坂本美雨×CANTUSによる、人を笑顔にする「子守唄」のススメ

「正しい呼吸を身につけていくと、ただ呼吸をしたり、そこに声が乗るだけで、みんな何かを生んで生きているんだなって深い満足感が得られて、人として助けられたんです」。これは音楽評論家・小沼純一との対談における坂本美雨の発言で、彼女にとって歌うことがどれだけ重要かをよく表していると思う。

その後、昨年7月に女児を出産した坂本が、女性聖歌隊CANTUSとコラボレーションした新作『Sing with me』は、「子どもと一緒に歌える歌」をテーマにした作品。遊ぶときの歌や子守唄など、より日常に近い場所にある歌たちだと言えるが、その一方では新しい歌い方や音域を駆使した、チャレンジングな一枚である。そして何より、音楽の産業としての寿命が叫ばれる中で、むしろ私たちの生活における音楽の重要度は上がっていることを感じさせるという意味で、本作はとても稀有な作品だ。共に歌い手であり、母親でもある坂本とCANTUSリーダーの太田美帆の対談は、坂本の腕に抱かれた赤ちゃんと、たまたま現場に居合わせた子猫の声が混ざり合う、穏やかな雰囲気の中で行われた。

よく歌手が「歌なしでは生きていけない」と言うけど、現実的な意味で、初めてそうなった気がします。(坂本)

―美雨さんは、以前小沼純一さんと対談していただいたときに、「昔から合唱隊のCDをよく聴いていた」とおっしゃっていました。今回のCANTUSとのコラボレーションはずっとやりたかったことだったと言えるのでは?

坂本:そうですね。私は入れなかったんですけど、親はずっとひばり児童合唱隊(1943年設立の児童合唱隊。アーティストのコンサートへの出演などもしている)に入れたかったみたいで、合唱隊のCDは子どもの頃から聴いていて。

坂本美雨
坂本美雨

―太田さんは小さい頃から合唱隊にいらっしゃって、CANTUSはその延長線上にあるわけですよね。

太田:そうです。うちのメンバーは全員、東京少年少女合唱隊(1951年設立。グレゴリオ聖歌から現代音楽までレパートリーを持ち、国内外のオーケストラとも数多く共演)の出身ですね。

坂本:合唱隊界の超エリートですよ。

太田:うちの合唱隊はすごく体育会系だったんです。メンバーの中では私が一番年上なんですけど、合唱隊を卒業してからも歌をやりたいと思っていたら、「先輩、まとめてください!」という感じになって今のメンバーを招集したので、主従関係がわりとはっきりしていて(笑)。

左から:坂本美雨、太田美帆
右:太田美帆

坂本:リハの感じもかなり体育会系だよね。「はい、やるよ!」みたいな(笑)。

―聖歌隊ってもっとおしとやかなイメージだったので、ちょっと意外です(笑)。

太田:厳密に言うと、聖歌隊というのは教会付きの歌う人たちのことなので、本来は信者じゃないといけないんです。一方で、私たちは東京少年少女合唱隊でやっていたカトリックの宗派にまつわる教会音楽を歌い続けているだけなので、信者じゃない子もいて。でも周りからは聖歌隊だと言われるし、声のイメージが湧きやすいということもあって、自分たちでも「聖歌隊」と言っています。

―聖歌隊でありながら、ポップスから日本の伝統音楽まで、幅広い人とコラボレーションをされているのがユニークですよね。美雨さんから見たCANTUSの魅力とは?

坂本:いろんな人とコラボレーションできる聖歌隊という存在自体が珍しいですよね。あと、みなさん子どもがいたり、家庭がありながら、家族と協力して活動していて、歌への気持ちの強さをすごく感じます。今の私にとって「娘に対する歌」というのが一番リアルな歌だから、今回の作品のテーマを「子どもと一緒に歌える歌」にしたんです。美帆ちゃんも2人の子どもがいるので、それを感覚的に共有できるんじゃないかと思ったのも大きくて。

―お子さんが生まれて、美雨さんにとって歌うことの意味はどう変わりましたか?

坂本:今まで歌ってきたのは自己表現の歌だったけど、一番近くにいる人をとにかく笑わせたいという歌になりました。あと、自分の気持ちを変えてくれるものにもなっていて、例えば子どもと2人きりでいて煮詰まったときに、ちょっと声を出すだけで、お互いの気分が良くなったりする。歌がより日常的なものというか、生活に必要不可欠なものになりましたね。よく歌手の人が「歌なしでは生きていけない」と言いますけど、現実的な意味で、初めてそうなった気がしていて。

私の新しい歌い方、新しい声を美帆ちゃんが見つけてくれた気がしているんです。(坂本)

―太田さんにとっても、歌は日常的なものだと言えますか?

太田:CANTUSには、普段から家で好きな音楽を聴いているメンバーって、たぶん一人もいないです。子どもの頃から音楽が生理現象と同じくらい日常で、「習い事と思うな。あなたたちはプロだ」ってずっと叩きこまれてきたので、音楽は聴くものじゃなく、自分が発するものだって感覚が体に染みついているんですよね。あまり音楽を聴かないことが自分たちの弱点かなとも思うんですけど……。

坂本:でも、歌のことはホントによく知っていますよ。世界の宗教音楽なんて普通の人は知らないじゃない?

太田:そのソースは、すっごく古い楽譜なんです。紙袋に入っているたくさんの楽譜が私たちの財産で、そのレパートリーだけでここまで生きてきたから、なかなか広げられていないんだけど……。でもその楽譜が相当奥深くて面白いんですよね。

坂本:いろいろな歌を知ってるから話が早いというか、美帆ちゃんがコーラスの譜面を書いて、ほぼその場で合わせられるからすごいよね。

太田:でもね、メンバーの半分くらいは楽譜読めないよ。

坂本:ウソ! みんなバッチリ一発で合わせるじゃん?

太田:みんな耳で覚えてるから。お恥ずかしながら、「ヘ音記号わかんないんで、片仮名ふっていいですか?」みたいな(笑)。

太田美帆

―それでもできちゃうのがすごいですね(笑)。それだけ、歌い手として一流だってことだと思うんですけど。

坂本:それに今回、私の新しい歌い方というか、新しい声を美帆ちゃんが見つけてくれた気がしているんです。今まで、無意識な歌い方の癖があったと思うんですけど、「それを取っ払った美雨さんの声の方が好きだ」って導いてくれて。

―それはどういう声ですか?

坂本:例えば、子守唄を歌い上げる人っていないじゃないですか? お母さんたちはみんな無意識に、できるだけ声を抑えて、高い音でも声が大きくならないようにしていると思うんですけど、そういうふうに歌った声がきれいだって言ってくれたんです。

左から:坂本美雨、太田美帆

太田:子守唄って、ソプラノ歌手の人が朗々ときれいに歌い上げても、子どもには届かないと思うんです(笑)。子どもを寝かしつけるには、低音域から中音域で囁くように、しゃべる延長線で歌っているはずだから、美雨さんがそういう表現をしてくれたら、もっと日常の歌に近づくと思ったし、他のお母さんにも響くものになるだろうと。

坂本:でも、声って張らないとコントロールしづらくて。

太田:地声と裏声の境目があって、そこにメロディーが乗っていると、どちらの声帯を使ったらいいのか曖昧になるんです。だから、私たちが「最高!」って思った声も、美雨さんからすると「これで大丈夫?」っていう感じだったかもしれないですね。

坂本:私はデビューの頃から高音域の曲が多かったので、中音域がずっと苦手だったんです。「坂本美雨って言ったらこういう感じだよね」っていうふうに、得意な音域で満足していた部分があるんですけど、今回はすごく不安定な中音域で囁くように歌うという、自分にとって難しいことにチャレンジしました。だからいわゆる「上手い歌」ではないと思うんですけど、「今回のコンセプトはそういうことじゃないよね」って。

太田:ただ、やっぱり美雨さんがボイストレーニングで体の基礎を作っているからこそ、難しいことをお願いしても応えてくれると思ったんです。基礎がない人だったら、結果は全然良くなかったと思います。

坂本:それに、みんなのコーラスの支えがあったからこそ可能だったとも思います。

―CANTUSとしてはどんな役割を担おうとしたのでしょうか?

太田:私たちは背景でいるのが好きなんです。控えめに言っているわけじゃなく、個性を消して、歌ってくれる人と光合成するみたいな作業がすごく好きなんですよね。もちろん、背景がしっかりしていないと、歌う人も楽しくないから、私たちも常に勉強しないとダメ。今回も美雨さんに120%の力を出してもらうために、めっちゃ影練やってます。

―やっぱり体育会系のノリなんですね(笑)。

美雨さんはいろんなことができる人だし、猫にも詳しいけど(笑)、私にとっては「声の人」なんです。(太田)

―太田さんもお子さんが2人いらっしゃるそうなので、子守唄を歌ったりする場面があるんじゃないですか?

太田:私、子守唄のレパートリーがすごくたくさんあるので、どれにしようか迷っちゃうんですよ。しかも、歌い始めると本気になって「音、外したくない」って思っちゃうんで、子守唄は即興にしてました(笑)。

―合唱隊出身ならではのエピソードですね(笑)。

太田:でも、普段私が家で歌うと「ママやめて」って怒られるんです。子どもは「ママが歌うときは出かけるとき」って思っているのかもしれないですね。

坂本:美帆ちゃんは集中力がすごいから、「ママが歌に取られちゃう」って感じなのかも。

太田:そうなんですよ。好きなことにはまっしぐらになっちゃう。美雨さんの制作中には美雨さんのことしか考えられなくて、夫からは「離婚しよう」って言われたもん(笑)。

坂本:ちょっと! やめてよ! 私のせいで家庭が崩壊したら……。

太田:和解したから大丈夫(笑)。

左から:坂本美雨、太田美帆

―よかったです(笑)。でも、それくらい制作に没頭していたんですね。

太田:私は、そもそも自分でコーラスワークをアレンジできると思っていなかったんです。美雨さんと初めて共演したのは、NHK-FMのディズニー特番だったんですけど、初めは中島(ノブユキ / 作曲家・ピアニスト)さんにアレンジしてもらう予定だったのが、スケジュールが合わなくて。そうしたら美雨さんのマネージャーさんが「美帆ちゃん、やっちゃおうか」って。

坂本:そうだったの? うちのマネージャー裏番長すぎる(笑)。

太田:なので、最初は「できないできない」って泣きながら作ってたんです。でも、あるときに阿部海太郎さんに会って、「こんな感じでやっているんだけど」って聴かせたら、「大丈夫、美帆さんのアレンジは民芸になってる」って言われたんです。プロが作ったものじゃなくて、民間の人が愛を紡いでいる状態だから、これで大丈夫だって。

坂本:すごい、いい言葉だね。

―そのディズニー特番のときに作った“When You Wish Upon A Star~星に願いを~”が今回のミニアルバムにも収録されていますね。

坂本:「ドレミファソラシド」の音階って、楽器で一斉に鳴らすと絶対に気持ち悪いのに、人間の声でハーモニーを作ると不思議ときれいに響くんですよね。とはいえ、不協和音の美しさを表現できる人ってそんなに多くないと思うんです。その点、宗教音楽は不協和音を使うことが多いからか、美帆ちゃんはディズニー特番のときも、不協和音の良さを自然に取り入れたアレンジをしてくれてすごく理想的だなって。

太田:美雨さんは表現力もすごいけど、そもそも、声そのものがめちゃくちゃ多色なんですよ。いわゆるシンガーソングライターさんって、歌い方のニュアンスで自分を表現することが多いと思うんですけど、美雨さんに関しては、その声自体の七色加減をいかに多くの人に知ってもらうかが私のテーマでした。美雨さんはいろんなことができる人だし、猫にも詳しいけど(笑)、私にとっては「声の人」なんです。

坂本:父親(坂本龍一)は、私の作品に対して「いいけど、まだ声が力んでるね」って感想が多かったんです。きっと、父の中に「理想の私の声」があって、それと私の歌い方が違うんだろうなと思っていたんですけど……。今作を作ってみて、もしかしたら、今回美帆ちゃんが引き出してくれた歌い方が、父の好きな響きに近いのかもしれないと思ったんです。父は、もっと普段のしゃべり声に近い、力まない声で表現できるのでは? ってことをずっと言っていたんじゃないかなって。

心が痛む事件も多いけど、日常に歌があったら、何か違ったんじゃないかって思ったりもするんです。(坂本)

―ミニアルバムに先駆けて、“pie jesu”が先行配信されていますね。

坂本:3月11日に鎮魂歌を配信することになって、美帆ちゃんに「何がいいかな?」って相談したら、“pie jesu”を教えてくれたんです。ただ鎮魂歌として歌うんじゃなく、子守唄としても歌いたいと思ったら、この優しい曲がぴったりで。

―アレンジにはharuka nakamuraさんも参加されていますが、太田さんとは以前から友人だったそうですね。

太田:美雨さんが青山CAY(東京・青山に位置するステージのあるレストランバー)で定期的にライブをしていたときに、harukaと二人で観に行ったことがあって。「いつか坂本美雨と一緒にやれたらいいね。あなたの作っているものと絶対合うよ」って言ったら、「姉さん、頑張ります」みたいな感じだったので(笑)、今回作品に参加できて彼はホントに嬉しかったと思います。

―“星めぐりの歌”は宮沢賢治が作詞作曲した曲で、haruka nakamuraさんに勧められたそうですね。

太田:harukaにとってすごく大事な曲みたいで。やり出したらまっしぐらになっちゃう人なので、この曲はミックスまで彼がほぼ完成させました。あと、この曲だけharukaの横に美雨さんに立ってもらって、寄り添うように歌ってもらったんです。他の曲は、まず美雨さんが録って、コーラスを重ねていったのですが、この曲だけはみんな一緒に録りました。

坂本:この曲ができて、CANTUSとだったら世界中の素晴らしい曲を何でも歌いこなせるんじゃないかと思いました。「私たちのサウンド」というものが何となく見えてきたので、アルバムをもう一枚作りたいねっていう話をしています。

―ぜひ、この組み合わせでもっといろんなタイプの曲を聴いてみたいです。では最後に、今作のテーマは「子ども」というお話でしたが、そこをもう少し広げて、今の時代における歌の役割というのをどのようにお考えか、話していただけますか?

太田:音楽って、もはやお金の儲かる世界ではないじゃないですか? けれども、声を出す作業って、どんな人にも解放感を与えると思うんです。地震があったときは、「音楽なんてやっている場合じゃない」って風潮もあったけど、でも不安が立ちこめている場所で、「みんなが知っている歌を一緒に歌いませんか?」ってなったら、ある程度緊張がほぐれるはずなんです。今回美雨さんと作らせていただいたアルバムで、誰かの心が少しでもほぐれたらいいなって思います。

坂本:歌を歌うことって、ホントに誰でもできることだし、お母さんは昔からずっと子どもに歌を歌ってきたわけですよね。子どもの虐待だったり、すごく心が痛む事件も多いですけど、日常に歌があったら、何か違ったんじゃないかって思ったりもするんです。歌は人の気持ちを変えてくれるし、解放してくれるので、みんなもっと体を使ってほしいですね。このアルバムはただ聴くだけじゃなくて、一緒に歌ってほしいって意味で、『Sing with me』というタイトルにしました。私たちが特別で「歌ってあげる」のではなくて、「一緒に歌いましょう」という気持ちです。

左から:坂本美雨、太田美帆

リリース情報
坂本美雨 with CANTUS
『Sing with me』(CD)

2016年6月22日(水)発売
価格:1,296円(税込)
YCCW-10277

1. 星めぐりの歌
2. ノスタルジア
3. When You Wish Upon A Star ~星に願いを~
4. pie jesu

イベント情報
坂本美雨 with CANTUS『Sing with me』リリース記念イベント

2016年7月3日(日)12:00~
会場:東京都 タワーレコード新宿店

プロフィール
坂本美雨
坂本美雨 (さかもと みう)

1980年生まれ。1990年に音楽家である両親と共に渡米。ニューヨークで育つ。1997年「Ryuichi Sakamoto feat. Sister M」名義でデビュー。以降、本名で音楽活動を開始。2013年初のベストアルバム『miusic - best of 1997~2012』を発表。音楽活動の傍ら、演劇出演、ナレーション、執筆も行う。2015年7月に第一子となる女児を出産。動物愛護活動をライフワークとし、大の愛猫家である。

CANTUS (かんとぅす)

幼なじみで結成された9人の女子聖歌隊。東京出身。グレゴリオ聖歌やルネサンス音楽をメインレパートリーとしている。CMや映画音楽を数多く担当。坂本美雨のほか、フィッシュマンズや中島ノブユキ等のコーラスも行なう。「CANTUS」とはラテン語で「歌」という意味。



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