メッセージは必要ない 細野晴臣インタビュー

はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、YMO、そして数々の素晴らしいソロ作…これまで細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響の大きさは計り知れない。近年はSAKEROCKをはじめとした若手との交流も活発で、そのポジションは紛れもなく唯一無二である。ソロデビュー作『HOSONO HOUSE』以来、実に38年ぶりの全曲ボーカルアルバムとなった新作『HoSoNoVa』は、外へ外へとアピールすることが前提となった現代のカルチャーに背を向け、自らの中へ中へと旅をして作り上げた作品だという。震災以後でも、この作品が変わらぬ温度と強度を持って響くのは、これまで自然体で変化を受容しながらも、自らの中に確固たる表現基盤を築き上げてきた、細野の作品ならではだと言っていいだろう。

地震の後の1ヵ月半ぐらいは音楽自体聴いてなかった

―『HoSoNoVa』のブックレットに「全曲を数ヶ月に渡り聴き過ぎてしまい、完成すればもう自分では聴かないだろう」というコメントがありましたが、実際に完成後は聴かれてないですか?

細野:聴いてないですね。特に地震の後の1ヵ月半ぐらいは音楽自体聴いてなかったし…うん、改まって聴いてないなあ、やっぱり。

―地震の後はしばらく音楽を聴く気になれなかったんですか?

細野:テレビのニュースばっかり見てましたから、他のところに目が行かなくなっちゃって、違う世界に入れなくなっちゃったんですよね。

―現実のインパクトが強過ぎましたからね。でも、次第に聴けるようになりました?

細野:ええ、日常が戻った感じがしてますけど…まだ、あんまり不安は終わってないっていうか。

―それも含めて日常になった感じがありますよね。

細野:そうね、定着しちゃったんですよね。ちょっとずつ麻痺してきたり。まあ、こんなことがなくても(自分の作品は)聴き返さないんですけど。10年、20年後に生きてたら聴くかな(笑)。

―(笑)。全曲ボーカルアルバムというのは本当にひさびさで、『HOSONO HOUSE』以来38年ぶりというと、僕はまだ生まれてもないです。

細野:そうですよね。僕も生まれてないです(笑)。

―じゃあ『HOSONO HOUSE』はどなたが作ったんでしょう(笑)。

細野:まあ、「38年ぶり」とかっていうのは誰かが考えたことでね、当たらずとも遠からずで、確かにフルで歌ってるのは38年ぶりかもしれない。ただ、そこにインストが入ってたり入ってなかったりっていうのはその時の具合ですから、今回たまたま入ってなかっただけで。

―本作の制作はルーツミュージックのカバーからスタートしてるんですよね?

細野:この10年ぐらいはライブ活動がとても活発になってきちゃったんですね。ライブは好きじゃなかったのに、「何でこんなにやってるんだろう?」と思いつつも、いつの間にか歌うことが好きになっていって、楽しくなってきて。それが何故かって言ったら、好きなカバーを演奏するのが楽しかったんですよ。だから、アルバムもそれをまとめようと思ったんだけど、周りから「オリジナルを」って言われて、「そりゃ、そうだな」と(笑)。それで、まあ少し作ってみようかとやり始めたら、自分の曲を作るのも楽しいなと思い出してきて、わりとオリジナルが増えていったんです。

2/4ページ:光景として、空気として、人々が輝いて見えたっていうライブは初めてだったんですね。

光景として、空気として、人々が輝いて見えたっていうライブは初めてだったんですね。

―カバーをすることでポップスのルーツを伝承するっていうのは、以前から細野さんの音楽活動の目的意識としてあったことだと思うのですが、近年その気持ちがより強くなったという言い方もできますか?

メッセージは必要ない 細野晴臣インタビュー
細野晴臣

細野:年取ったせいかもしれないけど、長くやってきたんだからもう(自分の曲は)作んなくていいや、そういうことで苦労したくないなって思ってたんです(笑)。20世紀に生まれた音楽の宝庫があって、いい曲が無限に近いくらいあるわけだから、そのどれをやるかっていう楽しみがとても音楽冥利に尽きるというかな、そのことしか興味がなくなっちゃってたんです。


―でも今回で自分の曲を作ることの楽しさを見直すことになったと。

細野:なりましたね。すごく刺激を受けたので、マスタリングが終わった頃にはもう次のを作ろうと思い始めてたんです。それで構想練ろうかなって思ってる矢先に、グラグラっと来たんで、吹っ飛んじゃいましたけど。

―ライブ活動が活発になったのは何かきっかけがあったんですか?

細野:いつもことが先に起こって、あとで考えるんですよ。考えてから行動するんじゃなくて。計画通りに行ったことがないから、計画するのをやめて、その日暮らし、その場限り……、ホソノ場限りっていうか(笑)。

―(笑)。

細野:そういう風にやってきたんで、あとで考えると「なるほどな」っていうことは多いんです。何で今ライブをやってるかっていうと、元を辿れば、2005年に狭山であった『ハイド・パーク・ミュージック・フェスティバル』に出たことが、僕のライブ人生を変えたというかな。それまで、僕は「ライブは嫌いだ」と公言してて、昔の曲は一切やってなかったんです。でも、狭山は『HOSONO HOUSE』を作った場所なので、一度限りの、音楽的な故郷への恩返しというか、そんな気持ちで出たんですね。でも土砂降りになっちゃって、普通なら中止になるような豪雨なんですけど、主催者が酔っ払ってて中止にしなかったんです(笑)。

―酔っ払ってて(笑)。

細野:一時危険な状態になって、みんな避難したんですけど、それでも続行しましたからね(笑)。僕はトリだったから「こんな豪雨の中に出て行くのは嫌だな」と思ってたら、出番前に奇跡的に雨が止んで、人が戻ってきた。2000人ぐらいいたのかな? そこに出て行った感じが忘れられないんですよ。

―どんな感じだったかを、言葉にすることはできますか?

細野:光景として、空気として、人々が輝いて見えたっていうライブは初めてだったんですね。サポートしてくれたメンバーみんなそう感じてて、いまだにその話をすることがあるんです。あんなことは初めてだし、そう起こることではないなって。そんなことがあったんで、ライブって今までやり過ごしてきたけど、自分にとって大事なことなんじゃないかって思ったりね。

―振り返れば、そこがきっかけになってたわけですね。

細野:もうひとつは、そのライブはメンバーに謝礼を払うことができなかったので、ちゃんと還元しなきゃいけないと思って、あと2~3回は(ライブを)やろうって思ったんです(笑)。それでどっかでやったらオファーが来て、またどっかに行ったらオファーが来て、それが連続して今に至るんですね。だから、やっぱり計画じゃないです(笑)。

3/4ページ:音楽の神様がいるとしたら、教えてくれたんだと思うんだけど。

周りには「ボサノバやってるんだよ」って冗談めかして言ってたんです。ホントはやってないんですけど(笑)。

―ブックレットには「今回のソロ制作状況は1975年のソロ『トロピカル・ダンディー』にそっくりだと思い始めている」というコメントもありましたが、それはどんな部分においてなのですか?

細野:最初にコンセプトがあってレコーディングするっていうことではなかったっていう点が似てるんですね。とにかくやり始めようっていう。『トロピカル・ダンディー』のときは1曲録ったファンキーな曲をボツにしちゃって、「さあ、どうしよう?」っていうときに、久保田真琴が現れて、「細野さんはトロピカルだから、トロピカル・ダンディーだよ」って言われたんですよ(笑)。「なるほど!」と思って、それをアルバムタイトルにして、そこからバーっとできたんです。

―では、今回はというと?

細野:レコーディングの前にルイス・ボンファってアーティストをいっぱい聴いてて、その人はボサノバのルーツとも言える存在なんですけど、僕の中ではちょっと印象が違うんですね。でも、周りには「ボサノバやってるんだよ」なんて冗談めかして言ってたんです。ホントはやってないんですけど(笑)。そしたら、それを聞いた人が「ホソノバですね」って言うから、「それ!」って思って、タイトルにしちゃった。いつも人が教えてくれるっていう(笑)。

―その「ボサノバと言ってもいいけど、僕の中ではちょっと違う」っていうのはどういうことなのでしょう?

メッセージは必要ない 細野晴臣インタビュー

細野:ブラジル音楽って言った方がいいですね。サンバとかカリビアンは好きなんですけど、ボサノバっていうジャンルで括るとなにか違う気がする。ルイス・ボンファっていう人は特にサンバの伝統を受け継いだ上に、非常に天才的な感性で自分の音楽を作っていった人なので、そういう才能に刺激されたんです。音楽のジャンルとしてではなく、ボンファっていう人の音楽に惹かれたっていうのかな。その人がたまたまボサノバの源流だったりするので、無関係ではないけど、別に僕はボサノバをやってるわけじゃないっていうことです。

音楽の神様がいるとしたら、教えてくれたんだと思うんだけど

―ルイス・ボンファを初めて知ったのはいつ頃なのですか?

細野:元を正すと中学1年の頃だから…1960年代初頭ですね。

―最初に聴いたときから衝撃を受けたんですか?

細野:いやいや、最初は『黒いオルフェ』って映画のテーマソングで、世界中で大ヒットしたんですよ。日本でもラジオでかかってて、しょっちゅう聴いてたんで、飽きちゃいました(笑)。きれいなメロディだけど、特に思い入れはなくて、つい4~5年前かな? 夢を見たんですよ。

―ああ、「『ルイス・ボンファはすごい』と誰かが言う夢を数年前に見た」っていうコメントもありましたね。

細野:何でそんな夢を見たのか…別にルイス・ボンファが心の中に眠ってたわけではないと思うんだけど、突然出てきて…。音楽の神様がいるとしたら、教えてくれたんだと思うんだけど。でも、夢で名前が出てきても、最初は「ん?」って思うだけだったんですけど、友達が「ボサノバやんなよ」って余計な親切心で僕に勧めてきたり(笑)、それが全部つながるわけですよ。

―それもやっぱり自分で考えて、と言うよりは…

細野:教えてもらえるんです。いつもそうやって受身でいると、機が熟するっていうか、何かがわかってくる時があるんですね。

―蓄積があった上で、どこかのタイミングで結びついて、実体として見えてくるんですね。

細野:何かを作ろうとする時にそういうことが起きるんですよね。普段ボーっとしてる時はあんまり起こらないんですけど(笑)。

―貯めてるんでしょうね、ボーっとしてるとはいえ(笑)。

細野:人が見るとボーっとしてるように見えるみたいですけど、内面は忙しいんです(笑)。

―ちなみに、夢の中でボンファのことを教えてくれたのが誰だかは全然わからないんですよね?

細野:わからないんだよね…日本人の友達なんだろうなあ…でもカウボーイの格好して、2人で馬に乗ってるんです。西部劇みたいにアメリカの大草原を駆けてて、馬に乗りながら隣の男が唐突に「ルイス・ボンファってすごいよね」って言うから(笑)。

―不思議ですね(笑)。でも、そこから徐々にはまっていったわけですよね?

細野:もうひとつきっかけがあって、とあるパニック映画を見てたらね、目が見えなくなる病気が流行って、その目が見えなくなった人が集まる避難所でね、ある老人がラジカセで音楽を聴くんですよ。そこにいる人たちがその音楽にいたく感動するんですけど、僕もすごく感動して。ギターとハミングだけで、「こんな音楽があったのか」っていうぐらい衝撃だったんですよ。それを調べたら、ルイス・ボンファの“サンボレロ”って曲だった。それが決定的かもしれない。

4/4ページ:あんまり外を向いてないんですよ。中へ中へと旅してるようなアルバムです

あんまり外を向いてないんですよ。中へ中へと旅してるようなアルバムです

―先ほど『トロピカル・ダンディー』の話もありましたが、「エキゾチシズム」っていうのは細野さんの代名詞のひとつとしてあって、本作にもそういった要素はありますよね。

細野:全部入っちゃってますね。「これは今回やめとこう」とかそういうのはなくて、普段考えてることがどうしても全部入っちゃうんです。「エキゾチシズム」は、昔はやれカリビアンだ、やれ沖縄だって、地理的に遠いところの音楽をいかに自分の中に取り入れるかっていう意味での「エキゾチシズム」だったんですけど、今回の“Kimona Girl”なんて曲は、東京の昔の姿ですから。地理じゃなくて、今ここにいる場所の昔への憧れなんですね。そういう風に、ちょっと次元が変わってきてますね。

―地理ではなくて、時間軸に変わってきてると。

細野:つまり、それは外じゃなくて、自分の中の方に今向かってるっていうことで、あんまり外を向いてないんですよ。中へ中へと旅してるようなアルバムです。

―確かに、音楽的なルーツを辿るという意味でも、今言った時間軸的な意味でもそうですよね。では、なぜ今細野さんの表現が中へ向かっているのでしょうか?

細野:今の社会にある表現っていうのが全部外に向かってるんで、僕にとってそれはうるさいと思ってしまうんですね。メッセージが届いてくるんだけど、僕はもう必要ないかなと思って。アピールすることに興味がなくなってきたんですね。例えば、現代アートも何かしらメッセージを持ってたり、そういうものに今興味がなくなっちゃったんです。

―そういうことは自分はもう若い頃にやってきたということですか?

細野:たぶんね、時代背景なんだと思うのね。1960年代とかその時代のアートは好きですよ、もちろんもっと昔のもね。でも現代の、21世紀のカルチャーはあんまり好きじゃない。しゃべり過ぎるし、うるさいって感じがあって。しかも、それが商品に結びついちゃってるんで、信用できないわけですよ。例えば、すごい好きなお笑いの人がいたとして、テレビの通販番組に出てるとがっかりするんですよ(笑)。そういうことに近いかな。

―昔はマーケットの外に存在できたけど、現代ではどうしても関連付けられてしまうと。

細野:そうだね。それが飽和状態だったんですけど、地震をきっかけに何かが変わりつつあると思います。でも相変わらずそれを持続しようとする力も強くて、今はそれを見極めようという感じですかね。

―改めてお伺いすると、地震の以前と以後で何が変わりましたか?

細野:たぶんね、自分の中で震災はずいぶん前に済んでるというか、大きな変化っていうのは長い間かけて起こってるんで、その結果がここ(『HoSoNoVa』)に出てるんです。そういう意味では地震の後でも変わらないんですけど、ただ社会と自分の関係はすごく変わってきてると思う。例えば、「テレビはもう見たくないな」とかね。ずっと垂れ流しで見てたんですけど、今は自分の中でニュースも含めて見る価値がなくなってきちゃって。それよりも何かやれることがありそうだなって感じが今あって、音楽の表現をどうして行こうか考え直してる時期ですね。

―なるほど。

細野:『HoSoNoVa』がこの時期に出るのは怖かったんですけど、身近な人たちの反応はおおむね肯定的だったんです。「とてもフィットする」「こういうときに聴けてよかった」とかね。そういう声を聞いて安堵しました。自分で客観的にはわからないんですけどね、まだ聴き直してないですし(笑)。

リリース情報
細野晴臣
『HoSoNoVa』

2011年4月20日発売
価格:3,150円(税込)
VICL-63777

1. ラモナ
2. スマイル
3. 悲しみのラッキースター
4. ローズマリー、ティートゥリー
5. ただいま
6. ロンサム・ロードムービー
7. ウォーカーズ・ブルース
8. バナナ追分
9. レイジーボーン
10. デザート・ブルース
11. カモナ・ガール
12. ラヴ・ミー

プロフィール
細野晴臣

1947年東京生まれ。音楽家。69年「エイプリル・フール」でデビュー。70年「はっぴいえんど」を結成。73年ソロ活動を開始。同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年高橋幸宏、坂本龍一とともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。YMO散開後は、ワールド・ミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、また歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。



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