自殺はいつもネガティブか?岡田利規と太田信吾が「才能」を語る

ドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は、駆け出しの映画監督が、プロのミュージシャンとしての夢を追い続けていた友人の自殺と真正面から向かい合い、7年間をかけて完成した作品だ。この映画では、友人の生前に撮影していた日常生活や、彼を慕う後輩との音楽活動をとらえたドキュメンタリー映像と、その後に撮影されたフィクションのパート、さらに映画撮影現場のドキュメントシーンとが複雑に絡み合う。

監督の太田信吾は、岡田利規が主宰するチェルフィッチュの舞台に参加するなど、俳優としての顔ももち、監督するこの作品のフィクション部分では自ら出演もしている。普段は演出家として俳優・太田信吾に接している岡田利規は、彼の映画をどのように観たのか。二人による初めての対談が実現した。

太田くんの演技は映画的でもあるんだけど、映画も舞台もどっちもこなす器用な人というのではなく、ひとつの演技がどちらでも通じるオールインワンみたいな感じ(笑)。(岡田)

―太田さんは俳優としてチェルフィッチュの舞台にも出られていますが、そのきっかけを教えていただけますか?

太田:初めて観たチェルフィッチュの『フリータイム』(2008年)という舞台がすごく面白かったんです。そしたら大学の卒業式の翌週に公演が予定されていた『三月の5日間』の海外公演ツアー用の役者オーディションがあって、俳優に興味があったので、応募したのがきっかけですね。

―太田さんは大学では映画を撮ってたんですよね? なぜ役者になろうと思ったんですか?

太田:演技に興味があったし、大学も卒業するしどうしようと思ってた時期だったんです。あと、大学の宮沢章夫さん(遊園地再生事業団主宰)の授業で戯曲を読んでいたんですけど、そこで『三月の5日間』の戯曲を全員買わされたんですよ。

岡田:えっ、買わされたんだ。すごい、宮沢さんありがとう(笑)。

太田:それまでの授業では、チェーホフとか古典的なのをやっていたんですが、チェルフィッチュをきっかけに現代的なものに出会って、そこからいろいろ芝居を観に行くようになって。

右:太田信吾
右:太田信吾

―演技の経験はあったんですか?

太田:松井周さん(劇団・サンプル主宰)の授業で、ちょっとエチュード(状況や場面、人物の性格だけを設定して行う即興劇)的なことをやっていて、そこで演技の感覚を覚えましたね。

―それでオーディションを受けに行って、岡田さんが採用したと。

岡田:ええ。すごく単純に、彼は面白かったので。僕がイメージする世界観を面白く伝えられる役者のことはもちろんいいなと思うんですけど、太田くんの場合は、その要求をクリアしながら、独自の演技の基準を持っていて、そこを必ずくぐらせてやってる感じがあったんです。その基準が僕には何だか分からないんだけど、謎ってすごく惹かれるものなので、見た瞬間に「あ、彼は、唾つけておいたほうが良いな」と(笑)。

岡田利規
岡田利規

―それは、太田さんが映画をやっていることと関係があるのでしょうか?

岡田:彼の演技は映画的でもあるんだけど、映画も舞台もどっちもこなす器用な人というのではなく、ひとつの演技がどちらでも通じるオールインワンみたいな感じ(笑)。そういう人はあんまりいないなと思いますよね。

―それ以降、最新作も含めて太田さんはチェルフィッチュの作品に出演されるようになったわけですが、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を太田さんが撮ってることを岡田さんはご存知でしたか?

岡田:知ってました。去年のある日、突然太田くんが「編集が終わったー!」ってすごく興奮して連絡くれて、「おごりますから飲みに行きましょう!」って。「じゃあ行く!」って言って、焼き肉をごちそうになりました(笑)。

太田:今回、岡田さんの小説集のタイトル(『わたしたちに許された特別な時間の終わり』)をお借りすることもあって、事前にお話はしていたんです。自分で他のタイトルも考えてみたんですけど、この言葉が映画の内容をすごく言い当てられてるような感じがしたので、これ以外にないだろうと思って。

「才能」ってセリフを言うときに、すっごいイヤな感じがしたわけ。「才能」っていう言葉をダイナマイトみたいに使ってるなと思った。(岡田)

―岡田さんは映画をご覧になって、率直にどう思われましたか?

岡田:これは「才能」の話だよね。主人公の増田(壮太)くんの才能というよりは、「才能」が主人公の映画というか。太田くんが映画の中で、演じたり、撮影したりしながら、ときどき「才能」って単語を発するんだけど、そのときすっごいイヤーな感じで言うんだよね。その言葉にいくつもの意味のレイヤーを含ませてるというか、端的にいうと素直じゃない言い方をしてる。「才能」っていう言葉をダイナマイトみたいに使ってこの映画を作ってるな、と思ったんだよね。「才能」という言葉をあえて使い、吐くことで、良くも悪くもそこで何かが打開するというか。

―「自殺する才能」という言葉もありましたよね。

岡田:増田くんが、自分が言い出しっぺの花見に遅刻して、全然来ないっていうシーンがあるじゃない? そこで太田くんが「才能があるから、いいんじゃないですか?」って言うんだよね。あのときの、素直に言ってるのか、嫌みで言ってるのか、両方にもとれるような感じ。「才能」の存在を信じてるのか、疑ってるのか、どっちなのかよく分からないんだよね。この映画は、そういうところが本当に気になって、「才能」というキーワードだけで、いくらでも話ができる気がする。例えば単純に、太田くんは増田くんに才能があると思ってたの? とか聞いてみたいし。太田くん、映画の中で「才能、才能」ってわざと繰り返して言ってるでしょ?

太田:でも、(花見に来なかったときに)「才能があるからいいんじゃないですか」って言ったのは無意識です。彼が亡くなってからその言葉をフォーカスするようになって、才能という言葉や存在がもしあるんだったら、自殺という行為にも優劣があってもいいんじゃないか? って考えるようになったんです。みんな「自殺=ネガティブ」だと思っちゃいますけど、岡田さんが言ったように、才能という言葉の意味が捉え方次第で変わってくるように、ネガティブじゃない解釈があっていいんじゃないかと思って。

左から:岡田利規、太田信吾

「才能」と言われると、自分一人の実績として集約されてしまう。でも実際は、いろんな偶然だったり、人との関係の中ででき上がるものだと思うので、その言葉はちょっと違うんじゃないかと思います。(太田)

岡田:じゃあ、才能って言葉は好き? 例えば、「太田くんは才能があるね」って言われて、嬉しい?

太田:例えば映画を1本作って、それが評価されるときに「才能」という言葉を使われてしまうと、自分一人の功績として集約されてしまいかねないと思うんです。でも実際の作品制作というのは、いろんな偶然だったり、人との関係の中ででき上がるものだと思うので、それはちょっと違うんじゃないかと思います。「才能」という言葉に自意識過剰になってしまうと、増田くんみたいに、かつての栄光にとらわれたり、「自分は才能があるんじゃないか?」って思い過ぎて、音楽を続けづらい精神状況に陥ってしまう。だから、僕自身はあんまり「才能」って言葉を信じないようにしてます。

―でも最初、増田くんのライブを観た頃は、「才能ある!」って思いませんでしたか?

太田:初めてライブを観たのは高校生の頃だったんですけど、同年代のバンドとしてはそこそこ技術もあったと思うし、僕もちょっと音楽をやっていたけど、あんなクオリティーでは演奏できないなと。そういう意味では才能を感じてた部分もあったと思います。でも彼は、毎日練習してたし、継続的にテクニックを身につけるための努力がすごくて。だから才能というよりは努力家だったと思いますけどね。

岡田:一緒にバンドを組んでる蔵人(くらんど)くんが、ライブでキーボードを無表情で演奏してるの見て、増田くんが駄目出しするシーンがあるでしょ? あそこは、増田くんの才能と限界がどっちも露呈されてるシーンだと思う。

―と言うと?

岡田:蔵人くんが演奏するのを見て、「無表情だから駄目なんだ」「エモーションが感じられない」っていう、そういうモノの見方に限界を感じたんですよ。でも、その後に「自分自身がエモーションを操るにはどうしてるか」というレベルの話をしていて、あれはほとんど世阿弥と同じこと言ってるんだよね(笑)。それで面白ーい! と思ったんです。他にもすごく面白いシーンがいっぱいありました。

長い時間をかけて撮るうちに、彼が別人のようになってたりすることを感じることがありました。だから、時間と時間の対話をやりたいなと思ったし、彼の人生をただ紹介するような映画にするつもりはなかったんです。(太田)

―この作品は、ドキュメンタリー映画でもありますが、増田くんが亡くなった後に撮られたフィクションパートと呼ばれる部分も加えて、かなり独特な構成になっています。

岡田:「才能」という言葉の曖昧さと同様に、この映画は「フィクション」と「ドキュメンタリー」という言葉もあえてしか使ってないんです。で、結局その境界がグッチャグッチャになってる。そのことを説明するためにあえて言うと、太田くんは役者としてすごく「才能」があるってことが分かる構成になってましたね。例えば、増田くんがテーブルに包丁を突き刺すシーンがあるんだけど、あのパートは、表面的には「ドキュメンタリー」でしょ? でも、お客さんが観たら、「これ本当?」って思うじゃないですか(笑)。その虚実が曖昧な部分も面白いから、聞くべきじゃない質問とかもいっぱい浮かぶんですね。「あのシーンは本当はどっちだったの?」みたいな。でもそれは、すごく興味本位な質問だし、それで太田くんが誠実に答えてくれたとしても、知っちゃうと面白くないから、聞くのやめようと思う質問がいっぱいある(笑)。

岡田利規

太田:そうですね。そこはどっちにとってもらってもいいと思って作ってます。

岡田:だから彼の演技も、フィクションとドキュメンタリーで分けてないというか、混ぜてるんですよ。

―フィクショナルなシーンを加えるという案は、増田くんが亡くなって、映画を完成させることになってから、初めて出てきたものですよね? 残されたフィルムの編集だけで作るのではないと。

太田:そうですね。単に時系列に沿って、彼の人生が分かるように並べていくのではなく、死んだところから映画をスタートしたいと思いました。長いこと彼を撮っていたので、1人の人間なのに別人のように感じられることが結構あったんですけど、彼に限らず、時間が経つことで人の価値観が変わることはよくありますよね。それで、時系列を分解して、時間同士の対話を描きたいなと思ったんです。彼の人生をただ紹介するような映画にするのではなく、映画を観た人に自殺という行為について、いろんな見方を考えてもらえるようにしたかった。

根拠のない自信を持つことほど才能が必要なことはないかもしれないですよね。(岡田)

―最初に撮り始めたのは、増田くんが蔵人くんと一緒に活動を始めるようになったのがきっかけですよね? そのときの撮影意図というのはどういうものだったんでしょう。

太田:最初はもう増田くんに撮らされてたというか、バンドのライブを毎回僕が撮って、それを彼がYouTubeに上げたりするために撮っていました。それにだんだん僕も飽きてきて、もういいんじゃないかと思い始めてたときに、ちょうど彼が都内から埼玉の実家に戻ることになって、「後輩を誰か1人手伝いで連れてきてよ」って言うので、僕が蔵人を連れていったんです。そうしたら二人が意気投合して、でも僕から見たら気が合いそうな二人じゃないはずなのにどうしてだろう? って。

―どんなところでそう感じたんですか?

太田:音楽に対する価値観が正反対というか、蔵人は能天気に、毎日楽しく音楽やれたらいいじゃんっていうタイプなので、その二人が一緒に音楽やってこれからどうなっていくのか。そこで初めて、これは映画になるんじゃないかと思って、意識的に撮るようになったんです。だから、その頃は「表現をどう続けていくか」というのが中心的なテーマとしてありました。やっぱり親の世代は、音楽や舞台や映画を仕事としてあんまり認めないというか、好きなことをやってるだけっていう価値観を持っているので、そこをどうやって乗り越えたらいいのかっていう。

太田信吾

―それは当然、太田さん自身の問題でもあったわけですよね?

太田:そのときは大学を卒業する時期と重なっていたので、まさにその問題と直面していました。

岡田:そこをどうのらりくらりやり抜けるっていうのは、もしかしたら才能が必要かもしれないよね。

―岡田さんは、20代後半~30歳くらいの頃はどうしてました?

岡田:のらりくらりやってましたよ。当時は全く認められてなかったんですけど、まあ何とかなるだろうと根拠なく思っていて。だから、根拠のない自信を持つことほど才能が必要なことはないかもしれないですよね。

太田:焦りというか、もっとやらなきゃみたいな気持ちはなかったんですか?

岡田:今から振り返ると、そんなに焦ってなかったと言えるけど、もしかしたら年齢的にもギリギリだったのかもしれないよね。2005年に『三月の5日間』で『岸田國士戯曲賞』をいただいたのが31歳だったから。だから、この映画や登場人物たちについて何か言う立場として、自分はズルい立場にいる人間だなと思います。すごくザックリ言っちゃうと、自分はああならずに済んだ人。もちろん今のところですけどね。だからこそ「才能」って何だろうと考えるし、さっき太田くんが言った才能の解釈については、全く同じことを僕も思うんです。

ドキュメンタリーの中で「再現」してもらったとしてもその人らしさが出てくれば面白いモノになるんじゃないかと考えていて。(太田)

―岡田さんは、この映画の中で、役者としての太田さんをどう見られましたか?

岡田:俳優としての自分を、すごく上手く使って作ってるなと感じました。表面上のフィクションとドキュメンタリーという構造を結局グチャグチャにしちゃうみたいなことができるのは、彼自身がそのどっち側も俳優としてやれてしまうという、アドバンテージがありますよね。

―ご自身ではどうですか?

太田:実はドキュメンタリーのシーンでも、リアルに起きてた瞬間に撮れなかったことがあって、例えば冒頭の引越しの場面も当日に撮れなくて、あとでもう一度やってもらったりしてます。でも、再現してもらったとしてもその人らしさが出てくれば面白いモノになるんじゃないかと考えていて、そういう撮り方の面で、チェルフィッチュでの演技経験が糧になっている部分はありますね。普通だったら、ドキュメンタリーっていう、一回性に忠実な人はそんな演出はしないというか、再現するなんてやらせだとネガティブに考える人もいるかもしれませんが、あんまりそういうことは思わなかったです。

岡田:演劇をやってると全然気にならなくなるよね。というか、繰り返されたからといってそれが嘘だとは全く思わないから。

左から:岡田利規、太田信吾

―監督や演出家として、岡田さんからは他にどんな影響を受けてますか?

太田:言葉を発するとき、どうしたら説得力がある言葉を引き出せるかというのを、岡田さんの作品で自分が演技した経験から考えさせてもらってるというのはありますね。繰り返しに耐えない演技は説得力のないものだと思うので、ドキュメンタリーだからといって、その場の1回きりの瞬間を写すだけが正しいわけじゃないというか。

岡田:それは映画監督としても、太田くんのすごい武器になってるよね。なにより演技が上手いから、自分の作品を自分の演技である比率埋められるわけじゃないですか。

太田:だから、彼が死ななかったとしても、こういう映画にもできたのかもな……と思ったりすることもあるんです。もちろん映画のために彼が死んだとは思わないですけど、撮り始めちゃったことで、僕も罪悪感がちょっとあるというか。遺書にも「映画を完成させろ」と書いてあって、そこが彼にとって生きるための最後の砦のような部分になったとしたら、本当に撮影して良かったのかと……。

岡田:とか言ってさ、ご両親に、「僕がこんなふうに撮っちゃったから死んでしまったと思ってますか?」って聞いて、「思ってません」って言わせるのとか、ほんとに意地が悪いよね(笑)。

太田:いや、でもはっきり言葉として聞いておかないと。

岡田:わかるよ。だけど絶対「そんなことない」って言うって、どっかで分かってるから聞くんだよ。何にせよ、あのシーンを本編に採用して入れてるわけで、そこにしたたかさと、ある種の意地悪さと、やっぱり才能を感じるな。

「クリエイティブというイデオロギー」という言葉があって、もちろん僕は、それにとりつかれた人を、批判する資格はないんですよね。僕もとりつかれたから。(岡田)

―岡田さんは、増田さんの死をどう受け止めましたか?

岡田:僕の目から見ると、やっぱり社会が与えたいろんな価値観の犠牲者ですよね。以前、僕が『エンジョイ』(2006年)という作品を作ったときにほとんど原作みたいな扱いをさせてもらった、『フリーターにとって「自由」とは何か』という杉田俊介さんの本の中にあった、「クリエイティブというイデオロギー」という言葉を久しぶりに思い出しました。でももちろん僕は、それにとりつかれた人を、批判する資格はないんですよね。僕もとりつかれたから。ただ僕は運良くこうなっているわけで、そこしか違いはないんだけど、増田くんの場合は、そういう犠牲になってしまった死だと思うんですよ。

―なるほど。

岡田:それから、これは非常に難しい問題ですが、誰かの死を、その人の個人の死のままにしておきたいという気持ちと、それを社会的なものに拡げていきたいという気持ち、両方の欲望が起こることがありますよね。例えば身近な人が社会的な事件や事故の犠牲者だったというとき、そっとしておきたいという気持ちと、社会化したいという気持ちとね。映画にするのも同じことで、映画にしなければ個人的な死のままでいられたわけだけど、だけど撮りたいと思って、遺族の方も許可したわけだから。

―それはやはり、太田さんがそうする意味を感じたからですよね。

太田:はい。既存の社会システムを疑うこと、何かを問題提起することにこそ映画の存在意義があるとは思って、創作をしていますが、そうしたときに、やっぱり彼の自殺は大きかったですね。才能やクリエイティブというイデオロギーということもそうですし、自殺という問題に、より日の目を当てたくて。音楽って楽しむものだと思うんですけど、彼は逆に音に苦しめられていたので、本末転倒だったんです。そういう状態に何でなっちゃったんだろう? もっといろんな許容をし合えたら良かったのになって思います。社会の中でもっと生き生きと表現活動を続けられる環境をいかに作っていけるか。この映画を観ていただいた方が、少しでも自分が社会にできることを考えるきっかけになればいいなと思います。

イベント情報
『東京アートミーティング(第5回) 新たな系譜学をもとめて 跳躍/痕跡/身体』

2014年9月27日(土)~2015年1月4日(日)
会場:東京都 清澄白河 東京都現代美術館 企画展示室1F、地下2F・アトリウム
休館日:月曜(10月13日、11月3日、11月24日は開館)、10月14日、11月4日、11月25日、12月28日~1月1日)
料金:一般1,200円 大学生・65歳以上900円 中高生600円

※チェルフィッチュとして出展、太田信吾も参加

『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』

2014年12月12日(金)~12月21日(日)
会場:KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
作・演出:岡田利規
出演:
矢沢誠
足立智充
上村梓
鷲尾英彰
渕野修平
太田信吾
川﨑麻里子

作品情報
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』

2014年8月16日(土)からポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督・脚本・撮影・編集:太田信吾
音楽:青葉市子
出演:
増田壮太
冨永蔵人
太田信吾
平泉佑真
有田易弘
井出上誠
坂東邦明
吾妻ひでお
安彦講平
ほか
配給:ノンデライコ

リリース情報
増田壮太
『いのちのドアをノックする』(CD)

2014年8月6日(水)発売
価格:2,160円(税込)

1. ミキサー、そして沈殿 俺待ち
2. 平成
3. 田端
4. 雨、雨、雨
5. 川の中
6. ロッキン'
7. 僕らはシークレット
8. 空色
9. 僕が修学旅行に行けなかった理由
10. ゴッド&ブッダ
11. 落日
12. 死のうかと思う
13. この世の果てや終わりでも
14. ビルの上から

プロフィール
太田信吾 (おおた しんご)

1985年生まれ。長野県出身、横浜在住。早稲田大学の卒業制作として引きこもりをテーマに製作したドキュメンタリー『卒業』がイメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー映画となる『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2013アジア千波万波部門に選出。また、俳優として「チェルフィッチュ」や「劇団、本谷有希子」に出演するなど、舞台•映像を横断して活動している。チェルフィッチュの最新作『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』にも出演している(KAAT神奈川芸術劇場で12月に公演予定)。

岡田利規(おかだ としき)

1973年 横浜生まれ。演劇作家 / 小説家 / チェルフィッチュ主宰。活動は従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。2005年『三月の5日間』で『第49回岸田國士戯曲賞』を受賞。同年7月『クーラー』で「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005―次代を担う振付家の発掘―」最終選考会に出場。07年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社より発表し、翌年第二回大江健三郎賞受賞。12年より、『岸田國士戯曲賞』の審査員を務める。13年には初の演劇論集『遡行 変形していくための演劇論』を河出書房新社より刊行。



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