「フジワラノリ化」論 第16回 バタコさん どこへ向かってバタバタ走るのか 其の一 バタコのリアルに現代社会を視る

其の一 バタコのリアルに現代社会を視る

昨年から、マイケル・サンデルを中心とした「正義論」が話題となり、その正義に呼応するように、島田雅彦「悪貨」、中村文則「悪と仮面のルール」、貴志祐介「悪の教典」といった、「悪」を主軸に置いた小説が目立つようになった。そして、「正義とは」と「悪とは」というそれぞれからの問いかけを結びつけて考える作業が論壇を中心に行なわれた。正義と悪の間に人としての振る舞いを見つけ出すという大きな命題が、双方から放たれたわけである。しかし私は、書店の店頭で首をかしげていた。正義とは何か、悪とは何か、そしてその間の正しき振る舞いとは何か、この答えを探し出す為に両手で抱えきれないくらいの哲学書と小説が必要だろうか、と。作品それぞれを体感する分にはどれも優れていたが、抱えてまとめる必要はない。年末の読書を探しに来た客でごった返す書店を後にして、私は地元のレンタルDVD屋に入り、誰かに向かって宣言するかのように、ここに正義と悪が、そしてその間を取り持つ絶妙な振る舞いがあるではないかと、膨大なシリーズから何枚かのDVDを取り出してレジへ向かった。「以上、アンパンマン4本、1週間レンタルで1000円になります」と差し出した店員は、子どもに見せる為にアンパンマンを借りにきた良きパパだなぁと私のことを見やったかもしれない。残念。私は、「正義と悪」の議論を個人的に片付けるために、アンパンマンを借りたのだった。

アンパンマンとばいきんまんの長きにわたる抗争の歴史を誰しも知り尽くしていることだろう。アンパンマンはいっつも町のみんなを助けてくれるヒーローだし、ばいきんまんは懲りずに悪事を働く悪いヤツだと。しかし、着眼点を変えてみるとこの正義と悪はそうそう単純化できるものではないことが分かる。長年の抗争の中で、死者は一名も生じていない。これは奇跡的なことだ。アンパンマンは最終的にばいきんまんを殴る。ばいきんまんは「はひふへほー」と空の彼方へ飛ばされるわけだが、力学的に考えれば、あの後、彼は飛ばされ着地した衝撃で死ぬ可能性が極めて高い。しかし、作者のやなせたかしは「アンパンマンのアンパンチは、ばいきんまんをどこまでぶっ飛ばせるのですか?」との問いにこう答える。『超高速でばいきんまんを、自宅まで送ってやっているとも考えられますね。ばいきんまんはぶっ飛ばされても絶対に死にませんから』(「アンパンマン大研究」より/下記『』内は同書からの引用)。そして、こうも答える。『アンパンマンは「正義の味方」、ばいきんまんは「正義の敵」です』。この発言は、「これからの正義の話を」する必要を無にする格言ではないか。つまり、こちらの見方次第で、対象はいくらでも変質するということだ。正義の視線を向ければばいきんまんも正義になるし、アンパンマンも悪になる。話し合いで諭さずに毎度ぶん殴って終わらせるアンパンマンを、海老蔵を殴った伊藤リオン氏を凌ぐ悪党ではないかと考えていくことも出来る。新しい顔を常備させておければアンパンマンがヘナヘナにならなくて済むだろうと考えればジャムおじさんもなかなかのサディストだし、『顔が欠けるのはみっともなくて嫌なので、かわりに食パンを配っている』食パンマンからは、プライドの高さと腹黒い性格が見え透ける。つまりは、こいつは悪い、こいつは良いとは、どこからどう見るかで決まるのだ。図書館でアンパンマンの絵本を数冊借りると、その全てに共通した落書きがあった。アンパンマンの顔が鉛筆でグチャグチャにされているのだ。何を意味するのだろう。一方、ばいきんまんには、目から光線が放たれていた。たしかに、ばいきんまんに足りないのは飛び道具だ。ストレートに解釈すると、ばいきんまんの光線によってアンパンマンがグチャグチャになった、という状況なのだろう。表面に流れているストーリーと受け手の心象は必ずしも一致しない。だからこそ、人は思考を止めないのだ。

「人は思考を止めないのだ」だってよ。何をカッコつけているのか。それはこの場で長々とバタコさんについて考えることの許しを得るためだ。みなさんは、バタコをどう捉えてきただろうか。ジャムおじさんのパン工場で働いている人、アンパンマンに向かって新しい顔を投げる人、その程度であろう。しかし、それだけではバタコのリアルは見えて来ない。バタコを考えると、現代社会が見えてくる。後々の議論を先んじて、まずはこう言い切っておく。雇用問題、老後問題、ジェンダー論……着眼を変えてバタコを見つめていく。彼女がアンパンマンに新しい顔を投げてキッチリ命中する確率は十割ではない。『九割以上の確率で命中しているでしょう』とのこと。残りの一割足らず、つまり外してしまったとき、バタコはどうするのだろう。アンパンマンはどうなるのだろう。バタコについて或いはバタコから考えるべき事象はいくらでも転がっている。こういったサブキャラクターについては、どうしてもネットを中心に自由気ままな諸説が並んでしまう。しかし、この論考をそれらと同化されてもらっては困る。遊び心で書かれた「ジャムおじさんとバタコさんはデキている」なんて書き込みを許さない。むしろ、バタコさんを「バタコ」と呼び捨てにするのはジャムおじさんだけ、という紛れもない事実から、あるかもしれない細い赤い糸を探すことが、「思考する」ということだ。公式見解をおさめた文献「アンパンマン大研究」「アンパンマン大図鑑―公式キャラクター2000」を中心に、DVDでいくつもの作品を観てアンパンマンという体感を思い起こしながら、焦点をバタコに絞っていく。

「フジワラノリ化」論 第16回 バタコさん

この連載のサブタイトルには「必要以上に見かける気がする、あの人の」とある。つまり、供給過多なのではとの疑いを差し向けたい人を取り上げる連載である。ところが今回ばかりはそのアプローチが似合わない。何故なら、バタコさんを誰がどれくらい必要としているのかなんて、計測しようがないからだ。過多なのか過少なのかすら分からない。アンパンマンの公式ウェブサイトには、「バタコさんは人間ではなく妖精です」と唐突に宣言されている。どうだろう、皆さんがこれまで持ってきたバタコ感など瞬時に音を立てて崩れるのではないか。バタコについてのオフィシャル情報で再度バタコを象ろうとすると、いくつも派生して考えるべき問題が生じた。この問いを一つ一つ問い詰めて再構築していく。アンパンマンの世界と日本神話の成り立ち・構造の近似を指摘した好著に、山田永「日本神話とアンパンマン」があるが、この本では残念ながらバタコは掘り下げられていない。その他、論文記事まで探し当てられる検索システムで調べてもバタコは手つかずだった。例えば、のび太の行動や磯野家の組織体系はいくらでも語られているのに、どうしてなのだろう。なぜバタコは語られてこなかったのか。

バタコの公式プロフィールはこうだ。「パンこうじょうで ジャムおじさんの おてつだいを している、あかるい おんなのこ。りょうりや おかしづくりの ほかにも、さいほうが とくい。アンパンマンの マントが やぶれたときは、なおしてくれる」。良く出来た女の子である。一切の不満を漏らさない。「料理やお菓子作りの他にも裁縫が得意」なんて、近所で評判の若奥様のようだ。おとなしく自己主張の無い女の子なのかと思いきや、『バタコさんは、チーズが好物なのでしょう』という傲慢な理由で、犬の命名権を持った。チーズと名付けたのはバタコだったのだ。自分の好きな食べ物を、住み込みで働く工場のペットの名前にする、これはなかなかできるものではない。これに対してやなせたかしは『バターとチーズは似ていますものね』と回答している。ん、バタコはバタバタ走るからバタコではなかったのか。バターから名前が来ていたとは初耳だ。……このように、アンパンマンの世界を深追いしていくと、とんでもない事実がいくらでも出てくる。大抵のアニメの場合、それは見切り発車で進めてしまったがゆえの隠しておきたい事実、すなわちズレとして生じてしまうわけだが、アンパンマンのそれは違う。全ては計算されている。ただこちらが気付かなかっただけなのだ。

年末年始、あらゆるバタコをじっと見つめていた。この女の子は何を考え、どこへ向かおうとしているのか。何にもわからない。だから考えた。考えすぎてみた。すると、バタコの奥に現代社会の病理が、そして現代社会の一つのかけらとしてのバタコが、それぞれクリアに見え始めたのである。アニメに登場するサブキャラクターは、晴れやかなスターではない以上、それなりの暗部を秘めている場合が多い。バタコはサブなのに、その暗部を全く出して来なかった。それを「出していないだけで本当は黒い」と適当に決めつけてしまうのは浅はかだ。バタコを知る。これはこの時代の写し鏡としての機能を果たしていく。次回、まずはバタコの雇用状態を探りながら、日本の雇用問題とリンクさせることで、バタコの内心に少しでも迫りたい。「写し鏡」と記した理由が早速分かるはずだ。



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