現実は小説よりもバカバカしい リリー・フランキーインタビュー

凶悪殺人で死刑囚となった男が、自分の犯したさらなる3つの殺人について、監獄から告白を始める。首謀者とされる「先生」と呼ばれる人物について聞かされたジャーナリストは次第に事件にのめり込み、真相を世に公表するために調査を開始する。実際にあった事件を題材にしたノンフィクションを原作にしつつ、監督・白石和彌がシリアスな犯罪映画として、またひりつくようなエンターテイメントとして結実させた映画『凶悪』。事件の真相を暴き出そうとするジャーナリストを山田孝之、未解決事件を獄中から告発する死刑囚にピエール瀧、ジャーナリストの妻を池脇千鶴が演じる豪華キャストも話題だ。特に、「先生」役をつとめたリリー・フランキーは、悪の権化ともいうべき絶対的な「凶悪」の存在感を醸し出し、作中で異彩を放っている。イラストレーター、ライター、エッセイスト、小説家……と数え上げれば切りがないほどに表現者としても多才な彼は、この作品をどう読み解いたのか。そして本作のテーマとなっている「悪」とは何かを問うているうちに、社会全体の「二面性」とリリー本人の人生観が交差する取材となった。

監督が犯人役に俺とピエール瀧を指名してることで、その時点で「この人、ふざけてる人なんだな」と思って。

―映画『凶悪』でどういう演技をするのか、何かプランはありましたか?

リリー:全くないですね。基本的に監督の言いなりの状態で、何のビジョンもなく。ただ今回わかりやすかったのは、監督が犯人役に俺とピエール瀧を指名してることで、その時点で「この人、ふざけてる人なんだな」と思って。つまり、すごくシリアスなサイコキラーでもなく、狡猾な錬金術師でもなく、仕事じゃないときの俺らのいつもの感じのような、どこかデレッとした犯人像を想定してるんだろうなと感じましたね。

リリー・フランキー
リリー・フランキー

―冷淡すぎるわけでもなく、日常的な悪ふざけの延長のような感覚で殺人をやってしまう犯人像ですね。

リリー:「先生」の殺人は、瀧とか俺が飲み屋で照明のロウソクを横にいる友達にたらして面白がってることの延長みたいな感覚なんですよね。それは「先生」がなぜ人を殺すのかという理由に関わってくるんですけど、演じながらどんどんそのことに気がついていきました。

―ということは、リリーさんが演じた「先生」という役は、一応は事件の首謀者という立場になっているけれど、本質的な意味で「凶悪」な人物とは思わないということですか?

リリー:というかまあ、この映画を冷静に見ると、登場人物が全員悪の部分を持ってるんですよね。たぶんそれが監督の意図してるところだと思う。誰が凶悪かというのは、俺でもないし瀧でもないし、ジャーナリストの藤井を演じた山田くんでもないし、他の人でもない。まんべんなく、みんな悪いじゃないですか。それは、殺される人の家族も含めて。あと、個人的には、人殺しのシーンより藤井の家庭のシーンを見ているときのほうが心が重い。藤井は現実逃避して家庭を顧みないようにしているし、奥さん役の池脇さんも秘密を抱えてるし。そして事件の真相を暴こうとしている藤井は最終的に、先生を死刑にしたいという気持ちで動いてるわけで。だからバットマンとジョーカーみたいに勧善懲悪がついてるお話じゃない。

―殺人シーンと藤井の家庭の重苦しさの対比は面白いですね。

リリー:人を殺してるシーンのほうがファンタジーというか、一般の日常から少しかけ離れてますよね。藤井の生活のほうは、本当に見ててしんどい。映画で主人公の私生活を描くと蛇足になることが多いけど、この映画はそこがすごく活きてる。藤井が日常と非日常、善と悪をさまよっていて、その対比になっているし、すごくストイックな主人公として描かれているからこそ、その両極端が重く効いてる。だから余計に殺しのシーンがポップに見えるんだと思う。

―初めて山田さんとリリーさんが対面するシーンは、二人の気迫がすごく伝わる芝居でした。

リリー:あそこは監督から、長すぎるくらい間を取れって言われましたね。撮影現場でちゃんと山田君に会ったのも、あれが初めてです。もちろん顔合わせもしたし、すれ違うようなことはありましたけど。でも山田君も意識してたのか、最後まで現場で会うことはなかった。スタッフも意図的に会わせないようにしてたのかもしれない。初対面のシーンを本当に初対面の状態で演じたので、むしろやりやすかったですね。

小説よりも現実のほうがもっとバカバカしいものじゃないですか。

―今回の芝居は全体を通してナチュラルな感覚というか、特に役者ということを意識せずに演技したのでしょうか。

リリー:第一に、自分を役者だと思ってないですね。ただ、俺はお芝居に関してはアマチュアだけど、映画を見ることはプロだと思うんですよ。だから、どういう余計なことをしないほうがいいかっていうのは何となくわかってる。そして石井輝男監督の『盲獣vs一寸法師』で初めて映画に出たときに、とにかくそのことを石井監督から教わったんです。

―役者として、これをやっちゃいけないということを教えられたんですか?

リリー:その作品には、お芝居を全く何もやったことないのに主役で出たんですけど、石井さんから「君はいい役者だから、また一緒にやろう」と言われたんです。「君は台詞も全然言えてないけど、僕がオーケーしたら涼しい顔で楽屋に帰る。それでいいんだよ」って。「どうしてですか」と聞いたら、「映画監督は撮りながら、ここは要らねえな、と頭の中でシーンを編集してる。でも、まずい役者は、もう1回やらせてくれって言うんだよ。それに比べると、君は僕のことを信頼してくれてる」と言われて。それで「そうか、じゃあそれを守っていこう」と思ったんだよね(笑)。

リリー・フランキー

―「こんな演技がしたい」という役者のエゴがないということでしょうか?

リリー:だって俺みたいのが役作りしたり、お芝居で「こう見られたい」って思ってたりしたら、そうとう鬱陶しいと思うんだよね。だから橋口亮輔監督の『ぐるりのこと。』に出て賞をもらったときにも、「石井さんの言うことを聞いて、橋口さんの才能に触れて、賞がもらえました」ってスピーチしたんです。

―映画の中で最初に殺人を犯すシーンでは、先生はちょっとおびえた感じがありますよね。それが次第に、楽しそうに人を殺すようになっていく。

リリー:人を殺すことに対して、ちょっと急に慣れていってる気がして、監督に「先生はこの映画で描かれているより前に人を殺したことがあるんですかね」って聞いてみたんですけど、やっぱり映画内で最初に殺したときに悪が覚醒したということみたいです。それってなんか、デジタル殺人鬼みたいな感じですよね。初めて人を殺した瞬間に、0から1に立ち上がった。瀧が演じる純ちゃんと先生の二人がどういうふうに知り合ったとか、どうしてこんな人格になったかっていうことも、全く描かれてないですしね。

リリー・フランキー

―たしかに、この映画より前に何があったのかは、ほとんどわからないですね。

リリー:でも犯人がどういう環境で育ったかっていうのは、犯罪小説が文字数稼ぎでやるものじゃないですか?

―というと?

リリー:ものごとって、何でもいきなり、出し抜けに始まるんだと思うんですよ。例えば、夢を見てて、もうちょっとでキスできるところだったのに目覚めちゃった、という話はよく聞くじゃないですか? みんな夢の終わりは覚えてるけど、その夢がどうして始まったかは誰も覚えていないんです。そのことに、鈴木清順監督の映画『陽炎座』が出し抜けに始まるのを見て、はたと気づいたんですよね。

―『凶悪』のように事実をもとにしたフィクションだと、本来であれば犯人の育った環境なんかがリアルに説明される傾向が強いかもしれないですね。

リリー:でも、この映画の原作は小説じゃなくてドキュメンタリーですからね。「犯人はどこの土地に生まれて、どんな親で」というような背景からその犯罪が起きた理由を推し量ろうとするけど、そういう意味付けをして、それらしい嘘をつくのは小説なのかもしれない。でも現実ってそんな緻密でシリアスなものばっかりじゃないんですよ。現実のほうがもっとバカバカしいものじゃないですか。

―「生い立ちが複雑だったから人を殺した」みたいなエピソードは、いかにも小説的なレトリックなわけですね。

リリー:現実はもっとおそまつでしょ。先生も、殺して金が手に入ればいいというだけで、他に理由があるわけではないんですよね。

殺人事件のニュースになると、マスコミはすごく正義然として振る舞うけど、少し見方を変えるとすごく下品ですよね。

―ジャーナリストである藤井や、その妻である池脇さんを通してあぶり出される、マスコミや一般の人たちにとっての「悪」のあり方というのも見ていて身につまされるところだと思います。

リリー:こういう殺人事件のニュースになると、マスコミはすごく正義然として振る舞うけど、少し見方を変えるとすごく下品ですよね。プライバシーなんて関係なく、暴いて当たり前だと思っている。それに、雑誌を見ると教員や警察官が痴漢行為をしたことを糾弾してたりするけど、次のページでアイドルのパンチラ写真が載っていたりする。でも、それがいわゆるマスコミだと思うんですよ。正義を振りかざすときは正義を振りかざして、違うページでは下品を振りかざす。でも、それが「マス」であるということは、おおよその人間がそういう感覚を持ってるということですよね。

リリー・フランキー

―『凶悪』というタイトルだから最悪な犯罪者を描いているのかと思ったら、最終的にはもっと大きな「悪とは何か」というテーマに行き着く。

リリー:殺してる人数の問題じゃなくて、いわゆる「一般」を描いてる。そもそも、現実でも藤井にあたるジャーナリストが告発してなかったら先生もまだ捕まってなくて、一般の人だったわけですからね。

―ドキュメンタリーを演じる難しさはありましたか?

リリー:実際に被害者も遺族の人もいる話で、先生も純ちゃんもまだ生きてますからね。だからこういうものの扱い方は難しくて、必ずしも面白がれないはずなんですよね。でもお客さんはそういう部分を100パーセント考えないですよね。……客は凶悪ですよ。

―「この事件、本当の話なんでしょ!?」っていう見方が多いのではとないかと思います。

リリー:アメリカのギャング映画にしても、だいたい実録ものですから。でも逆に言えば、先生とか純ちゃんみたいな人が、実際の世間にはゴロゴロいるんだってことですよ。

リリー・フランキー

―観客としてはこの映画、どんなふうに見たらいいでしょうか?

リリー:今までの話と矛盾してるんですけど、この映画、昔の東映の映画みたいに最終的にエンタメになってる部分もあるんですよ。だから見た後に嫌な気分はするけど、「何か、すげーの見たよ」って言いたくなる。人に「あの映画ヤバいよ」って話したくなる感じ。それは監督の才能だと思う。これがもうちょっと重い切り取り方をしてたら、そうはいかないと思うんですよ。だからこの映画について「おすすめはしませんけど」ってよく言うんですけど。でも例えば朝の番組でこんな犯罪の映画を「おすすめします」なんて言ってたら、完全に違うじゃないですか。

―最後に、役者という仕事はリリーさんにとってどんな位置づけなのでしょうか。先ほどのお話だと、映画は監督のものだから言われた通りにやるとおっしゃいましたが、ならば他の仕事で「これが俺だ」と思うものがあるんでしょうか?

リリー:それが、ないんですよね。自分のことイラストレーターって言うわりにはイラストの仕事が少ないし。自分のこと小説家って言ったとしても文壇の人はそうは思ってないだろうし。写真を撮ってもカメラマンの人はそう思わないだろうし。なので、自分のやってることの種類ごとに生活圏ができてる、っていう感じですね。どれが自分らしいとか、正直考えたことない。自分らしさなんて、人との対比でできるものですからね。そんなこと考えたら、人殺したくなっちゃうんじゃないですか(笑)。

作品情報
『凶悪』

2013年9月21日(土)から新宿ピカデリーほか全国ロードショー
監督:白石和彌
脚本:高橋泉、白石和彌
原作:新潮45編集部編『凶悪 ―ある死刑囚の告発』(新潮文庫刊)
出演:
山田孝之
ピエール瀧
池脇千鶴
リリー・フランキー
配給:日活

プロフィール
リリー・フランキー

1963年11月4日生まれ。福岡県出身。イラストやデザインのほか、文筆、写真、作詞・作曲などさまざまな分野で活躍。俳優としても、主演を務めた『ぐるりのこと。』(08)で第51回ブルーリボン賞・新人賞を受賞するなど高い評価を得ている。そのほかの主な出演作品に『色即ぜねれいしょん』(09)、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(10)、『モテキ』(11)、『アフロ田中』(12)、『きいろいゾウ』(13)などがある。公開待機作品に『そして父になる』(9月28日公開)がある。



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