「フジワラノリ化」論 第16回 バタコさん どこへ向かってバタバタ走るのか 其の二 バタコ的雇用を考える

其の二 バタコ的雇用を考える

ルポライター・鎌田慧がトヨタ自動車の季節工として働いた職業体験を綴った「自動車絶望工場」が刊行されたのは1973年のことだから、もう40年近く前のことになる。ベルトコンベアの前で長時間労働を強いられる姿は、戦後高度経済成長の暗部でありながらも確かな機動力に違いなかった。しかし、人間を人間として扱うという前提すら覆される記号的な雇用が淡々と拡大する昨今から振り返ると、この「自転車絶望工場」には、それなりに人道的な扱いがあったのではないか。少しばかり前の蟹工船ブーム然り、雇用環境の苦悩をかつてのテキストから引っ張り出そうとも、その苦悩が改善することはない。2007年に、自身の手で映画され書籍版も刊行された岩渕弘樹「遭難フリーター」では、プリンター工場で派遣社員になった若者の先の見えない鬱屈が吐露されている。寮に住み込み、工場と寮を行き来するだけの日々。直立で、反復の仕事を繰り返すのみ。「だけ」「のみ」という萎んだ日常が描かれている。「地獄だ。翌日。朝八時から一〇時まで直立で同じ作業。一〇分の休憩を挟み、一二時まで作業。四〇分の休憩。一五時に一〇分休憩。一七時に作業終了」。この日々が延々と繰り返される。勤務時間の長短の問題ではない。いつ自分が要らなくなるかわからないなかでの反復が、惰性と不安だけを増長する。親しくなった若い社員さんが異動となれば悲しむし、寮の皆に隠れてオナニーをすれば恍惚がやってくるわけだが、それは精神力の僅かな補填となるだけだ。

アンパンマンがこの世に登場したのは、鎌田が「自動車絶望工場」を発表したまさにその年、1973年のことである。当時の表記は「あんぱんまん」、イラストも設定も異なっていた。ばいきんまんも出てこなければ、本稿の主役・バタコも出てこない。「あんぱんまん」が助けるのは砂漠で飢えている大人だった。顔のあんぱんを全て差し出した「あんぱんまん」は首無し状態で空を彷徨う。突然の雷雨に困り果てていたところ、偶然通りかかった煙突に入ると、そこがジャムおじさんの工場だった。そこで新たな顔を作ってもらってハッピーエンドとなる。アニメ版とは異なる別物と考えるのが無難だが、「希望」の物語が、かの「絶望」の物語が世に問われた年と時を同じくして生まれたのは何やら興味深い。

バタコが初めて登場したのは、1988年、アニメの第1話「ぼく、アンパンマンでちゅ」のこと。以降、20年以上にわたって「勤務」していることになる。さて、バタコの勤務状態とはどのようであろうか。彼女はジャムおじさんのパン工場で住み込み労働をしている。パン工場の2階に彼女の部屋がある。その部屋で寝起きし、勤務地は階段を下りたすぐそこ、というわけだ。雇用条件はどうなのか、勤務時間は何時から何時までなのか、いずれも明かされていない。ジャムおじさんとバタコの関係については諸説が飛び交っており、姪ではないか、奥さんか恋人なのではないかと都市伝説に近しい噂が流されているが、ここで公式見解を出しておこう。「無関係なんです。とは言っても、一緒に暮らしていますので、非常に家族に近い関係でしょうか。親子や肉親ではありません」(アンパンマン公式ウェブサイトより)。『アンパンマンワールドには、きっちりとした肉親関係、親戚関係などというものはありません。このあたりはぼんやりとしていて、二人の関係もあいまいです』(「アンパンマン大研究」より)。つまり、言い方はキツいが、バタコは単なる雇用者でありそれ以上でもそれ以下でもない、ということだ。パン工場は町から少し離れた丘の上にポツンと立っている。バタコは、自由にアンパンマン号を運転して出かけていくわけでもないし、1人になれる時間は全くといってない。「アンパンマン大図鑑」の中でバタコの部屋が公開されているが、まるで季節労働者に与えられた仮住まいのように殺風景な部屋であった。妙齢の女性の部屋とはとても思えない。部屋の真ん中にベッド、サイドテーブルにはいくつかの本が置かれていて、少しの彩りを与えるかように花瓶に白い花々がささっている。それ以外は何もない。「自転車絶望工場」や「遭難フリーター」に準えれば、ただ寝るだけのために戻ってくる、誰が住んでも構わない代替可能な部屋なのである。

「フジワラノリ化」論 第16回 バタコさん

近年の雇用問題において、非正規雇用者に対して正規雇用者ばりの労働を求める悪習は大きな議題となっている。仕事の分量とレベルを正社員ばりに強いるだけではない。最も大きな問題は「やる気」「気合い」といった類いの精神性まで強いる点にある。社会学者の阿部真大氏は「搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た!」の中で、働きすぎる若者の実態を明らかにしている。歩合制で支払われるバイク便ライダーの場合、少しでも効率良く届けようとライダーは躍起になる。やればやるほど給料を上げることが出来る。その構造は雇用主にとってはオイシイ。低賃金の非正規雇用者同士で争わせて仕事の効率性を上げたいからだ。いくらか前の企業が提唱した能力主義に加え、企業がコミュニケーション能力といった人間力までを求め出したことを、社会学者の本田由紀氏が「ハイパーメリトクラシー(超能力主義)」と名付けたが、この考え方が非正規雇用者にまで浸透しつつある。先日、とある居酒屋チェーンの店員教育なるものをテレビで見かけたが、閉店後、分厚い理念集を携帯させられている社員が、このお店はどうあるべきかという大きな話から、挨拶がどうのこうのという小言まで、スタッフ全員を集めて喋り散らかしていた。その目は、申し訳ないけども明らかに新興宗教じみていて……と疑いを持ったところでこの会社のウェブサイトを覗いてみれば、毎月全社員にカウンセリング、毎月全従業員を対象にビデオメッセージが送られ……と、まさに、人間としてのやる気を全て仕事に注がせる搾取体系が垣間見えた。これを間接的ながらアルバイトに強いるのである。

「バタコさんのきゅうじつ」という回を観た。夜遅くまで1人で裁縫をするバタコに、たまには休んでくださいよと、明日の休暇を促すジャムおじさんとアンパンマン。「おやすみかー、何をしようかしらー」とベッドに寝そべりながら考え込むバタコ。そうだ、と思い立って眠りにつく。早朝からクッキー作りに勤しむバタコ。ピクニックにでも出かけるのかと思いきや、尋常じゃない量のクッキーを焼いている。「せっかくのお休みだから、クッキーを配りに行こうと思って」とバタコ。バタコは通常勤務としてパンの配達を請け負っているから、これでは勤務日とやることが変わらない。その証拠に、アンパンマンは「せっかくのお休みなのに……」と困惑気味だ。「あら、とっても楽しいわよー」と笑顔で返すバタコ。クッキーの届け先が荷物運びの途中だと気付けば、荷物運びを手伝ってしまう。「おい、土曜日はお得意先とゴルフだから空けておけよ」と上司から休日を奪われるのがこれまでの悲しきサラリーマンの姿だったが、現状はそれに加え、自発的に会社のために動こうとする或いは動かざるを得ない状況にある。まるで、バタコが休日を使ってお得意先を回るように。

バタコはいつも笑顔だ。嫌な顔一つしない。雇用状態がどうであろうと、企業(パン工場)への心酔を強要され、公私を排除され、個人のやる気を企業がかっさらっていくシステム構造の中にあることを、バタコは疑いもしない。「バタコさんのきゅうじつ」で、バタコの帰りを待つアンパンマンらは、布団を取り込みながら「バタコさんはすごいなあ」と漏らす。つまり、日頃は布団干しまで彼女がやっているわけだ。バイキンマンを遥か彼方まで飛ばす腕力を持つアンパンマンにとって、布団を持ち上げるなんてのは容易いことだろう。しかし、それはバタコがやる。バタコもそれを疑わない。バタコは、とても幸せそうだ。しかし、その笑顔は、笑顔を忘れずに「いらっしゃいませ●●へようこそ」と繰り返す居酒屋チェーンのスタッフの笑顔に似ている。機械的にいつも笑顔でいる人の笑顔を、私は信用できない。バタコがこの構造に気付くのが正しいのか、答えはまだ出せない。「自動車絶望工場」も「遭難フリーター」も、このままではヤバいという強い拒否反応が、現状の打破(或いは逃避)に繋がった。バタコはまだまだ気付かない。でも、気付かなければそれでいいのか。ろくな休みもなく、町での娯楽も知らず、パン工場以外の仲間を知らない。「何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」と歌うのはアンパンマンのテーマソングだ。その理念を、もう少しバタコに分け与えるべきはないのか。

次回はこの議論を未来へと向けていく。つまり、バタコがこのままパン工場で働き続けるとどうなるのか。ここで昨年話題となったキーワード「無縁社会」に登場願う。「マスオさん状態」など他のアニメの生活形態からもヒントを得ながら、バタコの未来に探りを入れていこう。



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