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万物をチャラく演出したい! フジテレビ史上最年少演出家がテレビ制作にかける想い

毎週日曜日にフジテレビ系列で放送されている『人生のパイセンTV』をご存知ですか?
尊敬すべきちょっと“おバカ”な先輩たちを「パイセン」と呼び、彼らから人生を楽しむコツを学んでいくという同番組は、ハイテンションなナレーションと、 “チャラい”演出で注目を集めています。この番組の演出を務め、自らも番組に度々登場しているのが、マイアミ・ケータこと萩原啓太さん。番組開始の2015年10月当初29歳でフジテレビ史上最年少演出にのぼり詰め、業界の風雲児として注目を集めている萩原さんに仕事の価値観について尋ねてみました。

Profile

萩原 啓太(マイアミ・ケータ)

1986年生まれ、東京都出身。血液型A型。『笑っていいとも!』『もしもツアーズ』『キスマイBUSAIKU!?』『AKB48選抜総選挙』などに携わる。2015年10月『人生のパイセンTV』で初めて演出を担当。フジテレビ最年少演出家(29歳)として注目を集めている。

野球一筋。チャラくなかった大学時代

ー学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

萩原:僕は中学高校大学と野球一筋でした。大学では怪我をしてしまって、現役選手を続けられなくなってしまったので、付属の高校の学生たちに学生コーチとして野球を教えることを4年間続けていました。特待生が入ってきた年代で、運良く甲子園も行けたんです。4年間でおよそ500人近くもの後輩をコーチングしていたことになりますね。そんな中で、僕は2軍の子達をなんとか1軍に入れてあげたい、試合に出してあげたいという想いが強くて。それは今の番組作りでも活きているかもしれません。

ー意外とチャラくないんですね(笑)。表に出るのが好きなタイプではなかったのでしょうか?

萩原:そうですね(笑)。サークルも入ったことありませんし。ただ野球はたいして上手くないけど、宴会芸をやらせたらナンバーワンみたいな自負はあったかもしれません。どちらかというとムードメーカーで、部室をドカドカ笑わせたりしていて。人に面白いと思ってもらうことに対しては誰にも負けないぞ、みたいな気持ちはありました。そのなかで人に面白いと思ってもらえる仕事に就きたいなという気持ちが強くて、テレビの世界を選んだんです。

—テレビの世界を志すということは、相当なテレビっ子だったんですね。

萩原:小さい頃は特にそうでしたね。中学生になってからは部活動が忙しくなったので、リアルタイムで見れたのは『学校へ行こう!!』『ガチンコファイトクラブ』などのバラエティ番組。大学になってから『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』とか『とんねるずのみなさんのおかげでした』を後追いで見て、やっぱりテレビって面白いしすごいな、と思っていたんです。学園祭なんかでも芸人さんのネタを参考にお笑いネタを披露していましたね。

テレビ制作現場の楽しさを伝えたい

ーそこから晴れてフジテレビに入社するわけですが、就活はテレビ一筋だったんですか?

萩原:そうですね。周囲には止められましたけど、テレビ番組を作る仕事がどうしてもしたくって、キー局しか受けませんでした。人数も多かったのでなんとか目立とうとストライプのスーツにピンクのネクタイをつけて面接行ったりして(笑)。3分で10人とかの面接だったので、とにかく人と違うことをやって目立たないといけないな、と思ってました。

ーお話を聞いているとムードメーカーで、人前に出ることが好きそうな印象を受けたのですが、テレビの世界を目指すにあたり、出る側ではなく、作る側の世界に憧れたのはどうしてでしょうか?

萩原:目立つのも宴会芸を披露するのも好きなんですけど、もともと作ることが好きだったんです。映画も小さい頃から好きで、制作者としてエンドロールに自分の名前を載せたいなという憧れも強くて。例えばフジテレビだったら27時間の総合演出を務める片岡飛鳥さんって「どんなヤバい天才なんだろう?」みたいな興味が強かったんですよ。出る側よりやっぱり物を作っている人は最強だという気持ちがあって。

ー入社してから自分の番組を持つまではどんなことを?

萩原:『笑っていいとも!』や『もしもツアーズ』のADをしていました。こういう長寿番組は、もうフォーマットが完成しているんですよ。ADが変わっても、どう転んでも同じ様式美に辿り着く。逆に、レールがしっかり敷かれているから、はみ出すと怒られるわけです。その分、ロケの段取りなど「必須科目」を全部学べた番組でもありました。「方程式が決まっちゃってるから自分がやる必要はない」と悩んだりもしましたが、今となって考えれば色んな先輩から基礎を学べた貴重な時間でしたね。

ー『人生のパイセンTV』では自らがマイアミというキャラで出たり、ロケに出てカメラも回したりディレクターの仕事も兼任していますよね。

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萩原:はい。そういう人は他にいないですけど、それで全部できたら無敵じゃないですか(笑)。自分が企画したものに自分が出て自分で編集すると、ロケをしながら構成も組み立てられる。全部がドキュメンタリーの番組なので、そのほうが思い通りに構築できるなと思ってチャレンジしている部分なんです。

ーそれだけ労力が増えると大変そうですよね。

萩原:大変なことも多いですね。最初は番組の認知度も低かったから、街角でインタビューしても「フジテレビなわけないじゃん!」とアダルトビデオのスカウトと間違えられたり(笑)。上司や周囲には自分がバンバン出ることをすごく反対されました。「お前出過ぎだよ」って言われるなかで、「わかってますわかってます」と言いながら、「うるさいな、黙って見てろよ」って思っていたりもします(笑)。テレビ局に入ると寝られなくて、スパルタなんでしょ? みたいな感じのイメージを持たれてしまっていると、面白い若者がテレビの世界に憧れて入ってこないじゃないですか。だから僕は「こんなに楽しい現場はないんだよ」というのを伝えたいんです。いくら周りに何を言われようが、「バカですよね(笑)」とか言いながら、やり続けたいなと思ってます。

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万物をチャラく演出したい! 最年少で帯番組にこぎつけられた理由とは

万物をチャラく演出したい! 最年少で帯番組にこぎつけられた理由とは

—そもそも『人生のパイセンTV』が帯番組として始まったのは単発の特番がきっかけなんですよね。

萩原:はい。かねてから番組がやりたいと企画は出していたんです。でも会議で「EXILEのATSUSHIさんのそっくりさんがいて身も心も憑依している人がいる」と提案しても全然伝わらなくて。上に「そんな人よくいるじゃん?」とか言われて。すごく悔しかったんですけど、よく考えてみたらそれはそうなんですよね。実績もない奴が企画書だけで話しても現場の面白さは伝わらない。でも僕は絵が見えていたので「絶対負けないぞ」という気持ちで、「代案考えます」とか言いながらもう勝手に密着して撮影してしまったんですよ。それで「すみません、間に合いませんでした。でも1本撮れたのでこれ使ってください」って放送にねじ込んで。そしたら「もうわかったよ、好きにやりな」みたいに言ってくれて。怒られましたけど、結果放送されて、フジテレビの懐の大きさを感じました。

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—怒られても続けられた理由はなんだったのでしょうか?

萩原:単純に若者のために面白い番組を作りたいからです。今ってどうしても30代〜50代向けの番組が多くなっているなか、若者に向けたテレビを作る奴らがいても良いんじゃないかなと思ってるんです。上の世代の方にはしっかりした番組を作って頂いて、若い奴らがもうちょっと色んな色のある番組を作れたら、テレビ全体も面白くなるんじゃないかなと思って。僕は万物をチャラく演出したいという気持ちで臨んでいます(笑)。

—出る杭になろうと思ったんですね。

萩原:はい。出る杭は打たれるとよく言われますが、打たれても折れない杭になればいいんですよ。普通は上の人に言いくるめられて頓挫してしまうんですけど、しつこく「やりたいです」って言い続けることとか、若い人にしかできない勢いで立ち向かうとか、どんどん企画を進行させちゃうとか。何かを成し遂げたいなら突き抜けるのは絶対必要だなって思うんです。だって、上の世代より絶対自分の方が若者の感性に近いし、僕みたいな人間がやらないと誰もやらないと思って。しかもそういう強引なやり方をしたからといって、「じゃああいつとは二度と仕事しない」とはならない。むしろ面白がってくれて「こいつと仕事したいな」とか面白がってくれたり、可愛がってくれる先輩も出てきたんです。こういうのが一人出ると、また僕みたいに出る杭になる若い世代が増えてくると思うんです。

フジテレビでナンバー1の演出家になりたい

—番組のADさんなど他のスタッフもチーム感が強くモチベーション高く番組制作に取り組まれている印象を持っていたのですが、それは萩原さんに影響を受けている部分があるのだと感じました。

萩原:そうですね。ADとかスタッフが辛そうにやっているより、皆が生き生きモチベーション高くやっている現場にしたいんです。どんどん提案してきてほしいし、そういうエネルギーって必ず番組に映ると思うので。僕はメンバーに叱ることはあっても不用意に怒ることは絶対しないと決めているのです。きっと学生時代にコーチングをやって、いいところを見つけて褒めてあげれば、必ず伸びるみたいなことを知っているからだと思うんです。僕らが楽しんでやっていることが番組をいいものにする上での大前提だな、と思いますね。「人生を楽しく生きるコツ」を教えている番組のスタッフが楽しくなさそうなのは、嘘じゃないですか(笑)。

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—お話を聞いていると番組を盛り上げたいという気持ちはもちろんですが、テレビ業界全体のことを考えて戦略を持ってやられている印象を持ちました。これからの目標はどこに据えているのでしょうか?

萩原:やっぱりフジテレビでナンバー1と言われる人になりたいですよね。フジテレビといえば片岡飛鳥さんだったように、フジテレビといえばマイアミ・ケータという存在に思われたい。具体的には『27時間テレビ』の総合演出を担当したいです。1年がかりのプロジェクトですし、フジテレビのバラエティの仕事のトップだと思うので。というのもAD時代に27時間テレビの総合演出の方が、何百人というスタッフを束ねて説明する姿を見たんですけど、めちゃくちゃ格好よかったんですよ。「俺も10年後にはあそこに立ってやる」ってその時から思っているんです。それが実現できたら、最高だなぁって思いますよね。

—遠からずその日がやってくる姿が目に浮かびます。

萩原:あと、マイアミ組みたいなものを大きくしていきたいし、ゴールデンでもやりたいですよね。僕は番組のスタッフ、出てくれる素人さん、お客さん、視聴者含めてファミリーだと思っているので。これまでに取材してきた「パイセン」達に仕事の相談をすることもありますし、その人たちにいい想いをさせてあげたいんです。そして今ADたちが数年後自分たちの番組を持ったときに、「マイアミ組だったんだよ」と言われるようになっていたら、これほどいいことはない。これからもおバカな番組を、愛を持って作り続けていきたいですね。

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サングラス

このメガネをかけることで、一瞬でチャラいパリピ(パーティーピープルの略)になれます。僕はチャラいっていうのは、愛されるバカになることだと思うんですよね。こういう蛍光色のサングラスはチャラさを売りにしだした大学生くらいから愛用しています(笑)。黒髪短髪だったのに、チャラいと言われていたので、もうそれをキャラにしちゃえということで愛用し始めたんです。人見知りな人とか、恥ずかしがり屋な人はこういう蛍光のサングラスを掛けることで、チャラくなる勇気が湧いてくると思いますよ。
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