U-zhaanが語る本当のインド。ダヤニータ・シンの写真から振返る

インドを代表する女性アーティストが写した本当のインドの姿

中国に次いで世界第2位の人口を有し、約2兆2500億ドルのGDPを誇る巨大国家、インド。しかし、多くの日本人がインドに抱くイメージはいまだに「日常的に死体を目撃する」「カレーがうまい」「ヨガで健康」といったエキゾチックな印象を拭えない、ステレオタイプなものではないだろうか。

もしも海外から、未だに日本がサムライやゲイシャがいる国だと思われているとしたら、私たちはその大きな誤解に落胆するに違いない。そんな海外からの印象と現実のギャップ同様に、現代のインドには多様な文化と生活があり、約13億の人々が個々の視点を持って暮らしているのは当たり前のことだ。

現在、東京都写真美術館で開催中の『ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館』展は、インドを代表するアーティスト、ダヤニータ・シンの日本初となる美術館個展である。彼女は欧米メディアの依頼でインド国内を撮影するフォトジャーナリストとして活躍した人物だが、貧困や格差のイメージが安易に求められる仕事に抵抗し、自らが知るインドをとらえるアーティストへと転身した。外国人の知らないインド、ときにインド国内ですら知られていないインドの姿を提示する姿勢は、国際的に高い評価を得ている。

東京都写真美術館『ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館』展 展示風景
東京都写真美術館『ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館』展 展示風景

そんな、この展覧会を観てもらいたい人がいる。タブラ奏者のU-zhaanである。伝統楽器タブラに魅了され、19歳ではじめてインドに渡った彼は同地の奏者に師事し、以来20年にわたってインドと日本を行き来する、いわばインドのエキスパート(?)だ。独自の目線でインドをとらえるU-zhaanは、ダヤニータ・シンの写真からなにを見出すのか?

U-zhaan
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インド国内ではアイドル的存在? タブラ奏者ザキール・フセインの人物像

音楽家のU-zhaanと、アーティストのダヤニータ・シン。じつはこの二人には意外な接点がある。ともに伝説的なタブラ奏者ザキール・フセインを人生のメンター(指導者)として仰いでいることだ。タブラの魅力に覚醒した10代のU-zhaanが、その音色を求めて最初に買ったCDはザキールのアルバムだった。

U-zhaan:ザキール・フセインは世界最高のタブラ奏者だと思います。1970年代に彼が登場したことにより、タブラの演奏は大きく変わったんですよ。

限りなく澄んだ音色、躍動感に溢れる低音の歌いまわし、正確無比なリズム、そして圧倒的なスピード。それまでの誰とも全く違う、突然変異のように進化した演奏でした。今でこそザキール先生のような音を奏でる若手奏者は多くなりましたが、彼に少しでも近づきたいという思いがそうさせたんでしょうね。

U-zhaan

紀元前から続く長大なタブラ史において、「以前 / 以後」という歴史の縦線を引くことができるほどのレジェンド。それがザキール・フセインだ。

一方、ダヤニータとザキールの出会いは1980年代前半にさかのぼる。大学在学中の写真課題として、ポートレート撮影の被写体にザキールを選んだのが最初だった。もちろんすでに国内外で活躍を始めつつあった気鋭のタブラ奏者の撮影には、多くのハードルがあったようだが、熱心な交渉が芽を結び、ダヤニータは6年にわたる密着取材を実現。そして初写真集『ザキール・フセイン』(1987年)を刊行した。今回の展覧会では同シリーズの展示こそないが、インスタレーション作品のなかには、若き日のザキールの姿を数点確認することができる。

会場内に展示されているザキール・フセインの写真
会場内に展示されているザキール・フセインの写真

U-zhaan:80年代ですから、まだかなり若い頃ですよね。日本の人たちには想像できないと思うんですが、インドでのザキール先生の人気は凄まじいんです。スタジアムコンサートも満員にしちゃうし、新聞のアンケート記事では「インドでもっともセクシーな男性」に選ばれてましたからね。例えれば、全盛期の長嶋茂雄みたいな存在。66歳になった今でもやたらとキラキラしているぐらいだから、それこそ若い頃はキラメキの塊だったはず。まさにタブラ王子だったんじゃないかと(笑)。

U-zhaan

ひょっとすると当時20代前半のダヤニータの目にも、ザキールはアイドル的存在として映っていたのかもしれない。ジャンルを超えた交流は現在も続き、生涯の師弟関係を二人は結んでいる。

U-zhaan:ザキール先生はとても心が開けた人ですからね。僕は彼の生徒になる前、日本から来たジャーナリストのふりをして、先生の記者会見に紛れ込んだことがあるんですよ。ちょっとでも姿を見たくて(笑)。そのときも、「ごめんね。今日はタブラを持ってないから演奏は聴かせてあげられないんだ。でも、ペットボトルのキャップを叩く練習の仕方を教えてあげるよ」なんて、その場で指導してくれました。

U-zhaan

U-zhaan:小さいキャップを的確に叩く練習を重ねることで、タブラのスイートスポットを叩く感覚が養われるんだそうです。実際、かなり役に立ちました。そうやって、こちらの熱意さえあれば時間の許す限りアドバイスしてくれる。そんな素晴らしい人ですよね。

インド社会に真っ向から抵抗した女性アーティスト、ダヤニータ・シン

ダヤニータの作品から、U-zhaanはどんな印象を持ったのだろうか?

U-zhaan:インドを撮影した写真としては、かなり特殊な印象がありますね。普通、インドらしさを伝えようと思ったら、やっぱり極彩色の景色を見せたいじゃないですか。カラフルな印象がありますもんね、インドって。でも、その部分にフォーカスすることなく、モノクロを中心に撮っているというのは、彼女の「(西洋が)見たいと思っているインドとは違うものを撮りたい」という気持ちのあらわれなのかもしれないですね。

U-zhaan

インド西部の都市、アーメダバードの国立デザイン大学を卒業したダヤニータは、「結婚持参金はいらない。それを留学費用に充てるから」と言って家族の反対を押し切り、ニューヨークの国際写真センターでフォトジャーナリズムを学んだ。

女性が結婚しないという選択がほとんど容認されないインド社会に真っ向から抵抗する、自立心に溢れた気質を伝えるエピソードだが、そのマインドは大学卒業後、インドに戻って報道写真の仕事に従事したあとも褪せることなく、むしろますます燃え上がった。

エイズに罹患したセックスワーカー、児童労働者、物乞いといった社会問題にカメラを向けることが、「西洋が認識するインド」像の再生産でしかないことへの疑念は、ある人物との出会いによって確信へと変わる。生涯の友、モナ・アハメドとの出会いだ。

「マイセルフ・モナ・アハメド」より(1989~2000年)ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
「マイセルフ・モナ・アハメド」より(1989~2000年)ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵

第三の性を持つ、ユーナックという存在

2006年に青土社から刊行された『インド 第三の性を生きる―素顔のモナ・アハメド』という本がある。モナからの手紙と、ダヤニータの写真で構成された同書に、ダヤニータはこんな序文を寄せている。

モナに出会ったのは、写真の仕事を始めて間もない一九八九年のことでした。『ロンドン・タイムズ』から依頼を受けた、インドのユーナックに関する仕事がきっかけでした。(中略)インドのことをエキゾチックな国、そうでなければ不幸な国という視点だけでとらえがちなメディアの世界で働いていると、売春や児童労働、結婚持参金殺人、幼児婚などと並んで、ユーナックの話題を避けて通ることができません。(中略)あえて言うまでもなく、インド社会においてユーナックについての話題は、あらゆる種類の偏見や作り話と結びついています。

「ユーナック」とは、一般的に「ヒジュラ」と呼ばれる女装芸人集団の総称である(ダヤニータはヒジュラという蔑称を嫌い、ユーナックと呼んでいる。以下のテキストではユーナックと表記)。しばしば両性具有と考えられているが、実際には女装の男性、トランスジェンダーを含み、なかには去勢手術を受けた男性もいる。結婚せず、子どもをもうけることのないユーナックは師弟関係や擬似的な親子関係を結び、独自のコミュニティーを形成している。

インド社会においては一種疎外された集団で、男子の誕生や結婚式などの祝い事に招かれて踊りや音楽を披露することもあれば、他人の家に無理やり押しかけて芸を強要し、金品を要求することもある。それを断ると、呪力によって祟る、あるいは逆に福を招くとも考えられており、インドのカースト社会の外で生きる異人的な人々である。モナ・アハメドも、そんなユーナックの一人だ。ちなみに、モナは女性名、アハメドは男性名を示している。

U-zhaan:車や電車に乗っていると、駆け寄ってきてお金を要求されるんですよ。「お前を祈ってやるからそのかわりに金を払え、そうしないと呪われるぞ」みたいな感じに。

現地の人たちからはよく「あまり近づかないほうがいいぞ」と言われてたんですが、実際に僕も彼女たちへの喜捨(進んで寄付すること)を拒否したことで小突かれたり、つねられたりと、かなり怖いこともありました。なのでその人たちがたくさんいる地域に行ったら、どんなに暑くてもタクシーの窓は閉めたまま耐えるようにしていました。

U-zhaan

教科書だけではわからない、現代インドの本当の姿

U-zhaanのユーナックへの印象は、ごく一般的なものだ。ダヤニータ自身も「ユーナックが自らスカートの裾をたくし上げて自分の陰部を見せようとしても、良家の娘たちは決してそれを見てはいけないことになっていました。(中略)年ごろの女学生たちは、ユーナックを単にそれ(it)と呼んでいました」と書いている。

それだけに、はじめてモナと出会い、ユーナックに優しく出迎えられた経験はダヤニータにとって衝撃的だった。『ロンドン・タイムズ』のための撮影取材は「モナがユーナックであることを知らない親類がイギリスにいる」という理由でうまくいかなかったが、そのときにダヤニータが撮影済みのフィルムをモナに素直に渡したことで、二人の間には強い絆が結ばれたという。それ以降、二人は互いの家を訪ねあったり人生について相談を交わす、親友同士になった。今回の出品作『マイセルフ・モナ・アハメド』シリーズと、映像作品『モナ・アンド・マイセルフ』は、そんな二人の四半世紀に及ぶ交流を伝えている。

「マイセルフ・モナ・アハメド」より(1989~2000年)ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵 左から二人目がモナ・アハメド
「マイセルフ・モナ・アハメド」より(1989~2000年)ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵 左から二人目がモナ・アハメド

U-zhaan:一般的なユーナックのイメージとかけ離れた写真で驚かされますね。モナさんは養女を育てていて、彼女の誕生日を2000人以上のユーナックと盛大に祝っている。みんな楽しげな表情をしていて、バンドとかダンサーとか、いろんな仕事をしている。これは、ちょっと観光で訪ねるくらいの人たちには知ることのできない景色だし、もちろん僕にとってもまったく知らないインドの姿です。

世界史の授業などで、インド固有の社会身分制度であるカーストを学んだのを覚えている人もいるだろう。「カースト」という名称・定義自体が、西洋による植民地化以降に固定化された概念であり、慎重な議論を要するのだが、ともあれ職業、地縁、血縁によってヒンドゥー教徒の身分が厳密に定められているのは事実だ。

そして、その外で生きるユーナックは、社会生活を営むうえで不条理な扱い、残虐な仕打ちを受けることもしばしばある。かといって、必ずしも貧しい暮らしを送っているわけでもない。実力のある芸能グループであれば、祝い事の依頼は途切れることがなく、モナもかつては裕福な生活を送っていたこともあったという。

東京都写真美術館『ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館』展 会場風景
東京都写真美術館『ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館』展 会場風景

U-zhaan:教科書で学ぶようなインドは、あくまで一部ってことですよね。ベナレス(インド最大の宗教都市)に行けば、今でもガンジス川を流れる死体を普通に目にするし、ある意味、予想を超えるインドのイメージに出会うこともできる。でも、とにかく国土が広いでしょう。物価の高い地域は東京以上に高い。一方、田舎町に行けば電気も通ってないみたいなところもたくさんある。

カーストも同様で、必ずしも上位の人が裕福なわけでもないんですよ。最近はインド=IT大国って感じですけど、ようするに新しいタイプの職業はカーストの枠外にあるので、どんな人でも就職できたんです。だから向上心のある人はみんなエンジニアの勉強をして、IT系の仕事について、世の中の流れに乗って裕福になった。カーストによる経済格差は、徐々に薄まっていると思いますよ。

自身の信念を貫くダヤニータ・シンの独自性とは?

今回の個展で、特に多くの空間を使って展示されているのが、副題にもなっている「インドの大きな家の美術館」のシリーズだ。チーク材製の格子に、モナや友人たち、若き日のザキール・フセイン、映画のワンシーン、風景など、さまざまな写真が収められた同シリーズを、モナは移動式の個人美術館と定義している。その学芸員(キュレーター)はダヤニータ自身で、彼女は館長(ディレクター)、管理責任者(レジストラー)の役割も同時に果たす。

「ミュージアム・シェディング」より 机上には「CURATOR」(他の面には「DIRECTOR」「REGISTER」)と刻印された表札が置かれる
「ミュージアム・シェディング」より 机上には「CURATOR」(他の面には「DIRECTOR」「REGISTER」)と刻印された表札が置かれる

これまでに撮影した膨大な写真を、「女性」「家具」「ファイル」などのテーマに分類し、折りたたみ式の構造物に収めて搬送し、展示会場ごとにセレクトを変える。そうやって作品に触れることができるのは、一部の例外を除いて作家本人だけだ。同シリーズについて、彼女は旧知の評論家との対話(展覧会図録に収録)でこのように語っている。

わたしは自分が生きている現役のアーティストだと主張したい。(中略)美術館やギャラリーと仕事をするたびに、物事を決めるのはキュレーターで、ここにいるわたしは死んでるのかと思うことがある。

作品が美術館という環境に入ると、まるでその美術館に人質に取られているようで、わたしはそれに近づけないし、物を動かすことができない(中略)だから、そこで仕組みを作ったわけ(中略)わたしが変え続ける“つもりである”ことを世間に認めさせて、それを<インドの大きな家の美術館>設立宣言書に書き込んだのよ。

U-zhaan

つまり、これもまたダヤニータによる既成の制度への抵抗だということだ。美術館は、有名な美術作品を観ることができる観光スポットの役割を果たしもするが、じつはそれ以上に美術品を半永久的に保存し、歴史的な文脈上に位置づけることを最大の使命としている。その際「どの作品を後世に残すべきか?」という価値判断がアーティストや個人に委ねられることは稀で、国家や歴史といった大きな尺度によって決定されるのが常だ。

それゆえに、しばしば美術館や博物館は男性的な存在になぞらえられる。歴史をかたちづくる政治権力の大半は、男性が牛耳ってきたからだ。インドでの女性の扱いに異議を唱え、モナとの交流を通じてマイノリティーの側に心を寄せるダヤニータにとって、アートを取り巻く制度やルールは窮屈なものなのかもしれない。そして、信じられるものがあるとしたら、それは自分の目で見て、身体で触れることのできる、友人たちとの交流や、そこから生じる経験なのだろう。

U-zhaanがザキール・フセインの言葉から見出した、アーティストとして本質的なこと

U-zhaan:『スーツケース・ミュージアム』という作品が出品されてましたよね。自作の写真集を旅行カバンに入れて、行商のように自ら売り歩くっていうコンセプトの。ちょっとデザインが素敵すぎて、僕だったら盗難が怖くて持ち歩けなさそうだけど(笑)。でも、実際に売ることがなかったとしても、自分の意思で売り買いができて、好きに中身を入れ替えられる可能性を見せているのは、ダヤニータの「自由でありたい」という気持ちのあらわれだと思うんですよね。

『スーツケース・ミュージアム』を鑑賞するU-zhaan
『スーツケース・ミュージアム』を鑑賞するU-zhaan

U-zhaan:それと、彼女は「インドの大きな家の美術館」シリーズを説明するときに「チューニング」とか「音の高さ(ピッチ)」とか、音楽用語を使うそうですね。そこには音楽が持つ自由さへの憧れがあるのかもしれないし、ひょっとすると、真に自由な音楽家であるザキールの影響があるのかもしれない。

『ミュージアム・オブ・チャンス』(2013年)
『ミュージアム・オブ・チャンス』(2013年)

『リトル・レディース・ミュージアム-1961年から現在まで』(2013年) 移動式美術館の内部は収蔵庫として写真をストックできるようになっている
『リトル・レディース・ミュージアム-1961年から現在まで』(2013年) 移動式美術館の内部は収蔵庫として写真をストックできるようになっている

そんなU-zhaanの感想を受けて、改めて格子型のシリーズを眺めてみると、写真を収めるチーク材が、まるでレコード屋の陳列のように見えてくるから面白い。音楽家を追いかけた最初の作品と、現在進行形で展開する最新作が、ともに「音楽」というキーワードで結びつく。

U-zhaan:ザキール先生から教わった言葉で僕が強く覚えているのは「自分にとって、最もよい先生は自分自身でなければならない」ということ。彼から直接タブラを教えてもらえるのは1年のうち数日なんです。それ以外の日は自らが教師になる必要がある、と。演奏の弱点を見つけることも、その改善方法を模索することも、全部自分でやらないといけない。

そして先生は「自分になろうとするな」とも言っていました。ザキール・フセインになれるのはザキール・フセインだけ。彼も、高名なタブラ奏者だったお父さんのようになりたかったけれど、決してなれなかった。だからこそ、自分は自分であるしかない。誰もが常にオリジナルでいるようにしないとダメだ、ということを何度も教えられました。

きっと、ダヤニータもオリジナルであろうとしているんだと思う。そうやって、美術館のあり方や、キュレーションのあり方を考えているのかもしれないですね。

U-zhaan

高度な技術に裏打ちされたタブラとサントゥールが織りなす、多彩なインド音楽の世界

取材後、展覧会の関連企画として、同館の1階ホールでU-zhaanとサントゥール奏者の新井孝弘による「インド古典音楽ライブ」が行われた。ダヤニータとザキールの縁にちなみ、演奏曲はザキールが得意とする北インドの伝統音楽“チャルケシ”が選ばれた。そして、新井のサントゥールの師匠であるシヴクマール・シャルマは、ザキールともたびたびセッションする間柄で、U-zhaanによると「二人の演奏は、革命的にインド音楽を変えた」そうだ。

U-zhaanとサントゥール奏者の新井孝弘による「インド古典音楽ライブ」の様子
U-zhaanとサントゥール奏者の新井孝弘による「インド古典音楽ライブ」の様子

この日、選ばれた“チャルケシ”というラーガ(インド音楽特有の、音階や音列のルール)の演奏は、多弦楽器サントゥールの音の砂粒がさらさらと流れるような音色から始まった。それを追って、大小2つのタブラが合流する。小さいタブラから発せられるリズミカルな打音と、対照的に大きいタブラの胴体に吸い込まれるような深い音のコンビネーションに目をみはる同曲の印象は、ポップで可愛らしく、驚くほど現代的だ。夢の世界に誘われるようなまばゆい音色はとても優しく心地よいが、緩急をつけながら間断なく刻み続ける演奏は高度な技術がなければ絶対に成立しないものだとわかる。

U-zhaan

このドリーミーさとアグレッシブさが混ざりあう感覚は、どことなくダヤニータ・シン本人のキャラクターにもつながるように感じる。インドの伝統的な社会に根付く保守性に対して、個人的な眼差しで見た世界の提示によって抗おうとするタフさと、自前の美術館や旅行カバンに作品を詰め込んで旅してみたいという自由でキュートな発想を併せ持つダヤニータ。

彼女のマインドが目指す自由さは、美術館の壇上で繰り広げられたU-zhaanと新井によるセッションの張り詰めた緊張と、その先にある多幸感と重なって見えてくる。伝説的なタブラ奏者の撮影からキャリアをスタートさせた彼女が、自身の作品について音楽用語を使って説明する理由が、ライブを通じて「なるほど」と腑に落ちるような演奏だった。

U-zhaan

イベント情報
『ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館』

2017年5月20日(土)~7月17日(月・祝)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館 2階展示室
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜、7月17日は開館)
料金:一般800円 学生700円 中高生・65歳以上600円
※小学生以下、都内在住・在学の中学生、障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜は65歳以上無料

講演会 畠山直哉

2017年7月7日(金)18:00~19:30
会場:東京都写真美術館1階ホール
出演:畠山直哉(写真家)
定員:190名(整理番号順入場/自由席)
料金:無料(要入場整理券)
※当日10:00より1階ホール受付にて入場整理券を配布します

プロフィール
U-zhaan (ゆざーん)

1977年、埼玉県川越市生まれ。18歳の頃にインドの打楽器・タブラと出会い、修行のため毎年インドに長期滞在するようになる。1999年にはシタール奏者のヨシダダイキチを中心としたユニット・サイコババに参加し、2000年からはASA-CHANG&巡礼に加入。2005年にはsalmonとともに「タブラの音だけを使用してクラブミュージックを作る」というコンセプトのユニット、salmon cooks U-zhaanを結成する。この頃から世界的なタブラ奏者であるザキール・フセインにも師事。2010年にASA-CHANG&巡礼を脱退したのち、rei harakamiとのコラボ曲“川越ランデヴー”を自身のサイトで配信リリースした。またインド滞在時のTwitterの投稿をまとめた書籍『ムンバイなう。インドで僕はつぶやいた』『ムンバイなう。2』も話題に。現在は日本を代表するタブラ奏者として、ジャンルを超えた幅広いアーティストと共演している。2014年9月にはソロ名義での初のアルバム『Tabla Rock Mountain』をリリースした。

ダヤニータ・シン

1961年、ニューデリー生まれ。1980年から86年までアーメダバードの国立デザイン大学に学び、1987年から88年までニューヨークの国際写真センター(ICP)でドキュメンタリー写真を学んだ。その後8年間にわたり、ボンベイのセックスワーカーや児童労働、貧困などのインドの社会問題を追いかけ、欧米の雑誌に掲載された。『ロンドン・タイムズ』で13年にわたりオールド・デリーを撮り続け、『マイセルフ・モナ・アハメド』(2001年)として出版。1990年代後半にフォトジャーナリストとしての仕事を完全に辞め、インドの富裕層やミドル・クラスへとテーマを転じた。ヴェネチア・ビエンナーレ(2011年、2013年)やシドニー・ビエンナーレ(2016年)などの数々の国際展に招聘されている。京都国立近代美術館と東京国立近代美術館の『映画をめぐる美術-マルセル・ブロータースから 始まる』展(2013年~14年)に出品。



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