『クリエイターのヒミツ基地』

『クリエイターのヒミツ基地』Volume35 橋本孝久(イラストレーター、アートディレクター)

『クリエイターのヒミツ基地』 橋本孝久(イラストレーター・アートディレクター)

インド古来から続く「ミティラー画(細密画)」と現代的なイラストレーションの手法を融合させた個性的な作風で『Society of Illustrators』金賞受賞、『Art Directors Club』金賞受賞など、世界的に重要なイラスト賞、デザイン賞で高い評価を得ている橋本孝久さんは、グローバルなクリエイティブの世界でオリジナルな表現を作ることにこだわってきたイラストレーター / アートディレクター。その独特の感性と視点から生まれる作品群は、世界中のクリエイティブシーンに驚きを与えています。偶然出会ったミティラー画が決定づけた「イラストレーター」というライフワーク。その発想の源を知る、様々なエピソードを語ってもらいました。

テキスト:阿部美香
撮影:CINRA.NET編集部

橋本孝久(はしもと たかひさ)
福井県生まれ。外資系広告代理店でアートディレクター / クリエイティブディレクターとして広告制作をする中、2007年より本格的にイラストレーション作品の発表を開始。2013年より独立し「Takahisa Hashimoto illustrations」を主宰。インドのミティラー画(細密画)と現代的なイラストレーションの手法を融合させた個性的なスタイルが好評。その強力な個性のイラストレーションによるパッケージデザインからコミュニケーション戦略まで、トータルなクリエイティブワークは高い評価を得ている。主な受賞歴に『Society of Illustrators(NY)金賞』『Art Directors Club(New York ADC)金賞、銅賞』『200 Best Illustrators Worldwide Archive』選出など。

橋本孝久(イラストレーター・アートディレクター)

アートに無縁だった大学生に訪れた2つのターニングポイント

国内外でイラストレーターとして活躍する橋本さんですが、そのルーツは意外や意外、美術大学でもデザイン学校でもない、経営学部の経営学科でした。

橋本:高校時代からアートを含めてカルチャー全般にさほど興味もない学生でした。野球部だったり、生徒会長をやったりと積極性はあるほうでしたが、今のような仕事をするなんてまったく考えてなかった(笑)。ただ、漠然と自分で何か起業してみたいという思いはあったので、そこで選んだのが経営学部でした。専攻していたゼミは、国際経営論。企業が日本から世界に打って出るための戦略や、方法論を考えることに興味を感じていました。

クリエイター取材で「もの作りのきっかけ」は定番の質問。そこから今のクリエイティブにつながる話が出てくるものですが、橋本さんの場合はちょっと違います。ただ、現在に至るまでには、いくつかのターニングポイントがありました。その1つ目の転機といえるのが、大学在学中に経験した仲間との交流です。

橋本:僕が大学生だった1990年代前半、ちょうど日本の音楽シーンはクラブカルチャー全盛期でした。仲間たちとDJ活動を始め、イベントを開くようになったのですが、そのとき僕がフライヤー担当だったんです。そこでMacをいじるようになり、グラフィックデザインの真似事を始めたのがきっかけで、その面白さに目覚めました。

そして、同じ時期にもう1つ、今の創作活動にも繋がるターニングポイントがありました。

橋本:一方で、ファッションにも興味があり、スタイリストのアシスタントのアルバイトをやっていたんです。テレビ局などに出入りして、某有名お笑い芸人さんたちが番組で着る服をかき集めてました。そうするうちに「自分で服をデザインしてみたい」と思い始め、専門学校に通っている友人から教科書を借りて、独学でワンピースなど女性服を作り始めたんです。大学卒業後も、服を作り販売していましたが、それだけでは食べていけませんでした。ただちょうどその頃、グラフィックデザインの事務所に誘われて、幸運にもファッションとグラフィック、両方のデザインが続けられる環境になったんです。

橋本孝久さんの仕事部屋

美大出身ではないというコンプレックスがプラスに働いた、
アートディレクターの仕事

大学時代のターニングポイントを経て、自分でデザインすることの楽しさに目覚めていった橋本さん。そして、グラフィックデザインの仕事を続けながら、ファッションデザイナーとしての道を模索をしていた彼が、次に興味を持ったのは、なんと外資系の広告代理店でした。

橋本:ファッションやグラフィックデザインの仕事に携わっているうちに、次第に広告に目が行くようになりました。僕がファッションデザインに見ていたものは、美しさをピックアップして世界観を作る「広告」の世界に近かった。そこで外資系広告代理店のOgilvy & Matherに入社することにしたんです。

ニューヨークに本社を構えるOgilvy & Mather社は、多国籍大企業の広告を手がける大手広告代理店。世界中から美大やデザイン学校出身者が集まる広告クリエイティブの世界で、常に独学でデザインを学んできた橋本さんは、メキメキと頭角を現していくことになります。

橋本:美大出身ではなかったことで、偏ったプライドもなく、色んなことに躊躇なくトライしてきたことがプラスに働いたんだと思います。同業種で活躍している人も同僚も、ほとんどが有名美大を出た人ばかり。だからこそ「負けられない!」と、アートディレクションや広告に関するスキルや知識を積み上げる日々が始まりました。美大出身者へのコンプレックスは今でもありますが、昔はそれが仕事をする上でのエネルギーにもなっていた。負けず嫌いだし……しつこいんです(笑)。

キャリアを積み、クリエイターとしてのスキルを磨いた広告代理店が外資系だったというのも、橋本さんのクリエイティブ力を大いに高めるきっかけになりました。

橋本:目にするクリエイティブワークが、世界基準のアートやデザインと直結していたのです。日本だけではなくグローバルに物事を見る視点や考え方が、自然と身に付きました。特に、企画の作り方が、日本の広告やデザインに対する考え方とは根本的に違いました。伝えたいことが非常にロジカルでクリア。一見ストレートな表現でありながら、じつは捻りやウィットが効いていることでテーマがスッと伝わるし、目を惹く新しさも作れる。当時の日本の広告業界からは学べない、面白い発想とアプローチでした。

グローバルな広告の世界で生き残るために決断した、
「ミティラー画」を自分で描くという挑戦

そして、そんなグローバルな広告クリエイティブの世界で揉まれ続けたことが、今の橋本さんの個性的な作風「ミティラー画」へと繋がっていくことになります。世界の広告業界では、広告賞で評価を得ることが代理店のブランド力に直結しています。スポーツの世界ランキングのように、社員がどれだけ賞を獲得したかがポイント換算され、会社自体のクリエイティブの評価にも繋がっていくのです。橋本さんにも海外の広告賞への挑戦、そして受賞を目指すことが会社から推奨されました。

橋本:当時、ヨガスタジオの広告を制作する機会があり、海外の有名な広告賞を見据えて、色んなアイデアを考え抜いていた最中、たまたま「たばこと塩の博物館」(現在は移転のため休館中)に立ち寄ったんです。そしたら偶然、インドからやってきたミティラー画作家のおばあちゃんが展覧会とワークショップをやっていて。地べたに座って黙々と描いている姿も不思議でしたし、絵にも温かさがあふれていて、とても感銘を受けたんです。素朴であるがゆえの強さを感じて、衝撃を受けました。そこで初めてミティラー画と出会ったのですが、そもそもはインド北東部のミティラー地方で古くから女性に受け継がれてきた伝統的な民族壁画。土やすりつぶした花、墨などを使い、ヒンドゥー教や自然を題材とした緻密なモチーフで構成されています。そして、僕が作ろうとしていた広告はヨガがテーマ。これは合うかもしれないと思い、ミティラー画で描くポスターを作ってみようと思いついたんです。

そこで、橋本さんが取った方法も意外なものでした。なんとその「ミティラー画」を自分自身の手で描いてしまおうと、インド人おばあちゃん作家のワークショップに通い始めたのです。アートディレクターとしてのキャリアを築き上げていましたが、美大出身ではない橋本さんはイラストを描いたことがありません。つまり、イラストレーターとしてのキャリアはここからスタートしたのです。

橋本:それまで挑戦した世界の広告賞での評価はいまいち。今回のポスターにはかなりのオリジナリティーが必要だと思いました。そのため、イラストレーターの手を借りず、あえて自分で描いてしまおうと決めたんです。それに、アートディレクターとしてそれまで数限りないイラストレーターを見てきましたが、ミティラー画とイラストを融合した作家は、世界のどこにもいなかった。もちろんリスクはありましたが、うまくハマれば強力な武器になることは間違いないと思いました。

世界中のクリエイターが腕を競う場では、高度なテクニックやセンスだけの作品は埋もれてしまいます。そこで必要になるのが卓越したオリジナリティー。橋本さんは、ヨガのポーズをミティラー画の手法で描いた3連作を発表。その第2作として、代表作でもある『LEAF MAN』を描きあげ、イラストレーション業界の世界的な権威であるニューヨークの『Society of Illustrators』で金賞を受賞しました。まったく新しい画風で個性を発揮した橋本さんのイラストは、非常に狭き門でもある全米中心のイラストレーター年鑑『American Illustration』にも掲載されるという大快挙も成し遂げます。

『LEAF MAN』

『LEAF MAN』

橋本:ミティラー画にこれだけ魅せられたのは、僕が自然に囲まれた田舎育ちだったことも影響しているのかな、と今振り返ってみて思います。細かいモチーフを全て手描きで積み上げていく手法なので、1つの作品を仕上げるまでに1か月くらいかかって大変なのですが、オリジナルの線はあくまでも人間くささの残る手描きにこだわっています。さらにデジタルでの着色や背景の合成などを加えて、自分だけのオリジナルのミティラー画に仕上げていくんです。これは僕にしかできないスタイルだという自負もありますし、結果的に美術の専門教育を受けていなかったからこそ、独自の世界を描けているのではないかと思っています。

現在は個人事務所を構えて独立し、イラストレーター / アートディレクターとして、国内外で個性的な作品を次々に発表している橋本さん。イラストやデザインの依頼に対して、コミュニケーションプランやブランディングなど、様々なアイデアも提案していくというスタイルも、外資系広告代理店出身の橋本さんならではと言えるかもしれません。

橋本:イラストレーションは、誰も見たことのない世界を作り出せるところが最大の魅力です。特に僕のスタイルは、小さなモチーフを積み重ねて集積させ、より大きな世界を描いていく。絵を描くというよりも……宇宙を描いている感覚に近いですね。

インド大使館での展覧会も予定され、日本におけるミティラー画のアピールにも貢献している橋本さん。今後はイラストレーション業界の中心地であるニューヨークにも拠点を置いてみたいとか。ちなみにこれからミティラー画に触れてみたいという方には、ガンガー・デーヴィーという作家の作品がおすすめとのことでした。よりグローバルに活動の場を広げる橋本さんのさらなる活躍に期待します。

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