田渕ひさ子×原田郁子対談 二人と音楽の関係は今、どうですか?

現在はtoddleでボーカル&ギターを務める田渕ひさ子と、クラムボンの原田郁子が、同じ女子高に通っていた同級生であったということは、知る人ぞ知る事実。しかし、この話にはあまり語られていない背景がある。実はこの二人、高校時代の交流はほとんどなく、むしろ東京に出てきてから互いの素生を語るうちに、その偶然の再会に驚き、意気投合したのだという。

そんな近そうでいて、お互い知らない時間のほうが多いと明かす二人を招いた対談は、親密さと緊張感の入り混じる不思議な時間だった。それぞれ人生経験を積んだ二人は、20年以上の時を経て教室の隅で語り合う少女のようでもありながらも、相手への配慮を欠かさない大人の距離感を保っていた。

同じ1975年生まれの女性として、彼女たちは、どんな感性と意志のもと、音楽活動を続けてきたのだろうか。実に軽やかな一枚となったtoddleの約5年ぶりのアルバム『Vacantly』を聴きながら、二人には高校時代や、まだ田渕がNUMBER GIRLに在籍していた当時も振り返ってもらった。原田との対話を通して、素朴ながらも実直ではっきりと物を言う田渕の人柄が垣間見えた。

NUMBER GIRLのライブの打ち上げに遊びに行って、そこでひさ子ちゃんと初めてしゃべったんです。そしたら、「え!? 同じ高校やん!」って(笑)。(原田)

―お二人は、福岡の同じ高校の出身というか、いわゆる同級生にあたるんですよね?

田渕:はい、一応(笑)。でも、高校時代は、しゃべったこともなくて。私が1組で被服科、郁子ちゃんが8組で普通科だったんです。クラス替えもなかったから、単純に物理的な距離が離れていたんですよね。ただ、郁子ちゃんと仲のいい子が私のクラスにいて、授業が終わると郁子ちゃんが、その子と一緒に帰るために来ていたことはなんとなく覚えていて。

―どんな学校だったんでしょう?

田渕:わりと自由な校風でしたね。中庭を野良犬が駆けまわっているような(笑)。

左から:田渕ひさ子、原田郁子
左から:田渕ひさ子、原田郁子

原田:おったねぇ。全体的には、「勉強せん!」っていう女子たちが選りすぐりで集まってきた学校で。その当時、公立の女子高では一番偏差値が低くて、風紀もゆるかったです。

田渕:その中でもうちのクラスはわりとキャラが濃いめで、ヤンキー系の人たちがたくさんいらっしゃって。年々、人数が減っていくっていうようなクラスでしたね。

―音楽的なところではどうでしょう? 軽音楽部で一緒だったとか、そういう感じではないんですか?

田渕:いや、うちの学校の軽音楽部は、ほとんど機能してなかったんですよね。当時からバンドは一応やっていたんですけど、主に学校の外で組んでいて。だから、バンドをやっていることが、特に学校で目立っていたわけでもなく。

原田:そう、私も入学当初、軽音楽部の部室を覗いたことがあって。でも、ベコベコになったドラムが打ち捨てられているだけで、誰も何もやってない感じだったんですよね。それで、「あ、この学校でバンドは無理かな」って思って。

田渕:私も文化祭で演奏してた人たちを見て、「うーん、ここでバンドは、ないな」って思った(笑)。軽音楽部がちゃんと活動していたら、そこで会ってたのかもしれないのにね。

田渕ひさ子

原田:今やったら、インターネットを使ってすぐ会えたかもしれんけどね。その頃の自分は、「どうしたらここを出られるか」とか「どうしたら面白い人に会えるんだろう」とか、外にばっかり目が向いていて。だから、3年間同じ学校に通っていたのに、私は「田渕ひさ子」という逸材に出会うことができませんでした(笑)。

田渕:みんな学校に何も求めていなかったんだよね。学校で何かをやろうって気合いの入った子もいなくて。まあ、その分、いじめとかもなかったし、他の人のことを気にせず、マイペースにやれたっていうのはあったかもしれないけど。

原田:だから、出会ったのは東京に来てからなんですよね。デビューしてたかどうかくらいの頃、NUMBER GIRLが下北沢でライブをやって、その打ち上げにクラムボンのみんなで遊びに行ったことがあって。そこでひさ子ちゃんとは初めてしゃべりました。

田渕:そうそう、そのときミトくんとかもいたんですけど、郁子ちゃんと福岡出身で同い年みたいな話をしていたら、どんどん距離が近づいていって。

田渕ひさ子

原田:「え!? 同じ高校やん!」っていう(笑)。だから、ちゃんと知り合ったのは、その頃からなんですよね。その後、2002年に『Re-clammbon』っていうアルバムで、1曲ギターを弾いてもらったりしたよね。即興で弾いてもらったんだけど、ものすごい空間が現れて。さすがだなぁ、と。

田渕:「もののけギター」って言われました(笑)。で、そのツアーに参加したりとか。それから、ミトくんに何度かギターで呼ばれたりっていう感じの関係ですね。

バンドとバンドを比べるのって難しいですけど、NUMBER GIRLって九州男児だし、そういう年頃だったのかわからないけど、みんな優しくなかったんですよね(笑)。(田渕)

―お二人はデビューの年が同じなんですよね?

田渕:そうです、1999年。クラムボンはみんな同い年なので、自分としては、ほんとに同期。当時からミトくんはよくライブを観にきてくれてましたね。で、その頃から「ミトくんとバンドをやるのって、大変そうだな」って思ってて(笑)。

左から:田渕ひさ子、原田郁子

原田:げげ……(笑)。その言葉、ひさ子ちゃんにも、そっくりお返ししたいんですけど。NUMBER GIRL、bloodthirsty butchers、toddle、LAMAって、並べてみたら、すごいバンド遍歴。

田渕:ふふふ。

原田:NUMBER GIRLは、とにかく誰にも媚びず、「我が道をゆく」って感じでかっこよかったんですよ。実際はどうだったかわからないですけど、「やりたいようにやってんなー」って思ってた。同じ九州出身としても、見ていて痛快でしたね。

それで、ひさ子ちゃんは、普段こんな感じでほわーっとしてるけど、ステージでギター弾いてると別人なんですよね。全員まともじゃない。刺すか刺されるかみたいな、キレッキレの中で黙々と弾いてるじゃないですか。この人なんなんだろうって(笑)。

―確かにそういう印象はありますね。

原田:私一番好きなのは、ひさ子ちゃんが、静かに盛り上がってくると、ギターのネックが縦になってくるんですよね。ぎゅうぎゅうのライブハウスだと、基本的にまったく見えなくて、向井くんがたまーにチラッと見えるぐらいなんですけど、お客さんたちの頭上に、ひさ子ちゃんのギターが、にょにょにょーって立ってくる。そうなると、こっちも「おおー!」って熱くなるんです。

田渕:懐かしい。そう考えると、ミトくんと向井くんって日本でも有数の大変なリーダーだよね(笑)。

原田:どうだろう?(笑) ときどき、「ミトくんと郁子ちゃんって、全然違うよね。よく一緒にバンドやってるね」って言われるんですよ。でも、そもそも、自分と似た人同士でバンドをやりたいっていうふうにも思わないですよね。だから、「大変」っていうより、「面白くない?」って。

田渕:なるほどね。何度か、ミトくんプロデュースのレコーディングに呼んでもらって、ギターを弾かせてもらったことがあるんですけど、超楽しかったんですよね。「そういう感じ、そういう感じ」ってぐんぐんいける。「音楽やってるなぁ」ってうれしかったですね。

田渕ひさ子

田渕:バンドとバンドを比べるのって難しいですけど、NUMBER GIRLって、また全然違う感じだったんですよね。九州男児だし、そういう年頃だったのかわからないけど、当時はみんなあんま優しくなかったんで(笑)。

原田:特にデビューしたての頃って自分のことでいっぱいで、余裕もないから。優しく、とかできないよね。

田渕:うん。みんなギリギリのキワキワでやってましたね。

あのギターを弾く人が「こんな可愛い声で歌うの?」ってびっくりしました(笑)。(原田)

―NUMBER GIRLが解散したのが2002年で、その次の年にはtoddleはもう活動をしているんですよね。

田渕:そう。toddleは、ブッチャーズと同時進行で始めたんです。自分主導で、バンドを組んでみようと思って。私はリーダーシップをとるタイプではまるでないんですけど、でも、メンバーを集めて、曲を作って、細かいアレンジまでやってみようと。そしたら「もう、何これ、楽しい!」って。

―原田さんは当時どのように見ていましたか?

原田:NUBMER GIRLの解散後に、ひさ子ちゃんがブッチャーズに加入したということは聞いていて、ライブを見せてもらったりしたんです。でも私が、toddleの存在を知ったのはもう少し後で。初めて聴いたとき、声が可愛いと思って「えええ!?」ってびっくりしました。あのギターを弾く人が「こんな声で歌うの?」って(笑)。

―NUBMER GIRLの緊張感の中でギターを弾いていた人とは思えない歌声ですもんね。田渕さんはNUMBER GIRLをやっていた当時から、いつか自分のバンドを作りたいと思っていたんですか?

田渕:NUMBER GIRLのときに、日本に住んでいる外国人向けの新聞みたいな媒体から取材を受けたことがあって。「女性ギタリストとして、どんな苦労がありますか?」って訊かれたんですけど、そのときに「バンドで弾いているだけでは、アメリカではギタリストとして認められない。自分の作品を作って初めてギタリストとして認められる」っていうようなことを言われて。言い方はそこまで直接的じゃなかったんですけど(笑)。

―リーダーアルバムを作ってこそ、真のギタリストであると。

田渕:まあ、だからといってtoddleを始めたわけじゃないですけど、なんとなく「ああ、なるほどね」とは思ったんですよね。改めて思うと、そのときが初めて「自分のバンド」っていうものを考えるきっかけでしたね。

―そうやって活動をスタートさせてから10年以上経った今年、toddleは4枚目のアルバム『Vacantly』をリリースしました。原田さんは今作をどんなふうに聴きましたか?

toddle『Vacantly』ジャケット
toddle『Vacantly』ジャケット(Amazonで見る

原田:私は最近のひさ子ちゃんについて、実はそんなに詳しくはないんですよね。でも、このアルバムが完成するまでに、おそらく、私の知らない時間がたくさんあって。2011年に東日本大震災があったり、吉村さんのこと(田渕の夫であり、bloodthirsty butchersの中心人物・吉村秀樹は2013年に逝去)があったり、日々のことでも、いろんな変化があったと思う。

そういう想像の元に、ある種、覚悟を持って再生ボタンを押したんですけど。……なんだろう、思ったより、というと語弊があるかもしれないですけど、思ったより、ずっと、風通しがいい。窓が開いて、ふぁーっと風が吹き込んでくる、みたいなアルバムだなと思ったんですよね。特に最後の3曲の流れに、すごくポジティブなものを感じた。なので、安心した、というか。「あぁ、元気そうでよかった」っていうのが、まず一番感じたことですね。

左から:田渕ひさ子、原田郁子

田渕:あぁ、うれしい。「アルバム作るぞ、今年こそは」って本格的に動き出したときに、歌詞までできていて、ライブでもやっていた曲が3曲あったんです。それが最後の3曲かな。

原田:へえ。最後の3曲に向かって、作っていったんだ。

田渕:そう、ちょっとずつね。

やっぱり、そもそもはギタリストであって、完全にシンガーにはなれないってことかもしれないです。(田渕)

原田:toddleのアルバムを聴いて一つ聞いてみたかったのは、ひさ子ちゃんの中では、やっぱりギターの比重がすごく大きいんじゃないかっていうことで……。

田渕:うん、大きいかも。

原田:このアルバムを聴き終わったときに最初に思ったのは、「すっごく一途な人だな」っていうことだったの。ひさ子ちゃんのライブを初めて観たとき、「この人はエレキギターっていう楽器に賭けている」みたいな気迫を感じて。それはバンドが変わっても、自分で歌うようになっても、やっぱり変わらない。全部を言葉にしなくとも、ギターの音色っていうものに、何かを込めているんじゃないかって思うんですよね。

田渕:ほおほお、なるほど。うん、確かに。

―toddleの歌詞は今回も抽象的なものが多いですが、言葉で表現できない部分は、何か自身のギターの音色で補っているというか。確かに、そういう感じがしますよね。

田渕:そうですね。やっぱり、そもそもはギタリストであって、完全にシンガーにはなれないってことかもしれないです。まあ、頑張って歌ってはいるんですけどね(笑)。

―ギタリストとしてバンドに参加するのと、ボーカル&ギターでバンドに参加するのは、やはり全然違うものですか?

田渕:全然違いますね。toddleの場合は、ギターだけじゃなくて、もうちょっとバンド全体を見ているので。歌いながらだと、ギターであんまり難しいこともできないですしね。

toddleの場合、自分が一応リーダーと呼ばれてはいるんだけど、私は本当に曲のことと演奏のことしか考えてない。(田渕)

原田:toddleの曲って、どんなふうに作っていくの?

田渕:きっちり私がデモを作り込んだ曲もあれば、ギターだけのものもあるし、曲によってバラバラですね。でも、メンバーそれぞれの特徴や個性みたいなものは頭の中に入ってて、「この人だったら、こういう音だろうな?」っていうイメージがあるので、まったく予想外のところにいくことは、あんまりないかもしれない。

作り方で言うとメロディーと歌詞が一番最後なんです。「うわっ、カッコいい!」みたいな感じで曲を作って、そのあとメロディーと歌詞を考えるから、どうしても、歌とか歌詞で最後まとめる作り方になって。だから歌詞を書くのはいつも苦労しますね。

原田:5年ぶりのアルバムって資料に書いてあるけど、ライブがなくても定期的にメンバーと会って、一緒に音を出したりしているの? というか、その場合は、ひさ子ちゃんがみんなに連絡を回して、「そろそろ、どう?」って言うの?

田渕ひさ子

田渕:toddleの場合、自分が一応リーダーと呼ばれてはいるんだけど、私は本当に曲のことと演奏のことしか考えてなくて。スタジオの予約とかスケジュール管理とか他は全部メンバーが分担してやってくれているんですよね。クラムボンは、どんなふうに曲を作っているの? どのへんまで、それぞれの役割みたいなものがあるの?

原田:基本的にミトくんがイニシアチブをとって、作っていく感じですね。クラムボンって、クレジットに載らない細かいことも本人たちが動いていることが多いんですけど、大きく言えば、音周りのことはミトくんが、ビジュアル周りは、私がメンバー代表で進めている。

で、制作に関しては、さっき、ひさ子ちゃんが言ってたみたいに、ミトくんの頭の中にも、「メンバーなら、どういう感じでやるだろう?」っていう想像があるんだと思う。それでせーのでやってみたら、「あ、やっぱりこうかな?」とか、調整したい部分が出てくるからすり合わせていく。

田渕:うん、うん。

原田:だから、最初にすごく緻密な台本をもらうみたいな感じ。絶対自分からは出てこないような、「そんな言い方、生まれて一回もしたことないよ」っていうフレーズ、リズムだとしてもやるんです。そういう意味では、「自分」とかいうより、全体の一部。

田渕:それはすごい。

原田:全員ブラスバンド出身だから、そういう感覚って、嫌いじゃないんじゃないかな。ただ、そうやって自分の演奏も含めて全体を見ていくと、なんでそれが必要だっていうことも、だんだんわかってくるんですよね。

―そうやってできあがった曲に、原田さんが最後、歌詞をつけていく感じなのですか?

原田:曲によって、分担して各自で書くこともあります。でも、クラムボンも歌詞を乗せるのは最後の最後。だから、それはもう想像を絶する……。

田渕:去年、ミトくんのインタビュー読んだよ。歌詞のダメ出しをすげえしたみたいなことが書いてて、「ひえー」ってなった。

原田:ダメ出しというよりね、その前にほんとに一言も書けなくなっちゃったんです。曲のアレンジ、構成が複雑になればなるほど、言葉の居場所が狭まっていく感じがして。乗せても乗せても弾き返される。「自分に言える言葉はない」って、追いつめられたんですけど。なんとか、かんとか、時間をかけて、何度も何度も、やりとりしながら、作っていきましたね。

田渕:すごい……。

原田:アレンジ、コード、メロディー、テンポも、すでにあって、そこに言葉をあてはめていく。「音ありき」なんですよね。だから、「このドラムの人は、どうしてこんなにも、叩かなくっちゃいけないんだろう」っていうところから考えたり。で、その上にはどんな歌が乗っていたらいいかなってところから言葉を探す。

一度ものすごーく遠くから見てみて、またものすごーく細かいところを見る、みたいな。その繰り返しなので、ちょっと異常というか。端からみたら、ぼーっとしてるだけみたいに見えると思うんですけど。

ギターソロはぐわーって感情的になりながら弾いてます(笑)。あと私、ギターソロを弾くときに息を止めてるみたいなんですよね。(田渕)

―お二人の話を聞いて思ったのは、普段感じている自分の思いを歌にするというよりも、バンド全体のサウンドを踏まえながら、歌詞をつけているということで。そこは共通していますよね。

田渕:確かに、歌詞の場合エモい気持ちは、あまり直接的に出さないかもしれないですね。自分の気持ちとかをそのまま歌詞にしたら、歌うときすっごい恥ずかしいし、歌詞の主人公を特定したくもないんですよね。歌詞の主人公と自分の間に距離感を保ちたいというか、その曲が聴いた人の歌にもなるようにしたくて。「1975年生まれでギターが大好き」とか歌ったら、それはもう完全に私の歌じゃないですか(笑)。

田渕ひさ子

―確かに(笑)。

田渕:だから私の場合、やっぱりギターですね。他のバンドでギターソロとかを弾くときは、もう大変エモい気持ちで弾いてるんですけど。ぐわーっていろんなこと考えながら、「もう泣いちゃうよお」って思いながら、ギターを弾いているところがあって。

ギターソロのときはむちゃくちゃ速いスピードで頭が回っているんですけど、基本的には自分の気持ちがグラグラ揺れるようなことを思い出しながら弾いてますね。それが具体的に何なのかは伝わらなくても、その波動みたいなものが、聴いている人たちの心に引っ掛かったらいいなって。

だから、さらーっと弾いているようで、ぐわーって感情的になりながらギターソロを弾いてます(笑)。あと私、ギターソロを弾くときに息を止めてるみたいなんですよね。「あ、今、息止めてたんだ」って、弾き終わって息がきれてるから気づくっていう。

―それは知らなかったです。

田渕:(笑)。でも、toddleの場合は、ギターソロもあんまりないし、自分の感情を爆発させながら弾くという感じではないですけどね。その熱量を、今はドラムのシンバル一発とか、ビート感とか、バンド全体に広げていくような感じかもしれない。

ライブ1本終わると、「やっぱり音楽ってすごいなぁ」って思うし、むしろ、やればやるほど、どんどん自分の中で増幅しているんです。(原田)

―女性ミュージシャンとして、ここまで続けてこれた秘訣のようなものって、何かありますか?

田渕:うーん、男勝りな感じで男性に対抗するみたいな気持ちはないですね。それよりもバンドごとの違いのほうが大きいかな。バンドって国みたいなものというか、バンドが変わると、法律が変わるくらいの違いがあるので。

―独裁主義の国もあれば、民主主義の国もあるみたいな。

田渕:そうそう(笑)。バンドそれぞれで何が当たり前なのかっていうことは全然違うので、「おっ、このバンドは、こういうやり方なのか。ほうほう」みたいな感じでそれを楽しむことはありますね。そういう意味で、私はわりと誰とでも合わせられるほうだと自分では思っていて。まあ、その割にギターの音は、どのバンドでも一緒かもしれないですけど(笑)。でも、郁子ちゃんも、どこでやってても郁子ちゃんだよね(笑)。

原田:ははは。

―男女問わず、いろんな人と演奏できるのは、ある意味大切かもしれないですね。

左から:田渕ひさ子、原田郁子

田渕:といっても、自分はそんなに達者なほうじゃないというか、すごく緊張するんですけどね。「みんなで一緒に音出すの、すごい楽しいよね!」みたいな感じではないですし。他のバンドでギターを弾くときは、ホントいつも緊張していますね。

原田:うん。するよね。私も、ライブの前は緊張するなぁ。毎回ちゃんと、ぶるぶるってなる。

田渕:もうちょっとリラックスできたらいいのにって自分では思いますけどね。もうガチガチになったりするので(笑)。

―原田さんは何かありますか?

原田:ひさ子ちゃんと話していると、高校の頃を思い出して、「何か他に夢中になれるものってあったかな?」と考えてみたんですけど、自分にとっては、やっぱり音楽だったんですよね。なんでかわからないけど、強烈に。

その想いみたいなものは、音楽を仕事にするようになってからも、薄れるどころか、未だに続いてて。ライブ1本終わると、「やっぱり音楽ってすごいなぁ」って思うし、むしろ、やればやるほど、どんどん自分の中で増幅しているんです。

キツイことも含めて、「何かを本気で楽しめる」のは、「この先を見てみたい」っていう、楽しみが根っこにある。(田渕)

―お二方とも、ミュージシャンとして短くはないキャリアを重ねつつありますが、「音楽に対する距離感」みたいなものって、そのあいだで変わったりしましたか?

田渕:うーん、あんま自分では変わったとは思ってないですね。基本、楽しむための努力は、惜しまないっていうスタンスで。もちろん、辛いときもありましたけど、基本的には楽しいですね。というか、ギターを弾いていれば、もう楽しい(笑)。何でこんなにヘタクソなんだろうって落ち込むときもありますけど、それも含めて全部嫌いじゃないです。

―原田さんはどうですか?

原田:私は、変わったかな。ものすごく音楽をやりたかったけど、こんなふうにバンドで人前に出て行くっていうことは、想像していなかった。10代の頃って、「かっこいい!」っていう、まずは憧れがあるじゃないですか。でも、自分って、全然そんなにかっこよくないんだよね(笑)。他の人を見て、「はぁ、無理だ……」って、ずっと、憧れては諦めて、っていうことをちっちゃくちっちゃく繰り返すんです。そうこうしてるうちに、いろんなものが剥がれていって、「自分なりにやるしかないな」って腹をくくるっていうか。

で、これはリスナーとしても、プレイヤーとしても思うことなんですけど、音って、物質じゃなくて空間だから、もうひとつの場所になる。目に見えてる世界のむこう側に、連れ出されるんですよね、投げ出されるというか。例えば、電車の中でヘッドフォンして吊り革につかまって揺れてるとして、音の中に入り込むと、意識としてはもうそこから脱出している。自分が消えて、すっと溶けるみたいな。そのワープ感が、気持ちいい。そういうところを極めていきたい(笑)。

田渕:「好きこそものの上手なれ」みたいなことって、すごくあると思うんですよね。キツイことも含めて、「何かを本気で楽しめる」って、好奇心とか向上心があるからだと思うんですけど、やっぱり本気で好きじゃないと、続けられない。「これをやったら面白いことがその先にあるかも」とか「この先を見てみたい」っていう、楽しみが根っこにはありますよね。

田渕ひさ子

原田:わくわく、したいねぇ。「えぇ、次どうなるんだろう!?」って。

田渕:うん。それが、いつまでも尽きなければいいなっていうのは思いますね。今、なんか、バンドの中で、リラックスしてる自分がいるんですよ。そんなに無理してない。だから、怪我したり、何かで楽器が弾けなくなるようなことがない限りは、朝起きて、ごはん作って食べてっていうことの延長で、ギター触って、曲作って、ライブして、っていうように続けていけたらいいなぁと思いますね。

左から:田渕ひさ子、原田郁子

リリース情報
toddle
『Vacantly』(CD)

2016年7月27日(水)発売
価格:2,808円(税込)
KICS-3397

1. Disillusion
2. Beat Rotates
3. Branch in the Road
4. Parallel Lanes
5. Bitter Hours
6. Cloud Eater
7. Stirrer
8. Right-Hand Drive
9. Where the Alley Ends
10. Round Arrow
11. Vacantly
12. Illuminate

クラムボン
『clammbon 20th Anniversary「tour triology」2015.11.6 日本武道館』(Blu-ray)

2017年1月25日(水)からAmazon.co.jp限定で販売開始
価格:4,320円(税込)
TRP-10008

1. Lightly!
2. Rough & Laugh
3. the 大丈夫
4. GOOD TIME MUSIC
5. 君は僕のもの
6. ミラーボール
7. 便箋歌
8. agua
9. sonor
10. noir
11. はなさくいろは
12. バタフライ
13. バイタルサイン 14. シカゴ
15. アジテーター
16. Scene3
17. 波よせて
18. KANADE Dance
19. サラウンド
20. yet
21. はなれ ばなれ
22. Re-ある鼓動
23. Slight Slight
24. Lightly...

プロフィール
田渕ひさ子 (たぶち ひさこ)

福岡県出身。1975年12月9日生まれのO型。13歳でギターを始めて以来、途切れることなくギャルバンでギターを弾き続ける。19歳でNUMBER GIRLに加入し、98年に上京。2002年に解散し、toddleを始める。03年bloodthirsty butchersにメンバーとして加入。 寝た子も起こす強烈なギターが印象的だが、toddleでは初めてのボーカルも担当し、これまでとは違った一面を見せる。忙しい毎日を送りつつ、色んなことを日々イメトレ中。

原田郁子(はらだ いくこ)

1975年、福岡生まれ。1995年にスリーピースバンド「クラムボン」を結成。歌と鍵盤を担当。バンド活動と並行して、ソロ活動も精力的に行っている。昨年で結成20周年を迎えたクラムボンは、メジャーレーベルを離れ、自身のレーベル「トロピカル」よりミニアルバム『モメントe.p.』を発表。可能な会場すべてでサイン会を行う、初の「手売りツアー」を開催した。現在、オフィシャルサイトにてCD販売店を募集中。ジャンルを問わず160店舗以上が取り扱っており、独自の広がりを見せている。2017年1月には、2015年11月行った初の日本武道館公演を映像作品化、Amazon限定でリリースすることが決定している。



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