石塚元太良インタビュー アラスカの荒野から見える「視覚の魔術」

石塚元太良は旅する写真家である。10代から海外を旅するようになり、アフリカとアジアを縦断した旅の軌跡は『World Wide Wonderful』という作品にまとまった。そしてもっとも有名なのは世界各地に敷設されたパイプラインを追って撮影した『PIPELINE』シリーズだろう。

だが、『World Wide Wonderful』の略記が「W.W.W.」、つまりインターネットの基幹システムである「www(World Wide Web)」のダブルミーニングであったように、石塚の興味は単に「旅」に限定されるものではない。写真を通して体感する「見ること」への尽きせぬ好奇心や、視覚を巡る現代に対する思考もまた、彼を旅へと掻き立てる大きなエネルギーになっている。

4月11日より東京・青山のSPIRALでスタートする個展を控えた石塚に話を聞いた。それは「旅」と「写真家」について再考させてくれる対話となった。

パイプラインがどこまでも続いている風景に出会って「アラスカとの恋が始まった」。

―石塚さんは複数の作品シリーズを展開しています。そのなかで、もっとも長く継続しているのが、世界各地の石油パイプラインを取材した『PIPELINE』で、今回の個展でも360°のパノラマで配置した新作を発表されると聞きました。

石塚:今回の展示も「まだパイプラインなのか!」って思われる方もいるかもしれないですよね。自分でも疑問はあるんですが(苦笑)、正直飽きないんですよ。アラスカから始まったシリーズですが、オーストラリアとか東欧とか、別の土地のパイプラインを撮影していると、世界を彷徨っていた20代頃の初心に戻れてしまう。自分にとって不思議なモチーフなんです。

石塚が撮影したパイプラインが続く風景 / 『PIPELINE ALASKA 2000』 ©Gentaro Ishizuka
石塚が撮影したパイプラインが続く風景 / 『PIPELINE ALASKA 2000』 ©Gentaro Ishizuka

―石塚さんとパイプラインの出会いは何がきっかけだったのでしょうか?

石塚:アラスカに行ったのは世界旅行の途中で、北極圏手前のフェアバンクスって街に観光用のパイプラインがあったんです。記念キャップが売っているような観光地なんですけど、周囲にはツンドラ樹林が広がっているワイルドな場所でもある。

そこにドスンとある無機質なメタルの円柱はやっぱり存在感があって、何枚か写真を撮りました。その瞬間は、特に自分のなかに突き刺さる感じがあったわけではないんですけど、帰国して写真を見返してみると「なんか面白い」ってざわざわしたんです。

―そのざわざわした感じというのが始まりなわけですね。

石塚:それでパイプラインについて調べたんですよ。そしたら全長が1280kmあるという。そこから、もしもフェアバンクスからずっと北上して辿って行くと、いったいどうなるんだろう……って思いに取り憑かれてしまったんです。

石塚元太良。青山のスパイラルにて撮影
石塚元太良。青山のスパイラルにて撮影

―それがシリーズのきっかけ。

石塚:そう。僕は何かを始めるときにはまずお膳立てしたくなる人間なので、2つのルールを決めたんです。1つは、デジカメではなく、とてつもなく大きくて微細に撮影できる大判カメラを使うということ。もう1つは、現地でフォード社のアウトドア車を買って、車で寝泊まりしながら旅をするということ。

―ルールにのっとって旅を始めたんですね。

石塚:はい。撮影旅行を始めたら、南北を隔てるブルックス山脈を越えたあたりからめちゃくちゃ雄大な自然が広がっていて、そこにパイプラインがどこまでも続いている風景に出会った。そこで、まあバカみたいな表現ですけど「アラスカとの恋が始まった」というか。抜き差しならない関係になっていったというか(笑)。

大判カメラの黒い布をかぶって構図を決めていると、まるで目の前の風景を彫刻しているような気分になる。

―北極圏はたしかに人知を超えた土地ですが、見た目自体は単調な風景とも言えないですか?

石塚:いやいや、四季の変化もダイナミックで、いくら撮っても飽き足りない。パイプラインと自分の関係について、どう説明すればいいかな……。スリランカの建築家で、「リゾート建築の父」と呼ばれるジェフリー・バワという人がいるんですよ。代表作に『ルヌガンガ』という別荘があるんですが、いたるところに壺が置いてある。

―壷ですか。

石塚:ええ。同地を撮影していて気づいたのは、単に趣味や好みだけで置いているのではなくて、どこまでも広漠と続くランドスケープのなかに壺を置くことで、焦点を定める効果が生み出されているということでした。雄大な風景は、ともすればどこまで行ってもゴールのない不安をもたらすけれど、バワは壺によって視覚的な安心感を導入している。

そこでさらにハッと気づいたんです。自分にとってバワの壺に相当するのはパイプラインかもしれないぞ、と。壺もパイプラインもシンプルなかたちですから、一見しただけだとそれが何か判別しづらいですよね。写真を前にして、近づいてみたり、遠ざかってみたりして見ることで、その正体がわかったり、あるいはさらにクエスチョンマークが増えたりする。

アラスカの荒野に続くパイプライン ©Gentaro Ishizuka
アラスカの荒野に続くパイプライン ©Gentaro Ishizuka

―鑑賞体験として面白い効果をもたらすんですね。

石塚:それと撮影時も面白い。大判カメラって、フィルムサイズがA4用紙くらいあって、ファインダーがわりのガラスも同じサイズなんですよ。それを黒い布をかぶって遮光しながら見て、被写体の構図を決めていくのですが、まるで目の前の風景をグネグネと彫刻しているような気分になるんですね。

アラスカの誰もいない荒野で一人そういうことをやっていると、なんとなく「俺、危険な遊びをやってるんじゃねえか?」って気になってくる(笑)。楽しいんですよ、それが。

電話したらゴダール本人が出て「よし、30分後に来い」と。幸せな時間でしたね。

―視覚に対する興味はどこから出てきたと思いますか?

石塚:映画ですね。築地の実家から池袋の高校に通っていたんですけど、サボりたいときは例えば銀座や、高田馬場、池袋の名画座に朝からこもっていたんです。そこでイランとかポルトガルの映画に出会って、自分の知らない世界の広さみたいなものを感じました。

―それが旅につながっていったのですね。石塚さんのホームページにはヴィム・ヴェンダース(ドイツの映画監督でニュージャーマンシネマの旗手)やジャン=リュック・ゴダール(フランスの映画監督でヌーヴェルヴァーグの旗手)のポートレートが載っていますが……。

石塚:旅の途中で出会って撮影させてもらったものですね。僕はやっぱり風景写真の作家で、ポートレートは撮れないと思っているのですが、映画監督の写真は特別なんです。

石塚が撮影したヴィム・ヴェンダース
石塚が撮影したヴィム・ヴェンダース

―20歳を過ぎたばかりのバックパッカーがふらりと訪ねて、撮影させてくれるものですか? 特にゴダールなんて、とにかく気難しい人物というパブリックイメージがあるのに、こんなににこやかな表情で写っていて本当に驚きました。

石塚:評論家とかの前では気難しいんだと思いますけど、いちファンの若者が会いに行くと、特にヨーロッパの監督は会ってくれるんですよ! ゴダールの場合は、雑誌のインタビューで読んだ、レマン湖湖畔のロールって小さな村に住んでいるという情報だけを頼りに、なんのアポもなく自転車で行きました。

―へええ。

石塚:すごくラッキーで、湖沿いのカフェで朝ごはんを食べていたら、隣席の人に話しかけられて、「ゴダールが好きで来たんです」と答えたら、その人がゴダールの奥さんのアンヌ=マリー・ミエヴィルの知人だった。しかも次の瞬間に目の前をミエヴィル本人が通りかかったという(笑)。

―おおお。

石塚:ミエヴィルがすごく気さくな人で、「電話してみたら?」ってゴダールの電話番号を教えてくれたんです。その場から電話したらゴダール本人が出て「よし、30分後に来い」と。

―おおおお。すごい話ですね。

石塚:撮影も面白かったですよ。映画監督ってすごく俯瞰的にものを見る人たちで、自分自身を演出するんですよね。「そこのカーテンを開けて、光を入れろ」「この編集機材の前で撮れ」とか、全部自分で演出してしまう。自分で撮っているんじゃなくて、撮らされている感じ(笑)。

―まさに撮らされていますね(笑)。

石塚:それはヴェンダースもマノエル・ド・オリヴェイラ(ポルトガルの映画監督で、2015年に106歳で逝去するまで現役最高齢の劇映画監督として知られた)もそうでした。幸せな時間でしたねえ……。話が脱線しちゃったけれど、さっき言ったように人を撮るのは苦手だし、やはり僕は風景写真家でありたい、風景にこだわりたい、と強く思っています。

誰も見たことないものに迫りたいと考え、同時に「そんなものがはたしてあるのか?」と疑いもする。

―でも監督を訪ねるほど映画がお好きなのに、選ばれたのは写真だったと。

石塚:写真って、ある意味ではすごくイージーな表現手段だと思うんです。行為として、シャッターを切るのと絵を描くのでは、前者の方がシンプルだし、スマホを持っているのが当たり前の今となっては、誰もが手軽にすごい写真をモノにできる。

しかしだからこそ、誰も見たことないもの、誰もやってないものに迫りたいと考え、同時に「そんなものがはたしてあるのか?」と疑いもする。それは今も昔もずっと考えていることですね。

石塚が撮影したアラスカのオーロラ ©Gentaro Ishizuka
石塚が撮影したアラスカのオーロラ ©Gentaro Ishizuka

―さっき彫刻を作っているような感じで風景に向き合うとおっしゃっていましたが、例えばアラスカに行くと自分の思い通りの空間が広がっている、という感じでしょうか?

石塚:土地からのインスピレーションが何かを生み出すのであって、思い通りになるから行くのではないですね。しかもその「何か」は写真家ごとにまったく違うものだと思っています。昨年、星野道夫さんの写真展(巡回展『没後20年 特別展 星野道夫の旅』)の監修をお手伝いさせてもらって、生前の写真を全部見せていただいたんです。

写真に現れる、星野さんが反応した自然や動物はもちろん素晴らしい。でも、自分にとってのパイプラインのような共感は生まれなかった。そこに写真の秘密というか、不思議さがある気がしたんですね。

―それはいったい?

石塚:写真=Photographyの「photo」の語源は「太陽、光」で、「graphy」の語源は「描くこと」。つまり、語源のなかに自然物と人工的な所作が同居しているわけです。その二元論的な状態を、あっさり受け入れている写真が、自分はとても無邪気に感じられるんです。と、すると、現代の写真家が取り組むべきなのは、その写真の無邪気さを面白く解読するための技術の発明であり、思考方法の更新かもしれない。

パイプラインに圧倒されるのと同じ感覚で、食卓のコーヒーカップに光が指す風景を美しいと思う瞬間もある。

―それは今回の展示作品や、近作にも反映する意識でしょうか?

石塚:今回はずっと取り組んでいる氷河のシリーズからパノラマ形式の作品を出すんですけど、じつはこの流氷って合成写真なんですよ。複数枚の写真をつなぎ合わせて、足りないパーツはまったく別のところから持ってきて構成した、実在しない架空の風景なんです。

流氷の合成写真 ©Gentaro Ishizuka
流氷の合成写真 ©Gentaro Ishizuka

―実在するものを架空のものに構築しなおす暴力性は、Photographyの語源から石塚さんが感じる無邪気さにも通じるものかもしれませんね。

石塚:うーん……。それは写真って存在の異様さでもあるけれど、人間が持つビジョンのちっぽけさともつながるものかな。流氷って高さが7mくらいあって、ちょっとした団地ぐらい大きいんです。何日もカヌーを漕いで目当ての流氷を見つけたりすると、その巨大さにヤラれて、まるで永遠にそこにあり続けるもののように感じてしまう。

でも、広大な自然や数万年という時間のなかでは、流氷も常に後退したり前進したりしているわけですよ。それをパチッと撮影して写真1枚に収めたところで、何を撮ったと言えるのか。どだい収まりきらないものを収めようとする自分の愚かさに気づいてしまう。

―視覚の罠ですよね。視覚情報は人間の五感の8割を占めるほど大きいと言われますが、それゆえに人間は視覚や見た目を盲信しすぎてしまってもいる。視覚の話でいうと、近年、石塚さんは自宅内で撮影したシリーズも発表しはじめていますね。『N/P』は、同じ構図で撮影したネガ(陰画)とポジ(陽画)の写真をズラしてプリントしたもので、そこにも視覚に対する関心が見て取ることができます。

『N/P』 ©Gentaro Ishizuka
『N/P』 ©Gentaro Ishizuka

石塚:写真の二元論的世界はネガとポジの関係に強く象徴されていますが、北極圏の大自然のなかで大判カメラを構えて撮影している体験と、帰国してから自分の狭い暗室でプリントしている体験の両極端さも、写真的で面白いと思います。

―そこに共通性はあったりするのですか?

石塚:現実離れしたパイプラインの威容に圧倒されるのと同じ感覚で、自宅の食卓に置かれたコーヒーカップに光が指し込んでくる風景を美しいと思う瞬間もあります。「ああ、この瞬間が写真に収められたらもう何もいらないぞ」なんて充足感を覚えたりする。

そうやってクリックひとつで非日常と日常が重なるような魔術的な力が写真にはある。というか、あってほしい。つまるところ、そういうことを表現したいと僕は思っているんでしょうね。

―以前、別のインタビューのなかで「旅から東京に帰って、ガリガリ君を食べた瞬間に日常へとリセットされる」という発言をされていました。旅とホームに対する、石塚さんの距離感を示しているなあ、と思ったのですが。

石塚:あれは少しダイジェストされているんですよ。実際は氷河の撮影から帰ってきて、ガリガリ君を食べている瞬間に「これも流氷みたいなものじゃん!」って思ったって話。

石塚が撮影したアラスカの氷河 ©Gentaro Ishizuka
石塚が撮影したアラスカの氷河 ©Gentaro Ishizuka

―なるほど、そういう。つまり、写真における視覚情報としてはガリガリ君もアラスカの氷も同じ驚きを与えうるものだと。

石塚:そう思います。パイプラインも、かたちに食いつく人もいれば、人間と自然を象徴するものとして見る人もいるし、面白いところでは性的なモチーフとして語る人もいる。情報である写真は、そういう面白いお遊び……僕にとってはちょっと危険な遊びを喚起してくれるものです。

写真と言葉が等価以上の関係になるために技術を鍛えている。

―今日は旅主体の話になるかと思いましたが、思わぬ展開で楽しかったです。鈴木理策さんやトーマス・ルフなど、写真を通して視覚を考える作家たちの存在感がここ数年で大きくなっていることもあり、時代精神を感じます。

石塚:ありがとうございます。まだうまく作品に落とし込めていないんですけど、モードで言うと、僕は言葉のこと、写真と言葉の境い目を考えたいと思っています。

これまでは誰もが明快に写真と言葉の境界を把握していましたよね。でも、iPhoneが普及し、SNSが生活インフラになると、今日食べたおいしいものを表現するために、言葉ではなく写真を使う方が理にかなうようになっている。生クリームの繊細な柔らかさは、言葉よりもインスタの写真1枚の方が表現できるじゃないですか。

石塚元太良

―文筆業をしていると、言葉のじれったさにもどかしくなるときは多いですね。だから、Web系のネタサイトが組み写真で笑いや動感を表現するのは、とっても今的だと思います。

石塚:人々がしたいと思っているのは、言葉のコミュニケーションのはずなんですよね。つまり「いいね!」されるよりもコメントされるほうが嬉しい。みんな、誰かから言葉をもらうために写真を撮っている。でも、僕は写真家ですから、写真のための言葉、あるいは写真と言葉が等価以上の関係になるために技術を鍛えているところがあります。

―そういえば、数年前から撮影の旅路などを綴った『氷河日記』を書いていましたね。

石塚:個人的な毎日と氷河がドッキングしていく、って内容なんですけど、「氷河」と「日記」って、「photo」と「graphy」みたいにつながらないものですね(笑)。大先輩のロバート・フランクも、写真に言葉をめちゃくちゃ重ねていて、どこまで無意識に行なっているのか、意識的に行なっているのか、作品を見ているとゾクゾクします。僕も、願わくば、みんなが明確だと思いこんでいる写真と言葉の境い目を、意識的に攻撃するような作品を作りたい。

イベント情報
石塚元太良『パノラマ』

2017年4月11日(火)~4月16日(日)
会場:東京都 表参道 スパイラルガーデン、MINA-TO
時間:11:00~20:00
料金:無料

商品情報
25TH 限定商品VOL.3 GENTARO ISHIZUKA SPECIAL DESIGN
JYURYU® TOP REVOLUTION® TYPE

価格:10,800円(税込)
発売日:2017年4月11日(火)より先行販売

25TH 限定商品VOL.3 GENTARO ISHIZUKA SPECIAL DESIGN
GENERATOR® MODEL REVOLUTION® TYPE

価格:20,520円(税込)
発売日:2017年4月11日(火)より先行販売

プロフィール
石塚元太良 (いしづか げんたろう)

1977年生まれ、写真家。10代の頃から世界を旅行し始め、1999年バックパッカー旅行をしながらアフリカを縦断し、アジアを縦断しながら撮影した『Worldwidewonderful』でエプソンカラーイメージングコンテスト大賞。2002年、世界を東回り西回りで2周しながらデジタル画像の位相を撮影した『Worldwidewarp』でヴィジュアルアーツフォトアワード、日本写真家協会新人賞を受賞。2006年、アラスカのパイプラインを追いかけるように撮影したシリーズ『Pipeline Alaska』の展覧会と同名写真集が話題となる。2011年度文化庁在外芸術家派遣。2012年春、アイスランドのSIMレジデンシーに招聘されて、地熱エネルギーを都市へ運ぶパイプラインの撮影制作をおこなう。来夏には、パイプラインプロジェクトの新しい写真集を刊行予定。また2013年9月にはアイスランドのレイキャビック写真美術館で展覧会が開催される。パイプライン、氷河、ゴールドラッシュなどの特定のモチーフで独自のランドスケープを世界中で撮影し続ける彼のスタイルは、コンセプチュアル・ドキュメンタリーとも評されて、ドキュメンタリーとアートの間を横断するように、時事的な話題に対して独自のイメージを提起している。



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