砂原良徳×山口一郎 捨て身でシーンを変えた電気グルーヴを語る

サカナクション・山口一郎と砂原良徳。世代は違えど通じ合うところの多い二人の、初の対談が実現した。ただいま公開中の電気グルーヴ初のドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? ―石野卓球とピエール瀧―』にも登場している二人。砂原良徳はかつてのメンバーとして、そして山口一郎は自分の思春期に決定的な影響を与えた存在として、電気グルーヴのことを語っている。

本対談で山口は、サカナクションのフロントマンとして「今の時代の電気グルーヴになりたい」と話した。テクノをメインカルチャーに持ち込み、日本の音楽シーンを変えた電気グルーヴがもたらした功績とは何だったのか? 彼らの足跡、石野卓球とピエール瀧の素顔、そして音楽シーンの未来について、改めて二人に語り合ってもらった。

90年代初頭、ヒップホップやハウスのような海外の新しい音楽のムーブメントにいち早く反応したのが電気グルーヴだった。(砂原)

―山口さんが電気グルーヴに出会ったのはどんなきっかけでしたか?

山口:僕が初めて買った電気グルーヴのアルバムが『ORANGE』(1996年)なんですよ。深夜のテレビで“Shangri-La”が流れているのを聴いて「この曲、すごい!」と思って。CDを買いに行ったら、何枚かアルバムがあって、きっと“Shangri-La”が入ってるのは最新作だろうと思って『ORANGE』を買ったら、最初の曲が“ママケーキ”だったんですよ。再生ボタンを押した瞬間に「ママケーキ~」って歌が始まって「あれ?」ってなって(笑)。

砂原:それは僕の声です(笑)。間違って違うアルバムを買っちゃったんだね。

山口:「なんだこの人たち?」って。自分が好きな曲がいつまでたっても再生されないし、3000円っていう当時の僕にとってすごく高いお金を払ったのに「詐欺だ」と思いました(笑)。でも、買ったからには聴くしかないと思ってひたすら聴いてたんです。

砂原:我慢して聴いてたんだ(笑)。

山口:でも、聴き続けていくうちに、今まで自分が触れたことのないサウンドにどんどんのめりこんでいって、そこから古い作品も聴くようになって。その後『A(エース)』(1997年)が出たタイミングでやっと“Shangri-La”に出会えました。

山口一郎
山口一郎

―その当時のことを、砂原さんは覚えていますか?

砂原:“Shangri-La”を作った頃のことですか? スタジオで僕が「最近、こんなの聴いてるんだけど」ってレコードをかけた中に“Shangri-La”のサンプリングの素材になった“Spring Rain”という曲があって、「これ使えそうだね!」って石野(卓球)くんが言ったんです。その曲に石野くんが反応すると思わなかったんですけど、そのとき「何かが起こるかも」と感じましたね。たしか『A(エース)』のセッションの初日だった。

砂原良徳
砂原良徳

山口:映画の中でも、曲が8割くらいできたときに「これはキテる」と思ったって言っていましたよね。あえてお互いそれを言わなかったけど、いつの間にか手に汗をかいてたって。僕らも曲を作っているときにメンバー同士で「これはいけそうだ」と感じることがあるので、そういう瞬間があの時代に“Shangri-La”でも生まれていたんだなって。

―砂原さんが電気グルーヴに加入したのは1991年のことですよね。出会いのきっかけは?

砂原:最初に会ったのはその前年ですね。当時やっていたバンドの対バン相手が人生(電気グルーヴの前身バンド)だったんですけど、当時はあまり好きじゃなかったんです。そしたら2回目の対バンのときに、向かいに座った石野くんから「こんにちは」って話しかけられて、後ろに誰かいるのかな? と振り返ったら誰もいなくて「あ、俺か」と(笑)。「去年も一緒でしたよね?」と言われて、ああ覚えてるんだなって。打ち上げでもいろいろ話したけど、まだメンバーを探しているという話にはならなくて、「今度遊びに行きます」みたいな感じで終わったんですけど。

―映画の中で砂原さんは「加入した当時から、日本のエレクトロミュージックの流れに電気グルーヴが影響を与えるのがわかっていた」と仰ってましたよね。あの頃の音楽シーンはどういう状況だったんでしょう?

砂原:90年代初頭は価値観の転換期だったと思いますね。80年代が終わって、『イカ天』とバンドブームも終わりつつある中、海外でヒップホップやハウスのような新しい音楽のムーブメントが起きていて、それにいち早く反応したのが電気グルーヴだった。当時は、そもそも「グルーヴ」という言葉自体が全然浸透してなかったんですよ。みんな間違えて「電気グループ」とか呼んでいましたからね。「グルーヴ」という言葉を使っている時点で、そのムーブメントに気付いているというサインだったし、彼らはすごく早かった。そして当時の海外の流れを汲むならば、自分たちに必要な楽器はターンテーブルだということになったんですよね。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

―ヒップホップの流れが大きかったんですね。

砂原:そうですね。だからシンセを捨ててターンテーブルに変えないと、90年代という時代には乗れないのかなってなんとなく思っていました。実は僕はそっちに行くつもりはあんまりなかったんです。ただ、石野くんにいろいろ聴かせてもらって「なるほどね、こういう感じになっていくんだな」と。そういう時代の価値観の転換期に、彼らは非常に早く反応していました。

―1991年当時って、山口さんはまだ子どもですよね?

山口:小学校5年生くらいですね。当時はイルカさんや吉田拓郎さん、ザ・フォーク・クルセダーズのようなフォークソングばかり聴いていたんです。でも僕の両親が喫茶店をやっていて、フォークソングやビートルズと一緒に、クラフトワークとかも流れていたから、同年代の中では電子音楽に対する抵抗はなかったほうだと思います。それでも、電気グルーヴは衝撃的でしたね。バンドでも歌謡曲でもないし、エレクトロサウンドにメロウなメロディーが乗っかっていたり、突拍子もないことをやっていたりして、「なんだろう、この人たち? 自由だなあ」と思っていました。

砂原:たしかに自由でしたね(笑)。みんな楽器が演奏できないから、普通のバンドの真似事はどうやってもできないんだよね。それでどうしても自己流になっていった。あとは、前身の人生というバンドがさらに自由だったので、それがずっと続いてる感じもあって。曲作りの合宿に行っても、曲を作ろうというより、曲の素材になるようなできごとを起こそうという感じだった。それで三人でくだらないことを話したり、くだらない言葉をループさせてゲラゲラ笑ったり、そういうことをやっていましたね。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

僕は北海道で育ったので、電気グルーヴから感じた印象というのは「東京」なんです。(山口)

―電気グルーヴが初期の自由な感じから徐々にテクノミュージックに前のめりになっていく、そのターニングポイントはどこにあったと思いますか?

砂原:『VITAMIN』(1993年)というアルバムを作ってるときですね。1993年くらいに石野くんがロンドンから帰ってきて、当時ロンドンで起きていたアシッドハウスのリバイバルが面白いよっていろいろ教えてくれたんです。そのときに僕もアシッドハウスでよく使うTB-303というシンセサイザーを持っていたから、これはリンクしたなと思って。ただ、アルバムを作るときに二人が「次は半分インストでいいよな」と言ったときは「ええ!? そんなことするんだ!」と驚きました。僕はそれはちょっとやり過ぎなんじゃないかなと思ったんですよね。言葉の表現の面白さは今でもありますけど、サウンド志向に変わっていったのはその頃だった気がするな。

砂原良徳

―海外のテクノシーンに同時代的にシンクロしていたんですね。

砂原:僕も海外のレコードを買って聴いてたけど、石野くんがとにかく敏感だった。今でもそうだと思うけど。

―山口さんとしてはそういう電気グルーヴの音楽性をどういう風に見てましたか?

山口:僕は北海道で育ったので、電気グルーヴから感じた印象というのは「東京」なんです。90年代の初めはインターネットもなかったし、よっぽどアンテナを張ってないと海外で今どういうムーブメントが起きているのかわからなかった。だから電気グルーヴを見て、「今の東京ってこうなんだ」と思ったし、そこに行ってみたいという風に憧れていました。電気グルーヴがロンドンに行ってアシッドハウスの影響を受けて変化したという流れは後から知った話で、当時はただ電気グルーヴのアイデンティティーとして『VITAMIN』や『ORANGE』や『A(エース)』という作品が北海道まで届いていた感覚で。そういう意味では、シーンの表側に立って届けることの重要性を改めてすごく感じますね。今だったら簡単に海外の音楽も聴けますけど、当時それを率先してやって、そこで吸収したことをメインカルチャーに投げかけるってすごい勇気だなと。

山口一郎

砂原:まぁ、勇気っていうか捨て身っていうかね(笑)。

―93年の時点でアルバムの半分がインストというのは異端なことですよね。

砂原:そう思うんですよね。でも彼らの言い分としては「俺らが聴いてる曲の半分以上がインストだし」って。たしかに僕もそうだったけど、「本当に大丈夫かな」っていう不安はありました。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

―映画の中でも、当時はセールスを上げるためにわかりやすいことをしてもらいたいというレコード会社とメンバーとの間に軋轢があったことを語られています。

砂原:ディレクターに車で送ってもらったときに、車内で「俺らはお前らに投資してるんだから、もうちょっと言うこと聞け」って言われたこともありますからね。それも、二人がいるときには言わないのよ。俺が一人のときに言うの。一郎くんがいないときにサカナクションの他のメンバーがそういうこと言われるような感じ(笑)。

山口:僕らも何か言われてるかも(笑)。

―サカナクションの場合は、レコード会社に「わかりやすいことをしてほしい」と言われるよりも、山口さん自身が戦略的に自分の好きな音楽やコアなエレクトロミュージックをどう大衆に広げるかをものすごく意識していると思います。

山口:そうですね。だから、レコード会社というよりも、リスナーに対する考えのほうが大きいですね。それこそインストをどうやって楽しんでもらうのか? とか。伝わらなかったら意味がないし、伝わりやすくするためにどうするかってことは常に考えています。

―その考え方の原体験に電気グルーヴの存在があった。

山口:それは自然にありました。たとえばテレビを見ていて、光GENJIやB'zと同じライン上に電気グルーヴがいたことで、自分がその先に聴く音楽も変わっていった。影響を受けているのは紛れもない現実だし、今自分がちゃんとミュージシャンとしてやれているのもそのおかげだと思います。

若い子が最初に触れる遊びとしての「音楽」に、もっといろんなカルチャーにつながる多様性があってもいいんじゃないかと思うんです。(山口)

―もし電気グルーヴがデビューしていなかったとしたら、今のテクノやエレクトロミュージックのシーンはどうなっていたと思いますか?

砂原:やっぱりちょっと違う感じなんじゃないかな。メインストリームなものにはならず、もっとアンダーグラウンドな扱いだったかもしれないとも思いますね。

山口:よりアナーキーなものになっていたかもしれないですね。

―1980年代以前は冨田勲さんやYMOがいたにせよ、電気グルーヴは、日本のテクノやエレクトロミュージックの歴史の中でも特殊な存在になっている。

砂原:まぁ特殊ですよね。漫才ブームや『ひょうきん族』の影響も受けていたと思いますし、そういうものとYMOとかがごっちゃになっている。

―当時のいろんなサブカルチャーにつながっている。

砂原:そうですね。そのことはすごく大きいと思いますよ。音楽だけじゃなくて、そこに映像やファッションがくっついてきたりしている。昔は音楽産業が強かったから他のカルチャーを引きつける力があったと思うんですけど、そういうのをひっくるめて、いろんな文化がごっちゃになっていると思いますね。

左から:山口一郎、砂原良徳

―今、サカナクションはファッションや映像といった他の分野のクリエイターと結びついて面白い動きを起こそうとしていますよね。それはどういうところを意識しているんでしょうか。

山口:きっかけは、ライブハウスで音楽を楽しむ人たちと、クラブで音楽を楽しむ人たちの遊び方が、全然違うと思ったことですね。

―その両方の遊び方をできる場がなかなかない。

山口:そうなんです。僕はロックフォーマットの中で、クラブミュージックとロックの両方を分け隔てなく楽しめる空間を作りたいと思っていて。最近になって音楽以外の仕事をしている人と知り合うことが多くなったんですけれど、話をするとみんな音楽が大好きなんですよね。クラブに遊びに行ってた人や、ロックを聴いてた人が、今は違う仕事をしている。それがわかったときに、若い子が最初に触れる遊びとしての音楽に、もっといろんなカルチャーにつながる多様性があってもいいんじゃないかと思ったんです。そう考えてやっていますね。

電気グルーヴから受け継いでいるものもあるし、今の時代の電気グルーヴになりたいという気持ちもある。(山口)

―映画にも出てきますが、電気グルーヴは97年に初開催された『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演していますよね。あそこでフェスという場所が生まれたことは、日本のロックシーン、音楽シーン全体にとってのターニングポイントだったと思うんです。そのあたりはどんな記憶がありますか。

砂原:最初の『フジロック』は今と場所も違いますよね。あと台風が直撃して、すごかったですよ。具合が悪くなる人もたくさんいたり。

山口:あのときはまだみんなフェスという場での遊び方を知らなかったのかな。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

―僕は当時大学生で、ずぶ濡れになって近隣の人に車で駅まで送ってもらった記憶があります。

砂原:『フジロック』がフェスの遊び方を作ったっていうことなんでしょうね。

山口:サカナクションで、今、ホールツアーをやっているんです。そうすると、みんなロックのライブしか観たことがないんですよ。だから歌がない音楽だと、どうノッていいか最初はわからない。だけど大きい音で自分たちが誘導しながら聴いてもらえるようにすると、みんな踊り出すんですよね。しかも初めてのダンスなので、本能なんですよ。四国でやると阿波踊りになったりしてそれがすごく面白い。音楽の原点ってこういうことなんだなと思います。

砂原:ライブでインストもやるんだね。

山口:やります。あと、年配の方が今まで見たこともないような踊り方をしたりするんです。全身をのけぞらせたり。そういうのを見ると感動しますよね。

―エレクトロミュージックの本能的な快感は確実にあるけれど、多くの人は入口がないとなかなかそこまで辿り着かない。山口さんはリスナーが初めてエレクトロミュージックと出会う光景を見てきているわけですね。

山口:それこそ電気グルーヴってそういう景色の連続だったんじゃないかなと思うんですけど。

砂原:今の話を聞いて、四国でやったときのライブを思い出しちゃった。エプロンをしているようなオバさんがいて、「うわー、すげえところ来ちゃったなぁ」ってその状況を面白がってたら、瀧が客席の一番後ろで女の子を小脇に抱えていて……。本当にめちゃくちゃでした。俺、ステージで弁当食ってたりしたから(笑)。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

山口:僕らは、ライブの後にグリーティングイベントといって、ファンの人たちと交流する機会を設けてるんですよ。

砂原:えーっ、ライブが終わったあとにやるの? 真面目ですねぇ……。俺なんか、終わったあとはすぐに帰りたいのに(笑)。

―(笑)。

山口:そうすると、年配の方で、電気グルーヴがすごく好きだった方がたくさんいるんですよ。「電気グルーヴ以来、やっと聴く音楽を見つけました」とか「頑張ってください。なかなか難しいと思いますけどダンスミュージックを広げてください」みたいなことを言ってくれてる人が何人もいて。

―世代を超えてつながっているんですね。

山口:リスナーに電気グルーヴと僕らを比較してもらえるのも光栄だし、今の時代の電気グルーヴになりたいという気持ちも自分たちにはあるから。担っているものも、勝手に背負いこんでる部分もあると思いますね。

山口一郎

―電気グルーヴから受け継いでいるものはあるし、時代の中でバトンを渡されているみたいな感覚も持っている。

山口:電気グルーヴを引き継ごうとしてサカナクションを始めたわけじゃないですけど、シーンの中の立ち位置として、共通する要素があるとは思っています。もちろん時代も環境も違うんですけど、映画を見て、今自分がやっていることとリンクしていると改めて感じましたね。

石野くんも瀧も普通じゃないですよね。でも、三人の中では瀧が一番常識人。非常識なのが石野くんと僕。(砂原)

―電気グルーヴはデビューから25年以上活動を続けてきたわけですが、稀有な存在であり続けていますよね。砂原さんから見た石野卓球さんとピエール瀧さんの特殊性ってどういうところにあると思いますか?

砂原:まあ、二人とも普通じゃないですよね。でも、瀧はけっこう常識人なんですよ。三人の時代も一番常識人で、非常識なのが石野くんと僕。ただ、石野くんはリーダーだし、ものごとに対する責任感は強いような気がするな。それ以外は全部特殊ですけど。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

山口:僕の印象は、自分がメディアで知っていた電気グルーヴのまんまだなっていう感じでしたね。「仲良いな(笑)」みたいな。普通、初対面のときって自己紹介から始まるじゃないですか。そうじゃなくて、いきなり二人の会話の中に巻き込まれるんですよ。卓球さんが瀧さんをなじっていて、その感想を僕に求められるみたいな(笑)。誰に対してもフラットな人たちというか、先輩も後輩もなくて、中学生男子みたいだなって。だから信頼できるというのはあると思います。

―山口さんと卓球さんは話していてどんな感じになるんですか?

山口:卓球さんは、僕に対する接し方もすごくいじわるなんですよ(笑)。前に田中フミヤさんと卓球さんがいるところに僕が一緒になって。僕は田中フミヤさんとは初対面だったんですけど、昔からすごく好きだったんですよ。そしたら卓球さんが「サカナクションの山口はずーっとフミヤの悪口言っててさ!」みたいに言うんです。「そんなこと言ってないです」と言ったんですけどちょっと気まずい空気になって、卓球さんはその雰囲気を見て笑ってるという。いじわるだなって。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

―本当に中学の部室の先輩みたいな感じですね(笑)。

山口:遊び方を知ってるんですよね。大きい空間の遊び方も知ってるし、人と人とのコミュニケーションの遊び方も知ってる。意外とすごく周りを見ていらっしゃるなとも思うし。

砂原:それはある。空気を感じているんだよね。

海外でトライするためには、日本のシーンを成熟させることが重要なんじゃないかと思っているんです。(山口)

―山口さんから砂原さんに、電気グルーヴのときの体験で何か聞いてみたいことはありますか?

山口:日本である程度地位を固めたタイミングで、海外に行って活動したことについて聞きたいですね。それってすごいことだと思うんですよ。自分たちの音楽をそのまま持っていくのはすごく勇気がいることだし、僕らはまだチャレンジしてないことなので。

砂原:1990年代後半って、日本人がわりと海外に出ていたんですよね。ピチカート・ファイヴとかコーネリアスとか。彼らの作品は海外のレコードショップにも置いてありました。電気グルーヴも、石野くんはソロでドイツのレーベルと契約していたし、僕も当時そのレーベルと個人で契約してた。だから基盤はすでにあったんですよ。

『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』 ©2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

―当時の時代性というのもあった。

砂原:あの頃は、やっと日本の音楽が海外に認知された頃だったと思うんですよね。今考えると日本ブームだったのかもしれないけど、僕らとしては自然な成り行きだったんです。もうここはやるしかないよね、みたいな。

山口:僕が思うのは、日本のミュージシャンが海外に向けて作るときに、海外に合わせて作るとまた違うものになると思うんですよ。たとえばK-POPの人たちって、自国よりも海外にウケることを目的にして曲を作ったりするわけじゃないですか。そこで生まれているものって、自分たちの国の文化が培ってきた歴史がさほど重要視されていないような気がするんですよね。

左から:砂原良徳、山口一郎

―そういう形でグローバルに進出するミュージシャンは多いですね。

山口:でも僕らには素晴らしい先輩方がいて、日本の音楽シーンで培われたルールがある。そのパッケージのまま海外にトライするためにも、一層日本のシーンを成熟させることが重要なんじゃないかと思っているんです。

砂原:今、きゃりーぱみゅぱみゅみたいに、日本ならではの特殊性を持ったものが海外に受け入れられているケースはありますよね。ただ、普通の日本のポップスを海外に持っていくのは難しいかなと感じます。日本独特のルールがある気もするし。当時の僕らはそもそも聴いてきた音楽が圧倒的に海外のものが多かったので、それをそのまま自然に海外でもやった感じなんですよね。

山口:今の若い子たちは洋楽を全く聴かない人たちも多いですからね。

砂原:僕らが中学生の頃は海外の音楽ばっかり聴いていたから、海外でやるのは普通なことだった。タワーレコードとかで売ってるCDも、輸入盤がほとんどで国内盤はほとんどなかったし。YMOも当たり前に海外でやったりしていたから、その頃と今とは全然違う感じがしますね。

山口:僕は、これからの時代にダンスミュージックやテクノやエレクトロニカがメインカルチャーになることはないと思うんです。だけども、メインカルチャーの中での良い違和感として作用していくと思うし、そうあるべきだと考えていて。

―山口さんは「未来の音楽に嫉妬したい」とよく言っていますよね。やっぱりまだまだ音楽は進歩していくはずだし、若い世代が作り出すそれを楽しみにしたいという気持ちがある?

山口:変なやつが出てきたらいいですよね。自分たちが想像してなかったような、海外から見ても面白いものを作るような若い人が出てきてほしいし、それが日本でも爆発する瞬間が生まれたらいい。その根っこのところにダンスミュージックやテクノやエレクトロニカがあればいいし、自分らがその礎になりたいなと思います。

作品情報
『DENKI GROOVE THE MOVIE? ―石野卓球とピエール瀧―』

2015年12月26日(土)から全国で2週間限定公開
監督:大根仁
出演:
電気グルーヴ
天久聖一
Andi Absolon
ANI(スチャダラパー)
Bose(スチャダラパー)
CMJK
DJ TASAKA
日高正博(株式会社スマッシュ代表取締役)
ケラリーノ・サンドロヴィッチ
道下善之(株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ)
中山道彦(株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ代表取締役)
小山田圭吾
SHINCO(スチャダラパー)
砂原良徳
山口一郎(サカナクション)
山根克巳(LIQUIDROOM)
山崎洋一郎(『ROCKIN'ON JAPAN』総編集長)
WESTBAM
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン

プロフィール
砂原良徳 (すなはら よしのり)

1969年9月13日生まれ。北海道出身。電気グルーヴに91年に加入し、99年に脱退。電気グルーヴの活動と平行して行っていたソロ活動では、95年にアルバム『Crossover』、98年にはアルバム『TAKE OFF AND LANDING』、『THE SOUND OF ‘70s』を2作連続リリース。01年に電気グルーヴ脱退後初となるアルバム『LOVEBEAT』をリリース。02年には幕張メッセで行われたフェスティバル“ELECTRAGRIDE”でキャリア初となるソロライブを披露。その他にもACOのシングル「悦びに咲く花」、映画「ピンポン」の主題歌となったスーパーカーのシングル「YUMEGIWA LAST BOY」などのプロデュースや数多くのCM音楽などを手掛ける。09年には映画「ノーボーイズ、ノークライ」(主演:妻夫木聡/ハ・ジョンウ)のサウンドトラック『No Boys, No Cry Original Sound Track』をリリース。2010年には元スーパーカーのいしわたり淳治とのユニット<いしわたり淳治&砂原良徳>を結成し、相対性理論のやくしまるえつこをボーカリストに迎えてシングル「神様のいうとおり」をリリース。2011年4月には10年振りのオリジナルアルバム『liminal』をリリース。2015年には高橋幸宏、TOWA TEI、小山田圭吾、ゴンドウトモヒコ、LEO今井とともにMETAFIVEを結成し、2016年1月にアルバム『META』をリリースした。

山口一郎 (やまぐち いちろう)

1980年生まれ。北海道出身。サカナクションのボーカリスト兼ギタリスト。2005年に活動を開始し、2007年にメジャーデビュー。日本語を巧みに扱う歌詞とフォーキーなメロディーを土台にロックバンドフォーマットからクラブミュージックアプローチまで様々な表現方法を持つ5人組のバンドとして活動を行う。2015年、クリエイター・アーティストと共に音楽に関わる音楽以外の新しい形を提案するプロジェクト「NF」を恵比寿LIQUIDROOMで定期開催。10月には11thシングル『新宝島』がリリースされた。リリースとほぼ同時に全国ツアー『SAKANAQUARIUM2015-2016 "NF Records launch tour"』がスタート。2016年3月まで各地をまわる。



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