アジアのアート&カルチャー入門

アジアのアート&カルチャー入門 Vol.2 インドネシア映画の新たな潮流

いま、インドネシア映画が刺激的で面白い——。こう記しても、いまの日本では、よほどの映画ファンでもピンとこないかもしれない。最近話題になったインドネシア映画というと、たとえば伝統武術シラットを駆使した痛快アクション映画『ザ・レイド』シリーズ(2011年~2013年)。しかし監督、ギャレス・エヴァンスはイギリス人だ。あるいは、スハルトの軍事クーデターに端を発した共産党員大虐殺の闇に迫るドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(2012年)、『ルック・オブ・サイレンス』(2014年)も大きな話題を呼んだが、ジョシュア・オッペンハイマー監督はアメリカ人。ともに生粋のインドネシア映画ではない。つまり劇場公開のレベルでは、同国映画の新しい波は、まだ日本まで届いていないのだ。

しかし世界中の国際映画祭では、関係者たちが東南アジアの若手・新鋭監督たちの新鮮な動きや勢いに熱く注目している。その台風の目となっているのが、ASEAN(東南アジア諸国連合)の中心国として経済的にも文化的にも全体をリードするインドネシアなのである。

そんなインドネシア及びアジア映画の先端的な動きを日本で最もよく伝えてくれるのが、今年で第25回を迎えた『アジアフォーカス・福岡国際映画祭』だ。9月に行われた同映画祭では、「マジック☆インドネシア」と題された重要作品8本を上映する特集のほか、インドネシア映画界のキーパーソンたちを招いた貴重なシンポジウムもいくつか行われた。本稿ではそのシンポジウムのレポート&レビューのかたちで、ここ15年ほどの間に起こった同国映画のダイナミックな流れと現状を覗いてみたい。言わば「現代インドネシア映画入門」として。

メイン画像:『動物園からのポストカード』2012年 インドネシア

1980年代末からの約10年間、インドネシアの映画業界は壊滅的な状況だった

まず、映画祭の2日目に行われたシンポジウムが、「インドネシア・ニューシネマの夜明け『クルドサック』をめぐって」。『クルドサック』(1998年)とは、インドネシア映画の新しい潮流を決定づけたインディペンデント作品。ちょうど30年以上続いたスハルト政権の崩壊と交錯するタイミングで登場した本作を出発点に、現在のシーンがはじまったそうだ。作風の特徴は、四人の新人監督がそれぞれのパートを演出しつつ、いわゆる短編オムニバスではなく、4つの物語を絡ませて1本の長編映画として構成していること。タイトルはフランス語から派生した「袋小路」の意味で、閉塞感に覆われた青春群像が描かれる。

『クルドサック』1998年 インドネシア
『クルドサック』1998年 インドネシア

今回のシンポジウムに登壇したのは四人の共同監督のうち、リリ・リザ監督、ミラ・レスマナ監督、ナン・T.・アハナス監督の三人。いずれも現在は中堅の映画監督やプロデューサー、あるいは後進育成の場で活躍している面々である。

彼ら三人はインドネシアを代表するジャカルタ芸術大学の卒業生(学年は少しずつ違うが)。同校からは有名な監督たちが過去輩出されていたが、しかし彼らの世代にとって、自分たちが映画監督になることは「夢の世界」だと感じていたようだ。というのも、まずスハルト政権下の映画界は厳しいシステムに支配され、監督まで昇進するのは狭き門。また企画段階から国家検閲があり、政府の許可なしで自由に撮ることは法的に禁じられていた。さらに1990年代初頭の「オープンエア政策」と呼ばれるメディア流通の緩和化によって民放テレビ局の成長が加速し、「シネトロン」と呼ばれるテレビドラマが大衆的な人気を博して、伝統的な映画産業は大きな打撃を受けた。一方で映画館はハリウッド映画に占拠され、国産映画はたちまち市場から激減。三人の監督の弁によると、1980年代末期から『クルドサック』が公開されまでの10年間ほど、インドネシア映画自体が壊滅的な空白の状態にあったらしい。

『アジアフォーカス・福岡国際映画祭』シンポジウム「インドネシア・ニューシネマの夜明け『クルドサック』をめぐって」の様子
『アジアフォーカス・福岡国際映画祭』シンポジウム「インドネシア・ニューシネマの夜明け『クルドサック』をめぐって」の様子

代わりに彼らが飛びこんだのは、「オープンエア政策」で活気づいたテレビ業界の仕事である。ミュージックビデオやテレビコマーシャルといった広告系の映像や、ドキュメンタリー番組。そこで知り合った仲間が、もう一人の監督であるリザル・マントファニだ。かくして四人が「何かをやらなくちゃいけない」というミラの呼びかけに応えて1996年に団結した。

もちろんミラの言う「何か」とは、自分たちによる、自分たちのための映画を作ること。ナンはこう語る。「あの当時、インドネシアの人たちは、自分の国の風景をスクリーンで観ることがなくなっていたんです。これは私たちの文化にとっても致命的なことだと思いました」。

1990年代ポップカルチャーの「刺激」を、日本と同じように感じていた。

こうして1998年に完成した『クルドサック』は、大都会ジャカルタで日常を生きる若者たちの混沌とした情景を映し出す。ただし画面にはそれとともに、アメリカを中心とする1990年代のポップカルチャーがあふれている。映画監督志望の青年アクサンは、『ユージュアル・サスペクツ』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』『カリフォルニア』『ミッション:インポッシブル』など無数のポスターに囲まれた部屋で映画愛を爆発させており、『パルプ・フィクション』への率直で熱烈なオマージュも飛び出す。また別のパートでは、自ら命を絶ったロック界のカリスマ、カート・コバーンに心酔する青年の鬱屈が描かれる。彼は身も心もカートになりきっており、BGMにはNirvana風(というか、あからさまに真似た)グランジサウンドも流れる。筆者同様、おそらくはじめて観る人は驚くだろう、「日本の1990年代と同じではないか……!」と。

『クルドサック』1998年 インドネシア
『クルドサック』1998年 インドネシア

リリ:この作品は、当時の都市で生活する若者たちにとっての人気ジャンルを全部混ぜたような内容になっています。1990年代はクエンティン・タランティーノやウォン・カーウァイが登場し、台湾でもホウ・シャオシェンらのニューウェイヴ勢が台頭するなど、世界的にも映画・文化の大きな動きがあった非常に面白い時代でした。私たちも海賊版のレーザーディスクなどを手に入れて、その刺激的なうねりをリアルに感じていたんです。そして私たちはよくコーヒーショップに集まって、何時間も何時間も話しました。この同時代に起こっている世界的な動きを、いかに私たちなりに解釈して、新たなスタイルのインドネシア映画を生み出せるか、と。

インディペンデント映画の成功で考えはじめた、ハリウッド映画に対しての「自分たちの強み」

自分たちのライフスタイルに染みついた海外文化を批評的に捉え直すことで新しいオリジナルが生まれる。これはかつてのフランスで、ヌーヴェルヴァーグ(1950年代末にはじまった若手監督による映画運動)の起爆点となったジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(1959年)が、当時のアメリカB級映画を自分たちのサイズで引用し、換骨奪胎していたことを想起させる。『クルドサック』は、無名の監督たちによるインディペンデント映画にもかかわらず、ハリウッド映画と同じ一般劇場で上映され、若者たちの熱狂的な支持によりスマッシュヒットを記録した。時は奇しくもスハルト政権の終焉直後。ミラはこう語る。

『クルドサック』1998年 インドネシア
『クルドサック』1998年 インドネシア

ミラ:1998年5月、スハルト政権が没落し、映画産業を管理していた情報省が解体されました。同時に映画にまつわる規制も一旦廃止されたんです。新しい時代になって、皆がとても興奮しました。ちょうどその変わり目の時期に、若い人たちが映画館で『クルドサック』を観ることをとても幸福に感じてくれたわけです。「これは若い監督たちが作った新しい映画だ。いま、この国には新しいことが起きているんだ」と実感してくれた。

かくして訪れたインドネシア映画の自由化・民主化の季節。ただし「『クルドサック』革命」は、グローバリゼーションのポジティブな部分がインドネシア映画界にもたらした、あくまで初期段階の現象だったと言えるだろう。リリはこの作品の次の段階についてこう語る。

リリ:『クルドサック』の成功の後、私たちは自分たちのアイデンティティーを強く意識するようになりました。そして欧米中心の映画文化、とりわけハリウッド映画に対して、私たちの強みは何かを考えるようになった。それはきっと、多様性でないかと。私たちはさまざまな文化から影響を受け、広大な国土を持っています。ただし現状では業界や資本が西のほう、特にジャカルタに集中している。それが今、インドネシア映画界の最大の問題だと思います。

そう、「多様性」と「アイデンティティー」。これがゼロ年代以降、21世紀のインドネシア映画を考えるうえでのキーワードであり、重要課題となる。これは日本の映画文化も同様に抱えるテーマのはずだ。以上を踏まえて、インドネシア映画の現在を伝える次のシンポジウムに移りたい。

経済都市ジャカルタで生まれた、ハリウッド映画にも対抗できる娯楽シネマ

映画祭5日目に行われたシンポジウムは、「インドネシアの若手監督に訊く」。登壇したパネラーは、ともに1985年生まれのアンガ・ドゥイマス・サソンコ監督と、イスマイル・バスベス監督、そしてプロデューサーであり映画研究者でもあるメイスク・タウリシアの三人だ。新進気鋭の監督二人と、彼らの良きサポーターでもあるメイスクに、インドネシア映画の最新事情を教えてもらおうという内容である。

『アジアフォーカス・福岡国際映画祭』シンポジウム「インドネシアの若手監督に訊く」の様子
『アジアフォーカス・福岡国際映画祭』シンポジウム「インドネシアの若手監督に訊く」の様子

アンガ監督とイスマイル監督は『クルドサック』の共同監督の面々よりひと回り若い、まさに新世代の映画人だ。二人はともに芸術大学の出身ではなく、2000年代、インディペンデント映画の勃興とともに各地で盛んになった映画イベントやワークショップへの参加を通じて監督への道を歩みはじめたことでも共通している。ジャカルタ生まれのアンガは高校時代にショートムービーを作るユースキャンプに参加し、やがて知り合った映画プロデューサーの人脈を通して助監督を務め、自ら資金集めもしながら弱冠21歳で監督デビュー。イスマイルはジョグジャカルタの大学で情報コミュニケーション学を専攻しつつ、同地の映画祭にボランティアスタッフとして参加することからスタートし、さまざまなアーティストたちとの交流のなかで映画監督を志すようになったらしい。

ただし彼らの作風や個性はバラバラ。アンガの監督作は興行的成功も狙えるエンターテイメント性豊かなもの。また監督とプロデューサーを兼任し、自ら製作会社を率いて収益のこともシビアに考えている。そしてはじめて自分で版権を持った監督作が、本映画祭の特集「マジック☆インドネシア」でも上映された『モルッカの光』(2014年)だ。これはイスラム教徒とキリスト教徒の宗教対立で暴動が頻発するモルッカ諸島のアンボン島を舞台に、子どもたちを暴力の脅威から遠ざけるためにサッカーを教える男の姿を骨太のタッチで描いた実話ベースの傑作。150分の長尺だが、インドネシア本国ではハリウッドの大作に交じって健闘し15万人の観客を動員している。

『モルッカの光』2014年 インドネシア
『モルッカの光』2014年 インドネシア

文化都市ジョグジャカルタでは、アート系シネマの潮流が

対してイスマイルの監督作は実験性の強いアートシネマだ。彼はまず短編映画が世界各地の国際映画祭で注目され、やがて友人のミュージシャンや詩人とコラボレーションするかたちで、全編80分セリフなしで神秘的な寓話世界が描出される初長編『月までアナザー・トリップ』(2015年)を監督(「マジック☆インドネシア」で上映)。また宗教的な不寛容という主題を盛り込んだ父と子のロードムービーである長編第二作『三日月』(2015年)は、今年の『第28回東京国際映画祭』の「アジアの未来」部門でワールドプレミア上映された。

『月までアナザー・トリップ』2015年 インドネシア
『月までアナザー・トリップ』2015年 インドネシア

イスマイルによると、彼の作風はジョグジャカルタの文化的土壌の影響も大きいようだ。彼が最初に関わったのはビジュアルアートのコミュニティーだったという。同地ではさまざまなジャンルのアーティストたちがハンディカメラを持って独自のやり方で映像を撮り、互いの芸術性を競っており、そこから映画のコミュニティーも立ち上がっていった。『オペラジャワ』(2006年)が「マジック☆インドネシア」で上映されたガリン・ヌグロホ監督の拠点でもあり、彼は「インドネシアの多様性を見せるため、様々な土地で撮る」ことを実践してきた先駆者でもあった、インドネシア映画史を語るうえでは欠かせない存在。ヌグロホが若い映画人たちの長兄的な存在となって映画祭が運営されており、最近は、自分たちのシネマテーク(上映・アーカイヴ施設)を持つという話もあるそうだ。

『オペラジャワ』2006年 インドネシア
『オペラジャワ』2006年 インドネシア

言わば「ジョグジャカルタ系」と呼べる純度の高いアート映画を志向する一派が、インドネシア映画の質的な多様性に大きく貢献しているようだ。ジョグジャカルタはジャカルタと同じジャワ島の州で中部南岸に位置する(ちなみに京都と姉妹都市)。メイスクの説明によると、ジョグジャカルタは古くから文化都市として知られ、大学もギャラリーもたくさんある。文化的支援のため、政府から特別交付金も受けている。ジャカルタが経済を回すメインストリームなら、ジョグジャカルタは芸術を育む街といったところか。

また多様性ということなら、先述した『モルッカの光』が、インドネシア東部最大の都市の1つであるアンボンでロケされるなど、インドネシア映画の撮影は大小多数の島で構成される広大な全土の各地で行われている。それは複雑な歴史や土地の特色を持つ自分たちの国の多様性を知り、伝えるためでもあり、映画を通して自分たちのアイデンティティーを追求していく知的作業でもある。つまり先日のシンポジウムでリリ・リザ監督が発言した問題意識が、現在具体的に実践されているわけなのだ。

世界各国で共通する「上映」する場の不足問題

このように見ていくと、今のインドネシア映画は理想的な状況を迎えているように思える。しかし、目を背けてはいけない厳しい現実があるとメイスクは指摘する。じつのところ、インドネシアの若手映画人たちは国内では苦戦を強いられているのだ、と。

『サガルマータ』2013年 インドネシア
『サガルマータ』2013年 インドネシア

その問題とは、上映する場の不足である。インドネシアでは「21シネプレックス」という最大手チェーンが国内スクリーンの80%以上を独占しており、上映スケジュールのほとんどがハリウッドのブロックバスター映画で埋まっている。そのごくわずかな隙間に自国映画を押し込まねばならない。つまり強者の一極集中によりマイナーポジションの作品が簡単に排除されるという、グローバリズムの競争原理がモロに影を落としているのだ。言い換えれば、ビジネスとして成立するほどには意欲的な自国映画を積極的に鑑賞する観客の数が育っていない、ということでもあろう。

そんな現状を受けてメイスクは、日本のミニシアター文化の充実がうらやましいと語る。彼女が2年ほど前、日本に半年ほど滞在した際、東京だけでなく各都市に意欲的なミニアシターがあり、旧作も含めた多様な映画を上映している状況を目の当たりにして非常に驚いたそうだ。ちなみにインドネシアでは、ジャカルタにある「キネフォーラム」が国内唯一のアート系ミニシアターとなる。

『シェリナの大冒険』2000年 インドネシア
『シェリナの大冒険』2000年 インドネシア

しかしその発言を受けて、司会をつとめた同映画祭ディレクター梁木靖弘が「いや、じつは日本も厳しくなりつつある」と返す。そう、1980年代から90年代にかけて世界でも異例のミニシアター隆盛を誇った日本も、ゼロ年代以降は代表的な映画館が次々と閉鎖していく縮小傾向が加速している。かつて先鋭的な作品選択センスで時代を牽引した渋谷・シネマライズも、2015年11月27日公開の『黄金のアデーレ 名画の帰還』(2015年)を最後の上映作品として閉館することを発表してしまった。言わば日本とインドネシアの映画状況は異なる方向から歴史を重ね、いまや同じ問題を共有しているわけだ。

もちろん日本の場合、シネコンでもヨーロッパやアジアの映画がプログラムに組み込まれ、ある程度の多様性は担保されているし、自国映画の存在感も比較的大きい。だが日本のインディペンデント映画の多くは、やはりメジャーの配給ネットワークからこぼれたパイのなかで戦わざるを得ない。

しかしもっと言うと、これは市場での自由競争がもたらす世界共通の構造的問題であり、ハリウッドを有する当のアメリカですら根っ子の事態はそう変わらないのだ。『第87回アカデミー作品賞』に輝いたアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の『バードマン(あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014年)などを観ると、アメコミ物などブロックバスター映画の脅威に「小さな映画」たちがいかに抑圧されているかがよくわかる(むろん基本的な予算レベルは他国と全然違うことが前提だが)。

競争原理VS多様性。新たな人間理解をもたらすきっかけとなるインドネシア映画

そうなると問題の核心は「競争原理VS多様性」ということか。多様性を確保するためには映画祭やミニシアター、自主上映会などの粘り強い継続は必要だし、あるいは有料配信など、インターネットも「上映する場」の範疇に含める発想は当然出るだろう。そのうえで映画館という空間、あるいは映画館へ行くという体験の優位性も再検討できるはずだ。

『黄金杖秘聞』2014年 インドネシア
『黄金杖秘聞』2014年 インドネシア

一方、頼もしい傾向として挙げられるのは「作り手の増加」である。デジタルの発達で日常的な動画撮影が身近になった現在、インドネシアにしろ日本にしろ、いわゆるネタ一発勝負の面白動画だけでなく、映像で自分を表現したい、ストーリーを語りたい、という衝動に駆られ、映画を自らの表現手段として選択する若い世代が増えていくことは必然の流れだ。いまや一個人の手へと解放された映画の多様性と可能性は、じつはかつてないほど大きく広がっている。あとはその供給に対し、需要(あるいは受容)の側をどう成熟させるか。プラットフォーム、環境整備の最適化や更新がやはり一番の世界共通課題だ。

ともあれ『クルドサック』から約17年。本年の『アジアフォーカス・福岡国際映画祭』が伝えてくれたインドネシア映画の現在は、熱く、若く、志高く、1つのカルチャームーブメントとしてとても眩しいものだった。きっと今後、日本の映画人や映画ファンも、彼らから学ぶことが増えていくだろう。今回のシンポジウムの最後、メイスクは「映画を通して多様性を享受することは、人間理解の根本だと思う」という大切な言葉で締めてくれた。まさしく新たな人間理解をもたらしてくれるインドネシア映画の動きに、あなたも触れてみるのはいかがだろうか。

イベント情報
『アジアフォーカス・福岡国際映画祭2015「マジック☆インドネシア」』

2015年9月18日(金)~9月25日(金)
会場:福岡県 キャナルシティ博多、ぽんプラザほか各会場(博多市内)
上映作品:
『クルドサック』(監督:リリ・リザ、ミラ・レスマナ、ナン・T.・アハナス、リザル・マントファニ / 1998年)
『シェリナの大冒険』(監督:リリ・リザ / 2000年)
『オペラジャワ』(監督:ガリン・ヌグロホ / 2006年)
『動物園からのポストカード』(監督:エドウィン / 2012年)
『サガルマータ』(監督:エミル・ハラディ / 2013年)
『モルッカの光』(監督:アンガ・ドゥイマス・サソンコ / 2014年)
『月までアナザー・トリップ』(監督:イスマイル・バスベス / 2015年)
『黄金杖秘聞』(監督:イファ・イスファンシャ / 2015年)



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