金——輪転花火』は、ほとんど抽象絵画の趣。葛飾北斎にこんな感じの作品ありませんでしたっけ? 厳しい批評を受けて、名誉毀損裁判までして財産を失っちゃったらしいけど……。でも風刺画のところでも話したように、資本主義社会が成熟していくと、俺様の権力誇示よりも、自分の価値観を重視してそのためにお金を使う層が、必ず出てくる。その原点を学べるような展覧会なので、オトコたちも必見です。と言ってみたりして(笑)。

野宮:さすがの分析ですね(笑)。女の人たちに向けては?

湯山:今って、女の人もバリバリ働いているから、どうしてもファッションが機能的になっちゃう。だけど、たまにはドレスで女らしさを全開にしてもいいじゃないか、と。まあ、私にいたってはジャージ禁止かな。今、家で原稿書いているとそうなっちゃうんで、それじゃいかん(笑)。エレガントな部屋着を着なくちゃダメ。女があえて「女装する」楽しさが、これらの美的な絵画から伝わってきますよね。家具の装飾や食器のデザインなどに、広義には現在の「カワイイ」という価値観にも繋がっていく要素やアイデアが感じられますね。

左:野宮真貴、右:湯山玲子

というわけで、紳士淑女、いずれに向けても鑑賞のヒントを頂けたお二人との展覧会めぐり。美術の範疇を超え「美」そのものを考えることは、現在においても豊かな人生のヒントになりそうです。21世紀の唯美主義がありえるとしたら、そこで描かれるのはどんな美意識でしょう? たとえば単なる「モテ」や「自己顕示」といった「なにかのための美」ではなく、自らの生きる姿勢としての美を——。数々の名作とお二人の言葉は、そんなことを感じさせてくれたのでした。

イベント情報
『ザ・ビューティフル―英国の唯美主義1860-1900』

2014年1月30日(木)~5月6日(火)
会場:東京都 丸の内 三菱一号館美術館
時間:10:00~18:00(祝日を除く金曜日は20:00まで)
休館日:月曜(4月28日と5月5日は18:00まで開館)
料金:当日 大人1,600円 高校生・大学生1,000円 小中学生500円

プロフィール
野宮真貴 (のみや まき)

1990年代PIZZICATO FIVEのボーカリストとして国内外で活躍。現在はソロシンガーとして、音楽、ファッション、エッセイなど幅広く活動。2012年デビュー30周年記念アルバム『30−Greatest Self Covers & More!!!−』をリリース。2013年11月には約1年ぶりとなるワンマンLIVE『野宮真貴渋谷系を歌う』を開催。2014年も積極的にLIVE活動を展開予定。公式ウェブサイトでは動画やブログもあり、新しい情報も随時更新している。

湯山玲子(ゆやま れいこ)

著述家。文化全般を独特の筆致で横断するテキストにファンが多い。20代のアネキャンから、ギンザ、50代のハーズまで、全世代の女性誌にコラムを連載、寄稿している。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)、『ビッチの触り方』(ワニブックス)、上野千鶴子との対談『快楽上等! 3.11以降を生きる』(幻冬舎)、『ベルばら手帖』(マガジンハウス)等。月1回のペースで、爆音でクラシックを聴く、『爆クラ』イベントを開催中。 (有)ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。



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